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第二章 奇妙な戦場 1

第二章 奇妙な戦場


 ラブラス上陸から二日目の朝。

 冷たい空気を楽しみながら、霧が立ち込めるレッドシール基地の外を散策していた。

 緑豊かな山沿いの場所で、周辺には乱立する森林がいくつもあった。それらの合間に丘がせり出し、固められただけの道路が延びているが、霧の所為で先は見通すことは出来なかった。

 早起きな小鳥達の囀りを聞きながらしゃがみ込み、冷たくなった手を息で温めた。冷えて強張る手を揉み解し、地面に石ころで術式陣を描き出す。中心に自分の名前を刻み終えたところで、その上に手を置いた。

 周辺を満たすマナの粒子が翡翠の輝きを放ち、手元からはパウダーパフを叩いた時のようにマナの粒子が噴出した。これで精霊契約は完了だ。

 現状マナを自由に扱えるのは一割程度。

 これから後ひと月すれば土地精霊の制限から解放されるが、目的地のトマーウェルに行くにはリリビア州へ渡る必要がある。その時点で再び契約の儀式をしなければ魔術を使う事すら出来ない。

 マナを支配する精霊が異なるためだ。

 これはラブラスの特異な精霊圏による制約の所為だが、敵方の魔術師も同様の束縛がある。

「案外、タフな戦いになるかも」

 しかしやりようはある。

 ハティを喚び出して侍らせると、毛並みから魔術の具合を確かめた。ついにでにノミがついてはいないかと手櫛でブラッシングをしてやった。

 この使い魔は主人に奉仕させてご満悦のようで、箒のように大きな尻尾で風を起こしている。

 そこへ、丘の方から二台の車がやってきた。

 手を上げて車を道の端に誘導し、自分の前で止めさせる。

 車に乗っていたのは偵察中隊に同行していたナルン・エッヂの分隊で、比較的に良く行動を供にしては、火事場泥棒に巻き込んでいる面々だ。

「おはようございます大佐」

「おはよう、バリー大尉。ラブラスを楽しんでいるかしら」

「お陰様で。戦争でなければ、この先の湖で釣りでもしながらのんびりしたいものです。やあハティ。食い物は無いよ」

 爽やかな朝の挨拶を交わしている彼らに緊張の様子は無い。

 連隊のマスコットでもあるハティは見知った面子と認めて、巨体を車に摺り寄らせていた。

 助手席で眠りこけているマックドックは、後部座席に座るオリバーに頭を叩かれ起こされている。

「おっさん、大佐だよ起きなって」

 鼻を鳴らしたドワーフは目を瞬かせているとハティに顔を舐められた。

「あ、ああ、大佐。おはようございます。随分と毛深くなられて……」

 彼らのやり取りに呆れつつも、この様子では接敵はまだ先になりそうだ。

「万事順調のようね」

「ええ、敵影はありません。現在、中隊の術技工兵(インカンター)が軟地舗装作業を行っています」

「地雷や術式陣の罠は」

「道なりに進む限り問題はありませんでした」

「よろしい」

 滞り無く作戦が進んでいる事に満足して頷くと、基地の正門の方からエンジン音が近づく。

 次第に金属の擦れ合う音や地面を踏みしめる騒音が伴い、重々しい走行音として認識されると、霧におぼろげな巨体が浮かび上がった。

 霧の紗を潜って現われたのは鋼鉄の怪物――『ジーター支援戦車』だ。

 機械仕掛けの獣は、アステルス製のガソリンエンジンを浪々と響かせてから停車した。

 砲塔にあるキューポラから上半身を出しているのは、左目のアイパッチがトレードマークの戦車指揮官アング・レヒト中佐である。

「大佐! おはようございます!」

「中佐、朝食は済んだの? 朝はちゃんと食べなきゃ駄目よ」

「お袋と同じ事を仰るのですな! 心配無用です。手の平ほどのステーキを四枚と、トースト三枚に生卵を五つ詰め込みましたよ!」

