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こっちの世界へ(ストーリーが)帰って来ました。
「いやー、あんときは驚いたな」
源大朗がコーヒーをグピッ、と飲み干す。カップをマレーヤに差し出した。
「またおかわり? 何杯飲んでんのよ、源大朗! ……まぁ、キアムくんを助けてくれたから、いいけどさぁ」
文句を言いながらもマレーヤ、コーヒーポットから源大朗のカップにコーヒーを注ぎ足していく。
「それにしても、キアムさんに大きなケガがなくて、なによりでした。ネットからのお客さまには、もう少し警戒しなくてはいけませんね。わたしも反省します」
こっちはラウネア。
自分で淹れたお茶の湯飲みを、両手でつつむように持っていた。
キアムとアスタリはいない。
あのあと、ふたりの警察官がやって来て現場検証。さらには警察署での調書作成に協力し、病院でキアムのケガの診断書も取った。
ほぼ一日仕事で、すっかり日が暮れている。
疲れたキアムを仮眠させる、としてアスタリが喫茶店の二階、自分たちの部屋へ連れて行っていた。
「マレーヤも行くー、って、言ったのにぃ」
「おまえが行くとうるさくて寝られないだろ。気が休まらねえよ」
「えー、キアムくんと添い寝したかったのにー!」
「だから、キアムは女だって、これでわかったんだろ?」
「そうそう! なぁに、みんな知ってたわけぇ? アスタリも知ってたっていうか、匂いでわかったとかぁ。ラウネアさんも知ってたのぉ? ひっどーい! マレーヤだけ仲間外れ、ひどくなーい!?」
メイドコスの超ミニから伸びた脚をバタバタさせて怒るマレーヤ。
耳もシッポもフルフル、ブンブン。怒りながら、ラウネアが出してくれたクッキーをつまんでは口に放り込む。
「おいおい、太るぞ。……まぁ、表向きは女子だって気づいてる客はいなかったし、商店街でもなぁ、雄さんなんかは気づいてたろうが、それにしても鼻の利くワーウルフってのは盲点だった。不動産商売の、定番トラブルのひとつでもあるんだ。イヤな定番だがな。物件を案内した女の店員が男の客に、よくてセクハラ、最悪、襲われるってのが」
「あー、部屋に入れば密室だし、鍵もかかるしー」
「ちょっとくらい叫んでも、外まではなかなか聞こえませんし。場所にもよりますけれど」
「だからな。気をつけてはいたんだが。キアムはいちおう男子ってことになってるし、油断したよな。オレの責任だ」
苦虫を噛み潰す源大朗に、
「ね! 最初ってどうだったの?」
身を乗り出すマレーヤ。目を輝かせている。事件がいちおう落ち着いたことで、別の興味がにわかに湧き上がって来た、というふうだ。
「最初って、なんだ」
「キアムくんがぁ、最初にここに来たときだよぉ! おっさんがさぁ、キアムくんと最初に会ったときの話! 聞きたい聞きたい聞きたいぃ!」
とまたミニスカの脚をバタバタ。
「だーれがおっさんだ! ……んー、もう六時か。今日はもう客も来ないな。ラウネア、看板のライト、消してくれ」
「はい」
表の看板を照らすライトは、二個あるうち、ひとつが壊れて消えている。
ラウネアはライトを消すだけでなく、シャッターも下した。これで完全に、夷や、本日の営業は終了だ。
「なにから話したらいいかな。もう一年近くまえになるか。管理してるアパートの部屋のひとつに、オレが行ってみたら……」
あるときの午後。
源大朗は店から徒歩十五分のアパートへ向かっていた。
木造アパート、築四十年。二階建て。
外観からして、一歩間違えば廃墟か、と思うレベルだ。このアパートの、一、二階合わせて六つの部屋が夷やの管理物件なのだ。
街の不動産屋の仕事は仲介業ばかりではない。
