3-4 サキュバスとエロ漫画野郎と冒険者 狂気の特訓メニュー
周囲の景色が境界線のない絵の具のようにぼやぁっとなって過ぎ去っていく中、メイプルは喫茶店でアンニュイな時間を過ごしている学生よろしく、ふぅとため息をついて勝手に語り始めた。ただし、肘をついているのは俺の肩だ。
「あの子、人間が好きでね。好き過ぎるその想いが拗れた結果、今に至るのよ」
「端折りすぎた説明でもわかってしまう拗れ度だわ! それはいいとして、じゃあ何で俺の下半身見つめてたんだよ?!」
「人見知りなところがあってね。あんまり他人の顔を見れないのよ、あの子」
「なるほどな、紛らわしいわッ!!」
蓋を開けてみれば、なんだ、そういうことかと呆れてしまうものだった。でも、待て。じゃああの涎は一体……いや、考えるのはやめておこう。人見知りの妖精、それでいいじゃないか。もう二度と会うことはあるまいて。
「それにしても本当にこの魔法ってすげぇな……まるで特撮ヒーローにでもなったみたいだ」
「ふふっ、火事場の馬鹿力ってあるじゃない? 身体強化はそれを遥かに上回る力を得ることができるのよ」
「そう、これが全人類が強力な魔物と戦える手段と切り札の一つ。ただし、使用限界時間があまり長くない上に消耗もそれなりにあるから、連発して使えないことが欠点かな。効果時間は人によってまちまちだけれど、だいたい五分くらいで、最低限でも数分のインターバルを挟まないとダメよ」
エルナが横から解説を加えてくれる。
なるほど、いくら体を強化しても、負担がかかることに代わりはないということか。だが、ちょっと休憩を入れてまたパワーアップできるというのは結構お得かもしれない。
「ちなみに、俺たちが身体強化を使い始めてからどれくらい時間が経つ?」
「三分ってところよ。ハルキは初心者だし、そろそろ解除した方がいいかもしれないわね」
まぁ、当面の危機は去った訳だし、かなり走ってきた感がある。ここから歩いて行ってもいいのかもしれない。ちょっと疲れてきた気もするし。
敵(変態)の脅威が消え去り一安心したところで、楽しそうに鼻歌を奏でるメイプルへ尋ねる。
「ところでメイプル、そろそろ止めてほしんだが……いつまで俺は走り続けていればいいんだ?」
「とりあえず街が見えるまで~」
「えっ、街って、それっぽい場所ってかなり遠くに見えたんだが……」
「走っていればそのうち着くわよ。それに、この方が訓練にもなるし」
そう言って、メイプルはニコリと笑顔を作った。あれ、おかしいな。年相応の可愛らしい表情のはずなのに、嫌な予感しかしない。
「冒険者や戦闘職はこの魔法を繰り返し使うことで、魔物と渡り合える身体能力を徐々に会得していくのよ。そのおかげで、中堅以上の冒険者やベテランの軍人、傭兵なんかは魔法を使わずにある程度、人間離れたした動きができるらしいわ」
「マジでか」
「メイプル、ちなみにその情報も……」
「えぇ、サキエラちゃんの従姉からよ」
「アイツは本当にもぉ……」
爆走しながら拳をプルプル震わせているエルナ。
うーん、漫画の一場面みたいでやっぱりシュールだ。
「まぁそう言う訳でね。街に着くまで、アンタには基本的に走ってもらおうって思っているのよ。そうすれば、エルナくらいとまではいかなくても、必要最低限の体力と身体を手に入れることができるわ。多分!」
「多分て……ちなみに拒否権は……」
「ないわ」
「だよなー!」
叫んだ直後、体中の疲労感が瞬く間に消え去った。
「ん? どうなってるんだ?」
「晴樹君や、超回復って知ってる?」
「あぁ、まぁ一応……」
超回復。簡単に言えば、筋肉が負荷をかける以前よりも強くなることだ。そのためには普段よりも強い負荷を筋肉に与える必要があり、適切な栄養補給や休憩が欠かせない……とそこまで考えて、俺はメイプルの考えていることに気が付いた。
「え、おい、待て。まさか今のは……」
「そう、アンタに回復魔法をかけたのよ」
「やっぱり!! でもそれは超回復とは言わんぞ!! 回復魔法で普通は増強ってできないんじゃないのか?!」
「魔法ってね、いろいろできちゃうのよ」
「そんな理屈あるかぁっ!」
俺の悲鳴染みた声に、メイプルの表情が一転、ニタァと意地悪な笑みへと変わった。
隣でエルナが「え?」と小さく声を漏らして目を丸くしているし、やはりおかしなことなんだろうな。
「筋肉痛や疲労による悪影響は全部私がなんとかしてあげるから、安心して走れ若者よ!」
「お前が走らせてるんだろーが!」
「短時間かつお手軽で基礎身体能力アップできるんだから文句言わない!」
「どう考えても狂気の特訓メニューです、本当にありがとうございましたぁッ!!」
「……あの、メイプル?」
隣を爆走するエルナが、何やら訝しむ視線をメイプルに送っていた。
「今私にも回復魔法をかけた?」
「えぇ、かけたわよ」
まったく悪びれもせずにメイプルは頷いた。
「悪いけれど、晴樹のブートランニングに付き合ってもらえると助かるわ」
「えぇと、さっきから話は聞いてるけれど、ハルキの言う通り回復魔法で普通はそんな事できないし、身体強化で強くなっていくには地道に何年も使用しないとできないっていうのが常識……」
「エルナ」
エルナの言葉を遮るように、メイプルが俺の肩に乗っかったまま彼女の肩にそっと手を置いた。
「常識に囚われてはいけないのよ」
諭すように言っているが、丸め込もうとしている感が半端じゃない。エルナもメイプルの雰囲気や仕草に押されて当惑している始末だ。
「常識って、いや、でも、え?」
「安心しなさい。アンタには操作系魔法は使っていないから、やめようと思えばいつでもやめられるわ。その時は声をかけて頂戴ね」
「俺は?」
「私がストップって言うまでずっと走り続けなさい」
「テメェの血は何色だぁぁぁぁぁぁっ!!」
「ヘモグロビンの色をしているわ。そうだ、この特訓方法、赤い靴シ○テムって名付けようかしら」
「どーでもいいから止めてくれぇぇぇぇえぇぇぇぇッ!!」
早朝の街道に、俺の悲鳴が木霊した。