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間取り図3を入れました。ご覧くださいませー。
で、また時間は戻る……いや、進んで、
「なんでここ……」
「日暮里」
「にっぽり? なんですか。だって、ふつう……!」
「ファッションの街って言ったら、あれか、おしゃれな自由が丘だとか渋谷、青山・表参道、とかか」
「そう、そういう」
「でなきゃ原宿、高円寺なんかも古着屋が多いみたいだしな。下北沢とか」
「はい、そういうところかとばっかり」
戸惑いを隠せない、といった表情のミナ。
改めて、道路沿いに視線を巡らせて、その代わり映えのしない、というよりどこか古ぼけた、街並みにため息をつく。
歩道を歩いているのも、年配の、地味な配色の服を着た人たちばかりだ。
「ここって、その、お婆ちゃんの原宿、っていうところ、ですか」
「それは巣鴨。地蔵通り商店街」
キアムが答える。
「巣鴨は山手線で四つ向こうだ。まぁ、たしかにそう言われても納得する感じもあるか。でもな……」
源大朗が指さす。
そこに、カラフルな一団がいた。
全員が若い女子だ。四、五人はいる。
やはりカラフルな店先の商品手に取り、さまざま比較するなど吟味し、しゃべり合っている。
地味な街に、そこだけポッ、とビビッドな絵具がこぼれて広がったような華やかさ。周りの空気も違って見える。
「あれ……は」
「行ってみるか」
そう言うともう源大朗は歩き出していた。
「は、はい」
あわててミナが続く。遅れてキアム。
近づいてわかった。彼女たちが見ているのは、
「布?」
「そうだ。店の中もな。入るぞ」
源大朗に続いて、ミナも店の中へ。
「わぁっ!」
思わず声を上げる。
それほど、店内はところせましとさまざまな布でいっぱいだった。
天井近くまでもある棚がどれも、色とりどりの布で埋まっている。もちろん手の届きやすい平台にも。ショーケースの中にもあった。
「けっこう、若い人がいるんですね。外の子たちみたいな」
ミナの言うとおり、店内にも若い女性が多い。店の外にいた女子たちよりはちょっと年齢高めか。
もちろん女性ばかりではないが、女性たちはといえば、誰もがなかなかのルックスだったりプロポーションだったり。
そんなところも、気づくとちょっと不思議に思わせられる。
「こういう布地の店が、通りに面してざっとニ十件はある」
「ニ十件も!」
ミナが驚く。
「ああ。このあたりは日暮里繊維街って言ってな。布地を扱う店が固まってるんだ。プロの服飾屋が仕入れに来る問屋でもあり、こうして小売りもしてる。けっこう安く、な。だから買いに来る客が多い」
「じゃあ、みんな」
「あの女の子たちか。ありゃあ、コスプレイヤーだ」
「コス、プレイヤー?」
「おもにアニメやゲーム、マンガなんかのキャラに扮したファッションをする人のこと」
説明は例によってキアムが。
「そう、なんだ。あ、それで」
「モデルみたいにきれいなコも多い、ってな。でも彼女たち、ここでわざわざ布を買っていくってことは」
「自分で服も、作ってる……」
「そうだ。服だけを作るコスプレ専門服飾屋、なんて人もいるらしいな」
「でも、わたしは」
言いかけて、ミナが口をつぐんだ。
けんめいに言葉を、というより頭の中を整理してようだ。その横で、源大朗、
「上の階に行ってみるか。この店は繊維街でも最王手で、ざっと一万点の布が売られてるんだ」
「一万点、すごい……!」
一階と較べ天井の低い二階は、背丈以上に積み上げられた布地が両側、通路まではみ出していた。
しかしそれより驚くのは、
「あれ、って」
あきらかに日本人ではない集団。
あっちにもこっちにも。聞きなれない言葉が飛び交う。背の高い欧米人女性たち、と思うと、黒い髪と濃い肌の、こちらは、
「ミャンマーかな、インドネシアかな。とにかく外国人が多いんだ。この店なんて、小売りの九割近くが外国人相手の売り上げだっていう」
「そんなに! なんですか」
「世界的に有名なんだな。ほら、あっちの女性たちがスカートみたいに腰に巻いてる」
「ぁ、はい。巻きスカートみたい」
「ありゃあミャンマーのロンジーって、ファッションなんだ。色とりどりの布地がいいんだが、日本の布はいろんなパターンや図案があって、とくに人気なんだよ。この店じゃ、最初からロンジーの大きさにカットした布を売って、大成功ってわけさ」
