第2話「幸せでしあわせ」
高校二年生の始業式から、密かに想いを寄せている木村奏都と思わぬ進展があって、結衣花は幸せ気分で浮かれていた。
「~♪」
鼻歌を歌いながら、姉兄妹三人分の弁当を作る。
「おはよう、結衣花」
そのうち、高校三年生の姉、朱城 唯寧が起きてきた。
「ご機嫌ね。いいことでもあった?」
「うん!」
元気よく返事をする。唯寧は微笑む。
「そう。それはよかったわね」
唯寧は 高校生とは思えないほど大人びた表情をする。それは、両親がいない家の長女としての責任なのかもしれない。だから、負担をかけすぎないようにと、弁当と三食のご飯は当番制で作ることにしている。
「でーきたっ♪」
弁当を完成させ、それぞれ包む。
「百ー!アリアー!」
そして、飼い猫二匹の名前を叫びながら階段を上がる。
「またお兄ちゃんのところかな」
朱城家の飼い猫、黒猫の百と、白猫のアリアは、ことあるごとに結衣花の兄で、唯寧の双子の弟の朱城 夢糸の部屋へ行って、ベッドに潜り込みたがる。なのでいつも、百とアリアを探すのと兄を起こすのが一度で済んで、助かることは助かる。
「お兄ちゃん!起きてー!」
いつものことだが、夢糸は布団に入る潜り込んで丸まっている。二匹の猫も一緒に。
「お兄ちゃん!起ーきーてー!」
ぼふぼふと布団を軽く叩くと、中がもぞもぞと動く。
そうすると、一気に布団を剥ぐ。
「お兄ちゃん!」
「…………寒い」
「「ニャー………」」
寝起きの元気の無い夢糸の声に呼応して、二匹の猫も同じように元気がなさそうに鳴く。
「もう!遅刻するよお兄ちゃん!」
「………はいはい」
朝が弱い夢糸は、のろのろと起き上がる。
それから朝ごはんを食べ、唯寧と夢糸は一緒に家を出る。結衣花は、紅が迎えに来るまで家で待つ。
──ピンポーン
インターホンの音がして、結衣花はバタバタと玄関へ走る。
「おはよう紅!」
早口で言う。
「おはよう、結衣花」
今日は入学式ということもあって、紅の後にはもう一人、立っていた。
「おはよう、蒼」
一二三 蒼は、紅の一つ下の妹だ。
結衣花のあいさつに、少し顎を引いただけだった。
「じゃぁ、行こうか」
紅の声で、それぞれ歩き出した。
一年生が入学式をしている間、二、三年は課題テストをしていた。
成績は中の中な結衣花は、とてつもなく憂鬱だったが、上の上な紅は、なんとも思ってないようだった。むしろ、眠い授業を聞くよりはましだと思っているみたいだ。
「後ろの席から集めろー」
相変わらず気だるげな亜人の声が聞こえ、結衣花はシャーペンを置いて顔を上げた。亜人は、どこにも焦点が合っていないような目で、どこかを見ていた。
なんとなく隣を見ると、奏都はいつもの如く頬杖をついて、欠伸を噛み殺していた。
昨日の出来事があったとはいえ、そんなに馴れ馴れしく話しかけられる間柄になったわけではない。だからこうして盗み見るしかまだできていなかった。
「紅ー!帰ろー!」
結衣花は、テストが終わった開放感で、いつもより元気だった。
「ごめん、ちょっと図書館行きたいんだけど」
少ししゅんとして紅が言う。
「じゃぁ付き合うよ」
「ほんと!ありがとう!」
そして、二人は図書館へと足を運んだ。
活字を見るとどうしても眠くなってしまう結衣花は、紅が借りる本を選んでいる間、マンガを読むことにした。
図書館には初めて来たが、マンガもたくさんあった。
「結衣花、ごめんね〜」
しばらくすると、紅が本を抱えてこちらへ駆け寄ってきた。
「帰ろうか」
そう言って紅が微笑んだので、結衣花も微笑み返した。
「駅前のクレープ屋さん行きたいよね」
「そうだよね!今度行こうね」
そんな話をしながら廊下を歩いていると、
「ふざけんなよ!!」
