第一章 シンクレア戦記 2
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ロンデニオンの中心『大ロンデニオン特別区』に、国防省の下位組織である陸軍庁の建物がある。
その五階の待合室には、シンクレアとケメットの姿があった。
彼女達はそこから窓の外で行われている催しを眺めながら時間を潰していた。
この庁舎は目抜き通りに面しており、大通りでは華やかな軍装を身に纏った軍隊による行進が行われている。一見して凱旋パレードのようだが、実際は違った。
「すごいです! 出店まであってお祭りみたいですニャ!」
窓にへばりつき興奮した様子ではしゃぐケメットは、落ち着き無く尻尾を揺らす。
「そうね」気の無い返事をしていると、行進を見物している市民の歓声がひと際大きくなった。
視線を動かせば、二頭立ての馬車が前進してくるのに気づく。
白馬に牽かれる天蓋が取り払われた豪奢な馬車。そこには一人の男が立っていた。
賢天の魔術師エンドルフ・マイヤーだ。
彼は純白の儀礼用軍装を纏い、胸には数々の光輝く勲章が散りばめられている。
この歓声、とりわけ女どもの黄色い声は車上の優男へ向けられているのだ。エンドルフはさながら王太子のように振る舞い、彼女らに手を上げて応えていた。
この軍隊は彼の私兵――シンクレアと同じく、賢天に与えられた戦力であり「地位」と「力」の象徴。
賢天には「地位」「名誉」「力」が与えられるが、その代償に様々な義務が課せられる。
その一つが植民地への駐留である。
隔年ごとに任地を移し、その度本土に呼び戻される。酷く手間に思えるが、その理由は、本国においても任地においても有力な地盤を作らせない為である。賢天の魔術師とは総じて強力な『カテゴリー5』の大魔術――『賢天の秘奥』の保持者であり、敵味方双方にとって危険な存在だ。だからこそ、飴と鞭で手綱を握り手懐ける必要がある。
この定期的な任地の変更は、大昔のセレス地方にあった国の制度を模しており、『サンキーン』と呼ばれていた。
「はぁ、やっぱりマイヤーはハンサムなだけあって、凄い人気ですニャ。ウチも斯様な魔術師に仕えてちやほやして貰いたいものです」
うっとりしてそんなことを嘯くケメットを思わず二度見してしまった。
おかしい、賢天はここにも居る。お前の最愛のマスターは隣に居るぞ。
これになんとなく腹が立ったので、「でも彼早漏よ」とあの煌びやかな魔術師を貶める言葉を吐いた。
「ニャッ!? 天は……二物を与えず……」
「しかし、一物を与えたもうた」
やや間を空けて、女達はゲラゲラと下品な嘲笑で空間を埋めていく。
先に我に返ったケメットが「お待ちくださいなぜそのことを?」と素でたずねてくるが、優先順位はこちらではない。ノックと共に、陸軍の黒い制服を着た士官が入室してきた。
「将軍がお呼びです」
シンクレアは小さな会議室に居た。
対面の席には、中央即応軍司令官コモス・トロン大将と、その麾下にある特殊戦闘群の群長カトー准将の二名が座っていた。両者共にシンクレアの上官に当たる将官だ。
軍属にある賢天の大半が特殊戦闘群に属している為、直属の上官はカトーということになる。
「ああ、シンクレア君、またそんな格好で、その……制服は……」
開口一番弱弱しい声で尋ねてくるカトーは、その広すぎる額に浮かんだ汗をハンカチで拭う。
禿げ散らかした頭は脂ぎっており、太い額縁メガネを掛けていた。威厳と言うよりも哀愁を漂わせる風貌の男で、軍人より会社員の方がお似合いの人物だ。
そんな彼の指摘を涼しい顔で受け流して、早速本題に入る。
「今日はどういったお話でしょう? 閣下」
わざわざ休日の映画館にまで使いを寄越してきたのだ。それなりの事情があるはず。
でなければ群長カトーのだらしない毛根を根絶してやるところだ。
ところがやはり、大事が起こったことは明白であるらしい。
「これはまだ公になっていない情報だ」神妙な顔つきでトロンは口を開く。
「我国は、ラブラス共和国から宣戦布告された」
大儀そうに言うから何かと思えばそんな事である。
途端に肩の力が抜けて、足を投げ出してしまいたい欲求に駆られるが、流石に大将を前にそれはできない。老人に合わせてやり「まあ」と、わざとらしく驚いて口に手をやった。
