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第二章です。こんどはグールの亜人がお客さん
表戸のガラスの向こう。
チラチラとこちらを見たり、ひとしきり躊躇するそぶりを見せつつも人影が、もうそこまで近づいて来ていた。
「おおっと、言ってる端から客だ。いや、お客さまだ! よぉーし、やるぞ! 社長のやる気、見てろ!」
源大朗、そう言うと、人影がガラス戸に貼ってある物件チラシに顔を近づけた瞬間、
「いらっしゃい!」
タイミングを計らって、玄関引き戸を開ける。もちろんラウネアも、
「いらっしゃいませ、どうぞ♪」
めずらしくキアムまでが、
「……いらっしゃい」
小声で発する。
その勢い(キアムを除く)と、三人の真っすぐな視線にたじろいだのか、
「ぅ、ぁ! ぅう」
動きが止まる客。
身なりはふつう。歳は二十代くらいの男。ちょっとビビりなだけで、物腰もふつう。となれば悪い客ではなさそう、なのだが、
「……?」
こんどは源大朗もラウネアも、キアムも動きが止まる。言葉を失う。
「ぁ、あ、の」
客の声で、ようやく源大朗がひとこと。
「あー、ごめん。どうぞ中へ。……ところであんた、お客さん、ちゃんと生きてる?」
「グール、なんですか?」
お茶の紙コップをテーブルに置きながら、ラウネア。その口調は、やっぱりちょっと驚いたふうだ。
「喰種……」
キアムも、両手で湯飲みを抱えながらつぶやいた。
「は、ぃ」
テーブルの向こうの男は、出されたお茶に手を付けるでもなく、うなずく。
細身で細面。とくになんということもないセーターにズボン、上着。中途半端に伸びた髪。
学生か、まだ二十代の社会人、といったよくある風体、風貌の男。
しかしなんといっても特徴的なのは、
「やっぱり、死んでる、のか」
源大朗もひと言ひと言、慎重に確認する。その土気色の顔。どろん、と光のない目。まさにテレビや映画などで見る、「動く死体」そのものだ。
「あ、はい。ええと、説明を少々要しますが、医学的にというか、ぼくの心臓は止まってますし、血液も流れていないし、細胞を摂取して顕微鏡で見ても、死んでいると判断されます。DNAとかまではわかりませんが」
たんたんと、男が言う。その声にもハツラツさ、などはないが、ひとまずは十分聞こえる大きさと活舌だ。
「えーと……、緑川、さんね。これは、本名?」
「ええ。向こうの、生まれた世界ではグリュンガル、という名でしたが、それが緑の川、という意味でして」
「それで、こっちへ来て、緑川で登録したわけだ」
異世界人がこちらの世界へ来たときには、登録所で各種の手続きをしなくてはならない。こっちの世界で発音できる、書くことのできる名前、などもそのひとつだ。
「最初から死んでる、の」
と、キアム。テーブルと壁の凹みに囲まれたお気に入りのスペースから、じっと緑川を見つめている。
「あ、いえ……ははは、やっぱりちゃんと説明する必要がありそうですね」
そう言って笑うと緑川、少し遠い目をして話し始めた。その目もまた、やはりドロンとして生気はなかったのだが。
「……ぼくの故郷は、百人に足りないくらいのグールが暮らす小さな村で、こっちではグールって呼ばれてますけど、向こうではただの、ぼくら種族の村ってだけで、平和な、なんにもないところです」
ほぼ全員が牧畜を営んでいるが、生産物は多くなく、村人全員がなんとか食べていけるだけのものしかない。同時に農業も行っているが、こちらも同様で、収穫はさらに少ないらしい。
「でもそんなだと、やっていけるのか。自給自足って言っても、かなり厳しそうだぞ」
「ほかの村や町とは、交流はないのですか?」
源大朗やラウネアが尋ねる。
「はい。じつは飼っている牛の乳や肉を売って、それで周りの村から魚とか、ほかにも必要なものを買ったりしています」
「いちおう貨幣経済はあるんだな」
「まぁ、そのくらいは」
「けどなぁ」
源大朗の言いたいのは、その程度の規模では、なにかあるとあっという間に取引が立ちいかなくなる、ということだ。なにかある、どころか、ほんのわずかな変化でもじょじょにジリ貧となるのは見えている。
源大朗も経営者の端くれだからわかる。
「ダイヤでも出るとか、ってんならなぁ」
「ダイヤ?」
「宝石だよ。宝石でなくても、誰もが欲しがるようなもんが、その、あんたの村から出る、獲れるっていうなら、どんなに小さな規模でもやっていけるだろうが」
「んん! 緑川さん、ですよ」
ラウネアがやんわりと釘を刺す。
「ああ、かまいません。宝石じゃないですが、じつは村で取れる牛乳や肉にはちょっとした違いがあって」
「ほお」
「ぼくたちグールの……グール、と呼ぶことにして、ですが、ウイルスが感染してるんですよ」
