第四話
船員や島民など、一般の世界ではお目にかかれないような変わり者たちから、ようやく解き放たれたので、気持的にも多少のゆとりが出来た。そのため、少し辺りを見学してみることにした。しかし、島内にはずいぶんと霧が立ちこめていて、そんな私のやる気をくじいた。
「いやあ、これはひどいな。今朝がた、雨でも降ったのかな」
私がそんなことを言うと、「この島の天候は晴れようが崩れようが、いつもこんな感じだよ。常時こういう天候だからこそ、この島が会場に選ばれているわけじゃないか」と、友人からの返答がきた。
今いる場所は小高い丘のようになっていて、ある程度景色を見渡せるのだった。この島には木造ながらも、人家が点在していた。どうやら、いくらかの住民がいるらしい。市場のようなものも見えてきた。島の中央にはコンクリート造りの白い大きな建物が見える。私の目にそれが見えたとき、友人が、「ああ、ほら、あれが会場だよ」と説明してくれた。会場のほうへ向かって歩いていくと、この島の島民らしき子供たち数人とすれ違った。どの子も、頭に辞書を載せ、手を前で合わせて、何かぶつぶつと呟きながら歩いていた。ずっと下を向いていて、私たちの事も気にならないようであった。
私が後ろを振り返って、そんな子供たちを目で追いながら、「しかしあれだね、この島の住民というのは、さっきの島民たちもそうだったが、子供に至るまで、何か少し変わっているようだね」と言うと、友人は不服そうな顔をして返答した。
「おい、君、君、そんな失礼なことを言うもんじゃないぜ。この島には世界の名だたる評論家や学者などの末裔や、その近親しか住めないんだ。つまり、先程の子供たちでも、もう少し大きくなれば、あっと言う間に大企業や学会の中心人物になるわけだよ。君なんかはすぐに追い抜かれるわけだから、今のうちから、彼らに頭を下げておいたほうが良さそうなもんだがね」
「そんなひどいことを言わなくてもいいだろう。ちょっと両親の頭が良いからって、子供までがいい学者になれるとは限らんし、だいたい、僕はその学者や評論家が信用できなくて、文句を言うためにここへ来たようなもんなんだぞ」
「ふ~む、まあそういうことならもう少し説明しておこうか。いいかね、この島に住んでいる人々の血統の良さにはさっきも触れたが、この島では、その優れた人間同士が交配することによって、さらに優れた純血の子孫を生み出しているんだ。とても君なんかのかなう相手ではないさ。それに君はしょっちゅう評論家や学者を小馬鹿にするような発言をしているらしいが、彼らのような優れた人間が、すばらしい理論を創ってくれるからこそ、僕らはたいした肉体労働をせずとも、こうしてのんびりと生きていくことができるんだよ。つまり、まあ、政治経済とか企業社会とか外交とか、そういうこの世の事物全てが、理論という絶対的な存在の上に成り立っているわけだよ。それとも、大昔みたいに、食うものも食わずに一日中炭鉱の中でつるはしを振り回す生活の方がいいとでも思っているのかい?」
「もう、わかったよ」
難雑な話になってしまい、反論できなくなり、私はなんとか彼の話を中断し、つまらなそうな顔をして、再び歩き始めた。濃い霧のため、目の前に人や物体が突然姿を現して、人間を驚かすというような現象が起こりがちになっている。今も5メートルほど先に得体の知れない屋台が姿を見せ、私をひどく驚かせた。
店が出ているということは、住民もこのイベントを多少は意識しているということなのか。それにしては、港からここまで歓迎ムードを感じることはなかった。私が最初に目をつけたこの店には、何やら黒いはんぺんのようなものが、所狭しと並べられ、売られていた。そのはんぺんの表面には古代文字のような奇妙な文言が刻まれていた。この島の名物なのだろうか。私が不思議そうな顔をしていると、友人は「ああ、この島特有のもので、知的食物と呼ばれているものだよ。これを一枚食べると、少しの間、自分の偏差値が単純に1上がるそうだよ。どうだい、君も発表会の前にこれを食べて、他の来客とのハンデを少しでも埋めておいた方がいいのではないか?」と説明してくれた。こんなものは間違いなくこの島にしかないであろうが、味が想像できないし、とても信用できる代物ではないので、遠慮しておいた。
島に到着してから、一時間が経ち、かなりの距離歩いたように思えた。ようやく目の前にぼんやりと会場の姿が見えてきた。何となく全体像はつかめたが、霧のせいで、もう少し近づかないと細部まではわからない。それにしても今日は霧が濃い。そう言えば、横浜港にも霧がでていたっけ。
「それにしても、さすがにこうまで霧が濃いと、何か恐い気がするね。人に見せたくないようなものがあるみたいじゃないか」
足下の小石を蹴飛ばして、じゃりじゃりいわせながら、私がそんなことをつぶやくと、友人は微笑した。
「君もわからない男だな。もう一度言うが、霧が濃いからいいんじゃないか」
「しかし、これでは島の景色も会場の姿もよく見えないぞ」
「それもいいことじゃないか。だいたいねえ、今の世の中に何か一つでもはっきりと見えるものがあるのかい。重要なものや、吐き気をもよおすようなものにはいつも霧がかかっていて、我々はそれをはっきりと見ることが出来ないが、それとともに、それらを見なくても済んでいるようなところがあるんだ」
私は猛烈な反論を用意していたが、私の声をかき消して、会場のほうで、大きなドラが打ち鳴らされた。
「ああ、あれが開場の合図だよ」
友人はそう言って、私から目をそらすと、会場の入り口に向かって黙々と歩き出した。私もそれに続いた。近づいてみると、その会場は私の住む町にある公民館のような格好をしていた。入り口付近の沿道には、なんと二宮金次郎の銅像がずらっと一列に並んでいた。
「いやあ、なかなか壮観だが、しかしなぜだろうね、この島の連中は日本に興味があるのかな」
私がこれに驚き、そう言うと、友人はまたも不気味な笑みを浮かべ、語り始めた。
「まあ、現存している日本の芸術作品の中でまともに評価できるのは、この銅像ぐらいだよ。見てごらんよ、あの、『真面目に勉強しなければ、生きている意味がない』とでも、言いたそうな顔を。この像以外の彫刻やら絵画なんて、僕に言わせれば道楽の域を出ないね」
ここまで読んでくださってありがとうございます。今夜中に完結します。