聖女が帰ったその後で
――彼女の為に設えられた贅沢を尽くしながらも上品な部屋に招き入れられた時、これは本当に現実なのだろうかと、そう疑ったのは私だけではないのだろうなと自嘲気味に思う。
月の光だけが照らす部屋で吐息がかかる程近くに居た彼女は、消え入りそうな程か細い声で「抱いて。」と言った。
戸惑いを隠せない私に、そのまろやかな身体を押し付けながら「全部、忘れさせて欲しいの。」とも。
それが自分だけに送られた言葉でない事はわかっていた。
わかっていてなお、その甘美な誘惑から逃れる術を私は知らなかった。
ただのひと時でも彼女を慰められる事が、その相手に私が選ばれた事が、純粋に嬉しかったのだ。
そして夢のようなひと時から数日
彼女は消えた。
この世界に現れた時のように、それこそが世界への祝福であると言われる光を放って。
聖女が現れたのは、何百を数える程となった国の生誕を祝う式典の最中の事だった。
多くの国民や重役たち、王族が揃う中、空から眩い光を放ちながら式典を行う舞台に降り立ち、そして光がおさまるとともに気を失った1人の女性。
式典は中断され、王ですら混乱し判断を迷っている中、丁度式典に居合わせた大司教によって彼女は聖女と認定される事になる。
王城の一室に移され、しばらくして目を覚ました彼女はただただ呆然としていた。
幸いにも言葉は通じた為、王以下数名によって尋問が行われ、危険性は無いと判断された後、彼女は正式に聖女として国に迎え入れられる事になった。
彼女は初めこそ多少の混乱を見せたが、すぐに冷静にこちらの話を聞いてくれた。
大司教曰く、何百年も前の記録に聖女が降り立った記載がある事。
貴女はその聖女で、聖女は時折その身体から光を放ち、それこそがこの世界への祝福である事。
よってその御身を丁重にもてなし、生活と安全を保障するので安心してここにいて欲しい事。
最後に何か説明はあるかとの問いに対して、彼女は無いと答えた。
私は畏れ多くも王の近衛隊に一席を頂いている1人である。
故に、私は初めから全てを見ていた。
式典の最中に彼女が現れた時も、王城の一室へ運ばれる時も、彼女が目覚めた時も、尋問が行われた時も、聖女の説明がなされる時も、一部始終を見ていた。
いや、ただ目が離せなかったと言った方が正しいのかも知れない。
この世界の人間にとって、彼女は抗いがたい魅力に溢れていた。
何が特別なのかは説明する事が難しかったが、彼女の側に寄ればそれだけで心が穏やかになり、彼女の微笑みを見れば誰もが幸福に満たされた。
時たま彼女から放たれる光を見て、涙を流す者も居た。
そんな彼女を誰もが慕い、彼女は老若男女問わずこの世界の人々を魅了した。
彼女を側に置きたがる者は数多く居た。
王族や教会はもちろん、国や貧富の差を超え彼女は多くの者にその身と心を欲された。
他国の者も彼女を欲したが、彼女がこの国から出るのを嫌がった為それは実行されなかった。
争いの火種を生みそうになったのも彼女だが、その火種が燃え始める前に消してしまうのも、また彼女だった。
彼女がこの世界に来て幾日もしない間に、彼女の周りにたくさんの人が群がるようになった。
誰しもが初恋に浮かれた少年少女のように彼女に侍ったのだ。
私は王の命を受け彼女の護衛を任されたが、正直に言えば命令がなくとも彼女の前で膝を折った事だろう。
現に同僚の何名かは王族を守る仕事の隙を縫い、彼女の元へ足繁く通っていた。
最初に選ばれたのは、その日彼女の世話をしていた侍女だった。
彼女が「1人寝は寂しい」と溢したのを聞いた侍女が共寝を申し出たのだ。
彼女は喜んでその申し出を受け入れたという。
それから彼女は毎日誰かを指名して共寝をさせた。
周りの侍女を一回りすると、今度は貴族のご令嬢令息達、騎士に文官、王族に息抜きに城下へ出た際にたまたまそこに居た者等、貴賤を問わず彼女は共寝をねだった。
彼女にねだられれば誰も断る事などできず、皆とまどいながらも承諾した。
男と共寝をすればそうなる事も少なくなく、まれに女性ともあったという。
しかし、彼女は1度として同じ人物と共寝をする事はなかった。
私はいつも彼女の部屋の扉の前で、時折漏れ聞こえる彼女の声を聞いていた。
動く事も出来ず、いつか訪れるかも知れない自分が選ばれる日をただ待ち望んでいた。
そうして幾日過ぎただろう。
それは突然やって来た。
「いつも守ってくれてありがとう。
今日はあなたが私と一緒に寝てくれる?」
――夢にまで見た瞬間だった。
私は一も二も無く了承した。
そして夜、彼女の部屋に招き入れられ、すぐにベッドへと誘われる。
私はそれを断り、少しだけ話をする時間が欲しいと請うた。
「お話したいの?
いいよ、何のお話する?」
優しく了承してくれた彼女に、貴女の事を教えて欲しい。と問う。
「私の事...
んー、名前と歳はみんな知ってるよね?
