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「……えっと、ミナさん、だっけか。あん……お客さん」
また、あんた、と言いかけた源大朗、ラウネアのほうを気にしながら言い直す。
そのラウネアはもう、自分のPCデスクで、なにやらマウスやキーボードを操作していた。
カウンターには、三つの茶が出されている。源大朗の分は本人専用の湯飲みで、キアムは客のミナと同じく紙コップだ。
「えと、はい。そうです」
当のミナ。
すでにフードはもちろん、長い黒のコートも脱いで、傍らの椅子に掛けていた。コートの下は、ハイネックのニットセーターと、膝下のスカート、それにロングブーツだ。やはりあまり肌は見えない。
マスクも外していたが、サングラスは掛けたまま。
「すみません。コンタクトを入れてくればよかったんですが、ふだん外しているので」
と説明する。
「コンタクトレンズ、ね」
「はい。あ、レンズは入ってないんです。目は悪くないっていうか。その、見えている「目」の部分を全部、覆っちゃうような」
「義眼、みたいなもんか。いや、ほんものの目はちゃんとあるんだから、オレたちに見せるための目、ってことだな。カバーみたいなもんだ」
「ええ……」
答えながらミナ。
しかし隣のすこし後ろで、じっと見つめているキアムが気になるのか、落ち着かないように身体を揺する。
ふーっ、と息を吐き出すと、ミナ、観念したように切り出した。
「透明じゃないって、言いたいんですよね。目、以外。……これ、メイクなんです。お化粧。全部」
そう言って、自分の顔の肌を指さす。その手はあいかわらず白手袋をしたまま。
その指で、スッとなぞり、その指をかざして見せる。手袋の指部分の白にファンデーションの肌色がついた。
「ペンキ塗ってるのと同じってことか」
「まぁ、ペンキは失礼ですよ。女性がお化粧をするのは、ふつうのことですから」
「そういうことだ。もともとの肌に化粧して見栄えをよくするのも、透明な肌に化粧して見えるようにするのも、結果は同じってことだな。意味はだいぶ違うけどな」
ラウネアが補い、源大朗が説明する。
「はい。わたしにとってはお化粧って、自分の存在を示して、人にわかってもらうための手段っていうか」
「闇夜の安全灯とか、反射板みたいなもんだな」
「ぅ……はい」
「……透明族って、初めて、だ」
キアムが言うと、ミサは答えるように、
「わたしみたいに、こんなに完全な透明になるのってほとんどいないんです。突然変異レベル、って」
「へぇ、そうなのか」
「もともと、わたしたちの部族は、身体の色が周囲の環境に合わせて変わる、そんな特徴を持っていて。身を守るための、保護色のような」
「カメレオンの肌だな。こっちの世界の爬虫類だ。タコやイカの仲間も、かなり色や模様や、形まで変わるものがいる」
「は、はい」
「ああ、悪い。タコやイカじゃあ、な。うん、続けてくれ」
「いえ、えっと……そういう感じで、部族っていっても村の数十世帯で何百人かくらいしかいないんですけど、ごくたまにわたしみたいな、完全に透明な個体も出て来るみたいで。あ、もう数十年に一度くらいな、そんな確率らしいんですけど」
「はぁ……でも、透明だと生まれるときも大変だよな。産婦人科医も、こう、あれ、生まれたと思ったのに、いないぞ? 生まれてないのか、とか、な! んぁ、産婦人科医っていうか、産婆さん、か」
源大朗のネタにも、
「あ、わたし、最初はふつうの、身体の色が変わるくらいだったんです。みんなと同じ。こっちの世界へ来てから、だんだん色の変化が、もうどんどん周囲の風景と見分けがつかないくらいになって、あるときからは、完全に向こう側が透けて見えるようなふうに……はい」