「ここで布を買って、別の、自分で裁縫できるスペースもある」
「そんなサービスまで!」
驚くミナ。
高性能のミシンや裁縫道具が無料で使えうえ、アドバイスしてくれるスタッフもいる。外国人だけでなく、コスプレイヤーら日本人客にも重宝されている。
「それだけじゃないぞ。作った服を着て、その場で撮影できるスタジオもあるってさ。こう、金閣寺ふう、っていうか、オリエンタルな感じの背景で写真撮って、あれだ、ネットに上げるんだろ」
「ぁ、いいですね、それ! ……すごい、詳しいんですね、ここの」
驚くミナに、
「これに全部、書いてある」
キアムが見せたのは、
「これ、パンフレット? ですか」
「はは、バレたか。英語版もあるぞ。こっちは、ドイツ語に、アラビア語もな!」
「ほんとだ。すごい」
さまざまな言葉で書かれたパンフレットに、ミナが感心して見入る。
ここ数年はそれほど、世界中から観光客が押し寄せているのだ。れっきとした客として。
見るもの、それに想像を超えた世界に、圧倒されるミナだが、
「……でも、わたしは」
「そうだな、あんた……おっと、またラウネアに怒られちまう、ミナさんはコスプレイヤーじゃない。デザイナーでも、服屋でもないよな」
「はい」
「モデル、つまり服を着るほうだから、乱暴に言えば出された服を着さえすればいい。あとは着こなし、とか、そのための体形維持とか、もっと、ウォーキングが巧みだ、とか、重用なのはそっちのほうだ」
「そう、思ってました。でも……」
ミナが目を止める。
キャッキャと楽しみながら、けれども真剣に布地を選び、これから作るだろうコスチュームを想像して笑顔を見せるコスプレイヤーの少女たち。
デザイナーやテーラーたちはもっとプロフェッショナルに、ビジネスライクに布地、服地を吟味している。
それでもときおり、楽し気な、満足げな表情がそこには見える。
「楽しそう……。ううん、なんだかわたしも」
ミナの口元にも笑みが宿る。
同じ空気を、楽しんでいる。そんな気持ちが満ちて来ていた。
「服は布地でできてる」
キアムがつぶやく。ミナもうなずいた。
「ああ。どんな布でできてようが、どんな形だろうが、服は服だ。けどな、こんなふうに素材から見たり、服ができていくさまを知るのも、いいんじゃないか。モデルとして服を着こなすヒントになるかもなぁ、って、な ……まぁオレなんざ、ファッションどころか、服は近所の「とりやま」でしか買ったこたぁねえし。そいつも最後に去年か、一昨年か、行ったのは……。ま、そんなオレらに言われたくはないだろうが、な。はははっ!」
とは、腕を組みながら、源大朗だ。
それからどこか照れくさそうに、あごの無精ひげをなでる。チラッ、とミナを見た。
「どうだ。ここの物件も見てみるか」
ミナ、うなずく。しかし口元は笑っている。サングラスを外して、元気な声で、言った。
「はい!」
「いっしょにするな」
キアムがあいかわらず小さくつぶやいた。
「……ここだ。物件だ」
源大朗がカギを回す。
鉄製のドアが開いた。
「わぁ!」
思わずミナが声を上げる。
築二十年は下らない、木造アパート。
しかし中はきれいにリフォームされていた。もとは2DKだったのが、
「ひろぉい!」
壁を取り払い、大きなワンルームになっている。外とのドア一枚を開けるだけで、中の広い部屋がすっかり一望できた。
「ドアを開けると中が丸見えだけどな。イヤなら、のれんでも下げるといい」
「いえ、わたしどうせ、透明人間なので」
「そうか。まぁ、防犯には気をつけろよ。で、この物件の特徴、だ」
そう言って源大朗はミナをうながし、部屋の中へ。キアムが全員分のスリッパを床に並べる。
源大朗の言う「特徴」は、部屋へ上がるとすぐにわかった。
「えっ、鏡?」
部屋の一方の壁が全部鏡になっていたのだ。四角い部屋はだから、突き当りが窓。ドアの側に流し。
鏡と逆の側の壁、流し寄りにはトイレ付きのユニットバスが、そこだけ出っ張って設けられていた。
「そうだ。ちょっとしたもんだろう。もとはヨガのインストラクターの先生が借りててな。ヨガ教室を開いてたんだ」
「ヨガ、教室」
「ああ。ふつう、こんなふうに賃貸を改造しちまったら、退室のときに現状復帰しなきゃならないんだがな。大家さんがわりと物好きで、このまま残してある。居ぬきで別のヨガ教室にでも貸せればいちばんいいんだろうが、なかなか、な」
