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マーメイド編、終幕です。理想の部屋は見つかったでしょうか。
「えーーー! すっごぉーい! いいじゃーん!」
目を輝かせるマレーヤ。
「ほんとう、いいですね。お風呂……浴槽中心っていう感じで」
アスタリも。
契約から一か月。改装なった部屋への、レイチェルの引っ越しを手伝うふたりと、
「これ、ここでいい?」
キア。
「はい! あ、細かいものは適当に。あとで入れますから、わたし」
レイチェルはいつもの電動車いすだが、床に置かれた段ボールを開けたり中の物を出したりしている。
「いいよぉ、レイチェルは座ってて指示してくれれば。マレーヤたち、やるからさ!」
すでに引っ越し業者は帰っていて、さほど広くない部屋、多くない荷物が片付くのに三人もいればじゅうぶん過ぎるほど。
「でも、わたしだけ座っているのは」
「いいっていいって! 家具とかは引っ越し屋さんが置いてくれたし。あー、それにしてもおっさん、車出してくれればよかったのに! 引っ越し代も節約できたのに、さー。ぶーっ」
マレーヤが頬を膨らませ、口を尖らせると、
「そこまで頼めないでしょ。お店もあるし。今日は平日だし」
アスタリ。レイチェルも、うなずいて同意する。
「まー、そうだけど。……んー、でもほんと! 良かったね。このお風呂、すっごい大きい! あたしたち四人で入っても余裕だねー! ジェットバスないのは残念だけど!」
と、マレーヤの言うとおり、土間の真ん中、やや奥に鎮座した円形の浴槽が、ほぼこの部屋全部を支配しているかのようだ。
浴槽は土間の上ではなく、四十センチほど床を上げて設置してある。
浴槽の周りの床は、濡れたままレイチェルが這ってもいいように、ビニールタイルが張られていた。
それだけでなく、
「浴槽に渡した板の机は、レールでスライドできるようになっています。浴槽に下半身を入れたままでも向かえるようにって」
PCや液晶タブレットなどを使うレイチェルは、水に近すぎるよりは、と、腰までを床に乗せての描画姿勢を選んだ。しかし、アナログで作業するときもあるから、机を引きつけ、腰まで水に浸かって、絵を描くこともできる。
「うーん、いいね、いいね! おっさん、やるじゃん! ね! 早く終わって、みんなでこのお風呂、入ろ! ねっ!」
マレーヤの提案に、誰も異論のあろうはずがない。
「よし、あと一時間で終わらせますよぉ!」
「おー!」
「……ぁー、気持ちぃい。やっぱりお風呂、最高じゃん!」
「うん、いい」
「四人でもぜんぜん狭くないですね」
立ち上る湯気の中、三人が口々に言っては目を閉じ、心地よさに浸る。
「今日はほんとうに、ありがとうございました。おかげで、すっかり片付いて。わたしひとりだったら……きゃぁっ!」
感謝の言葉を重ねるレイチェルに、マレーヤが抱きついたのだ。バシャッ! お湯が大きく跳ねて、土間に落ちる。
「んー、もぉー、そんなのあたりまえじゃーん! いいのいいの、レイチェルはいいコだからぁ! あー、ウロコすべすべ! ツルツル、気持ちいーい!」
例によってとつじょ抱きつき、身体中をなでまわすのはマレーヤ。
「きゃぁっ! ぁ……はい、あの! ぅぅうー……」
「あの、そのくらいにしてね、マレーヤ」
アスタリがたしなめ、
「はぁーい! でもいい部屋だよねえ。おっさん、やっぱりすごいよ。尊敬する! 結婚はしてあげないけど、いいと思う!」
マレーヤの弁には苦笑するところもあるものの、レイチェルも、
「ほんとう、よくしていただきました。わたしたちマーメイドのことをいちばんに考えていただいて」
周りを見回して微笑む表情が、
「あとは、マンガで結果を出すこと……」
キアの言葉で、一転、引き締まり、うなずく。
「ねー! でも、たまには遊びに来てもいいよね! ね! ねっ!」
「ほら、レイチェルのじゃまにならないようにって、いま言ったばかりで」
「えー! たまにならいいでしょー! ねぇ、ねーぇ!」
「ぁ、ええ、はい」
「わぁーい、ね、ずっと友だちだよ! みんな、レイチェル!」
「……はいっ!」
「……ふーぅ」
ため息混じりに吐き出すと、源大朗は口を手の甲で軽く拭って、空になった牛乳瓶をケースへと戻した。
「百二十円」
「わかってるって。……ほい」
ズボンのポケットから硬貨をそのまま出して番台へ。まだ上半身は裸にバスタオルのままだ。
富士見湯。番台の時が、目を伏せながら言う。
「そういやあ、あの騒がしい娘たちが言っていたよ。今日が引っ越しだとかなんとか。まえに来た人魚の娘に、部屋を紹介したのかい」
視線は手元の液晶小型テレビの画面へ落としたままだ。
「んぁ? ああ、そうだったかな。うん。解体屋なんかにも口きいて、ちょっと改装をな。まぁ、人魚にいい部屋になったかもな」
「ほお。あのコたち、たいそうよろこんでたみたいだったよ。あんたもたまには、いいことするんだねえ」
ようやくテレビから顔を上げ、源大朗へ視線を向ける。唇が、ちょっと笑いを作った。
「さあなぁ。部屋探し、改装なんかはオレの仕事だ。できるのはここまで。ま、不満よりはいいけどな。けどまだあのコは、新しい部屋へ移っただけ。ここからは、あのコが自分で切り開いてく番だ」
源大朗も小さく笑みを返す。
「そうだねえ」
「心配はしてねえよ。そういうことのできるコだからな」
カチ、カチ……。
暗がりに、液晶タブレットの明かりがボゥッ、と光る。その光に照らされて、レイチェルの顔が浮かび上がっていた。
長い髪をゴムでひっ詰め、メガネ。もちろんノーメイクの地味な顔で、スタイラスペンを握り、液晶画面に画を描いていく。
ビニールタイルの床にさらに濡れタオルを敷き、その上に魚体の腰を乗せ掛け、尾の部分は浴槽の水に浸していた。
すでに日付を跨ごうという時間。
レイチェルの作業はいっこうに終わる気配を見せない。
描画に集中し、音もない中、カチ、カチ、カチ……、左手デバイスを操作するクリック音だけが、部屋の中を満たしていった。
このあと22時過ぎに、新章を更新します。