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新章です。よくある?不動産業トラブルからスタート
「……こちらが物件です」
ジャリ……ガチャ。鍵を回す音に続けてドアが開く。キィ~、錆びたジョイントの立てる軋み音が物件の古さを物語る。
それはドアの向こうの室内が、どこかくすんで見えるのと、かすかに混じるカビの臭気でも証明されていた。
ワンルーム、十六平米。
トイレがいっしょのユニットバス。鉄骨造、三階の二階。築二十六年。
単身者にはミニマムなサイズのマンションだ。この広さに不足を感じるか、どうせ寝に帰るだけだと納得するか、の家賃、月六万円、管理費ナシ。
「どうぞ」
先にフロアへ上がり、手提げ袋からスリッパを取り出し、並べるのはキアムだ。そしてもうひとり、
「……」
無言で玄関に入った客の男。痩身で、やたら髪が長い。また、顔もうっそうとしたヒゲで覆われていた。
ギ~、ガシャ、ン! ゆっくりと戻って来たドアが閉まる。その音にかぶさるように、ガチッ! 鍵の閉まる音。
閉めたのは男だ。振り返るキアムに手を伸ばす。その腕をつかんで引き寄せる。
「んーっ」
いや、引き寄せようとしたのは失敗した。袖もつかめなかった。キアムがとっさに身を沈め、跳ぶように大きく後ずさる。
「っ!」
男と距離を空けるためだ。それは成功したかに見えた。だからキアムも、その次の動作を用意しようとした。が、
「そうじゃねーんだ」
のっそりと見えた男の動きが、異常に速い。一瞬、消えたように見えたかと思うと、もうキアムの目の前にいた。
こんどこそ男の手がキアムをつかむ。
パーカーの胸元をがっちりと握り寄せる。男の手の甲は固く縮れた毛でびっしりだ。
「ぅ、うっ!」
床に踏ん張ることもできず、キアムはその小さな体を引っ張り上げられ、
「ふぉーらぁ!」
床に叩きつけられた。
「ぁあっ」
まだ男が胸元を握っているせいで、パーカーが大きくずり上げられ、その下のキアムの肌が胸元まで露出する。
加えて、いままでかぶっていたフードが毟り取られるように脱げ落ちていた。
「ほぉーん、やっぱりか。わかってたぞ。匂いで、なぁ」
すだれのような髪の間から、鼻と口だけが突出して見える。その鼻がヒクヒク、動いて鼻の穴を膨らませる。
ベロォ……、長く薄い舌が唇をなめる。
キアムが唇を噛む。じっと男を見上げる。
「ヴォーグ……!?」
「はろー! キアムくんいるー!?」
ガラガラピシャッ! 夷やの表戸が開くのと大声が響くのが同時だった。
声の主はもちろん、
「うるさいぞ! マレーヤ」
「すいません」
女子高生スピンクスで近所の喫茶店のウェイトレス、メイド姿のマレーヤだ。あやまり役は、そのふたごのアスタリ。
「ぇえー、いいじゃーん、毎度、かわいいJKがコーヒー持って来てあげたんだからさぁ。はい、伝票!」
「金取ってるじゃねえか! こっちは頼んでないぞ」
「って、飲んでるじゃーん。んー、クッキー、美味しいねー!」
「飲まなきゃ冷めるだろ。って、別にお茶菓子出さなくてもいいんだぞ、ラウネア」
「まぁまぁ、ちょうど三時ですし、お茶の時間にしましょう。お客さまもいませんし、ねえ」
「わーい、おやつの時間ー! お客さんもいないし、ラッキーラッキー!」
「客がいないのをよろこぶなよ。まったく、自分の家みたいにくつろぎやがって」
「だーってもう、マレーヤの家みたいなもんじゃーん! ねえー、ラウネアさーん!」
「はい、はい」
「す、すいません」
微笑んでいるマレーヤ、あやまるアスタリ。
「ねえねえ、で、キアムくんはぁ?」
「そういやキアムのやつ、どうしたんだ」
けっきょく源大朗もクッキーを頬張りながら。
「お客さまと内見に行っていますよ」
「ほんとか! ちゃんと客が来てるじゃないか。ははは! でもキアムひとりでだいじょうぶか」
「だいじょうぶ、ってキアムさんが。ネットで物件を指定して来たお客さまなんです。まえに一度、来店されたということなんですけれど、記録が見当たらなくて」
「ふーん。来たっていっても、店の外に貼ってあるチラシを見ただけ、とかかもしれないしな」
「あ、あの、時間って何時ですか?」
急に割って入ったのがアスタリだ。ふだん、そんなふうに自分から話に入ってきたりはしないほうだから、源大朗がちょっと驚く。
「何時って、そこに時計があるだろ。四時……」
「そうじゃなくて、キアムくんの内見の、その、お客さんの、です」
「それなら、四時ですよ。いま十五分なので、ちょうど内見しているか、終わって、こっちへ向かっているかもしれませんね。お客さまを連れて」
「おー、今日ひとり目の客だな! いや、お客さまか!」
「どこ、ですか」
「えっ、物件、ですか?」
「どうしたのぉ、アスタリ」
マレーヤがまた、クッキーをひとつ、口に放り込みながら言う。
「行ってみたいんです。あの、教えて、もらえませんか」
「ここから歩いて十五、六分くらいのマンションですけれど……そうですね、わかりました」
アスタリの控えめながら、しかしどこか断固とした物腰に、ラウネアがPCに向かう。すぐに地図をプリントアウトして渡した。
「いっしょに、来て!」
とは、マレーヤに。マレーヤもこのころには、アスタリの変化にただならぬものを感じている。
「うん! おっさんも、来て!」
「はぁ!? 誰が」
「源大朗も来て! アスタリが言ってるんだもん。きっとなにかある。来て!」
次回は10日夜更新予定です。