大家から委託を受け、アパートやマンション、借家の管理をする。管理契約によって毎月の安定した定期収入が見込めるし、仲介業よりもこうした管理物件を多く持っているのが売上的には大きい。
住人がふつうに暮らして家賃の払いもスムースなら、基本、ひとつの物件にそれほど時間とエネルギーを取られるわけではないからだ。
なので、さほどはない日常業務は、住人からの要望対応(クレーム対応とも言う)になる。大家からの要望もある。
あとは今日のように、定期的に現地に来ては、異常がないかを確かめる。
落ち葉の季節など、玄関前が落ち葉で埋まっていたら掃除するなど、そんな仕事もある。
「一階の、空き部屋だったか」
そうした部屋はとくに要チェックだ。
空き部屋期間が長いと、目をつけられて荒らされたり、最悪、壁や窓にいたずら書きをされたりすることもある。
勝手にドア前にゴミを置かれて、それにまた火を付けられたりしたら大変だ。つねに小ぎれいに、隙を見せないようにしなくては。
「ぅん?」
空き部屋になっている奥の部屋のドア前に立って、源大朗は気づいた。
鍵が壊されている。
それも、ドアノブの周りが砕けて、中の部品が散らばり落ちるような乱暴なやり方だ。バールなどでこじ開けたのか。
しばらく無言で眺めたあと、源大朗はドアに耳を押し当てて中の音を拾おうとする。音はない。外を回って窓を確かめた。
空き部屋だが、まえの住人がそのままにしていたカーテンがかかっていて、中はうかがえない。古びて歪んだサッシのガラス戸は鍵がかかっていた。
「さてと、どうするか」
改めてドアの前に戻り、肩から掛けていたカバンを下ろす。中から、
「ないよりはマシって程度だな」
取り出したのは、仕込み杖だ。アンテナのように三段に伸びる。アルミでできており、鉄パイプなどと打ち合えば勝ち目はない。
カバンを地面に置き、源大朗はドアノブに手を掛ける。壊れてノブは回らなかったが、ドアは開いた。
キィィィィ~……。軋み音が爆音のように大きく感じられた。心臓がドッ、ドッ、耳にうるさいほど鼓動を高める。
窓のカーテンのせいで部屋の中は薄暗い。目が慣れるのに時間がかかる。
部屋はすべて同じ作り。ドアの右手に台所、左にユニットバスとトイレのドア。四畳ほどのキッチンスペースの向こうに、ガラスを入れた引き戸を挟んで、奥が四畳半の畳部屋の、クラシックな1Kだ。
かび臭い部屋の空気が鼻孔をふさぐ。気配をさぐりながら、土足のままキッチンスペースに上がる。
暗い奥の部屋の壁際に、こんもりとうずくまるような人影が見えた。あれか? 警戒しながら源大朗がさらに一歩、二歩、中へと進んだとき、
「……!」
とつじょ、影が襲って来た。
キッチンの陰に潜んでいたのだ。奥にあったのは上着を丸めた見せかけだった。源大朗が背中を向けたとみて、襲いかかって来たのだ。
「なに!?」
源大朗も振り返りざま仕込み杖を振るう。しかし影のほうが素早かった。手に持った刃物、いや、手の指爪が異常に長く尖って迫る。
一撃目はなんとかかわした。しかしもう片方の腕の爪がすぐに来る。
(こりゃ、もう……!)
かわせない。杖で受けることもできない。
あの爪に切り裂かれる。顔か、喉笛か……!
源大朗が覚悟した、次の瞬間、
「うぅっ」
影が、崩れた。
まるで急に電池が切れたように、それまで目にも見えないほど鋭かった動きがすべて止まって、崩れ落ちて来る。
それは源大朗の上へ。
「ぇ、あっ? おおお!?」
抱きかかえるかっこうになって、源大朗がうめいた。その腕に感じる感触。とてつもなく軽く、小さく、華奢な。
「子ども、か……まずい。すごい熱だ!」
「はっ、はぁ、はぁ……は、ぁ」
腕の中のキアムが、高熱にあえいでいた。
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