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ちょっと長めです。ひとまず解決か
「おー痛、おまえ、なかなかいいパンチしてるな」
鼻のあたりを揉みながら源大朗。
「パンチ、じゃない」
と言うキア。ふたり、夷やへ戻る道すがら。キアは源大朗の後ろを歩き、なおかつカバンでミニスカートの裾を防御している。
「まぁ、パンチじゃないけど。カバンで顔叩かれるのも同じだろ。……ぉっ」
振り返った源大朗が、声を上げる。視線は、キアのミニスカートの裾と、それを押さえるカバンに注がれていた。
「って、見ないで。見るな」
キアが顔を赤くしてにらむ。そんな素振りに、源大朗、不意に、
「……それにしても、おまえ、十四か。まえの世界じゃ学校、行ってたのか」
「行って、ない。そんなの、金持ちしか行けない」
「そっかぁ。……おぼえてる、か」
キアのもといたケットシーの街では、貴族・王族を除けば、教育は商家の子どもくらいしか受けさせてもらえない。
「……ぅん」
記憶がよみがえったのか、うつむくキアに、
「それにしちゃおまえ、新聞も読めるし計算も早いし、会話補助の装置もひと月ちょっとで使わなくなったし。頭良かったのか」
「ラウネアがいろいろ教えてくれた。あとは、字が読めれば本が読める。この世界じゃ、本になんでも書いてある。ネットも。本読むのは、すごく、楽しい」
ほとんど本を読むことなどなかったキアは、こっちの字をおぼえてから事務所中の本を読み漁った。
ほとんど一日、本を読んでいる日もあった。読む本がなくなると、仕事で渡されているタブレットやスマートフォンで、ネットの中の記事をひたすら読んだ。
「はー、すごいな。まぁ、それだけウチの店がヒマだってことでもあるか。がはは!」
源大朗のデリカシーのないオヤジ笑いに、しかし空気が少しなごんで、キアの口元もかすかにゆるむ。
そこに、
「学校、行くか」
「えっ」
「こっちの学校だ。マレーヤやアスタリも通ってるだろ。国の教育制度の一環でな、異世界から来た亜人向けの学校だ。もっとも、ぜったい通わなきゃならないって義務はない。行かなけりゃ罰則、ってのもな」
「行って、いいの」
「おまえさえよけりゃな。もっとも、もうそのくらいできりゃ、たいして学ぶこともないかもしれないが」
「でも、仕事」
「下校してからやればいいし、平日はヒマだしな。商売は土日がかきいれどきだ。マレーヤやアスタリも行ってる。いっしょに登校すればいい」
「そう……」
それだけ言うと、キアは黙った。うつむき加減の顔はよく見えなかったが、源大朗にはその肩が、微笑んでいるように思えた。
「まぁ、おいおい考えとけ。お! 店だ。ラウネアにコーヒー淹れてもらおうか。お菓子もきっとあるぞ」
もう、曲がったら夷やの前だった。
源大朗は店の引き戸の前に立ち、
「ほら、もうコーヒーの匂いが、ってな。……しない、な」
戸に手を掛けたところで、みるみる顔が変わった。後ろからキアが、
「どう、したの」
「下がってろ」
理由を聞くまえに、源大朗が手でキアを押し戻す。
カラカラ……。
戸を開ける源大朗の片方の手が、上着のポケットに入れ込まれているのに、キアは気づいた。
そして開いた戸の先は……、
「ひゃっ!」
このときは声が出てしまった。そこにあるはずの、見慣れた店の中が一変している。キアは目を見開く。
しかし源大朗は、
「なんだ。もう終わってたか」
と、笑い混じりに言う。かまえを解いたように、リラックスしていた。ポケットから手も抜き出している。
その店内。
十坪ほどの床が見えないほど、店の中はうっそうたる木々で覆われていた。最初は、木の幹がせまい店内に充満している、と思ったら、
「……根、みたい」
緑の葉もなければ、よく見ると樹皮も変だ。枝かと思えば、途中から分かれて先端は繊毛のような、やはり植物の根のようで、
「ああ。根っこだ。それにしてもこりゃあ、派手にやったなぁ。床がべっこべこ。てか、バラバラだ」
源大朗の言うとおり、すべての根が床を突き破って出てきている。
煮しめたような古いフローリングの床のあちこちに穴が空き、また板ごと浮き上がって下の基礎や土が見えてしまっていた。
「なんで、こんな」
「ああ。オレも知りたい。ちょっと予想はつくがな。おーい、いるんだろう? ラウネア! どこだー!」
バサッ、バキッ、細い根をかき分け、むしるようにして道を作る源大朗。店の奥のあたりまで来て、
「ラウネア!」
「源大朗さん! ぁああああん!」
ラウネアがそこにいた。店の奥、給湯室のあたりだ。源大朗を目の当たりにして、急に緊張が解けたのか、ぶつかるように抱き着くと、
「おおっと。おいおい。うんうん。よしよし」
「ぁーーーん」
ラウネア、声を上げて泣いている。源大朗の胸に顔を埋める。
「ラウネア……」
そんな、初めて見るラウネアの姿にキアも言葉を失う。
いつも微笑んで、よく気が付いて、みんなの世話をして、空気のようにそこにいて、だからいつも、どこかこの店内は心強く温かい。