と、マジレス、もとい真面目に返すミナ。
「は~、こっちへ来てから、か。でもなんで」
「えと、わかりません。もしかして、空気とか水とかの違いもあるのかも……」
「ああ、いや、透明になったことじゃなくて、こっちの世界へ来ようと思った理由ってヤツのほうだけど」
源大朗が問い直す。
キアムも興味があるようで、じっとミナの顔を見つめていた。
「ぁ、はい」
改めて、ミナ、ちょっと決心したように話し出す。
「……やっぱり、村には仕事がないんですよね。とくに女は、結婚して、子どもを育てて家事をして、っていうだけで……、それに、一夫多妻ですし」
「一夫多妻か、ハーレムかぁ!」
急に弾んだ源大朗の声に、
「んんっ!」
なぜかラウネアの咳払いが。
「……」
キアムも視線を外す。
「んー、ぁあ、そうか、まぁ、大変だよな。一夫多妻じゃなぁ。うんうん。それで、こっちへ、か」
妙に納得したふうに、何度もうなずく源大朗。
「それで、異世界……こっちの世界へ来れるって、ときどき村へ来る役人の人にいろいろ聞いて」
「でも、難しかったじゃないですか? 村を出るのって」
「はい。もうずーっと反対されて、で、最後はほとんど、逃げて来たっていうか、そういう感じ、です」
「大変だったんですね……」
ラウネアがしみじみ口にすると、空気が湿度を増した気がした。
「ぁ、でも! でも、その、こっちに伝手もあって、えと、最初のうちは郷土会の事務所に居候していて」
「郷土会? あぁ、県人会みたいなもんか。透明人間の村だけで、こっちに来てる人のそんな組織があるのか」
「うちの村だけじゃありません。少しいったところに大きな街もあって、そういう、うちのほうの地方全部の、郷土会っていうか」
「なるほど」
「そこで最初ははたらきながら、この世界の言葉も覚えて、ルームシェアできる友だちも見つかって……」
そこで言葉を濁すミナ。
「でもミナさん、ひとり暮らしの部屋を探していらっしゃるって、ここに」
ミナのアンケート用紙を見て、ラウネア。ミナもうなずく。
「……そうなんです。ルームシェアも一年くらいになるんですけど……でもやっぱり、けっこう大変で。ぁ、友だちのはいい子なんですけど、同い年で、エルフの女のコで! けどわたしが透明なので、ほら、ふだんはお化粧……見えるようにするためのお化粧ですけど、家ではやっぱり取りたいし、お風呂とか入ると、取れちゃいますし」
そう言うと、ミナは手袋は脱いで見せる。
「あっ」
キアムが声を上げた。
手首がない。
化粧をしていないので透明なのだ。もっと、ニットセーターの袖をまくっても、そこに腕はないだろう。
「こんな、感じです」
そう言うミナの口の中も、じつは何もない。そこに見えているはずの歯や舌、口腔、もない。
ふだん、しゃべる相手の口の中など注視していないはずだが、あるものがない、となると、逆に強烈な違和感がある。
「いろいろ大変なんだな。透明人間も。透明人間と、いっしょに暮らす友だちも」
「やっぱり、わたしが透明だから驚かせちゃったり。彼女は、いいよ、て言ってくれるんですけれど、甘えてばかりじゃいられないって。それに、わたしのほうもストレスはあって」
「まぁ、そうなるな。それで独り暮らしを、ってことか」
「はい。狭くてもいいんです。ひとりで、住んでみたくて。もっと、いろいろひとりでやってみたいし、って」
「ああ、いいことだ。そういう、異世界から来たあんた……お客さんみたいな人のために、部屋や家を探すのがウチの仕事だからな」
「助かり、ます」
「おう、まかしとけ! そうそう、このあいだのあの物件なんかどうだ。えーっと、ラウネア」
「はい。こちら、ですね。それと、こんな物件も、いかがかな、って、出してみました」