「それはまた忙しくなりますね。では、あたしはこれで失礼します」
ご機嫌よう。
まったく他人事のように振る舞い早々と席を立つと、「まままま待ちたまえよシンクレア君、話はまだ終わっていない」カトーが追い縋って引き止めてくるので、難儀しながら再び席に着いた。
正直なところ心底どうでもいい話だ。
戦争なんて年がら年中引き起こしては潰しているのがアルビオン王国という国の在り方だ。
超大国として、覇権国家として、その武を示し続けることで世界の盟主たらんとするのがアルビオンの国是。ラブラスなどという小国は鎧袖一触で屠ればよろしい。
ただ――喧嘩屋が喧嘩を売られた事だけは確かに珍しかった。
「わたしに何か関係あるんですか?」
まあ聞きなさい、とトロンは続けた。
「事が明らかになったのは、ラブラス駐留軍のレッドシール基地から送られた救援要請だ。ラブラスにある領事館より、戦線を布告されたとの一報が入り、直ちにアルビオンに伝えられた。これが一週間前のこと。ラブラスは元々アルビオン移民からなる。我国とは歴史的に見ても親交の深い友好国の一つだったのだ」
「それがなぜ宣戦布告されるんです?」
うちの首相がラブラス大統領の目の前で、大統領夫人でも寝取ったのだろうか。
中々の燃える趣向と気概である。
「それが分からんのだよ」
違うようだ。
「政治的にも安定しているはずだった。だが突然、何の前触れもなくこれが起きた。何かの間違いではないかとレッドシールを問質せば、今度は領事館とも連絡がつかなくなった。それどころか、ラブラス政府とも連絡が取れずにいる。かの国の大使館も同様に本国と連絡がとれず困惑している。レッドシールから特使を出したがこれとも連絡が途絶した。わずか百人ばかりの基地だ。不測の事態に備え待機を命じたが、未だに無事。攻撃すら受けておらん。――君の好きそうな話じゃないかね?」
トロンは片眉を上げて尋ねてきた。
確かに奇妙な話だ。戦争を起こされたものの、その張本人が消えてしまい、近づいた者達まで姿を暗ました。まるでミステリーだ。しかし、
「つまりわたしに行けとおっしゃるんです?」
「端的に言えばそうだ」
「お言葉ですが、自分は賢天の魔術師です。件の小国に切るカードとして、自分で言うのもなんですが、やりすぎでは?」
地位に胡坐を掻き、驕り高ぶる態度で答えた。
自分は安い女じゃない。ダンスをするなら安酒を出すパブで飲んだくれの相手をするより、格式高い舞踏会で高貴な殿方と一曲一夜を共にしたいと思うのは当然ではないか。
「そうは思わん。レッドシールには翼竜も居ないため事態の全容把握は困難だ。不確定要素の多い戦場に格下の部隊を投入して徒に戦力を消耗するのは避けたい」
「我部隊ならば損害を被っても構わないと?」
「君ならば出来るという評価だよ、シンクレア。それにこの戦争は、君に必要だ」
「必要な戦争?」
なんだそれは。
聞きなれない言葉遣いに困惑しているとカトーが継いだ。
「シンクレア君、王立会計検査局が君の周りを嗅ぎ回っている」
「会計検査?」
「誤解を恐れずに言えば、彼らは君の横領を疑っている」
寝耳に水である。
水面下でそんなことが起きていようとは露知らず、暢気に映画待機している場合じゃなかった。
息が詰まりそうなほどに胸が苦しい。
気を抜けば過呼吸を起こして体裁すら保っていられないだろう。もしかして恋? 馬鹿を言うな。
似た感覚はあるが、そんな甘い芳香は皆無で、代わりに饐えた臭いが漂ってきそうなほど背汗が酷い。
これはあれだ、子供の頃に何か嬉しい事があってはしゃいでしまい、言いつけを守らずに洗濯物を振り回しながらソファーで飛び跳ね興奮していたときだ。
母が大事にしていた磁器製の花束を母の派手なブラジャーで巻き込み、投石紐の要領で窓の外に放り投げた、そのとき以来の感覚だ。
隣家のハドスン夫人の悲鳴が上がり、母の忙しない足音が二階から迫ってくるのである。
あの時は生きた心地がしなかったし、今と同じく震え上がりながら嘘八百を並べ立てるために頭を働かせていた。結果はどうだっただろう。ゲンコツを喰らったせいで良く覚えていない。
「もちろん、名誉ある立場である君にそのような問題があるとは千に一つも――いや、万に一つも、いやいや億に一つも思ってはおらんよ。これは恐らく、君の戦車を始めとした新世主義に傾倒した思想を快く思わない評議会と、政府内の神秘主義派閥による警告だ」
