6-8 サキュバスとエロ漫画野郎と蒼海の魔王 大切な人がいるなら
『私は、私は悪い子じゃない!!! 私は、私はぁぁぁぁっ!!!』
ああもううるせーな……どうにか鼓膜は無事だが、頭がえげつないくらい痛い。
『うぅん、そうだ、私は悪い子、悪い子なの……』
リヴァイアサンが、乾いた笑い声を漏らした。
『そうよ、私は悪い子、邪神クッタクァに眷属化された悪い子! だから、だから』
「怒られたい、てか?」
俺の掠れたつぶやきに、リヴァイアサンは嬉しそうに反応した。
『そう! だから来て、私を叱って! ねぇ、来てよ、叱ってよ!!! ねぇぇ!!』
懇願だった。
それは、さっきまで魔王として振る舞っていた怪物などではなく、ただ、迷子になった子どもが親を呼ぶように、悲しく、寂しい、そんな――――。
「そんなことのために、世界を壊すの?」
メイプルの声が、聞こえた。
彼女は肩で息をしていたが、ぐっと何かを堪えるように顔を険しくして、リヴァイアサンを睨みあげていた。
リヴァイアサンは、今まで無視していたメイプルに、向き直った。
『そう! そうすれば、あの人は来てくれる! だって、あの人は正義のヒーロー、勇者なんだから!』
「……その人が来たら、どうするの?」
『すっごく戦って、負けて、私、あの人に叱られるの。きっととっても怒られる』
少し震えて、しかしリヴァイアサンは嬉しそうに、本当に嬉しそうに、
『それで、姉妹にもすっごく怒られて、それからやりなおそうって、一緒にまた世界を回るの。もうお姉ちゃんたちはいないけど、きっと、また楽しい旅が始まるの』
夢を見る、少女のように。
「……ふざけないで」
メイプルの声は震えていた。
怒りで、爆発しそうになるのを、必死で堪えるように。
「そんな事のために、傷つく人や、生き物たちがいるの。皆、死にたくないって、誰かを失うのは嫌って、そう思ってる」
『私だって嫌だもん。でも、あの人たちが来るには、これくらいしないとダメだし……だったら、街だけでも破壊しちゃおう! ほら、傷つく人、少ないし。間違ってそれで死んじゃったら、それはその人の運命、寿命だよね!』
あ、これ、駄目な奴だ。
俺が思ったのと、メイプルから爆発的な魔力が漏れたのは、ほぼ同時だった。
「自分が、何を言っているのか、わかっているの?」
『え?』
「そんなことしちゃダメって……その大切な人に、教わらなかったの?」
『教わったよ?』
「じゃあ、そんな事をしたら、その人は、貴女のことを……嫌いになるよ?」
メイプルの決定的なひと言に、リヴァイアサンの動きが止まった。
『……ならないもん』
「どれだけ寂しくても、やっちゃダメだよ」
『嫌いになんて……』
「どんなに悲しくても、今を生きて、明日を迎えたい人を傷つけちゃダメだよ」
『違うもん……ならないもん、私のこと嫌いに……』
「私の大切な人は、どれだけ寂しくても、私たちを傷つけなかった。私たちを、喜ばせてくれた!!」
メイプルは大きく両手を広げた。まるでリヴァイアサンを抱きしめると言わんばかりに、堂々と、勇ましく。
「だから、大切な人がいるなら、そんな悲しいこと、やめて!!!」
『うるさぁぁぁぁぁぁぁぁい!!!!』
リヴァイアサンの極細の破壊光線が、メイプルを撃った。
だが、それは俺が事前に撃ちこんでおいた魔弾によって発動したベールに掻き消される。
メイプルは防御する体制も取らず、リヴァイアサンを見上げ続けていた。
いつものメイプルとは、やっぱり違う。
けれど、彼女の目に浮かんでいるのは、優しい光だった。
「どうしても、やめないんだね……」
『私は……我は……あの人に会うためなら、犠牲は厭わんッ!!!』
口調と雰囲気が魔王に戻ったリヴァイアサンの口に、光が集中する。
マズイ、もうちょっとなんだ、後三十秒、いや、少しでいい、ほんの少しでいいから、アイツを、メイプルを守らなくては……。
と、その時だった。
目の前に、何かが海に落ちてきた。
それはすぐに浮かんできて、それを見た瞬間俺は、迷いなくそれを掴んだ。
「ごめん、ごめんね……ハルキ……」
メイプルの声が聞こえる。
もう終わりだと、諦めている声。
あぁ、まだ気弱なまま、ではないな。
高潔な意思をどこか感じる。
それでも、涙声だったけど。
破壊光線がチャージ完了と共に、リヴァイアサンは目を見開いた。
『消えろ、サキュバスッッ!!!』
迫る光に、メイプルはフッと涙を流して、それでも儚く笑っていた。
「ごめんなさい、ユィーハお姉ちゃん」
かっこつけやがって。
「ぇ?」
メイプルの呆けた声が、後ろから聞こえた。
ギリギリセーフ、だな。
ベールに包まれた俺の腕と、支えられたエーテル・ランパートが、リヴァイアサンの一撃を防いでいた。
「じゃあ、せめて諦める口調、なんとかしようぜ」
そう言って、上級ポーションで回復した分も含め、今度こそ魔力が尽きて、俺は海へと落ちて行った。
晴樹、再起不能――――。