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TOKYO異世界不動産  作者: すずきあきら
第二章 ぼくらはみんな生きている
9/31

3

グールの部屋探し。大詰めです。


「……で、ここ、か」


 手にした地図から目を上げ、源大朗が見上げる。

 そこに、古びたマンションが経っていた。

 築四十年以上はゆうに経過したと思われる、何度も塗り直され、あちこちが剥がれ落ちた外壁。

 窓枠はアルミサッシではなく鉄枠だ。

 全体に装飾的なデザインはまったくない、真四角の大きな箱。


「ここ、ですか」


 緑川も見上げる。


「ああ。五階建ての、五階だ。けどエレベーターはない。昔の公団住宅ふう、というか、な。入り口があっちと、こっちにある。総戸数は、二十戸だ」


「……」


 黙って見上げるキアム。

 言うまでもなく、夷やを出て、実見しに来たのだ。


「じゃあまあ、行くか」


「は、い」


 グールの緑川がうなずく。

 三人で暗いコンクリート階段を登っていく。なんどもフロアと踊り場を過ぎ、ようやく五階にたどり着いた。


「……ふぅ、ふぅ、はぁ」


「ぉおーお、やっぱりけっこうキツいな。これ、毎日だと」


「紹介する側がそんなこと言ったら、ダメだと思う」


 とは、キアム。ひとりだけ息も乱していない。


「じゃあ、入るぞ。っと、鍵は、と」


 源大朗、ドアノブ下の鍵穴に、他の不動産店の札の付いた鍵を差し込み、回す。ジョギン! 大きな音とともに施錠が解かれた。

 塗られた緑色がすっかり褪せて、グレーに近い鉄の扉。あちこち色が剥げ、凹んで、傷も目立つ。

 ドア前のホールも埃っぽく、隅のほうがタールのように黒く固まっていた。

 なんだかすでに、どんよりと空気がよどんでいるふうでもある。そのドアを、ガチャ、これまた大き目の金属音とともに開ける。


「ほぉ」


「はぁー」


 目の前に広がる、暗くうつろな空間。出迎えるのは、どこか湿った空気。思わず声を失って立ち尽くす源大朗、緑川を後目に、


「……」


 人数分のスリッパをテキパキ並べるキアム。先に入って戸口の上にあるブレーカーを上げ、照明のスイッチを入れる。

 そこに浮かび上がったのは、広さ八畳ほどのダイニングキッチン。その向こうにガラス戸と収納のドア。右側にはトイレと風呂という水回りの、やはりドアが並ぶ。

 いわゆる古典的な1DK。

 ビニールタイルを敷きつめたダイニングキッチンは広めだが、かといってソファーやテレビセットを置くには物足りない。

 そんな昭和な間取りにふさわしく、リフォームもしていない壁や天井、床は、全体に薄汚れ、家具の跡がはっきりとついているところもあり、クロスの擦れ、破れもあって、コンディションがいいとはとても言い難かった。


「ふつう、ですね」


 緑川が言う。

 先に部屋に上がったキアムがダイニングキッチンの向こう、和室の掃き出し窓にかかったカーテンを開ける。

 とたんに西日が届いて、室内はまぶしいくらいに明るくなった。


「1DKで三十四平米。最上階だし角部屋だし、風呂トイレ別だし。なかなかいいんじゃないか」


「そうですね、はい」


「駅歩十分。徒歩二分に生鮮食品も扱っているドラッグストアもある」


「いいですね、いい、うん」


 キアムの補足に、強くうなずく緑川。


「な! これで決まりだな! 家賃はなんと四万! 管理費ナシ! 礼ナシ・敷一だ。破格だぞ!」


「はい、はい!」


 源大朗の声も、答える緑川の声も熱を帯びる。が、ここで、


「……そんないい物件。ぼくが入っていいんですか。その、ほら、大家さんは了承してるんですか。事故物件になってしまうこと」


 緑川が気づく。にわかに冷静さを取り戻した。

 それを見て、源大朗。


「んー、そこに気づいたか。まあ、そうだな」


 源大朗が言いながら、数歩移動した。いままで立っていた場所を指さす。

 そこ。ダイニングキッチンの床が、一部黒く変色していた。


挿絵(By みてみん)


 ただの染み、というより、なにかが腐食し、ビニールタイルに深く染み込んだ、そんなふうに見える。


「これって」


「じつはな。ここが事故物件なんだ」


「ええ!」


「この部屋の住人が自殺した。遺体は数か月経ってから発見された。二年まえのこと」


 と、キアムの声は冷静だ。


「それから事故物件として、まだ誰も入居していない。直前の事故については告知の義務があるからな。知らせると、みんな入居を拒んじまう。ずっと空き家だったんで、大家も破格の家賃でいいってことだ。ふつうなら安くとも六万は下らない物件だぞ」