そんなラウネアが、顔をくしゃくしゃにして泣いているなど。
「ああ、うん。ちょっとびっくりしたんだな。それで、こんなだ。でもまぁ、ラウネアが無事でよかった。なによりだ。安心したよ。おまえがケガでもしてたらオレは……」
ラウネアの頭をなで、背中をさする正三。なんどもうなずく。
ようやく嗚咽が収まって来たようで、ラウネアは目の周りを腫らしたように赤くしたまま、顔を上げた。
「あの、あの、ね……!」
「詳しい話はあとでいい。それで、どこだ」
源大朗が問うと、ラウネア、おずおずと手を伸ばし、指さした。その先は、もっともうっそうたる根の巣。
その根の塊が、ずるっ、開いた。
そこに、
「……んんー、んぅぅ!」
男がいた。
小柄で小太り。土気色の顔。それが、ツタのような根に何重にもグルグル巻きにされ、猿轡を噛ませたように口も塞がれている。
よく見ると、すぐそばに光る物が。ナイフだった。
源大朗は近づき、
「ホビットか。よくもまあ、こんなしょぼい店に強盗に入ろうなんて思ったもんだ。なんか理由でもあるのか。ああ?」
「んんぐ! もが、もが」
「これじゃしゃべれないな。ラウネア、ゆるめてやれ」
源大朗が言うと、ホビット男の口の根がゆるんだ。
「ふぁ! ……はぁ、はぁ、はぁ、こ、この店が、異世界からの亜人がよく来るって、聞いて……」
「それで、強盗しようってか。関係なくないか」
「ち、違う、んです。最初は……部屋を探したくて。てか、部屋をちゃんと借りて住むのが、夢だったんです、けど……」
どうやらホビット男、異世界から東京へ来たはいいが、まともな働き口が見つからず、その日暮らしをしているうちに金も尽き、いまはホームレス状態。
夷やのことは以前から知っていて、いつか金ができたら部屋を紹介してもらおうと思っていたという。
「空き巣でもしようと物色しているうちにふらふらとウチへ、か。なんとも迷惑なこったな」
「す、すいません……」
見ればホビット男、もはや抵抗する戦意もなく、うなだれている。
「事情は汲んでやる。が、ラウネアを脅したことは許さん。傷つけようとしたことも、な」
源大朗は半ば根にからんで床に落ちていたナイフを拾い上げた。
「ぁ、の」
ここでようやく口を開いたのはキアだ。
源大朗に代わって、ラウネアに寄り添っている。その肩に、見つけたショールをかけてやっていた。
「なんだ」
「この……根っこは、ラウネア? ラウネアも、そういう……つまり」
「はい」
キアの言葉の先を引き取って、ラウネアがうなずく。
もう涙はなかった。落ち着いたのか、いつもの微笑も戻って来ている。目の周りはまだ、泣きはらしたように赤かったが。
「ラウネアも、異世界から」
「そう、なんです」
そう言うとラウネア、長いスカートを両手で摘み上げる。そのまま持ち上げて見せた。
「あ、いや、あの……えっ」
止めようとしてキア、しかしスカートの中から現れたものに目を奪われる。それはまさしく、
「根……この部屋の」
「はい。わたし、アルラウネなんです。木の精。この建物の地下に、ずっと根を張っています」
その言葉どおり、持ち上げられたスカートから覗くアルラウネの膝から下は、白い太腿がじょじょに木の幹の色に、さらには節くれだった根になって、床の中へと続き、見えなくなっている。
「アルラウネ……それで、いつも」
「引きずるような長いスカート、いつも、って、思ってらしたかもしれませんね」
「地中の根と繋がってるからな。もっとも根はある程度伸び縮みするし、こんなふうに、とっさに素早くも動かせる」
そのため、ホビット男に襲われた際、ラウネアはとっさに地中の根を床の上へと出し、男をからめとったのだ。
「源大朗さんの言うとおり、少し、やり過ぎてしまいました。ちょっと予感みたいなものはあったのですけれど、ナイフを見たらやっぱり怖くて、動顛してしまって。ごめんなさい。お店、めちゃくちゃにしてしまいました」
消沈するラウネア。
その言葉どおり、店の中はめちゃくちゃだし、とくに床は、地面が爆発したように吹き飛んでしまっている。
「ラウネアがあやまることはないさ。その分たっぷりこいつに弁償……んー、無理かもな」
ホビット男の顔を見て、源大朗が言う。が、
「そういうことだ。キア、警察に連絡してくれ」
源大朗が言い、
「ぁ、うん」
キアがあたりを見回す。店の固定電話はすぐには見つからないようで、自分のスマートフォンを取り出した。
「ぅぅう」
キアがスマートフォンを操作するさまを、ホビット男はチラッ、と横目で見るが、なにも言えずに目を逸らした。
「ほんとに、いいの」
「あたりまえだ。それにオレたちが裁けるようなもんじゃない。オレは不動産屋のオヤジで、警察でも裁判官でもないからな」
その言葉に、キアは改めてスマートフォンの画面に指を伸ばす。
すぐに電話のコール音が鳴り始めた。
『はい。池袋西警察署です』
「あ、あの!」
遮るように、声を出したのはラウネアだった。
次回は明日更新です。