「胃がもたれそう」

「なはははッ! 大佐は現代っ子ですな。食えるときに食っとくものです。それでは、一番槍は頂きますぞ」

「一一〇〇時までに三三一高地を確保。あたしが着くまでに、周辺の掃除をしておくこと」

「了解。ご要望とあらばレストランも拵えてみせましょう! では!」

 レヒトは車内マイクで指示を出して戦車を前進させた。それに続いて第一戦闘大隊の車列が続き、轟然と朝の静けさを粉砕して進撃が開始されたのだった。


 まず始めに、状況を把握することこそ勝利への第一歩となる。

 地理を見定め、戦略的に有用な地点を目標としつつ、敵の思惑に思いを馳せる。

 『戦争は恋のような物』だと、アルビオンの哲学者は言っていた。

 猪突猛進にひた走ることもあれば、策を弄して手練手管を仕掛けることもある。

 押しては引いて、引いては押して綻びが生まれたならそこを突く。

 最後には相手の心臓を射貫くのだ。

 もちろん作戦通りに事が運ぶなどあり得ない。振られたり袖にされる事だってままあろう。

 思いが伝わらずやきもきしたり、理想的に振る舞うことすら覚束無い場合だってある。

 傷付かない|恋(戦争)は無いのだと、その恋愛脳を首に据えるいい年をした哲学者は言う。と言うわけで、戦争は意中の相手が居なければ始まらず、姿が無ければこちらから出向くしかない。

 砲弾や斥候で地道にアプローチしてを感触を確かめる。パーティの招待状を携えて。

 しかし、どうにも……。

「敵が居ないわ」

 小川の渡河作業をする車列を眺めながら腑抜けた声で言った。

 自作した羊皮紙の〈作戦行動図〉に目を落とす。図上にはインクで描かれたラブラスの地図がある。

 一見して変哲もないお手製の地図に見えるが、かなり上等な魔導具なのだ。

 持ち主の意思で拡大縮小が可能な上、味方の配置も大小の狼を模したアイコンで示される。部隊間の意思疎通を図ることが重要な軍隊において、とても重宝される代物だった。

 しかし現状自分以外に作れる人間は居らず、大判の物を用意するには手間とコストが嵩む。

 特許も出願し、いつでも大儲けする準備は出来ていたが、何万枚と作る根性を持ち合わせてはいない。

 第七独立連隊所属の大隊に一枚づつ持たせてやるのが精一杯だった。

 図上の動きは緩慢で、敵勢力のタグ付けも行なわれていない。

「まだ始まったばかりです」

 変化の見られない作戦図を後部座席から覗き込んでいたのは、砲兵大隊のレレント少佐だ。

 彼は恰幅のいい体格に似つかわしく落ち着き払っていた。

「当初からの報告もありますし、カウウィー州にはレッドシール基地があります。精霊圏を考慮して、敵はリリビアで待ち構えているのでしょう。焦る必要は有りません」

「それにしたって地雷くらい設置できそうなものじゃない。わけが分からないわ」

 真面目な話をしていると、本物の猫よろしく人の関心を買いたがるケメットが口を挟む。

「大佐、そろそろお昼です。海鮮粥が食べたくなってきましたニャ」

「マイルキッパーはどうしたのよ……それにあなた猫舌でしょ。どうせまた火傷して泣くに決まってるんだから――って、それより何なのよこの渋滞は! 小川を越えるのに何時間掛けるつもりだ! 夏が来るぞ!」

 立ち上がって吠えてみるが一向に動く気配は無い。

 輸送車両に乗っている兵士たちまで身を乗り出して先の方を眺めていた。

「先頭の方で何かあったのでしょう」

「ケメット! 前に出しなさい。ケツをひっぱたいてやる」

「はいニャ!」

 ただちにケメットはハンドルを操作して道路から野原に乗り出した。地面の凹凸に激しく揺さぶられながら、兵員輸送車両の列を次々追い越す。小川の向こう側は林になっており、木漏れ日の降る細い林道が奥へと続いていた。