「そ、それで」


 驚いたのか、ショックからか、緑川の顔色がどんどん悪くなる。もともと土気色だったが、もう泥色だ。


「どうだ。いいんじゃないか。こう言っちゃなんだが、緑川さん、あんたもう死んでるんだし」


 これで決まり、とばかりに源大朗、緑川の背中を軽く叩く。


「それで、さっき、こそこそ話してたんですね」


「んまぁ、マレーヤのアイデアでな。あいつ、たまにはいいことを言いやがる」


『緑川っちが住んだら事故物件になる、っていうならさぁ、逆に事故物件紹介したらいいんじゃん! 最初から事故物件ならぁ、それ以上変わんないっしょ! これ、どう? マレーヤ、あったまいーい!』


 実際に探したのはラウネアだ。

 パソコンを操作し、不動産情報データベースから物件情報をピックアップしてくるのはラウネアの仕事だ。とうぜん、活用しているのは不動産業界団体に加盟するプロ用サイトである。

 マレーヤのセリフを思い出して、源大朗、くしゃくしゃと髪を掻きまわし、いっしゅん苦虫を噛み潰したような顔をしながら、


「これから事故物件を紹介する、とも言えなくてな。いや、契約まえにはちゃんと言うつもりだったぞ。現にいま、言ってるだろ」


 弁明はやや苦しい。が、


「けど、だ! ものは考えようだ。事故物件になるのが怖くて、あんたを入居させられなかった大家も、もう現に事故物件なら問題ない。問題どころか、ウェルカム! だ」


「死んでても大歓迎。たぶん……」


 ある意味、身もフタもない言い方のキアム。


「なんつっても、この広さでこの値段はない。なかなかない、じゃなく、ないな。敷金も半分にしてやる。いや、ゼロもあるかも、だ」


 なおも畳みかける源大朗。

 キアムは、さっきまで源大朗が隠していた? とも言えるビニールタイルの染みの上へ乗ってみて、


「これ、気になるなら床の張替えも頼めると思う。傷んでるから、ちょっと音もするし」


 足で押し付けて、キー、キュー、と音を鳴らす。


「いいところに気が付いたな! うん、これなら張替え、いけるな。オレが頼んでおくから、引っ越すまえにはピカピカのダイニングの床になってるぞ」


 と、源大朗。続けて、


「よーし、契約するなら、いっぺん店へ戻るか!」


「……」


 源大朗の言葉で、また窓などを閉め始めるキアム。

 だがなぜか緑川、動かない。言葉も発しない。そんな緑川へ、源大朗とキアムの視線が集まる。

 緑川、ついに、ほんの少し紅潮した? 顔色で、ひとこと。


「ご、ごめんなさい! ぼく、怖いの、ダメなんですよ。極度の怖がりで。人が自殺したところに住むとか、なんか出そうで、ぜったい見るっていうか、怖すぎて、ムリ! です……」



「しっかし、怖がりのゾンビってなぁ」


「ぁ、いえ、ゾンビじゃなくて」


「グール」


 思わずマレーヤのようなボケをかまし、それを緑川とキアムに修正されながら、源大朗、


「……そか。うーん、事故物件に死体……っと、生きてないグール、いい案だと思ったんだがなぁ」


「すいません。ほんとう、すいません。せっかくいい物件を探していただいたのに」


 マジレスをぼやきながらも、全員でここ、別の物件へと移動して来ていた。


「どうぞ」


 こんどはキアムが鍵を回し、ドアを開ける。


「ここは」


 廊下の先から、午後の光が差し込んできた。それまでの薄暗い玄関ホールとは見違えるほどの明るさ。


 広めのワンルームだが収納も充分。しかも南に面したベランダの大きな窓からの陽光はかくべつの温かさと明るさを運んできて余りある。


「いい、ですねえ!」


 緑川の表情もパァッ、と明るくなる。土気色の顔色は変わらないが。


「二十八平米だが、わりと広く感じるだろ。二階建ての二階。なんといっても南向きの窓からのヌケがいいからな。日差しもたっぷりだ」


 源大朗のテンションも上がる。キアムがそろえたスリッパを履いて部屋へ上がると、緑川はあちこちをチェックし始める。


「コンロはIHですね。でもふた口ある。トイレと風呂は別だし、問題ないですねえ」


 気に入ると、ちょっとしたネガも気にならなくなる。むしろその不足や不備がかわいい、味わい深い、となったりもする。


「ここに洗濯機置き場も、ある」


 新し目の物件だけあり、洗面所には洗濯機を置くスペースがあらかじめしっかり設えられていた。


「いい、ですね……ぅん」


 緑川もなんどもうなずく。


「これで月六万二千の管理費三千は、わりとってか、はっきりお得だぞ。マンションといっても軽量鉄骨だがな。角部屋だし、隣の部屋とはクローゼットが入れ違いで設けられてて、分厚い壁代わりになってるから、まず隣室の声や音も聞こえない」