「なぜわたしが目の仇にされるんです!」
「君が新世主義国……アステルスから買い付けた無線機や戦車の技術を盗用した挙句、勝手に生産ラインを立ち上げ外交問題に発展している。これは理由に当たらないかね」
「当たりません」「当たるんだ」
即答だ。
「これが無くとも、神秘主義を軽視するかのような君の部隊は、彼らから白い目で見られている」
面白くない話だ。
自分は最善を尽くしていると言うのに主義もクソも無い。
「若い娘がそんな顔をするな。それに軍は今のところ君の味方だ。上層部も君を高く買っているし、戦乙女は国民の注目を集め戦意高揚に大きく働く。政府にも国威発揚になると肯定的に捉えている者も居る。だからこそ、君は英雄であることを証明する必要がある」
渋ったところでどうにもならない事を悟り、小さく息をついた。
「下種の勘ぐりを自ら勝ち取った勝利で退けるんだ。いいな、シンクレア」
「はい、かっか」
それからもう一つ、とトロンは付け加えた。
「ラブラスには邦人も住んでいる。彼らの救出も君の任務だ。その中には君と同じ賢天の魔術師モリス・エルドランも含まれている。この数週間、彼との連絡も途絶えている。問題があったことは明らか。安否を確認し、生きているのなら戦地より救い出せ」
「はい、かっか」
「よろしい。では部隊を率いて我国の障害を取り除け。ラブラス共和国に対する先遣隊として、第七独立連隊の出動を命じる」
シンクレアが会議室を去ると、カトーは心許ない様子で手元を遊ばせていた。
「閣下、本当に彼女の部隊だけで大丈夫でしょうか?」
これにトロンは曖昧に首を振ると、一枚の航空写真を書類の束から抜き取った。
「[王国の庭師]から送られた情報が正しければ、この作戦は彼女でなければ収拾がつかないだろう。でなければ、アルビオンの覇権に楔が打ち込まれることになる。この戦争は、あの魔女を欲している」
写真に写されているのは、上空から撮影された町の様子だ。
都市区画は酷く荒れ果て、市街戦の後を髣髴とさせる光景であった。
しかしそこには、夥しい数の市民が佇んでいた。
庁舎から出ると、既にケメットが車両を横付けして待機していた。
助手席に乗り込むと彼女は、呼び出しの理由を尋ねてくる。
「休暇はおしまい。戦争に行くわよ」
「ニャア! 出陣です! この新しい『バンカーフラッペ』も街乗りでは持余していたところです。こいつも喜んでます。ところで、目的地は?」
「ラブラス共和国よ。宣戦布告された。現地の駐屯部隊と邦人救出。あとモリス・エルドランとかいう賢天の魔術師ね。誰だったかしら。まあ、出発は二日後……で、何よそれ」
隣で話を聞いていたケメットは、どこからか取り出した小冊子に目を通している。
「ラブラスの観光パンフレットですニャ」「なんであるの」という疑問を彼女の耳は受け付けない。
「ラブラスはテンドー・ハルジャーなる遺跡が有名です。このマイルキッパーなる料理も食べてみたいですニャー。マイルキッパーは漁師の食べ物らしいです。『漁出た漁師が釣られてしまう』ほど美味い! と言うのが名前の由来だそうで。これは垂涎ものです!」
「あのね、観光に行くんじゃないの」
困った奴だと呆れていると、背後から黒服の男二人が現れた。
いかにも文官な風貌で、融通の利かない官僚みたいなオーラが出ている。
そしてその予感は正しかった。
「失礼、もしやシンクレア大佐ではありませんか?」
「そうだけど? どちら様かしら」
「わたくし、会計検査局からやってまいりました、シューイン・チューという者です」
それを聞いて表情が強張ってしまう。
言われた傍からこの展開を受けて、今すぐこの場を離れたかった。
「今日はあなたの上官であるカトー准将にお話があって来たのですが、大佐がここに居るなら話が早い。お時間いただけますか?」
「悪いけど、任務があるの。今日からまた忙しくなるわ」
「そうですか。ではまた後日ということに……時に、大佐。我々はあなた方、第七独立連隊、延いては〝あなたの〟賢天機密費に興味がある」
「何が言いたい」
わってるけどドスを利かせて威嚇する。関わるな。あたしの財布に関わるな!