 渋滞の原因は先頭車の手前で道を塞いでいる荷馬車にあるようで、兵士達が集まり口論になっているようだ。

 そこは道が狭い上に、林の木々は非常に密度が濃い。道路を外れて進むことは困難だ。

 石橋の手前で車両を止めさせ、人集りになっている場所まで歩いてい向かった。

「あたしの前進を阻むなんていい度胸ね」

 連隊長が唐突に現れたことで兵士達は驚き、たじろぎながら背筋を正すと一人が弁解するように説明を始めた。

「この荷馬車が立ち往生していまして……。荷馬がなぜか前に進まず、押しても引いてもこの場を動こうとしないんです」

「これはとんだご迷惑を。おもさげねがんす」と言うのは麦藁帽子を被った農夫である。

 こんな事で時間を浪費する苛立ちが先行し、投げやり気味に手を振った。

「何でもいいから早くして。予定より遅れてる」

「では、馬を殺して荷台を脇に押し除けましょうか」

「ええ、そうね……」

 まったく傍迷惑な駄馬である。

 お前の所為でどれだけの人間が迷惑を被っているのか、その身をもって味わうがいい。

 胸中を取り巻くその身勝手な調子でシンクレアは馬を見やった。だがそれがいけなかった。

 その畜生は大きな曇りの無い眼で見つめてくる。物言わぬ動物故にその威力は絶大で、潤んだ瞳から発せられる言外の訴えに――それが何であるかは別にして、彼女はあっという間に絆されてしまった。

 逆立つ眉は八の字となり、気勢は春風に吹き流される。

「て……」

「はい? 『て』? 何でしょう、大佐」

「――手伝ってあげれば良いでしょッ!」

 鶴の一声が引き出され、馬は馬車から切り離されて命を繋ぎとめた。

 道の真ん中に残された荷車に関しては、林道を抜けるまで兵士達が必死に押し出すことになったのである。


 林を抜けると行軍が再開された。

 微動だにしなかった荷馬も、重荷が外されたからなのか、渋々ながら林から連れ出すことができた。

 脇に除けられた荷馬車の前で農夫が礼を口にしている。

「どこのどなたか存じませんが、ほんに助かりました」

 差し出された手に応えて握手に応じつつ、農夫の発言に違和感を覚えた。

「ねぇ、おじさま。あたしたちがどこの国の軍隊かわかってる?」

 尋ねられた事柄に彼は呆けて、何も知らないかのように「はて?」と呟く。

「あたしたちはアルビオンから来たのよ。ラブラスから宣戦布告されたの。おたくの国から戦争をしかけられたのよ」

「はんれまぁ! そりゃ大事だ。帰ってかあちゃんに知らせねばなぁ」

 なんとも要領の得ない問答に、こちらまで混乱してしまいそうだ。連絡網が未発達なのか、伝達手段が乏しく末端の国民にまで政府の宣言が伝わっていないのか。あるいはその両方か。

「まあいいわ。ラブラスの軍隊を最近この辺りで見なかった?」

「へぇ、それはとんと見ておりませんでしたなぁ」

 農夫に別れを告げて唸りながら車に戻ると、話を聞いていたレレントも怪訝そうにしていた。

「ますます奇妙な戦争になってまいりましたな」

「侵攻ルートは向うも承知のはずよ。やっぱり何もしていないのは不可解よ」

「あの農夫、マイルキッパーは持っていませんでしたかニャ」

 この空気を読まない獣による発言が頭に来てパンフレットを引っ手繰る。それを素早く丸めると彼女の頭を叩いてやる。

「いたいですニャ!」頭を抱えてうずくまるケメットを無視して続ける。

「ともかく、今はまだ情報が足りない。まずは最初の町を占領するわ。敵が居ないからって気を抜いちゃだめよ。伏兵を想定して動きましょう」

 抜かりなく、とレレントは緊張感を絶やさず承知する。

「では、やはり大砲は必要ですな。部隊は後方に陣を張らせましょう。私も自分の目で地形を視てまいりますが、早々に『戦場の女神』をご要望でしたら、いつでも花を届けに参上いたします。その時は声を掛けてくださいね。では大佐、また後ほど」

 レレントは言い置くと自分の車に乗り換えて先に進んでいった。

 見た目は物腰の柔らかいどこにでも居そうなビール太りの中年だが、あれはあれで、大砲に心酔し切っている爆音中毒者だ。導火線に火をつける機会を淡々と探し求める熱量は、隊の中でも随一かもしれない。頼もしいことに変わりないが。

「しっかし、ここまで静かだとやっぱり不気味ね」

「楽して戦功を得られるならば、めっけものではないですかニャ」

「タダより高いものは無いの。行きましょう、もうすぐ昼よ。飯にありつきたかったら働きなさい」

「はいニャ!」





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