第1話「君が私で私が君で」
桜舞い散る新学期。
「ちょっとストップ!」
一二三 紅 がそう言った時には、もう遅かった。
「………へ?」
マヌケな顔をして振り返った少女──朱城 結衣花の肩に、毛虫が落ちて、見事に着地──じゃなくて、着肩した。
「き……きゃぁぁぁぁあああああっ!!」
結衣花の叫び声に、通行人は何事かとこちらを振り返る。
「紅ぃ………取ってぇ………」
涙と、鼻水を盛大に流しながら、紅に泣きつく。
「仕方ないなぁ」
紅は、こうして結衣花に世話を焼くのが嫌いではなかった。
結衣花と紅は幼なじみ。昔から結衣花がいじめられて泣いて帰ってきた時は、紅が慰める役割をしていた。いじめたやつへの仕返しももちろん忘れなかったが。
「結衣花見て!同じクラス!」
「うわぁ!ほんとだ!」
結衣花と紅は、手を叩きあって喜んだ。が、すぐに
「あ、」
と、紅が何かに気付いたように声を上げ、
「──木村も一緒だよ?」
そう、声を潜めて言った。
「………っ」
結衣花は同級生の木村 奏都へ密かに想いを寄せている。幼稚園へ入園する前からいつも一緒にいた紅が気付かないわけはないが、他の人にはバレていないようだ。
「結衣花にしては頑張って隠してるよね〜!」
「も、もう!紅!」
怒ったように紅の背中を叩くが、全く力は入っていないし、顔も真っ赤になっている。
(………紅は、なんで気付いちゃうんだろう………)
昔から紅は勘がいい。学校でいじめられて悲しくても、それを隠して隠して振る舞っていたら「何かあった?」と絶対聞いてくるのだ。紅のその澄んだ瞳に見つめられたら、話すしかなくなってしまう。そうやって、奏都が気になっているということも読み取られてしまった。
本当に、紅には敵わない。
結衣花は小さく息を吐き出した。
「えー、今年一年、お前らの担任になりましたー、加城 亜人でーす」
なんとなく間延びした声で担任教師が言う。
担任の亜人は、テキトーが合言葉のように、「めんどくさい」と「任せる」を口癖にしている。
テキトーだから生活指導もきびしくなく、生徒受けはしそうだが、他の教師たちに嫌われているふうでもないので不思議だ。
「お前ら」なんて乱暴な口調でも許されてしまうのは、そのルックスのせいなのだろうか。
「面倒なので基本的に仕事は学級委員に丸投げになると思うけど、本当に本当に大人の力がないと解決できないことなら協力するし、雑談は全然できるし、本気で悩んでるなら相談に乗らなくもないから、何かあったら言ってな」
相談に乗らなくもない、とはなんなのだ、と結衣花は思う。乗ってはくれそうだが、欲しい答えは返ってきそうもない。
「長く話すのめんどいし、とりあえず自己紹介するか」
ホームルームが始まってからまだ五分も経っていないが、亜人はもう飽きたらしい。
「まずは加城くんからでしょー!」
一人の女子が声を上げた。
亜人は、生徒から「加城くん」と呼ばれている。亜人は「加城『先生』な」と一応言うには言うが、それほど気にしている素振りもなく、いちいち注意するのがめんどくさくなったのか、最近では許容し始めている。
女子の声を聞いて、亜人は露骨に顔をしかめる。めちゃくちゃ嫌そうだ。
「………なんで教師やってんだあの人」
ふいに、隣から声がした。結衣花は視線だけで隣を見る。すると、奏都が机に頬杖をついて、さほど興味もなさそうに亜人を見ていた。
ホームルームが始まるまでは、紅との話に熱中していたので気付かなかったが、こんな近くに奏都がいるなんて、新学期早々ラッキーだ。
さっきの呟きが自分にしか聞こえていないことが分かって、結衣花はなんだか心が満たされる気がした。
「………俺のことはいいだろ別に」
女子のブーイングをテキトーに流して、亜人が出席番号順に当てていく。
さすがテキトーがモットーの人は女子のあしらい方も上手い。面倒を嫌うのはいいこともあるのだ。
「じゃぁ一番の朱城」
「はっ、はい!」
この学校の出席番号は男女入り乱れていることを忘れていた。そのせいで結衣花はいつも一番か二番だ。
「朱城 結衣花です!趣味は音楽を聴きながら色々なことをすることで、音楽を聴いていれば草取りも楽しいってことが最近分かりました!みなさんもぜひ試してみて下さい。よろしくお願いします」
丁寧に頭を下げる。
パチパチと拍手が聞こえてきた。
結衣花はほっとして席に座った。
「じゃぁ次、有基……、はいないのか」
亜人がそう言うのを聞いて、結衣花は首を回して後ろの席を見る。後ろの席は空席だった。
「まぁ、来た時にしてもらえばいいか。じゃぁ次、井坂」
「はい」