聞き覚えのある声がした。
「今の………夢糸?」
紅も気が付いたようだ。
「そこの角曲がったところだよね?行こう」
角を曲がると、夢糸はこちらに背を向けていた。それに向かい合っているのは、生徒会長で奏都の兄、木村 世知だった。
世知が、先に結衣花と紅に気づいたが、何も言わない。
「お兄ちゃん」
結衣花が夢糸に声をかける。
夢糸は、ゆっくり振り返った。
「結衣花……」
呟いて、バツが悪そうに目をそらした。
「どうしたの?お兄ちゃん」
結衣花が問うても、夢糸は何も答えない。
結衣花は、夢糸の向かいの生徒会長へ視線を移した。
世知は、ため息をついて、話し始めた。
「……高校三年生になっても不気味なくらい仲のいい朱城姉弟は、今日一緒に帰ろうとしてたんだと」
それの、何が問題なのだろうか。世知に「お前ら高三にもなってまだ一緒に帰ってんの?」とか言われたわけではないだろう。この生徒会長は声を出すことがあまり好きではなさそうだから、わざわざ冷やかすために声を出すとは思えない。
続きを待っていると、世知はたっぷり時間をかけてやっと口を開いた。
「待っても待っても姉が現れないらしい」
「何か、用事があるとかじゃなくて?」
「……それなら絶対メールするなりなんなりして連絡してくるはずだ、と」
世知の声は半分呆れていた。確かに結衣花もたまにため息をついてしまうほど唯寧と夢糸は仲がいいが、ここまで露骨に態度に表さなくてもいいだろうと思った。
「だから俺が教えてやったら超怒られた」
世知が、少しだけ肩をすくめる。
「教えたって、何をですか?」
今度は、紅が質問した。
「朱城唯寧がこの街にはもういないってこと」
夢糸の肩がぴくっと震えた。
「どういう……ことですか、それ」
「そのままの意味だけど。朱城唯寧の気配がしない」
「気配って………」
「この街の中くらいだったら俺も分かるが、それより外に出られてる。まぁ、連れ去られたんじゃねぇの?」
投げやりに言う。そんなことを言われたら怒る夢糸の気持ちは結衣花も痛いほど分かった。
「会長!」
「………なんだよ」
この後の結衣花の言葉を察したのか、嫌そうな返事をする。
「お姉ちゃんのところへ、連れていってください」
夢糸が、こちらを向いて目を見張る。紅が結衣花の後で悲しそうな表情をする。
世知は、表情を変えない。
「………いいよ」
少し考えて、世知は言った。
「お前──!」
夢糸が食ってかかろうとする。
「お前は、助け出したくないのか?」
世知は、冷たい目をしていた。その目で、夢糸を見下ろす。
「連れ去られたっていうのは決定事項かよ……」
悔しそうに呟く。
「まぁ、俺お前のこと嫌いだから来なくていいよ」
「は!?」
「そっちの幼なじみと仲良く家で待ってろ」
吐き捨てるように言って、世知は生徒玄関を目指す。
「ほら、行くんだろ」
「は、はい!」
結衣花は、世知のあとを追った。
「乗れよ」
玄関から出ると、校門の前には既に黒塗りの高級そうな車が待機していた。まるで、この事態を見越していたように。
「お、お願いします……」
こんな高級そうな車に乗るのはもちろん初めてな結衣花は、少なからず緊張していた。世知は、慣れているのか涼しい顔をしている。
車が走り出す。
「…………」
車内には沈黙が流れる。
もともと、この人と話すことなんてないのだ。
することもないので、隣の世知の顔を見る。
さすが兄弟というべきか、奏都と同様、整った顔をしている。
「……何?」
結衣花の視線に気付いた世知は、不機嫌そうに尋ねる。
「す、すみません」
暇なんです、とも言えず、謝るしかない。
この街に唯寧はいない、ということは、この時間がまだまだ続くということだ。
学校を出て早々、心が重くなった。