第二章 奇妙な戦場 4
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モーストンに教えられた農村は車で一時間弱。
リリビア南西から延びるハルジオ山脈、その東から突き出た山々が織り成す山地に、ソソロ村はあった。この近辺も既に斥候によって洗われており、敵勢力圏からは外されている。
だが万一のために、精鋭中の精鋭であるナルン・エッヂを連れてきた。イノシシでも熊でも、繁殖期のコカトリスだろうと怖くない。ありふれた農村へ鳴り物入りで踏み込んで、村長や村人から情報を集めて、さあこれから――という時だった。
「田舎の匂いがする……」
肥溜めから漂ってくるのは家畜のフンの臭いだ。咽るような不快な臭いにも拘らず、耕されている田畑から巻き上げられる土の匂いと相まって、嫌いじゃない。
なんだか落ち着く。河から引かれた水が水路でちょろちょろ音を立てる。くわが土を幾度と無く掘り返す音。遠くから聞こえる農夫たちの声。鶏の吃音みたいな鳴き声。これら全てが好きだった。
心の故郷と言ってもいい。農業は文明と文化の出発点と言っても過言ではない。
「田舎すきぃ……」
そんなことを考えながら、バンカーフラッペの後部座席で毛布に包まり横になっていた。
「大佐、大丈夫ですか?」「ぽんぽん痛くなってしまいましたかニャ?」ルイズとケメットが心配そうに覗き込んでいる。
「水が合わなかったの、水が」
いざ目的地に着いたは良いが、突如腹痛に見舞われてしまったのだ。
やる気に満ちていた道中から一転、体から力が抜け落ちてしまった。結局、害獣退治はバリーたちに任せることになり、燃える闘志は勇み足に終わった。
「シーパーはどこ……衛生兵……」
「シーパー伍長なら、さっき大佐が任務を遂行しろって追っ払ったじゃないですか」
「おじいちゃんみたいになってますニャ」
うわ言を漏らすようになった上官を見るに見兼ねて、ルイズは荷台を漁り始めた。
「ケメット、救急キットはどこにあるの。何かあるでしょ?」
「忘れてきましたニャ!」
「この馬鹿ネコ! 減俸処分よ!」
「ウチは大佐の従兵です! 中尉にその権限はありませんのニャ! ナハハハッ!」
「ケメット……夕食抜きニャ……」
「そんニャ!?」
女たちが馬鹿騒ぎをしている頃、男達は山の麓に広がる森の中を進んでいた。
ナルン・エッヂ小隊から選出した八人の討伐部隊は、等間隔を空けて縦隊を形成している。敵勢力圏外ではあったが油断は禁物だ。
とは言え、彼らにそれほどやる気は無かった。
戦争の目的とは何の関係も無い『狩』だからである。それに加えて言いだしっぺのシンクレアが直前に病欠したものだから、士気が落ち込んでしまうのも当然だった。
「にしても大佐も情けねぇよなあ。腹痛で棄権なんて俺達がやったらどんな罰が待ってるか。やっぱり軍人つっても女は女だ。大人しく家で男の帰りを待ってりゃ良いのさ。荒事は男の専売特許。なぁ、シーパー?」
「え、いや……どうなんでしょうね」
マックドックの呼びかけに答えを濁すシーパー。彼は妖精のホビット族で、身長はゴブリンに毛が生えた程度しか無いが、術技工兵と衛生兵を兼ねる事の出来る『多目技官』だった。
部隊に入って日の浅い彼が先輩を怒らせまいと言葉選びに難儀しているのを見て、助け舟が出された。同じく妖精のゴブリン族である通信兵のコリゴリンだ。
「でも曹長、あの話はしらないんですか? あの伝説」
「伝説? なんだいそりゃあ」
「ねぇ大尉! あの話してくださいよ! 大佐に口説かれたときの話」
「お前達な、ピクニックじゃないんだぞ」
浮つき始めた部隊を纏めようにも、大義が害獣退治ではどうにも締まらない。ため息をついている間にもコリゴリンは食い下がってくる。
「いいじゃないですか、どうせカウウィー州にはラブラス軍は居ませんって。俺たちが今なにをしてるか知ってます? 畑を荒らすイノシシ退治だ」
これにマックドックやシーパーまでもが食いついてい来る。
「違う、クマ退治だろ? あの村人たちが言ってたのは」
「クマって群れるんでしょうか?」
「何だっていいだろ! 俺たちには優秀なハンターがついてるんだ。なあ、オリバー」
これまで一言も発さずに黙々と歩き続けていたオリバーは、肩に掛けた弓を見せつけて素気無く言った。