源大朗の説明に、
「あ、でも、バレエとかダンスとか……」
「そこまでの広さじゃない。三十平米ちょいってとこか、それに一階だが木造アパートだし、激しいやつは騒音振動でクレームものだしな」
「そっか、ですよね」
なので、動き的にはスローでジャンプしたりもない、ヨガ教室が最適なのだ。
「この鏡がパネルになっててな。開けると、ほら」
「あっ」
「収納だ。壁一面だぜ」
いわゆる一間、つまりタタミ一畳分の押し入れが横並びにふたつ半。それとほぼ同じ収納スペースだ。
この規模のアパートには十分以上と言えよう。
「モデルなら、ただの姿見程度じゃなく、歩きとかポーズとか、動きで見られる壁一面の鏡は役に立つんじゃないか」
「はい!」
「たしかに、原宿とか吉祥寺とか自由が丘とかじゃあない。けどそっちのほうは、そういう街へ出かけていけばいい。まぁ、住むことで得られることもあるだろうがな。そういうおしゃれな街は、家賃も高いし、な」
源大朗が笑う。
理想はさまざまあれど、やはり現実、金額は大きな問題だ。
「あの、ここ、お家賃はどれくらい、なんですか」
「ん。月六万五千の、管理費三千だ。それと敷一・五」
「それって月……六万八千円、安い!」
ミナが目を輝かせる。
実際には、サングラスを取っていても「目」は見えなかったが。表情でわかる。
「だろ。物件自体は築三十年。駅からも十三分で、古いし駅からも近いとは言えない。一階だしな。けど吉祥寺や自由が丘なら、同じ条件で倍近くはするだろうな」
「倍……。でも、ここ、すごくきれいだし!」
「ああ。リフォームしてるからな。リフォームして、こんな変わった部屋になっちまった。それと、管理費三千円分は交渉してやるよ。敷金も一でいい」
「えっ、ほんとうですか! こんなにいい、部屋なのに」
「ミナにとっては理想的かもしれないが、ふつうの人には、こんな壁一面鏡の、全部ぶち抜きワンルームてのはかなり特殊な部屋だ。そのへん、交渉の余地は十分なのさ」
「じゃあ、わたし、ここ……!」
借ります! いまにもそう言おうとしたミナの唇が止まった。
鏡に映った自分の姿。
いつのまにか掲げていた手。袖が垂れ落ちて二の腕までが露わになっていた。いや、露わになったはずなのに、ファンデーションは肘の先までしか塗っていなくて、そこから先は透明の、つまり何も鏡に映っていない。
ミナは気づいたのだ。
こんなに大きな鏡があっても、ファンデーションを塗らなければ自分の姿は映らない。そもそもファンデーションを塗って肌を「可視化した」自分は、「見えている」と言えるのか。
本当の自分は、しょせん鏡には映らない。
「あの、わたし、やっぱり」
「透明だから、映らないから、鏡はいらないってのか」
「いえ、メイクするために鏡はいるんです」
「服の着こなし、動きのチェック、って点じゃあ、これだけ大きな鏡はいいって、さっき言ってたんじゃなかったか」
「そうなんです。そうなんです、けど……」
身体の動きをチェックするにも、裸なら全身にファンデーションを塗らなくてはならない。
ミナはうつむき、口を閉ざす。
そんなミナを、源大朗は何か言いかけて、けれど待った。キアムも、部屋の隅にしゃがみ込むようにして、じっと見つめていた。
「……鏡が大きいのはいいし、うれしいんです。でもこんなに大きいと、それだけ、けっきょくわたしの姿は、ほんとうの姿って映らないんだって。服を着たときの動きもチェックできて、すごくいいのに、なのに、なんだかよけいつらくなるみたいで……」
唇を噛む。
「なんだ、そんなことか」
源大朗が言った。笑う。
「そんな。わたしには重要なんです。ふだん、なにもしなくても姿が見えてる人には、わからないでしょうけれど」
「なるほどな。なにもしなくても、たしかにオレたちは姿がふつうに見えてる、か。考えたことなかったな」
源大朗の顔に、もう笑いはない。
「そう。そうですよ。やっぱり……わたしがファッションモデルなのって、変なのかも。ただ、メイクでいろんな顔になれるからって、それだけで……」
「いや、そうでもないぞ」
「やめてください。気持ちの入ってない慰めとか」
「そうじゃないって。いいか。あんたのほんとうの姿だって、見られるんだ」
次は第一章の完結部分。23日に更新します。