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第四章です。マーメイドの部屋探し!
「んーふぁぁあっ! ……ん、っと。ちょっと、出て来る」
事務所中の空気を空気を全部吸い込むような大あくびのあと、目をしょぼつかせながら源大朗は立ち上がる。
バリバリ頭を掻くその姿に、
「どちらに行かれるのですか? 富士見湯さんなら、あとにしてくださいね」
とラウネア。いつものPC席から。あくまでも笑顔で振り向く。
ちょうどロッカーから風呂セットを引っ張り出そうとしていた源大朗、
「え、なんでだ。昨日、行かなかったからちょうどいいと思ってたんだが」
「これからお客さまがいらっしゃるからです。それと、お風呂は毎日入ってくださいね、お店が終わったあとで」
「そんな予定あったか。うーん?」
パラパラと予定帳をめくる源大朗に、
「ネットで予約して来たお客さまです。いま、キアさんが迎えに行っていますよ」
「キアム……じゃない、キアか。ネットで予約の客ねえ。だいじょうぶなのか、この間の」
ワーウルフの件もある。
「内見じゃなくて、駅まで迎えに行くだけですからって、キアさんが。……ほら、噂をすれば、みたいですよ」
店の入り口扉のガラスに浮かび上がる人影。あいかわらず物件チラシで埋め尽くされた隙間から見えるその形に、
「ぅん?」
源大朗が訝ったのも無理はない。それは、ガラッ、戸が開いて明らかになる。
「ただいま」
まるで家に帰ったように言うキアが、戸をあけ放ったままいったん表へ戻ると、客の車いすを押して再び入って来た。
「そうか、待てよ」
源大朗もすぐに立ち上がって店内の椅子などを片付け、スペースを作る。
「ありがとう、ございます」
答えるのは、金髪の少女だった。バレッタでまとめた長い髪が、まだ午前中の陽をまぶしく弾く。
窓越しに特徴的に見えたシルエットはその車いすだった。
座っている椅子部分がふつうのものよりもひと回り大きく、なおかつ腰から下がカプセルのように完全に覆われている。
「最新式の電動車いすってのか。バッテリーがデカいのか」
源大朗が感心して言う。
「あまり見てはいけませんよ、お客さまの……」
お茶を出しながら、ラウネア。けれど車いすの少女は微笑んで、
「かまいません。見られるのには慣れているので」
手元の、書き終えたアンケート用紙を差し出す。相手の側から読めるように、と、用紙を反対向きに回転させる配慮も。
「レイチェル……」
キアがつぶやく。その用紙を取り上げて、
「レイチェルさんね。えーっと……マーメイド族!?」
とは源大朗の、ひっくり返った声だ。
「レイチェル、でかいまいません。はい。わたしのこの腰から下……」
そう言うと少女=レイチェルが大型車いすに備えられたスイッチを操作する。
カチャ……、ロックが外れたような音とともに、ちょうどレイチェルの下半身を覆っていたフードが開いた。
そこに、
「おーーーー! 人魚だ! ほんとに魚の下半身だよ。でっかい、鯉みたいだな」
まさしく人魚の身体があった。
誰もが知っている、想像する、上半身が人間、ヘソから下の下半身が魚の、合体したようなフォルム。
その下半身が、透明の水槽に浸かっていた。
つまりマーメイド専用の、腰から下を浸ける水槽をそなえた車いすなのだ。レイチェルが腰かける椅子の背もたれの背後には浄化装置もあって、水槽の水を絶えずろ過、循環させているのだという。
「水が必要なのは下半身だけなんです。ウロコが乾燥しないよう、濡らしていないと」
とレイチェル。その上半身のほうは、ふつうの少女と同じく、黒のサマーセーターと肩に羽織っているカットソーだ。
しかるに下半身は、
「なんだこれ、巻いてあるのは」
「水着……」
キアが言って、顔をわずかに赤らめる。
レイチェルの魚の下半身も、全部剥き出しというわけではなく、腰から股間くらいに当たる部分がぴっちりと紺色の布で巻かれていた。
「はい、水着です。わたしのお腹から上はふつうに服を着ているでしょ? 魚の部分は裸じゃなくちゃいけないって、ないですよね。だって、恥ずかしいし……」
そこまで言うと、レイチェルもわずかに頬を染めてうつむく。
「あ、そうか」
ここまで来て、鈍感な源大朗も気づいた。
「人魚姫は胸は隠してるけど、ほかは剥き出しだものな。下半身は魚だからって、すっぽんぽんのヌードでいいってわけじゃない、か」
「あ、あの」
「もう少し、デリカシーのある言い方をしましょうね、源大朗さん」
見ると、微笑みながらラウネアの表情が怖い。声も尖っている。
「そ、そうだな。あはは! あれか。やっぱり泳ぐときは貝殻をおっぱ……ぅぐっ!」