と、自己紹介は続いたが、結衣花は話している人を見るのに振り返っているふりをして、視線は後ろ空席から外せなかった。
(始業式に休むなんて……)
風邪でも引いたのだろうか。
有基、という人のことは、一年の時違うクラスだったから知らないので、余計に気になっていた。
有基というクラスメイトについてぼーっと考えていると、自己紹介が一通り終わっていた。
「あ、そうだ。世界史の課題」
急に、今思い出したように亜人が呟き、クラス内を見渡す。
「朱城と木村」
「……はい」
急に指名されたので返事が遅れてしまったが、奏都は返事すらせず、頬杖をついたまま亜人を見返していた。
「ホームルームが終わったら世界史のワーク集めて職員室まで持ってきてくれ」
「先生が今自分で集めればよくないですか?」
奏都はあくまでも反抗的だ。
「やだ」
亜人は子供みたいに拒否した。
「だって重いもん」
「………あんた大人でしょう」
奏都が呆れたように言うが、亜人は気にしていない。
「いいじゃん別に、教師に恩売っとくといいことあるから、そのうち」
そういうことはあまり言わない方がいいのでは?と結衣花は思うが、どうしても世界史のワークを持ってきて欲しいらしい。
「私はいいですよ」
教室から職員室までの間だけでも奏都と二人きりになれるなら安いものである。
「お前いい奴だな、朱城」
亜人は一人でうんうんと頷き、
「で?女一人に運ばせるとかそんな野暮なことしないよなぁ?木村奏都くん?」
「………うっざ」
奏都は全力で毒づいたが、その後折れて、結局仕事を受けることになった。
「ごめんね木村くん。私が余計なこと言ったせいで」
クラスメイトは自分がしなくていいから、とワークを出席番号順に並べる努力もせず、ただポンポンと上に重ねていった。そのせいで、出席番号順に並べる、という作業が入ってしまった。
結衣花は、その間に、奏都に話しかけた。
「別に」
奏都の返事は素っ気なかったが、会話が出来ただけでも嬉しかった。
「おー、お疲れー」
職員室では、亜人が優雅にコーヒーを飲んでいた。
「……で」
奏都が少し荒く机の上にワークを置いて、言った。
「なんでら俺らなのか教えてもらっていいですか」
完全に不機嫌だった。
「別に」辺りから気付けばよかった、と結衣花は心の中で後悔した。
「朱城がさ、苗字に『城』がついてるからなんか勝手に親近感あってさ」
(本当に勝手な話だな)
「………本当に」
結衣花がそう思うのと、奏都が呟くのはほぼ同時だった。
「だったら、俺は?」
「ああ、お前は目に入ったから。朱城と席隣だし」
その言い方だと私が悪いみたいじゃないか。
そう思ったけど、怖いのであまり口には出せない。
「チョコあげるよ」
性格がいいのか悪いのか、カカオ97%のチョコとミルクチョコレートをひとつずつくれた。
「ありがとうございます」
苦いのは苦手だが、一応礼は言っておかなければ。
「──朱城さ」
突然、奏都に名前を呼ばれた。
驚いたと同時に、胸が締め付けられた。簡単に言うとキュンキュンした。好きなひとに名前を呼ばれることがこんなに幸せなことだとは思わなかった。
「何?」
平静を装ってそう問いかけるのに精一杯だった。
「甘いの、好き?」
「おい待てよ!貰った本人の前でトレードすんなよ!地味に傷つくだろ!?」
「………先生、俺が甘いの苦手だって知ってますよね?知っててくれたんだったら超タチ悪いですよ?」
奏都は甘いものが苦手。
思いがけないところで情報が手に入った。
「別にお前をいじめようと思ったわけじゃなくて、たまたま苦いのと甘いのが手に入ったんだよ。俺の見えないところでトレードしろ」
「もうトレードすることは分かってるんだからさせてくださいよ」
「やだよ、傷付くだろ」
奏都は少しの間亜人を睨んでいたが、
「………分かりましたよ。帰ります」
そう言って、踵を返した。
「おう、そうしろそうしろ」
亜人は、しっし、と手振りでした。
結衣花は、奏都を追いかけるべく、亜人に一礼して後ろに振り返った。
「はい、あげる」
職員室を出たところで、奏都は待っていた。
「あ、ありがとう……」
ミルクチョコレートを差し出され、受け取る。
「じゃあ」
「あ、ちょっと待って!」
帰りかけた奏都を、結衣花は呼び止める。
「私だけ貰うの悪いし、苦いの苦手だし、これ貰って?」
結衣花はカカオ97%のチョコを奏都に差し出す。
「………いいの?」
なぜか奏都は面食らっていたが、結衣花がコクコク頷くと、少しだけ笑った。──ような気がした。
実際に表情は変わっていなかったが、なんとなく、雰囲気が柔らかくなった気がした。