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第二章 奇妙な戦場 2

 当初から戦略的要点として抑えておきたいと考えていたのが、カウウィー州北部にある町シオーリン。

 ラブラス原住民の言葉で『川』を意味するこの町には、その名の通り幾筋もの河が流れ込んでいる。

 こうした場所柄、町には多くの橋が点在しており、橋の許容重量に気を配る必要があった。

 既に斥候からの情報で、戦車の重量には耐えられないだろうとの報告を受けている。その為、上流にあるキークスリン川の浅瀬を渡河点に設定し、戦車をそこから向こう岸へ渡すことにした。

 部隊を分散し、町の占領作戦と渡河作戦を同時に進行する。

 とは言ったものの、果たして敵も抵抗勢力が確認出来ない状態で『作戦』と銘打つ意味があったかは分からない。

「おかしい。誘われている。間違いなく。勘違いとか神経症の類じゃない。これは罠よシンクレア。気を許しちゃダメ。きっとみんな便衣兵なんだわ。なんて卑劣な――」

「大佐ブツブツうるさいニャ」

 シンクレアはあまりにも事が簡単に運んでしまい、逆に不安に陥っていた。

 報せに一々下手な勘繰りを入れ、現地の住民達がいつ銃を手にするのかと疑心暗鬼になり、恐慌状態になっていた。しかしそれも長くは続かず、市民達の生活風景に浸ることで落ち着きを取り戻した。

 町の中央を流れる川はトリスリン川で、その他上流から流れ込む支流が町を網の目のように走っている。建ち並ぶ民家のすぐ隣を河が流れ、係留されている多くの小船は町の流通の要として人や物を運んでいた。

 真上に昇った太陽に水面は照り輝き、湿った空気は少し生臭い。

 それでも美しい町だった。水の都とでもいうのだろう。

 そんな美しいシオーリンに白昼堂々現れた軍隊に対し、市民達は怯えているかというと、そんなことはなかった。物珍しげに輸送車両や軽四駆に興味を示し、兵士と気軽に談笑したり、腕っ節なら軍人にも負けないようなご婦人方も、鳩首会談のネタにして笑い声を響かせる。物陰に隠れた子供達は手で銃を作ると「バァンバァン」と侵略者と戦っていた。

 そしてこの雰囲気に当てられた兵士たちは物見遊山の気分で浮つき始めるのだ。

 アルビオン軍は珍客として見られているようで、さしたる反発は今のところ起きていなかった。

 皆普段どおりのような生活を送り、家事や仕事におしゃべりにと精を出している。

 取り敢えず、今はこれで良しとした。

 町に到着して、かれこれ一時間ほどが過ぎていく。

 この町の代表者との交渉を行う為に、人を出して探しに行かせたのだが、車上で待ちぼうけを食らっている次第である。

「はぁ、役場がないなんて信じらんない。交渉相手を探すのも一苦労だわ」

「このシオーリンという町は、町長を選挙ではなく名士に一任しているようですニャ」

 没収した筈のパンフレットを読み込みながらケメットは補足した。

 すっかり民生品に頼り切っている情けなさは一入だが、使える物は何でも使うの勝利への秘訣か。

「ずいぶんと田舎まで来たものね。それより町長とやらはまだなの? あと五分で来ないと略奪を始めるわ。いーち、にー、さーん」

「それで数えるのは大変だと思いますニャ」

 程なくして、前方の通りから車が接近してきた。

 運転席に居るのはショートヘアに眼鏡の女性軍人。ルイズだ。後部座席には見るからにこの町一番の年長者と思しき老人を乗せていた。

「おそーい! たかだか町長を探すのに何時間掛けるつもりだ! 冬になるわ!」

「まだ四五分しか経っていません!」とルイズは涙目になりながら抗弁した。

「言い訳は聞かない。時間は血よりも貴重なのよ! あなたの所為でこの町が略奪されるところだったの。で、そちらがこの町の代表者?」

 よぼよぼの杖を突いた老人は、ルイズに支えられながら車から降りてきた。

「いえ、こちらは先代の町長さんでして、町一番の年長者ではあるんですが、今の町長はこの町を離れているそうです。時間が掛ったのはこのお爺さん、腰が悪いらしくて――」

「それならあたしが出向くわよ! 年寄りに無茶させないの!」

「すみません!」

 二転三転するシンクレアの強弁に振り回されたルイズは畏縮して縮こまる。

 彼女は今回が初めての戦争だった。参謀本部での中央勤務を志望しているのだが、平時の部隊勤務経験だけではそれは叶わず、従軍経験を積むために配属されたのだ。

「で――、前町長さん? お話よろしいかしら」

 老人は長くて重そうな白い眉を片方持ち上げて、奥から鋭い眼光を覗かせた。

「いかにも。わしが一つ前の町長モーストンである。他国の軍人さんが、この町に何用かな」

 見た目とは裏腹に、彼の眼にはまだ力強さが宿っており、相貌からは聡明さが窺え、頭も切れそうだ。これならば話は早い――そう思ったのも束の間、老人の足はプルプルと震えており、とても話ができる状態とはいえない。

「とりあえず座って話ができる場所に移りましょう。おじいちゃん」

「ふぉっふぉ。いまどき珍しく気遣いのできる娘っこじゃな。ばあさんの若い頃にそっくりじゃよ」


 落ち着いて話ができそうな場所、と言うことでモーストン老人を連れて向かった先は、彼の家である。結局とって返す手間を取らせたことを謝罪し、そこで話をつけることになった。

