2-1 サキュバスとエロ漫画野郎と冒険者 サキュバスの隠蔽魔法
「……ふぅ」
パタンと本を閉じたメイプルが小さく吐息を漏らした。
薪の明かりを受け、恍惚とした表情とキラキラした瞳がなんだかアレな雰囲気だが、別に何があった訳ではない。
原因は、彼女の手の中にあるライトノベルだ。夕飯の材料を取り出した後、荷物を整理していた時に、試しにメイプルに見せてみたところ、驚くほど食いつかれた。
そしてそれから黙々と読み続け、今に至ると言う訳だ。
ちなみに、宣言通りに仕込んだスープをかき回しているのは、超能力よろしく自動で動いている木製のオタマだ。よくわからないけど、エルナがちょっと驚いていたことから珍しい魔法なんだろう。
ようじょすごい、というかサキュバスすごい。
俺の感心を他所に、満足そうなメイプルは目端にうっすらと涙を浮かべていた。
「まさか、こっちに来て続きが読めるなんて思わなかったわ」
そう言って、丁寧に本を返してくれた。
どうやら彼女もその作品のファンだったようで、時折あの作品の続きどうなってるかな、とか考えていたこともあったらしい。最近ではたまに思い出すくらいだったそうだが、現物を見た瞬間、たまっていたものがドッとあふれ出したようだ。
「このシリーズって、二年くらい前に刊行始まったよな。お前が八歳ってことは、こっちとあっちは時間の流れが違うのか?」
「かもしれないわね。この前の巻は発売してすぐに買ったから、そっちの世界の半年前に私は転生したことになるわね」
「ややこしいな」
「異世界だからね」
「異世界なら仕方ないな」
俺たちはこの事について考えるのをやめた。面白そうではあったが、何か後に戻れない深みにハマりそうな気がした。怖い。
「異世界と言えば……お前の魔法もすごいな」
俺の言葉に、それまで黙って武器の手入れをしていたエルナが顔を上げる。
見上げれば、枝葉の天井におっかりと空いた穴から、白銀の輝きを湛えた空海が姿を現す。
写真やテレビで見るのとは違う、真っ黒な空に瞬く数えきれない星々の存在感と神秘さに、俺の魂が不可視の衝撃を受ける。
一方、こちらの世界出身故に、当たり前の光景として特に感動を覚えないエルナとメイプルは、別のところに関心を向けていた。
今、俺たちは森の中の開けた場所で野営をしており、周囲にはエルナが鳴子や簡易的なトラップをいくつか仕掛けている。
この森には、俺はまだ会ったことがないが、サキュバス以外の魔物や、猪、熊なんかも出るらしい。エルナがその中で一番警戒しているのは熊と妖精だと言う。
熊は強い。俺も図鑑やネットなどで少しだけ齧っているが、正直なところ、武器を持っていてもまともにやり合える自信は全くない。対峙して生き残ったり、撃退した人たちはすごいと思う。
エルナは剣と盾を持っているし、他にもいくつか武器になりそうなものも持っているが、真正面から戦いたいとは全く思わないとのこと。むしろ、避けられるのなら絶対に避けたいらしい。
この世界の熊は、弱い魔物相手なら魔法を浴びせられながらもワンパンで倒せるそうな。獣使いと呼ばれる職業者の中には、熊を調教して旅の護衛として連れている者もいるというのだから、俺の元居た世界の熊よりも逞しく強いようだ。
エルナも以前、野営をしていて出会ったことがあり、その時は運が良かったのか、熊は何もせずに去って行ったらしい。それ以降、エルナは鳴子以外にも簡易的なトラップを仕掛けるようになったとのこと。
そして意外だったのは、会いたくない魔物が妖精だったことだが、彼女の話を聞いていてさもありなんと思ってしまった。
冒険者が警戒している妖精は、ピクシーと呼ばれる種類で、笑って済ませられる悪戯から、ガチで阻止しなければならない規模の悪さまで幅広く行う。ちなみに本人たちに悪気はないらしく、無邪気な子どもよろしく、興味本位でやってのけるらしい。
幸い、力はあまり強くなく、一番に警戒すべきは道具や武器を隠されることや盗まれることなのだとか。エルナも過去に何度か煮え湯を飲まされたらしく、一度捕まえてみっちりお説教するんだと語気を強くしていたほどだ。お説教ってアンタ……。
とかく、ここの自然は、俺がいた世界よりも危険に満ち溢れているということが嫌でもわかった。
冒険者も野営の時に魔物や動物に襲われるというケースが少なくないという。一人なら微かな気配でもすぐに目を覚まして行動できるように、集団なら見張りを立てて野営するのが一般的らしい。どの世界でも野営ってそんなもんだろう。
だが、今の俺たちは多少の警戒心があるくらいで、のんびりまったりとした時間を楽しんでいる。
そんな空気になれるのも、メイプルの魔法のおかげだ。
本人も詳しくは説明していないが、普通の生物や魔物たちは野営地を避けて通ってくれるようになるらしい。
最初は俺もエルナも首を傾げていたが、たまたま近くにいた鹿に似た動物(エルナとメイプル曰く、魔力を多く持った種類の鹿だそうだ)やオオカミ(!)が結界付近に近づくと、本人自身もよくわからないけれど、という雰囲気で他所の方へ歩いて行ったのを見て驚いた。
虫よけスプレーならぬ、生き物避け魔法すげぇ。
「なるほど、サキュバスたちの本拠地がなかなか見つからないのはこの魔法があるからなのね」
「他の奴らに言わないでよ? ちなみに、サキュバスの隠蔽魔法は一〇八式まであるわ!」
「多いだろ。って、あれ、じゃあエルナはどうやって洞窟に入ったんだ?」
「え、普通に入れたけれど……?」
「あぁ、多分晴樹が召喚されたから、その影響かもしれないわね」
「召喚魔法の副作用ってことか?」
ありえそうな話だが、俺の疑問にエルナは首を傾げる。
「うーん、私もよくわらからないかな」
「わかりやすく言うとアレよ、変身する時に敵の攻撃が無効化されたり弾かれたりするっていうアレ!! 隠蔽魔法が突然現れた召喚の力に弾かれる感じ!!」
「なるほど、何となくわかった」
「ごめんなさい、メイプルが何を言っているのかさっぱりわからないわ」
大丈夫だエルナ。俺もイメージとノリで何となくわかったつもりになっているだけだから。
メイプル「ブ○イドとかオ○ズとか、まぁあんな感じよ!」
晴樹 「なるほど!!」
エルナ 「まったくわからないわ……」
そして終わっていなかったプロローグの下り。