 RC(鉄筋コンクリート)でなくとも、鉄骨造りで、「マンション」の呼称となる。

 しかし鉄骨造りは、建物の骨格に鉄骨が用いられているというだけで、あとは木造とさほど変わらない。隣室との壁は、いわゆる木造アパートと同じレベルだ。

 それでも、間取りを工夫することで隣室との音の干渉はかなり抑えられる。


「そもそも「マンション」とは、大邸宅、って意味なんだがな。それはいいとして、どうだ、この部屋、敷二だけどな、なんとか一・五くらいに……」


「いやぁー、これだけいい感じなら、そこはできれば、という程度で。はい。……ええと、ベランダは、と」


 緑川が奥の掃き出し窓へと歩く。

 掃き出し窓とは、床まである大型の窓のこと。実際に床と同じ高さにレールがあるもの、一段高くなっているものとがあるが、どちらも基本そこから出入りができるものを言う。窓を開け、


「うーん、気持ちいいな。この空気が……ぅ、ん? なんだか臭い。いや、いやな臭いというよりは、これ……お線香の」


 緑川の表情が曇る。視線が青空から降りて、下へ、そして止まる。そこには、


「……墓」


 ベランダの向こう、つまりマンションの南側には墓地が広がっていた。

 その向こう、寺の本堂の大きな屋根が見える。

 要するにこのマンション、寺の敷地に隣接していて、もっと言えば墓地に面しているのである。


挿絵(By みてみん)


「墓物件」


「えっ」


 キアムのひと言に、緑川が声を上げる。


「その名のとおり、お墓が目の前、せいぜい通りを隔てた向かいとかにある物件のことだ。ここみたいに、窓の向こうに見えるってケースを言う場合が多いがな」


 墓物件。

 じつにそのままの名称だ。

 さまざまな考えはあるとして、墓が「死」を連想・意味するもの、「死」を穢れ、とするイメージは一般にある。霊柩車を見ると親指を隠す、などもこうした考えからだ。穢れ、というより畏れ、という解釈もある。

 いずれにしろ、


「相場よりも家賃は抑えめだ。ここだって、駅から十分以内で単身者なら広さもじゅうぶん、築浅ってことで、七万以上はふつうする。七・五でも高いとは言えないくらいだ」


「それが六万二千円……ですか」


「墓物件の、いいところも、ある。窓の向こうに遮蔽物がないから、日当たりがいい。お寺はかんたんに移転したりしない。だから、とつぜん建物が建って日当たりが悪くなることも、まず、ない」


 キアムが言う、墓物件のメリットは安目の家賃だけではない、ということだ。


「よかったじゃないか。日当たりもばっちりだし、ここならさっきみたいに、部屋ん中で人が死んだってわけでもない。クリーンそのものだ。うん!」


 源大朗、決まった、というように胸を張る。が、


「あ、あの……やっぱり、ぼく」


「はぁ!?」


「ダメ、なんですよ。さっきの部屋はひとりだったけど、このお墓には何百人って人が死んで、入ってるわけでしょ。幽霊って意味では、数百倍じゃないですかー」


 緑川の顔は、やはり蒼白。いや、土気色。

 部屋でなくとも、墓地でもやはりダメなのだという。


「いやいや! そこで死んだわけじゃないし、ちゃんと火葬されてるんだぞ。って、そういうのじゃねえって、か。うーん!」


 説得しようと試みる源大朗だが、どんどん悄然としていく緑川の表情を見て、これは無理だ、と悟ったようす。


「ダメか」


「すいません……」


「いや、住むのはあんたなんだからな。っと、またラウネアに怒られちまう。緑川さん、そうだなぁ、もう死んでるんだからなぁ……」


「は、はい。あの、生きてない、くらいで」


「だな。うーん、つまり、だ」


 腕組みし、考え込む源大朗。そこへキアム、


「死んでると、部屋を借りられないなら、死んでないと借りられない、くらいでない、と」


「そうか、発想の転換だな! 死んでるからダメ。じゃあ、死んでないとダメ、くらいの物件が……」


「あるんですか、そんなの」


「そりゃあ、って、墓場はもうダメだし。死んでないとダメ、死んでないとダメ……」


「死体安置所」


「それだ!」


 キアムのつぶやきに、源大朗、声を上げる。が、


「……無理、です」


 緑川の言葉を待つまでもなく、


「あるわけないだろ、そんな物件。住める霊安室とか死体安置所とかよ、無理無理無理。てことは、うーん……」


 またも振り出し。たちまち消沈する緑川と、毒づく源大朗。


「……」


 キアムだけが、なにかを考えるように唇を結んでいた。


次回は4/6に更新予定です。よろしくお願いします!

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