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「部屋を借りたい? まー、確かにウチは不動産屋だけど……お客さん、亜人だよね? 異世界から来た。うーん、難しいなぁ。そういうの、扱ってないしねえ」
「ダメダメ! 亜人はトラブル多いんだよ。だいたいあなた、いつのまにか逃げちゃっててもわからないでしょ、困るんだよ」
「正直難しいと思います。お客さまの場合、パスポートにもお写真が……。ええ、身元の確認・保証という意味でも、はい、申しわけございません」
「……はぁ~」
立て続けに不動産屋に断られ、女はため息をついた。
スマートフォンを取り出し、
「もう、あとはここしか。夷や……」
東京……。
池袋西口から北のほうへわりとスタスタ歩いてニ十分近く。
そこはもう池袋駅前のビル群とか喧騒からはひとごこち着いた……というかハッキリ言って不便な立地。
住宅街を行くうち、不意にいくつか商店が固まった路地に出る。そんな場所に「不動産・夷や」はあった。
建坪十坪弱。二メートルほどの間口は決して広くない。いや、狭い。
木造モルタルづくりの二階建ては、会社というより限りなくふつうの家チック。掲げられた大きな看板「夷や」で、なんとか店とわかる程度だ。
もちろんネオンなどの電飾はなく、看板を照らす照明もない。真新しくもなく、老舗の歴史や伝統を感じさせるものでもなくて、中途半端に薄汚れていた。
入り口は、やはり間口いっぱいの三枚の引き戸。
半分から上はガラスだが、ベタベタと物件のチラシが隙間なく張られている。
「……」
そんな戸口に立って、取っ手に手を掛ける人影。
人影……、はっきり見えてもなお、そう言いたくなるほど、その人物は真っ黒だった。
黒いロングコートの裾は足首ほどまでもあり、頭にはすっぽりとフードをかぶっている。後ろから見ると、ただの黒い塊。すぐに店に入るでもなく、たたずんでいた。いや、ためらっていた。
耳をすませば、店内からかすかに聞こえる物音がある。
それをたよりに、意を決して戸を開ける。ガラガラと騒々しい音に、ビクッ、いっしゅん手が止まる。しかし開閉自体は意外とスムースで、もう戸は半分以上開いてしまっていた。
少なくとも、中の店員と目が合うくらいには。
入口のほうへ振り向いたのは、カウンターの向こう、事務机に掛けている女子店員。
「はい。いらっしゃいませ♪」
鈴が転がるような、とはこういう声を言うのだろう。
明るい色の髪をアップにしてまとめているが、こぼれた髪の先は背中にまで散っていて、そうとう長い髪だとわかる。
ロングヘアに似合う面長な顔立ち。前髪の向こうから、切れ長の目が覗く。口元がきれいな笑みを描いていた。その唇から、
「あっ、お座りください。今日はどういったご用件でしょう」
そう言って立ち上がると、店員は床に着くほどのロングスカートを引きずるように奥へ。ややおいて、紙コップのお茶をトレーに乗せてふたたび現れた。
「どうぞ」
微笑んで、お茶をカウンターへ。差し出す。
うららかな午後の陽が射しこむ店内。壁など新しくはないが意外と清潔に整えられているようだ。
ここでようやく客の女、
「ぁ、あの……」
「違うなぁ。ラウネア、茶を出すまえに、まずアンケートシートを出して記入してもらうんだ。間も持つしな。そうだろ」
用件を言おうとしたところへ、とつぜん、別の声。
それも、カウンターの下から。と思うと、のっそりと現れた。
カウンターの向こうに、ベンチのようなシートがあるらしい。そこに寝そべっていたのが、ゆっくり起き上がったのだ。
「ひゃぁああっ!」
驚く客。無理もない。悲鳴が上がる。
「おっと。悪かったな。て、その声は、女だな。まぁ、声を聞くまでもない、か」
ぼさぼさの頭をボリボリ掻きながら、ついでにあくびまで。どう見ても三十歳は過ぎていそうな男が、客の女性を見る。ぎょろり、とした大きな目。太い眉。数日は手入れしていないのか、数ミリは伸びたヒゲ。
いちおうは上着を着ているが、すっかり形が崩れていた。
「源大朗さんたら、着たまま寝るからですよ」
「ぬぅぁ! 事務所じゃ社長と呼べって、そう言っただろ、ラウネア!」
「はいはい、ほら、襟が裏返ってますから、源大朗さん」
「だから社長! ……ぅえくしょい!」
こんどはクシャミ、と忙しい。
しかしこの男が「源大朗」、そして女子事務員が「ラウネア」と呼ばれることは、客らしいロングコートの女にもどうやらわかった。
それだけでなく、
「……これ、ティッシュ」
「ふぁっ!?」
こんどは女の背後から声が。
見ると、そこに別の者が。
源大朗よりはずっと若い。目深にかぶった帽子と、明らかにオーバーサイズのコートに、隠すように包んでいる。
問題は、入り口のごく近く、物入れと椅子の間のくぼみのような箇所に、膝を抱えるようにうずくまっていたのが、まったく気づかなかったところだろう。
「い、いつから、そこ、に?」
「いつからって、最初から。……椅子、どうぞ」
そう言うと、源大朗にはティッシュを、女には椅子を勧める。
「キアム、おまえは気配消し過ぎなんだよ」
