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TOKYO異世界不動産  作者: すずきあきら
第三章 キアム
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4

異世界編、ひとまず終わりです


 絶望的な生活は、それから半年もの間続いた。

 そんなとき、キアムは異世界の存在を知る。

 この世界、ヴォーグとケットシーと、村と町と森と、それしかない世界。その向こうの、さらに向こう、思いもつかない、別の次元にある世界。

 そんな世界へ行けるのだと。そんな世界へ繋がる道、異世界への門ができたのだと。

 行こう。

 どんなことをしても行きたい。行くしかない。

 必死に情報を集め、上級民の馬車に潜り込み、何日も食べずに潜伏して待ち続け、ついに……。



「……はぁ、はぁ、はぁ、はぁあああ!」


 心臓が口から飛び出そう、とはこんな状態を言うのだろう。

 どれくらい走ったのかわからない。その場にへたり込むと、


「ぅ、ぅ……ぇえ、おおぇ!」


 嘔吐した。

 いや、正確には嘔吐したと思ったのになにも出て来なかった。胃が緊張から痙攣し、なんでもいいから吐き出そうとしたのだ。

 だいたい食べ物など、もう三日以上なにも口にしていない。

 出るものなど最初からなかったのだ。


「はぁ、はぁ、ふぅ、ぅう、う」


 コートの上から自身の肩をつかむ。腕を組むように両手で抱きしめ、丸く縮まった身を震わせた。

 身体中が痛む。

 走って来た疲労のせいもあるが、


「……ぁ」


 肩口を押さえた手を顔の前にかざして、声を漏らした。

 半ば乾きかけた血が手のひらをべったりと汚している。見ると、衣服とともに肩の下が切り裂かれていた。

 すでに血は止まったとはいえ、


「ぅ! くぅっ!」


 急に痛みが襲って来る。

 確かめると、背中や脚の腿、脛にも同じような切り傷があった。ここへたどり着くまでに負った、数々の傷や打撲は数えきれない。


『止まれ! 何者だ! 止まれえ!』


『とらえろ! つかまえられないなら、斬れ!』


『門を通すな! 「向こう」へ行かせるな!』


 蘇る、飛び交う怒号。兵士が剣を抜き、鑓をかまえる。

 キアムは止まらない。止まるはずがない。全力で走る。少しでもスピードが落ちたら終わりだ。斬られる。

 止まったら、たちまち囲まれ、捕らえられ、あとは……。

 視界に、おびえた顔の女が通り過ぎて消えた。

 着飾った姿。もとの顔などわからないほど化粧で作った顔。そばには何人もの従者。豪華な馬車。

 今日、遊覧で「向こう」へ行くはずの、ケットシー上級民の女。

 キアムもうわさは聞いたことがある。

 占領軍のヴォーグに取り入って、愛人としてぜいたくな暮らしをしている、そんなケットシーの女は、ひとりやふたりじゃない。

 一瞬で視界から消えた女を頭の隅からも追い出し、剣をかざして向かって来る兵に集中する。


『うぉおおお! 止まれぇえ、小僧ぉお!』


 ひとりの剣をやり過ごし、ひとりの鑓をかわし、ひとりの盾を蹴り飛ばし、ひとりの背中を踏み台に跳んだ。

 そのたび、肩や腕、脚や背中に痛みが走った。

 それでも止まらない。

 ぜったいに止まらない!

 そして……。


「!」


 見えた。

 森の一角を急ごしらえの丸太の塀で囲った「門」は、しだいにレンガや石を積んだ大規模な建物へと拡張されつつある。

 数年まえとつじょ森の中に出現した「門」。

 そこへ入った者は、別の世界へ行けるのだという。

 平和な、ずっと豊かな、別の世界。地球。アジア。日本……!

 好奇心から旅立った者が戻って来て、向こうの世界のさまを伝えた。

 うわさはすぐに駆け巡り、さまざまな者が異世界への旅を経験した。上級民たちの耳に入り、調査され、封鎖され、やがて彼らの独占物となった。


(あれ、だ……!!)


 まだ「門」を囲む建物が完成まえで助かった。いくつもある隙間から入り込み、キアムはここまで来ることができた。

 大きな木戸の前に立ちふさがる大柄のヴォーグの兵がふたり。

 これが最後の守備兵なのか。

 大振りしてくる剣を小刻みにかわし、ネコ族特有の敏捷さ、跳躍力でいっきに飛び越える。

 木戸に体当たり! 


「ぅ、くっ……!」


 全身に痛みが走る。しかし木戸は開かない。

 絶望がキアムを呑み込もうとする。しかし、


「うぅうおおお! ぐぉらああああ!」


 ヴォーグの兵が身の丈ほどもある大剣を両手で握り、頭の上から一直線に振り下ろして来た。


「っ!」


 すんでのところで身をかわす。

 ところが、足がもつれた。

 走りづめ、戦いづめに加えてここ数日、なにも口にしていない空腹。エネルギーがとつぜん切れるように、腰からくだけた。

 だが、これがよかった。

 ガガガガガガ、ガギュッ!

 倒れ込むキアムの上、振り下ろされた大剣の切っ先が木戸を貫いていた。キアムの頭の直上、いつのまにか外れたフードからたちあがったネコ耳を半分切り裂いて、剣が止まる。

 思わずつむった目をキアムが開ける。黒目だけで見上げると、髪の中まで剣の刃が達している。

 この機会をキアムは見逃さなかった。

 わずかに開いた扉の隙間に身を割り込ませる。そのまま木戸の向こうへ出た。そして。

 それが、目の前にあった。

 空間が丸く歪んで、光を漏れ出たせている。呼吸するように収縮しながら、ときおりフワッ、と広がる。


「これが」


 門。

 門とよばれる、向こうの世界への入り口。


「ぉおお、お!?」


 ヴォーグ兵も声を上げていた。

 どうやら見るのは初めてらしい。数歩踏み出し、手を伸ばせば届くキアムを前にして、一歩、二歩、下がる。その顔に、畏れと恐怖が浮かんでいる。

 だがキアムに迷いはない。


「ふっ」


 倒れるように、身を投げた。身体が光に包まれる。

 落ちていくような、吸い込まれるような。手の先も、自分の身体も見えない。重さも痛みも、時間の感覚さえも喪失していく。

 気が遠くなるほど長い時間。あるいは瞬きするほどの一瞬。

 そののちに、


「……」


 キアムは見上げていた。

 星空。しかし星は数えるほどしか見えない。異常に小さい月。故郷の月はこどもの顔ほどもあったのに。

 出たのだ。異世界。地球。日本。東京……!

 新たな白い壁が、夜空を切り取り、取り囲んでいる。

 青い服を着た兵たちが見えた。この世界では、警察官、機動隊と呼ばれる。

 まだだ。まだ、こんどはここを、突破しなくてはならない。

 キアムは覚悟を決めた。

 自由を、ほんとうの自由を得るために。


明日も更新します!

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