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最後の更新です。エピローグ。
「……ん? こりゃ、根か」
袖の折り返しに入れたまま、しばらく忘れていたターゲンハイン。およそ一週間ぶりに見ると、種から細かい根が出ているのに気が付いた。
「土にでも植えてやればいいのか。けど、向こうの世界の植物を勝手にそこらに植えて、いいもんかね」
生態系を破壊することに繋がりはしないか。
そういうことに関する法律がとうぜんもうありそうだ。
しかし、
「なこと、言ってる余裕もないか。まずは自分のことをなんとかしねえとなあ」
もう三日以上、なにも口にしていなかった。
だいたい、金もなければ家もないのだ。
はじめのうち、ボロボロの姿で座り込んでいたら、何を思ったのか金を投げてくれる老人などがいて、糊口をしのいでいたが、そんなものは瞬時に消える。
(なら、どうする。もう向こうの世界には行けないのか。この世界で生きるしか……)
そう。この一週間、ターゲンハインがずっと探していたのは、異世界へ戻る方法だった。
靄の向こうの、あるいは重しの下に潰されたような記憶の中、残ったのは帰還への渇望のみ。
しかし皆目、見当がつかない。
わずかな手がかりさえも。
「ちっ! 知るか!」
いつのまにか握りしめていた種を、ターゲンハインは放り投げようと振りかぶった。そこへ、
「異世界のものを、そこらに捨てちゃいけないよ」
声がした。
思わず身構える。そもそも、まったく気づかず、これほど近づかれるとは。
だが武器がない。剣はもう、異世界で壊れてしまっていた。
「なにもしやしないよ。怖がりだね、まったく」
老女だった。
ターゲンハインの態度にかまわず、ずいっ、と身を寄せるとその手をつかむ。
「な、にを」
「はぁ。これはアルラウネの種だね。ちゃんと鉢に植えておやり。今の時季、すくすく育つよ」
「詳しいのか、あんた」
ようやく老女の顔を見た。
年のころは六十は下らないだろう。
「あたしの歳なんか気にしなくていいよ。あんたよりは確実に上って、それだけで十分さ。それより、その種」
「ぁあ」
「すぐに植木鉢程度じゃ間に合わなくなるからね。ちゃんと植えられる地面を探したほうがいいね。自分の地面をね」
「自分の、地面?」
「ああ。自分の家、だよ」
そんなものはない。言いかけたとき、
「人には家が必要なもんさ。まともに生きるにはね。あんた、異世界から来たらしいが、こっちで長く暮らすなら、家を持ちなさいよ」
「そんなことは、わかってる。わかってる、が」
「ふん、しかたない。……ついてきな」
それだけ言うと、老女は後ろも見ずに歩き出す。ターゲンハイン、迷ったものの、
「待て、わかった。ちょ、っと、おい!」
あわてて後ろを追いかける。
追いつくと、
「大きく育てば」
「は?」
「その種さ。生涯の伴侶にもなるよ」
老女の言葉に、
「なに言ってるんだ。草の種じゃなかったのか。それとオレの名は」
「かまわないよ。こっちで長く暮らしてれば、そのうちイヤでもわかるだろうさ。あたしの名前もねえ」
「まぁ、そうかもしれないが。で、その伴侶ってのは? 別にオレは結婚する気なんか」
「なんでもかんでも人に聞くんじゃないよ」
「はあ。いや……そうだな。まぁ、いい」
なぜだか急に安心すると、それ以上の問いはなくなった。
いずれわかる。わからなければ、そういうことだ。それが生きて行くということ。
生きて行く。この世界で。
この、街で。
(了)
『TOKYO異世界不動産』、完結です。
最後までお読みいただきありがとうございました!