ティッシュを受け取りながら、源大朗。どうやら彼・少年の名はキアム、のようだ。
「はい、アンケート用紙です。ここに、お名前とご連絡先、それに、希望する物件などを記入してくださいね」
ここで、用紙を差し出すラウネア。テーブルの上、茶皿に乗った湯呑が香ばしく湯気を立てていた。
「ぁ、は、はい」
古いパイプ椅子にようやく腰を下ろし、
「ぇ、と……」
用紙といっしょに置かれたボールペンに、女が手を伸ばす。
その手が、白い手袋に包まれていた。
それまでのちょっとした喧騒で逸れていた視線が戻ると、改めて客の女の異様ないで立ちが強調されてくる。
用紙を押さえる左手も白手袋。すっぽり頭を包み込むフードはかぶったまま、その中は口元を隠すマスクと、サングラスだ。
ほとんど、というよりまったく素肌が見えている箇所がない。
そんな女を、キアムはじっと、ラウネアはニコニコしながら見つめている。もっともラウネアのほうは、もう自分の席のパソコンデスクに戻っていたが。
源大朗はというと、ひとりだけそんなことには興味のないという顔……というよりまだ眠くて、あくびをかみ殺していたのだが、ふと、無精ひげの伸びた顎をさすりながら、
「あんた、あれだろ……透明人間だろ」
20XX年。
約10年まえ、とつじょ世界各所に出現したワームホールにより、この地球はさまざまな異世界と通じることになった。
最初のうちは不安定だったワームホールはやがて固定化し、この「ドア」を通じて、人間は異世界と自由に行き来することができた。
しかしそれはまた、異世界からもさまざまな人や物がこちらの世界へやって来るということでもある。
たちまち世界には混乱が巻き起こった。
しかし数年でそれは沈静化する。
文化や化学の水準の違いこそあれ、異世界の住人もまた「人間」であり、いたずらに争いを望むものではなかったからだ。
紆余曲折こそあったが、この世界と異世界は互いを尊重し、ルールを確認し合った。
そうして、活発な交流が始まる。
もちろんトラブルが皆無だったわけではない。
しかし一歩ずつ進み、歩み寄り、規則を作り、取り締まることも、ときに争うことがあっても、決して交流は止まなかった。
いまでは、お互いに多くの人々が向こうの世界を訪れ、定住し、生活までもしている。
それはこちら側でも。
東京だけで、数十万の異世界人が暮らしていた。
そんな、異世界の住人に向けたさまざまなサービスや仕事もまた、多くが営まれ、生み出されつつある。
そんな中のひとつ。
異世界から来た人々(?)に住処を紹介する街の不動産屋がこの「夷や」である。
「なぁ、透明人間なんだろ、あんた」
もう一度、源大朗が女につぶやきを向けた。
その刹那、
「なっ……!」
極度に動揺した女、ボールペンを握りしめたまま硬直する。よく見ると、小さく震えていた。
「……」
キアムはというと、わずかに足を引き、かまえのような姿勢をとる。何かが起きたときにすぐ対処できる、そんな態勢だ。
しかし、ラウネア、
「まぁっ。源大朗さん、お客さまに向かって「あんた」はいけません。いつも言っているはずです」
「いえ、あのっ」
逆にあわてる女。
中途半端に上げた手が、かぶっていたフードとマスクをかすめた。フードは半ば脱げ、マスクもずれて口元までがあらわになる。
「んぉっ」
「……」
思わず注視する源大朗。無言で見つめるキアム。
「あら」
ラウネアも目を丸くする。
「ぁ、ぁ……」
あわててマスクを戻そうとする女の手を、
「待て、ちょっと……こりゃあ」
止めて、源大朗。じろじろと見つめる。フードの中までも覗きこむようにするから、
「源大朗さん、また失礼ですよ」
またラウネアに注意されてしまう。しぶしぶ顔を離して、源大朗はもとのベンチのシートにどっかりと腰かけ、改めて言った。
「案の定、か」
「でも、ちゃんと顔があるよ」
反論するのはキアムだ。
その言葉どおり、マスクを戻す手を止めた女の顔には、ちゃんと「肌」があった。いっしゅん見えた口元には唇があったし、髪や耳も。
「……わかり、ました」
決心したように、女がフードに手を伸ばす。自分から取り去ると、ファサッ、中から長い、ウエーブした金色の髪がこぼれた。
「ほー」
源大朗が漏らす。
次に口もとのマスクを女が外す。現れたのは、ふつうに化粧した女の顔。唇のルージュは控えめな色だ。
「別に透明でもなんでもな……」
なんでもない、とキアムが言おうとして、言葉が止まった。
さらに女が、サングラスを外したのだ。
サングラスの下も、そこには目蓋があり、眉毛もまつ毛もあった。しかし目を開けると、
「あら、瞳が」
なかった。ラウネアの言うように、上と下のまつ毛に縁どられた「目」、そこに本来、白目と黒目がある。が、それがなかった。
目の部分はうつろな空洞で、ほの暗い眼窩を映しているようだ。だが、もっとよく、光を当ててみるとわかる。そこに見える黒っぽいものは、じつはウイッグの裏の部分なのだ、と。
「あんた……」
「ぁ、また」
ラウネアが注意する間もなく、女が言った。
「はい、そうです。わたし……透明族の、女なんです」