「ウイルス!」
「感染」
キアムもつぶやいた。
「あー、そうですよね。ウイルス、とか感染っていうとやっぱりだいぶイメージ悪いですけれど……」
緑川の話をまとめると……。
グール族といっても最初から死んでいるわけではなく、ふつうに生まれ、ふつうに生きて育つ。もちろん生まれるのは女性から。子どもができるのも、ふつうに男女が、
「えっと、その、結婚して、ですね、ふつうに……」
「セックス、ですね」
その言葉を言い換えようと四苦八苦の緑川と、なんの抵抗もなく口に出すラウネア。思わず店の中の全員が見ると、
「?」
笑って小首をかしげた。
「……」
下を向いて顔が見えないのはキアムだ。
話のまとめを続けると、そうやってふつうに生活しているグール族だが、寿命は短く、平均で三十歳くらいなのだそう。
このころからグール族の個体の体内ではあるウイルスが増殖し始める。彼らの土地に固有のもので、彼らにしか感染しない。それが最終的にグール族の個体を死に至らしめるのだが、
「死んで三日ほどすると、生き返ります」
「生き返る!」
「まぁ!」
しかし、それは最初に緑川が言ったように、生物学的には生きておらず、つまりは死んでいる。
細胞が死に、血液は流れず、内臓もはたらいていない。
しかしそれでも、グール族は動き、歩き、考え、しゃべることもできる。
「ウイルスが全身に行きわたった結果、肉体が死にます。けれど死んだまま肉体を維持し、「生きる」ことができるのです。記憶もありますし」
緑川の声が弾む。
土気色の頬に、ほんの少し赤みが射したような気がした。
「えっとな、ちょ、ちょっと、待ってくれよ、その……」
しかしその話、理屈というかシステムを、誰も理解してはいないようで、
「んー、つまりウイルスのせいで死ぬし、死んでるが、ウイルスのおかげで動いたりできる、ってことか」
「死んでるけれど、生きてる、リビングデッドって、そういうことだったんですね」
「それも、オレたちの常識からつけた呼び名ってことだがな」
納得したようでしていない。けれど目の前の緑川は、まさにその現象、現状そのままに存在している。
ウイルスのせいで、細胞は死んでいても腐敗することなく保たれる。
いわば、ウイルスの群体が肉体を動かしているような状態。
してみると目の前の緑川もウイルスの郡体生物なわけで、
「けど、どうして……、んー、まぁ、そういう種族だっていやあ、そうなんだろうが、なぁ」
源大朗の、やはりどこか腑に落ちない言い回し。それに答えるように、
「ぼくたちは、「生きている」間に結婚し、子どもをもうけます。なぜなら、いったん「死んで」しまうと、もうそういうことは不可能になってしまうので」
「じゃあ、緑川さんにもお子さんが?」
「いえ、ぼくはそういうことに縁がないうちに、「死んで」しまったので」
一気に店内の空気が硬くなる。気付いた緑川、
「ぁ、でも、ぼくはまあ、仕方ないっていうか、奥手だったので、あ、はは! ……はぁ、まぁ、そういう」
「死んでから、死ぬ、っていうことはあるの」
明るく振舞おうとして自爆し、キアムが追い打ちをかけるようなことを。
「……あります。この姿になってからは、かなり長い時間、何百年とか、過ごせるんですけど、事故で身体がまるごとなくなるようなことがなければ」
緑川は、「生きられる」とは言わなかった。
まさにグール族の後半生は、生きていない身体を「使い続ける」感覚なのだろう。
「んー、それでその、牛はどうしたんだっけか。グール族のウイルスが感染すると、牛も不死になっちまうとか。「うし」が「ふし」、な! うしが……」
「はいはい」
「ぁ、はい。うふふふっ」
源大朗のおやじなダジャレに、キアム、ラウネアのそれぞれな反応。
気を取り直して、正解は。
牛は、グール族の身体を通して変質したウイルスに感染する。結果、それで死んだり、死んだ状態で復活したりはしないものの、肉や牛乳がたいへん美味になるのだとか。
「はー。はやりの熟成肉、みたいなもんかもな」
「ふつうの肉の十倍以上の値で売れるんです。希少だし、それでも買うという相手がいるから値が付くのですが」
そうした「特産品」があるから、グールの村は少人数でもやっていけるのだろう。しかも宝石の産地、というように、土地そのものを奪われることもない。
念のため、感染した牛の肉を食べても、ウイルスは食べた者に感染しないのだそうだ。
「なるほどなあ。で、最初に戻るんだが、あん……緑川さん、なんでうちに? この店へ来てくれた理由ってのは、やっぱり」
「家探し、部屋探し」
「なのですね?」
三人の、重なるような問いに、緑川。
「はい。じつはぼく、「生きていない」もので、部屋を貸してもらえないんです」
次は明日31日更新します。