もちろんこの世界でもそうだけど、成人してます。」
「貴女に家族は?」
「もちろんいるよ。」
「構成をお伺いしても?」
彼女の顔が一瞬苦痛に歪む。
そう、彼女は彼女の世界の事をあまり話したがらない。
最初の王に尋問された際に話した名前と歳以外にはほとんど彼女に関する情報が無い。
「そんな事聞いてどうするの?」
ぽつりと溢された言葉には棘があり、少しの焦燥感が襲ってくる。
「お気を悪くされたのでしたら申し訳ありません。
ただ、聖女様はいつも笑っていらっしゃいますが、本当は故郷を恋しく思っていらっしゃるのではないか、っと...」
全てを言い終わる前にぶつかるようにして胸に飛び込んできた彼女を支える。
月の光だけが照らす部屋で吐息がかかる程近くに居た彼女は、消え入りそうな程か細い声で「抱いて。」と言った。
いきなりの事で戸惑いを隠せない私に、そのまろやかな身体を押し付けながら「全部、忘れさせて欲しいの。」とも。
それが自分だけに送られた言葉でない事はわかっていた。
わかっていてなお、その甘美な誘惑から逃れる術を私は知らなかった。
ただのひと時でも彼女を慰められる事が、その相手にやっと私が選ばれた事が、純粋に嬉しかったのだ。
そして夢のようなひと時から数日――
彼女は現れた時と同じ、国の生誕を祝う式典の最中にその身体から眩い光を放ち、この世界から姿を消した。
それからは大混乱である。
いつもの祝福だと思っていたら彼女が消えたのだ。
貴族や王は大司教を問いただし、平民や子供たちは泣き叫ぶ。
本来それを治めねばならない騎士達すらも突然の事に呆然としていた。
その場は、一足早く正気を取り戻した王妃によって治められ、式典は延期となった。
だが、彼女が残した混乱は、彼女の存在の喪失だけではなかった。
それは彼女が消えて数か月たった頃に始まった。
まずはじめに声を上げたのは、王太子の婚約者の令嬢だった。
いくら王族には側妃が認められているとはいえ、国民の見本であるべき王太子が公務も行わず聖女の側に侍り、あまつさえ共寝までして、そしてそれを隠しもしないとは婚約者としてどうなのか、と王妃に泣きついたのである。
それを皮切りに、婚約者が聖女と共寝をしたという令嬢方が王妃の元に殺到した。
王太子の婚約者を始め、その中の大多数は自身も彼女の側に侍っていたし、共寝もしたが、異性と同性では意味合いが全く違ってくる。
現に自分達は婚約者を裏切って等いない、と言うのである。
そして王太子を始め男たちの言い分はこうだ。
聖女の側に侍っていたのは婚約者がそこに居たからであるし、聖女に共寝の相手に指名されては断りようも無かった。
悪いのは全て聖女で、自分達は強制されただけなのだ、と。
その流れは若い者達だけに留まらず、貴族全体、そして平民の間にも広がり、聖女はいつしかこの世界の人間を誑かした魔女と言われるまでになった。
彼女を聖女とした協会は徐々に勢力を衰退させ、聖女に権力を与え、その自由を許したとして王族の信用も地に落ちた。
彼女が消えて数年後、王は王政の廃止と近年周辺国でも増えてきた民主政治への移行を宣言した。
――未だ彼女を魔女と呼ぶ者は多くいる。
しかし私を始めとした一部の者は、確かに彼女は聖女だったと思うのだ。
結果的に国を二分していた権力は無形化され、以前より細かな法が整備された事で商人達にも活気が増え国もより栄え始めている。
夢から覚めた人々は彼女のその奔放さに顔を顰めたが、同時に未だに彼女の魅力に囚われている。
私は、彼女に翻弄された日々を懐かしく思いながら、どうか彼女がもう一度、本来あるべき世界に戻る事ができていますようにと、強く願うのだった。
*登場人物
聖女(26)光の祝福持ち。魅了はおまけ。
2人の子持ち主婦。旦那様ラブ。
子育ての合間にネット小説を読むのが趣味。
よく読んでいたシチュエーションと同じように異世界に転移してしまい、コレ多分帰れないんだろうなーと思っていた。
最初に侍女と一緒に寝たのは単純に寂しかっただけ。
毎日子供と寝てた事思い出して「1人寝は寂しい」って言ったら侍女がグイグイ来たから押しに負けた。
帰れると思ってなかったので、寂しさを紛らわすためにも開き直ってはっちゃける。
自分の事を話さなかったのは何を話しても家族を思い出して泣きそうになるので話さなかった。
帰って喜んだのも束の間、物凄い後悔に襲われている。
騎士(21)近衛騎士→聖女の護衛騎士→近衛騎士→国境警備
自分語り系粘着騎士。
聖女が初恋なので、ずーっと忘れない面倒くさい奴。
聖女批判する奴を見ては心の中で「彼女はそんなんじゃないんだ...、私にはわかる」と延々語ってる。
多分結婚できないんじゃないかな~
王(53)
聖女キタ――(゜∀゜)――!!で脳内お花畑になった人。
政治の能力はあんまり...
引き際は心得ていたようで王政の廃止を決める。
王太子とかには文句言われるけど、決定事項。で押し通す。
王妃(49)
色々な所から泣きつかれて大変な人。苦労性。
聖女来てから王も王太子も仕事しねぇ...って不満はあったけど、聖女の事は嫌いじゃなかった。
聖女が消えてからも一番早く復活して色々頑張った。
王太子(19)
元々は公務とか頑張ってたけど、父親と同じくお花畑になった人。
婚約者の事は、まぁ嫌いじゃないけど、そんな文句言うなら別に君じゃなくてもいいんだよ?と思ってる。
結局振られるし、王太子でもなくなる。
王太子の婚約者(18)
王太子が好きだった。
でも聖女が現れて聖女の魅力にメロメロになった人。
なんなら聖女とヤッちゃってるけど、みんなには内緒。
自分の事は棚に上げて王太子を責めて、結果冷める。
なんやかんや国の有力貴族の娘なので別の人と政略結婚する。