だが通用するはずも無く彼はずけずけと核心に触れてくる。
「勝手ながらあなた方が所有する装備を精査させて頂きまして、与えられている予算に対し、装備の調達価格が定価と異なる場合が多いのです。他の部隊装備と比較してしまうと、帳尻が合わなくなってしまうんですね。そこで、もしや予算を私的流用しているのではないか――と。間違いであればそれでよいのです。詳しいお話をお伺いしたくて」
これに真っ先に怒ったのはケメットであった。
「キサマ! 何を言うかと思えば大佐に不正の嫌疑をかけているニャ!? 祖国の為に身命を賭し、鉄風雷火の戦場に立つ一輪のバラに向かってにょくもそんな口が利けたものな!」
「ケメット、噛んでる。落ち着きなさい」
いきり立つ彼女を宥めようとするが、それを振り切り面罵と擁護が綯交ぜになった言葉を続ける。
「大佐は公明正大にして清廉実直。たかが文官風情が、大佐の高潔さを貶めようなどとは一〇〇年早いニャ!」
「ケメット、止めて」
あまりにも誇張された人物像が内心の疚しさを煽り立てる。
忸怩たる思いで、彼女の肩を掴んで座らせた。
「ごめんなさいねチューさん。あたしたち急いでるの。話はまた今度」
相手の言葉を待たずに会話を打ち切り、ケメットに車両を発進させた。
何とかやり過ごすことが出来たが、ケメットの方は憤懣やるかたないようだ。
「酷い言いがかりです。大佐も何か言い返してやれば良かったですのに!」
この見込みのある従兵には、早急な再教育を施しておくのが吉と言えよう。ボロを出す前にだ。
「ケメット、縦しんばあたしが横領に手を染めていたとしても、それは罪では無いわ」
「ど、どういう事です?」
「もしそんな事をするのだとしたら、あたしはその公金を使って更に多くの部隊予算を獲得するからよ」
「なぜ、それは罪ではないのです?」
「よく考えて。部隊で使用できる資金が多ければ多いほど、兵士達に優れた装備を与えることが出来る。そうすることで彼らの生存率が少しでも上がれば、任務の達成率も上昇する。これによるあたし達の成功とはつまり、国家に寄与することになる。それだけではなく、兵士達を無事祖国へ帰すことが出来れば彼らの家族が悲しんだり、今後の生活に途方に暮れなくて済む。それにより更に有望な人材が未来へと繋がれ、その某が国家に貢献する可能性も生じる。誰も傷つかないし、誰も損はしない」
「つまり、どういうことですニャ?」
「あたしの横領は、綺麗な横領なの。わかる?」
それからケメットはしばしアホ面で考え込み、そして「はいニャ! さすが大佐です!」と甚く感心した。
それで良い。それでこそ我忠実なる従兵だ。
と言うわけでそう言うわけで、部隊の経理部と口裏を合わせ、裏帳簿を隠匿したあたしと第七独立連隊は、アルビオンを後にしたのだった。