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異世界編、もう少し続きます。
そこは一見、ふつうの町に見えた。
ちょうど、ようやく村が町になったくらいの広さと人の多さ。
郊外に広がる畑を耕し作物を作る者、道具や機械を作る者、町中に暮らし商いを営む者、ほかにも、そうしたことに当てはまらないさまざまな仕事をする者たちで、いつも町の広場は賑わいを見せていた。
ケットシーの町。
ネコ族の一種、ケットシーはこの地方に広範に住んでいて、この町をはじめ、多くの村や町を作り、ゆるやかな繋がりを維持していた。
ときに争いもあったが、おおむねそれは平和な時間と言ってよかったかもしれない。
東からヴォーグの軍団が襲来するまでは。
ヴォーグは集団行動と規律正しい結束を誇る狼の種族だ。
精強な戦士であるヴォーグに対して、個人主義で軍と呼べるものもない、どころか、集団で戦ったこともないケットシーたちが抗することなどできるはずがない。
たちまち、ケットシーの国すべてがヴォーグ軍の占領下に入った。もっとも、それが「国」だったのかすら、確かではないが。
ヴォーグによる占領・統治は、ある意味過酷を極めた。
かなり高額な税が強制され、ヴォーグの占領法に逆らう者はすべて捕らえられ、どこかへと送られ帰って来なかった。
その場で成敗されることも日常の風景だった。
しかしそうまでされてもケットシーたちが団結して戦うことはなかった。
それは逆に言えば、ヴォーグたちの法に従い、逆らわなければこれまでと同じ生活を送ることを許された、と言ってもいい。
ヴォーグたちは巧みに、町や村の顔役たちを懐柔し、いままで以上の利権を与えた。
結果、上層部のケットシーたちは現状に満足し、むしろ下層の同族たちを過酷に支配し、搾取し、虐待に血道をあげるようになる。
同族たちを仲違いさせ、憎しみ合わせ、その上に位置して極力手を汚さず支配する。
ヴォーグたちは、その野蛮な獣性に較べて意外なほどに効率的な支配システムを作り上げていたのだ。
いつしか表向きの賑わいはどこかわざとらしく、よそよそしく、裏通りの暗さがさらに際立つようになっていった。
キアムはこの町に生まれた。
生まれたときにはもう、歴史的なヴォーグの進駐から数年が経とうとしていた。
支配者であるヴォーグと、その傀儡のケットシー上級民の下で、ふつうの町人、村人は虐げられ、鬱屈した日々を送っていた。
両親はキアムを男の子として育てた。
この町では女の子は仕事がない。あっても上級民やヴォーグ相手の酒場の給仕や、もっといかがわしいものだ。
男なら、なんとか自分で稼ぎを得ることができる。むろん簡単ではないが、選択肢が広がるのは事実だ。
町を出ていくことも、男ならできるだろう。
学校などないから、読み書きは両親に教わった。
三歳になるころから、母の手伝いで裁縫を、五歳で父の手伝いで木工や機械いじりを始めた。
狭い一部屋に一家三人の生活。
しかしあとから考えれば、このころがいちばんしあわせだったのかもしれない。三人が、三人ともに元気でいられたのだから。
両親はその後、キアムが十歳になるまえに姿を消した。
先に母が亡くなり、父はじょじょに身を持ち崩して酒浸りに。しだいに家から出なくなった。
ある日、言いつけの買い物からキアムが戻ると、部屋には誰もいなかった。父親の持ち物もいくつかがなくなっていた。
狭い部屋がひどく広く見え、そして冷え冷えと感じられた。
その日からキアムの時間は、生きることだけに費やされた。費やすしかなかった。
住んでいた家も追い出された。
両親もなく、十歳のキアムだけが住むのを大家は認めなかったからだ。それからは、キアムの家は勝手に入り込んだ他人の家の物置だとか、壊れて捨てられた馬車の中だとか、ただ、路地裏の古ぼけた店の軒下になったりもした。
母の裁縫や父の木工の仕事先も、幼いキアムを相手にしてはくれない。
金を得る手段は、危険を伴う非合法なものだけになった。
空き巣とスリだ。
それでもキアムは、相手はヴォーグか、ヴォーグの手先の上級民しか狙わなかった。何度か小さな失敗をし、何度もひどい目にあい、何度もなんとか逃げおおせた。
三年近くもそんな生活が続き、空き巣とスリの腕は確実に上がっていったが、いずれ終わりが来るだろう。
いつかは捕まり、ひどく痛めつけられて、命を失うだろう。よくて奴隷か。そうした未来しか見えなかった。
いっそ、ヴォーグの将軍の馬車に斬りかかってやろうか。
うまくいけば、こそこそ盗みをはたらく以上のなにかが起こせるかもしれない。
それとも残酷な刑罰を受けるか。
そのとき、キアムが生きて街へ戻れることはおそらくない、だろう。
それでも、なにもしないよりはいい。
なにもせず、ただ朽ちていくよりは……。
「……っ」
目抜き通りを豪華な馬車が近づいて来る。
前と後ろには護衛のヴォーグ兵。けれどあの馬車が目の前を通りかかったときなら……。
「ちょっとものを尋ねたいんだがな」
とつぜん、肩をつかまれた。
「!」
振り返ろうとして、キアムはコートの中の短剣から手を離した。そのときにはもう、馬車はガラガラとキアムの前を通り過ぎて行った。
「いやぁ、この街は初めてでなぁ! えーっと、このネコパレスってのはどうやって……、いいか、護衛は馬車の前と後ろだけじゃねえ。こうした雑踏にも紛れ込んでる。おまえはずっと見られてたんだ」
地図を差し出して場所を聞くふりをしながら、そのフードを目深にかぶった男は途中から小声でささやく。
キアムが目を走らせると、馬車の方向へとそそくさと移動していく男が何人も。見た目はまったく目立たないどころか、キアムと同じケットシーだった。
もしキアムが斬りかかろうとしたら、馬車の扉に手を掛けるまえに、後ろから取り押さえられていただろう。
もっと、刺されていたかもしれない。
「ときを待て。門が開くときを」
それだけ言うと、男は身を離す。あっという間に背後の雑踏へまぎれて行く。
「え、ぁ……!」
顔も見えなかった。
わずかに、地図を持っていたその手と、かすかな匂いの記憶だけが残る。
キアムは呆然とたたずみながら、つぶやいていた。
「門……」
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