パン! アンケート用紙を、源大朗の顔をふさぐようにぶつけるラウネア。と、机の下で思い切り足を踏みつけるキアだ。
「あの、だいじょうぶ、ですか?」
「……ぁあ、まあ、ぅん」
剥がれ落ちるアンケート用紙の下から、中途半端な源大朗の表情が現れる。
それを見て、なのか、レイチェルは、ちょっと笑って、
「あれ、痛いんですよ」
「あれって」
「貝殻、です。もう故郷の村でも、胸に貝殻をつけてる人なんていません。みんな、スイムスーツを着ています」
説明した。
「はー、そうなんだ」
感心したように源大朗。どこか、わずかにがっかりしたトーンも混ざる。
それを察したのか、故郷の村のことを語るレイチェル。
「海沿いに、そういうマーメイド族の村がいくつもあって……」
ほとんどが、漁業で生計を立てているらしい。
「あの。立ち入ったことを聞くが、男もいるのか。半分魚の」
これまたギリギリな表現の源大朗の質問にも、
「もちろん、います。でないと、結婚できませんから」
やはりというか、マーメイドも男女で結婚して子どもを作るのだ。だが源大朗の疑問はむしろ、その方法、のほうだったろう。
しかし直接的な言い方は、
「んっ!」
ラウネアに釘を刺されてしまっている。
じつは、もっとも源大朗が知りたかった部分について言えば、マーメイド族は胎生である。
つまり女性は卵ではなく、赤ん坊を産む。
ただし、交尾期というものはあって、その時期になると魚の下半身部分に変化が生じる。具体的には、人の「股」に当たる部分に凹みが形成され、隠れていた生殖器官が「使用できる」ようになる。
女性の場合、そのまま出産まで股の凹みは形成されたままで、出産後にまた閉じるのだという。
とは、源大朗、レイチェルが帰ったあと、ネットで調べたのだった。ITに暗いはずが、こういうときはそうでもないらしい。
「ふむー……!」
ひとり、鼻息をなぜか荒くしていたのは誰も知る由もない。
戻って。夷やの店内。
「まぁいい。で、部屋を探してるんだな。どれどれ……独り暮らしで、ワンルームか1DK。バス・トイレ別。新宿まで一路線、三十分以内。最寄り駅から徒歩十分。込々で七万円まで希望、か。ふつうだな、おい」
アンケート用紙を見ながら、源大朗。ふと思って、
「仕事は……契約で、監視員?」
「海の監視員です。でも夏だけの契約で。プールの監視員もしていますが、そっちはアルバイトで。あ、似たようなものですね」
問われて、はにかむように笑うレイチェル。
「やっぱり仕事はスイミング関連なんですね」
「だったら、もっと監視のバイトだけじゃなくて、水泳の指導員のほうがわりがいいんじゃないのか」
ラウネアが言い、源大朗も尋ねる。
けれどレイチェル、首を振って、
「人間とはまったく身体の構造が違うので、泳ぐといっても参考にならないんです。手の動きも使いませんし。ぁ、泳ぐスピードは、人にはぜんぜん負けません! けど」
「魚の泳ぎは、人にマネできない」
キアのつぶやきに、うなずいた。
「はい。だから水泳の選手とかも、なれません。海の監視員は夏だけなので、冬は水族館なんかで、ショーをやっています」
「ショー、って」
「あの……人魚姫の、ショー、なんですけれど」
レイチェル、顔を赤くする。
それを聞いたラウネアや源大朗、
「まぁ。人魚姫の」
「ショー、か」
しばらく想いを巡らせていたが、とうとつに、
「あ!」
「あー! わかった! テレビで見たことあるぞ。CMも!」
思い当たるフシが、記憶にたどりつく。声を上げていた。
「コットンソレイユ」
キアが口にしたのが、その有名なイリュージョンの名前だった。
ここまで来て、まるで観念したように、
「それ、です」
レイチェル、うつむいてうなずく。
「えー! なんでだよ。超有名なショーじゃねえか。オレだって知ってるぞ! チケット取るのが超大変なんだよな」
「コットンソレイユのマーメイドショーなら、わかります。納得です! とってもステキですよね!」
「いえ、あの……、ショーには、マーメイド族の女のコがいっぱい出るんです。主役は有名な女優さんで、わたしはただの端役っていうか……その他大勢で、周りを泳いだり、そんな感じで」
「でも、がんばってるんだよな。そうか! ショーに出てるんだもんな。ええっと、そういうのってなんていうんだ。やっぱり女優、とか」
「ショーアクター……アクトレス、意味はだいたい同じだけど」
「ショーアクトレス! ステキです!」
すっかり盛り上がる夷やの面々。
キアもいつもよりちょっとだけ楽しそうだ。
「あ、あの」
「そうかそうか。そうと決まったら、部屋を探さないとな!」
明日も更新します!