 しかし、またもやシンクレアは頭を抱えるはめになってしまう。

 モーストンや彼の息子や孫達、そして彼を慕う町民たちが集まる中で、戦争の話を切り出したところ――誰一人としてそのような話は聞いていないというのだ。

 まさか敵国人に対して「あなたの国はわが国に宣戦布告し、我々は侵攻しているのです」などと説明しなければならない摩訶不思議な事態に陥っていた。

 先刻の農夫は兎も角として、シオーリンのような大きな町でも知られていないとなると、本当に宣戦布告があったのか怪しくなってきた。ただ、領事館との連絡途絶、ラブラス政府との音信不通、特使の失踪――これらが不気味な影を落としている。

 情勢の調査も含めて侵攻作戦の任を負っているため、引き返すこともできない。

 何も無いのに何かが起きている。それだけは確かだ。

「そう言うことだから、町に前線司令部を設置したいの。あたし達はすぐに出て行くけど、いくつかの部隊の駐留と、物資の集積をさせてもらえないかしら?」

「ふむ」モーストンは豊かな顎鬚を揉んで、話の内容を吟味するように思案している。

 最悪は接収という手もあるが、これは民間人の反発を招き易い。そうなれば彼らの協力を得られないばかりか、敵方の間諜に成り変ることすらあるのだ。

 情報機関の出身としては、この手の懐柔工作の重要性を嫌と言うほど知っているので、できれば穏便に済ませたかった。

「構わんよ、娘っこ」

「ほんとうに?」

「ああ。じゃが、条件がある。町の者達に危害を加えたり、無理やり徴用せんこと。徴発の際には正規の軍票を切ること。物資の集積地はこちらが場所を指定する」

「ええ、問題ないわ。うちの軍隊は優良企業だから安心して」

 滞りなく進みそうで安心した。

 しかしさすがは長老というだけだって人生経験豊富なようだ。占領政策に関するあれこれを的確に要求するあたり、前にも占領された経験があるのかもしれない。

「それからもう一つ――」

「まだ何かあるの?」

「この町に流れる河の上流。キークスリン川というんじゃが、その堰堤にガタが来ておってな。おまけにここ数日雨が続いたせいで水量が増しておるんじゃよ」

 はたと老人の意図に気がついた。他国の軍隊を相手どり、この老骨は大した肝っ玉をぶら下げているらしい。

「あたしたちを顎で使おうって腹?」

 問題は起こしたく無いが、舐められるのもまた問題だ。主導権はこちらが握らなければならない。

 脅し文句の一つもいれてやろう、そう思った途端、モーストンは好好爺然とした相好になった。

「いやなに、お前さんらのお仲間がキークスリン川を渡っておるじゃろ? あれは一番浅い箇所で一リーム近くもあるんじゃよ。腰が埋まってしまう難儀な川でなぁ……。はてさて、もしもこの先、お前さんらが退路を求めたとき、増援を要するとき、物資を輸送するとき、あの堰堤が崩れ川が氾濫でもしたら、目も当てられんのぅ――ふぉっふぉっふぉ」

 思わず乾いた唇を湿らせ、口を引き結んだ。

 第一印象の風が吹けば飛びそうな骨皮老人は、そこには居なかった。目の前で静かにこちらを品定めしている老人は、政界に潜む魔物のような風格を帯びていた。なんて狸爺だろう。

 その時、背後からケメットがそっと耳打ちしてきた。

「大佐、まさかと思いますが、この御仁――ラブラス出身でありながらガリア王国の外人部隊を率いて名を馳せた『ハーゼル・モーストン将軍』ではありませんかニャ」

「どこ情報よそれ」「パンフレットに書いてありましたニャ」パシンッ! とケメットの頭を叩く。

「痛いですニャー!」

 様々な憤りを押さえつけるために荒々しく鼻息を出して唸った。

「〝撤退戦無敗〟〝敵国から勲章を授与される男〟――『殿(しんがり)モーストン』まさかこんな所で教科書の人物に会えるなんて思わなかったわ」

「時の流れは残酷じゃ。しかし、愉快な出会いはその賜物じゃな」

「上流に工兵を送ります。それでよろしいかしら? 元将軍前町長殿」

「よいよい、見込みがあるな娘っこ。長い物には巻かれておけよ。世の中それで上手く収るものさね。どれ、もて成しといこう」

 満足げに笑うモーストンが手を打ち鳴らすと、町娘たちが料理を運んできた。

差し出された料理の中には円筒状に巻かれた奇妙な物がある。釣竿の柄にも似たそれを包み紙ごと手にとって訝しんでいると、「マイルキッパーだニャ!」ケメットが声を上げた。

 ああこれが、と思い匂いを嗅いでみたが良くわからない。

そこで目を輝かせて傍迷惑にもよだれを垂らすことを憚らないケメットに差し出してみたところ、待て状態の犬が見せる超反応でバクリと半分以上も大口の中に消えてしまった。

もっしゃもっしゃ、野菜を咀嚼し肉汁に舌鼓を打ちながら「うにゃむんに、なー!」と言う。

「食べてから話しなさい」と注意すると、大きく喉を動かして嚥下する。

そして声高に叫んだのだ。

「うまいニャ――ッ!」



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