ラウネアが笑顔で手渡すのは、物件ファイルのプリントアウトだ。受け取って源大朗、うなずくと、一枚をミナに向けて差し出した。
「ひとり暮らしってことで、人気のワンルームを見繕ってみた。これなんかどうだ。約十三平米で、正直広くはない。けど、要町徒歩五分・ただし人間換算、……亜人には、人間タイプじゃないのも多いからな。あくまで二足歩行、二メートル以下くらいの身長の人間で、ってことだ。築七年の鉄骨造、三階の三階、南向きだ。家賃は月六万五千円、礼一、敷一だ!」
「あ、あの」
口ごもるミナ。
無理もない。まだ希望も条件も告げていない。渡されたアンケート用紙には、名前と種族しか書かれていなかった。
要町は地下鉄有楽町線の駅で、池袋からひとつ目。
そこから徒歩七分ということは、場所によっては池袋にだって十分歩いて行けるロケーションだ。
築七年という新し目の築年数で月六万五千円。たしかに広くはないし、鉄骨造なら防音面は期待できないが、安いことは間違いない。
とはいえ実際に行ってみなければ、見て見なければ、周辺環境や住み心地などは想像できない。
ただし、図面だけで一目瞭然なことも、ある。
「これ。トイレが」
ミナが見つけたのは、
「あー、それな。うん。ちょっと変わってるだろ。トイレが部屋に直接ついてるんだ。カーテンはいちおうあるけど。
源大朗の言うとおり、フローリングの室内にいきなりトイレが、というより個室はないので、洋式便器がそのまま鎮座している。そのまわりが破線で丸く覆われているのは、天井にカーテンレールが付けられ、カーテンで仕切るらしい。
水回りはドアで隔てられているのが普通。それは湿気や水が床を伝って漏れる、などに加えてとうぜん、プライバシーを守るためだ。
「あんた……ミナさんみたいな透明族なら見られる心配はないし、普通の物件よりも安めだし、いいんじゃないかと思ってな」
安いのには理由がある、ということだ。
「えと、こっちは」
「こっちか。トイレが玄関の三和土にあるタイプだな。新築だぞ。最近はこういう、特徴を持たせた間取りがちょっと人気でな。ふつうじゃ、目立たないんだろう」
源大朗の言葉どおり、ドアを開けるといきなり玄関横にトイレの便器が、これまたドンと鎮座していた。カーテンなどの仕切りも皆無。
「SNS映え」
キアムがポツッ、とつぶやく。
おもにリニューアルした物件などに多いが、新築でも近ごろは増えている。住処でも「SNS映え」、話題、ネタを求める傾向だ。
奇抜な間取りというのは、じつは金もかかるものなのだが、こうしたトイレの位置や、壁をなくする程度ならさほど費用も要らずに済む。どころかむしろ安上がり
「どうしてトイレばかり……」
「透明だから他人の目は気にしなくていいだろ? ……こっちのはユニットバスに仕切りがないヤツ、それと、そうそうこれ、表通りに面してベランダがあるんだが、視線が気になって開けられないってので借り手がない物件だ。透明なら、こういうのも……ぅん?」
キアムが源大朗の袖をわずかに引っ張ったのだ。
「透明だからって、家の中でつねに裸じゃないと思う。それに、ひとりで部屋にいるなら、透明でも、そうでなくても、関係ない」
「そう、か。透明なところにこだわり過ぎたか」
「はい。あの……」
ミナもうなだれてため息を漏らす。察してラウネア、
「うかがいましょうか。ミナさんの希望の物件を、まず、ね」
微笑んだ。源大朗も、
「そうだったな。ちょっと順番をすっ飛ばしちまったみたいだ。で、いちおう聞いておくが、ミナさんの仕事は? いま、何やってるんだい」
ミナ、その問いを待っていたように、答えた。
いくぶん弾んだ声で、どこか胸を張って。
「ファッションモデル、です!」
間取り図を入れました。