「俺は動物は殺さない主義だ」
「じゃあその弓は何に使うつもりだよ」
「決まってるだろ。俺は元戦争の犬だぞ。戦場でしか狩はしないね」
「けっ、スカしちゃってよぉ。で、大佐に口説かれたっていうのはマジかよ?」
好奇心に駆られたのか、他の連中まで意識散漫となり纏まりが無くなり始めた。一旦小休止にして、地図で現在地を確認してから一〇休憩を言い渡した。
それでもみんなの視線が話をしろと訴え続けるものだから、渋々ながらも話を始める運びとなってしまった。
「大佐が元々情報部上がりなのは知ってるか?」
「情報部って陸軍のでしょうか?」シーパーはお行儀良く尋ねてきた。
「ああ、でも本当は別のところから出向してたんだ」
すぐにマックドックが「もったいぶるなよ」と急かしてくる。
「確かじゃないが、情報部の知り合いが前に大佐と一緒の部署だった。そいつが言うには、大元の所属は[王国の庭師]らしい」
みんなが「諜報員」という単語を頭に浮かべてどよめいた。
マックドックは「どうりで変人なわけだ」と本人が居ないのを良い事に本音を漏らす。
「変人なのに異論は無いが、腕も確かだし、体力も尋常じゃない。伝説ってのはこっちの話だな」
それほど昔の話ではない。
自分の人生にシンクレアが刻み込まれた日。
そして、世界の広さを思い知った日でもある。
「あれは俺が落下傘部隊に居たときの話だ。ビタリー紛争で、反政府軍と戦ってたときさ。降下作戦が始まる数時間前に、上官から大佐を紹介された。そこで新設する部隊に来いと言われたんだ。でも作戦を前に余計なことを考えたくなくて一度断ったんだ。そしてかく乱作戦で敵集団の後方に俺達は降ろされた。先に結果を言えば、作戦は失敗した。俺達の部隊は待ち伏せされていて壊滅しちまった。情報が漏れていたんだな。無線で救援を求めたんだが、制空権を抑えられた状況じゃ救援なんて無理な話さ」
すっかり話しに引き込まれていたマックドックは「それで、どうなった」と続きを促す。
「部隊で生き残ったのは俺とオリバー、その他に五人だけ。三〇〇人も居た落下傘部隊がものの二時間で七人になっちまった。もうだめだと思ったとき、かなり高い位置から何かが降ってきたんだ。黒い点が段々人の形になったかと思えば、低空で落下傘が開いた。大佐だった。目を疑ったね、幻覚かと思った」
「正気じゃない」
「ああ正気じゃない。でもそれは紛れも無い現実だった。そこで間抜けにも俺は訊いちまったのさ『大佐どの、救援が来るのですか?』ってな。そしたらなんて答えたと思う?」
口の片端を吊り上げたオリバーが「あたしが救援よ」と大佐の真似をして答えを明かす。
部隊の面々はどっと笑い声を上げた。
「今思い出しても笑えるよ。こっちは血塗れで故郷とお袋のことを考えてるってのに、戦場のど真ん中で小奇麗なスーツを着た女に引っ張りまわされて二日間も逃げ回ったんだ。結果はわかるだろ? 大佐はイカれてるかもしれないが、あの時は確かに守護天使だった」
頷きながらオリバーは同意し「ポールダンスも良かった」と付け加えた。
するとこの話を初めて聞いた男達が色めき立ち「そっちの話をしろ!」と野次が飛ぶ。
「まあとにかくだ、ここは金払いも良いし、部下も労ってくれる。戦場も用意してくれる。そして上官は頭のネジが飛んじまった美人のイノシシだ。体を張るには十分だろ? さあ行こう。弾の一発撃たなきゃ戦争を忘れそうだ」
各々が重い腰を上げていると、話を聞いて気分が高揚していたシーパーがみんなに問いかけてきた。
「この戦いは何に捧げるんです?」
オリバーはすぐに「イノシシのために」と答え、皆が同調してイノシシへ勝利を誓う。最後にマックドックだけが「ポールダンスのために」と嘯き皆から笑いを誘った。
ナルン・エッヂは首尾よく害獣の巣を探し当てた。
農家から奪ったと思われる家畜の死体が打ち捨てられてたことからも、まず間違いないと考えた。
現場は岩がちな山の裾野に面した森の開けた所で、動物の住処に適していそうな洞穴まである。周囲は草木が踏み慣らされ、緑がはげている箇所も散見できた。
その周辺でも動物の活動痕跡を見ることが出来きて、これは決まりだと彼らは当たりをつけた。
村人の話から害獣が夜行性であろうという判断と、更には早く通常任務に戻りたかった彼らはシンプルな解決を図った。
巣穴にしこたま銃弾を叩き込み、手榴弾を五つばかし放り込むことで目標達成としたのだ。
これで生きているような動物は居まい――その確信の元、任務完了の報告をしようと無線機に手を伸ばした矢先、巣穴から黒い塊が這い出してきたのである。
水滴のようにたゆたう黒い胴を持ち、一見して巨大なおたまじゃくしのような姿形をしている。
しかしぶよぶよ波打つ深淵の体から伸びる四肢は、あまりにも粗野で野生を醸す毛深いものであった。胴と一体化した顔のような面からは、二つの大目玉がカメレオンのように蠢き周りを見渡す。
そして次には、胴の先端が粘液の糸を引いて口のように開かれ、黒い瘴気と共に小型の獣が幾つも飛び出してきた。
「コード・ユース! コード・ユース! こちら狩人、目標は魔族! 繰り返す――目標は魔族だ!」
ナルン・エッヂは夢想だにしなかった敵との遭遇に取り乱し、蜘蛛の子を散らすように森の中へと逃げ込んでいた。水球の怪物から放たれたのは小型の魔獣で、犬のようでもあり熊くまのようでもある、そして見ようによってはイノシシにも見えた。
魔獣の群れは凄まじく俊敏に動き回り、生い茂る木立の樹間を駆け抜けていく。
こちらはろくに照準もつけられずに銃弾は虚しく空を切っていく。
「奴ら俺たちを狙ってやがるぞ!」
後退しながら短機関銃を乱れ撃ちにして怒鳴り散らすマックドック。その傍らにある枯れ木の幹に体を寄せつつ、コリゴリンが背負う無線機に呼びかけ続けた。
だが森の木々に邪魔されてノイズが酷く、まったく聞き取ることが出来ない。
「クソッ、役立たずめ! みんな離れるな! 喰われるぞ!」
名も知らぬ魔の眷属たちによる包囲の輪は徐々に完成しつつあり、このままでは移動も儘ならなくなる。
「何でだ! 弾が当たらねえぞ!」
喚きたてるマックドックのすぐ傍にオリバーが滑り込み、狙い定めて一発撃った。するとその弾丸が一瞬だけ魔獣の動きを止め、それを逃さず彼は半自動小銃で立て続けに発砲し、一匹を撃ち取ることに成功した。
「動物は殺らないんじゃなかったか?」
「そんなこと言ったか!?」
しかし群れを成す魔獣は依然として怯む様子は見せない。
悲鳴が上がり、仲間が一人噛み付かれて引き倒されていた。
「ぐわぁっ! くそ、クソ、誰か!」
肩口に噛み付かれたレイノールは魔獣にそのまま引き摺られていく。
「こん畜生め!」
真っ先に駆けつけたマックドックは、腰から抜いた折りたたみ式の円匙で魔獣の頭を殴りつけ、口を離したところで滅多打ちにしてみせた。直後に茂みの奥から草木が踏み倒される音が続き、樹木がへし折れる凄まじい破壊の物音がした。全員がそちらに意識を向けたその時には、あの醜悪な異形の怪物が両手で藪を掻き分けてこちらを覗き込んでいた。
「ひぃっ!」悲鳴を上げるシーパーにマックドックが咆える。
「シーパー! 魔術はお前の専門分野だろう! 何とかしろ!」
なりふり構わずという勢いでシーパーは手にしてた短い杖――術式杖を振り向けた。
杖の先端から圧縮されたマナの衝撃派が放たれたが、そのエネルギーは水のような体に吸収されてしまう。
「ダメです、魔術と魔族は相性が悪いんだ! 騎士団が要りますよ!」
何か打つ手を考える前に行動が先行し、一斉に銃火を浴びせかけるも、この得体の知れない魔物は怯むことなく歩みを進める。
まともにやりあっては敵わない。
「後退――」しかしこの命令は遅かった。
魔物の大口が開かれると、重低音の管楽器のような咆哮が発せられたのだ。
体を突き抜ける振動が空気を揺らし、木々の若葉が断ち切られて降り注ぐ。気がつけば体は指一本動かなくなっていた。他の隊員たちも同様の現象に見舞われているらしく、声すら上がらない。
魔術だ――。
胴を引き摺りながら手足を使って魔物はこちらに近づいて来た。コレがこの怪物の『狩』なのだろう。狩猟に来たかと思えば、狩られるのはこちらだったというオチだ。
人間をひと呑みに出来る大口が再び開かれる。もう終わりだ。戦争をしに来たのだから死が降りかかることに文句はない。しかし、このような最期は到底納得できるものではない。
魔物の糞になるなぞ真っ平ごめんだ!
全身全霊の力を込めて胸元の手榴弾を手に取る。死なば諸共――。
魔物の口内奥深くで何かが蠢いた。
〝それ〟は腕を伸ばしてこちらの腕を掴んできたのだ。
人のような形をしているが、重油を頭から被ったように黒くどろどろに溶けている。
全身が総毛立ち――眼前の光景はすぐに鮮やかな緑の森へと移り変わった。
代わりに目の前には、巨大な体に木漏れ日を落とす狼の雄姿。
魔物にも負けない巨体を持つ狼はハティに相違なく、その背に乗るのは疑うまでも無い――我らが狼連隊の頭目にして、イノシシ守護天使であった。
ハティの突進によって弾き飛ばされた魔物が態勢を立て直すより早く、シンクレアは地面に転がり込んで拳銃を抜き発砲する。
「ハティ! 咆えろ!」
この命令に従い、ハティはこの森を含めた山間の谷全域に遠吠えを轟かせた。
この魔狼の発した一声により拘束の呪いは断ち切られ、バリーたちの体に自由が戻った。
「大佐ァ!」
「あいつはあたしが殺る! 雑魚を片付けろ!」
有無言わさぬ命令に異論を挟むものは居ない。
体の表面を波立たせて体勢を起こそうとしているのは見たこともない怪物だ。多くの文献を頭に詰め込んでいるが、あのような形をした魔族に心当たりは無かった。それでも、充満する瘴気から魔の眷属であることは明らか。即座にハティを嗾ける。
風のような速さで地面を駆け抜けるハティは、勢いをそのまま再び魔物へと突進を敢行。
液状の体に喰らいつく。
バリーはナルン・エッヂの隊員を集合させ、シンクレアの周囲に集まった。
彼女に襲い掛かる魔獣の群れを退ける露払いを引き受ける。槍衾の如く銃を構えて、襲い掛かってくる魔獣の群れを討ち取っていく。
背後を彼らに任せて、ハティとの意思の強度を高める。
ハティを一個の使い魔、一個の武器としての色合いを強くし、より苛烈で果敢な闘争を要請した。
狼の使い魔は、生物の生存本能を排した特攻兵器と化し、他を顧みない狂気の色に支配されて黒い霞が沸き立つ。
魔物の胴から伸びた液状の触手が彼を締め付け、肉が抉れようとお構いなしだ。彼は牙を突き立て、顎を食いこませると、首ごと魔物の中へと埋没させてしまう。
二体の怪物は組合いもつれ合って、周辺の木々を凪ぎ倒しながら叩き付け合う。
「そういうこと――わかったわ、ハティ」
シンクレアはハティの意思を汲むかように得心した言葉を発した途端、彼が押さえつける魔物に駆け寄り、その口内へと自ら飛び込んでいった。
「大佐が食われちまったぞ!」
マックドックが悲鳴にも似た叫びを上げる中、シンクレアは暗闇の中に居た。
瘴気に満たされ、体が犯されていくのを感じながら、黒い光の奔流に飲み込まれるという知らない概念を知覚していた。息苦しさにもがいていると、誰かの手が頬に触れる。
そこには、人の形をした何かが存在していた。
無意識に銃を向けるが、その手を押さえて〝彼女〟は言った。
《たすけて――》
あなたは誰。あなたを救えというの?
《わたしはだめ。あの子をたすけて――》
あの子とは誰のこと?
《あのこは悪くない――》
待ちなさい。あなたは誰なの。どうして魔族の中から――。
《おねがい、たすけてあげて――》
短い問答からの訴え。
その後、〝彼女〟は銃を自らの頭に誘導した。
呼吸と精神面が限界に達し、意識が遠退く感覚に思わず引き金を引く。
その刹那、眩い閃光の中でお仕着せの半獣人が笑みを浮かべ、何かを告げる光景が頭の中に広がった。
次第に思考は白亜に溶けて、じきに何も見えなくなった。
シンクレアが魔物の体内に消えてから僅か数秒後、ぶよぶよとした液状の胴体は急速に膨れ上がり爆発四散してしまった。辺りにはもうもうと立ち込める水蒸気が漂っていた。
ナルン・エッヂに襲い掛かっていた小型の魔獣たちは、親玉が爆散するのとほぼ同時に事切れて、地面に体を投げ出していた。
霧のように立ち込めた蒸気が薄れていくと、浮かび上がった一つの影に色彩が取り戻されていく。
そこには粘液にまみれたシンクレアが、口を一文字に引き結んで佇んでいた。
そんな彼女を見た一同は、唖然とした様子で視線を送ってくる。
その好奇の視線に対する心地悪さと、顔にへばりついた粘液の気持ち悪さに、彼女は不機嫌なオーラを放ちながらバリーたちを睨みつけた。
「何見てんのよ」
シンクレアの頭から、二本の角が生えていたのだ。
それからしばらくして、ケメットとルイズが駆けつけてきた。
今すぐにでもシャワーを浴びたかったが、事態を把握することが先決である。
「大佐、悪魔みたいですニャ」
ケメットのこの発言は、自分の普段の言動やその他諸々の所業を形容したものでは決して無い。
そのはずだ。
単純に見た目の話である。この頭からは二本の角が突き立ち、背中には蝙蝠のような翼が生えて、臀部からは鞭のような尻尾が垂れているのだから。
「本当に大丈夫なんですか」再三に渡りこの状態を心配してくるのはバリーだった。まるで自分の落ち度である、と言いたげな責任感を発揮している。
取れる責任なら転嫁してやるが、これはどうにもならない現象だ。
「呪いを貰っただけよ。やっぱり魔族に呪い返しは効かないわね。それよりケメット、そこに転がってる魔獣の死体を撮っておきなさいよ。資料として提出することになるわ」
「はいニャ!」
ケメットは肩に掛けていたカメラの筐体を重そうに引き上げ、さっそく関係のないナルン・エッヂの分隊メンバーをカメラに収めた。叱り飛ばしてやりたいところだが、頭の角が懸念を訴えてくるように疼いてしょうがない。
「ルイズ、手を貸して。あたしの黄金比を崩す余分な部品があるでしょう。今から引っこ抜くの」
「えっ、大丈夫なんですか。それ痛いんじゃ? あと、ちょっと生理的に……」
「いいから、早く。このままだと人間界に不幸を撒き散らしたくなる」
悪魔の尻尾でルイズの尻を叩いて急かすと、彼女は渋々承諾し、おっかなびっくり翼を掴んだ。
「じゃあ、いきますね」
「はやくして」
彼女の手の感触が伝わってくる。
ルイズは思い切りこの黒い悪魔の翼を引っ張り――「痛い痛い痛い痛い痛い!」
「やっぱり痛いんじゃないですか!」
「いいかりやりなさい! バリー手伝って!」
森に悲鳴と泣き言を散々響かせ、処置が終る頃には目は真っ赤に腫れてしまった。
二人の協力もあって、どうにか自分の体に生えた余計な部位の除去には成功した。憑き物というか、呪いの所産は身体から離れると霧の如く散り散りになり消えてしまう。
血管が繋がって無くて本当に良かった。
気を取り直し、魔獣の簡単な検分を始めることにした。
「そもそもどうして、この島に魔族が居るわけ」
物言わぬ――言ったところで人語は絶望的であろう死体を前に疑問が衝いて出た。
腐食している口周りを木の枝で触診していると、バリーもしゃがみ込んで死体を仔細に観察し始める。
「わかりかねます。暗黒大陸から魔の軍勢が海を越えたとも考えにくい。この魔獣は……黒妖犬でしょうか?」
「いや、違う気がする。口の周りはそれに近い腐食を示している。発達した犬歯もそれと酷似しているけど、犬に蹄があるのはおかしい。これは――山羊? わからないわ、見たことがない。そっちに転がっているのはまた違う種に見える。統一感がまるで無い」
「大佐が倒したあの魔物は、干からびてしまって原型がわかりませんね」
「原型があっても、きっとわからなかった。あいつの口の中に居たのは呪いの塊だ。変質して概念化が進行していたからね」
それに〝彼女〟はいったい何者だったのだろう。
完全な魔族とも言い難い。
人を騙すのは悪魔の専売特許だが、〝彼女〟は自ら死を選んだように見受けられる。
『あの子をたすけて』『あの子はわるくない』これを訴える為だけに、自分が存在することを許容していた節が無いだろうか。閃光の中に溶けて消えた半獣人の女性は、彼女の本当の姿なのか。
魔の眷属だけに、おいそれと信じることも出来なかった。
現場検証を重ねてみるも、結局ところの真相はわからずじまいだ。
ただ一つ、この島は何かがおかしいという、異常が浮き彫りになり、それを再確認したに過ぎない。




