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第四章 賢天の魔術師 7

 想像以上にモリスは屋敷に合成体(キメラ)を飼っていた。

 元々は彼に仕えていたであろう給仕たちは、他の例に漏れず痛々しい姿を曝している。女性と思われる彼女達は、理性を感じさせる行動を一切取らない。デュラハンの時と同様、愚直な直進に取り憑かれ、銃弾によって醜悪な殻より解き放たれていく。

 考えようによっては、彼ら彼女らの為でもある。

 合流したケメットはいつになく真剣に言うのだ。

「近隣家族を泣きながら喰らって生きる命なら、終わらせてやるのが優しさですニャ」

 銃剣の刃先を真っ赤に染めながら、ナルン・エッヂにも引けを取らない身体能力を示して屋敷からの脱出を先導し、トマーウェルの街へと出たのだった。

 もう間もなく夜が来る。

 急いで町から脱出しなければ後が無い。コリゴリンに第一戦闘大隊への連絡を指示したその時、周辺が瞬く間に橙色に染まった。

 振り向けばモリスの屋敷が炎に巻かれて燃え上がっている。炎が立ち昇り、それは次第に人の形へと変貌を遂げ、炎の巨人となって暗雲の空へと雄叫びを上げる。

「モリス・エルドランの声です!」

 ルイズが慄きながら叫び、バリーたちも驚嘆の声を上げた。

「あの馬鹿、自分に悪魔を降ろしたんだ! どこまで堕ちるつもりよ」

「どうするんですニャ!?」

「逃げるに決まってるでしょ!」

 苦々しくモリスを睨みつけて吠えると、いの一番に走り出し、仲間達も慌てて後に続いた。

 炎の化身となったモリスの狂気に染まる咆哮を背にして、地獄の一丁目へと飛び込んでいく。


「止まるな! 止まれば囲まれる!」

 最短ルートで橋までの道のりを駆け抜けることに全力を注いだ。

 ナルン・エッヂに道を切り拓かせ、兎にも角にも脚を止めないことだ。合成体(キメラ)は至るところから姿を現している。町に着いた当初は路傍の石も同然で、見向きもしてこなかった彼らだが、やはりモリスによる制御があることを裏付けるように、視界に入った途端に襲い掛かってきた。

 だが数が多いことを除けば、単調な動きは予想しやすく、心配なのは弾薬くらいのものだった。

「なに、弾がなけりゃこいつで道を作るまでよ!」

 豪儀なのは口だけではないと、マックドックは円匙で合成体(キメラ)の頭を殴りつけ、片手で短機関銃の衝撃を押さえ込んでいる。

「通りに出ます! そこが一番橋に近い!」

 バリーが先頭に立って、建物に挟まれた大通りへと出た。

 バリケードが散乱し、戦火の痕を遺すそこは、今思えばモリスの暴走に抵抗した市民達の戦いの傷跡だったのかもしれない。積み上げられた荷台の壁を回り込み、投棄されたテーブルを乗り越えたその時だった。足元に転がる花瓶が、不意に弾けて砕け散ってしまう。

「大佐伏せて!」

 ルイズの声に反応して、状況の把握もままならぬ間に身を隠す。

「なに!? 今のは!」

 すると次々と周囲の障害物が弾けて破片を散らしていき、それが銃声を伴っていることに気付いた。

 瓦礫から顔を覗かせて、銃弾の正体を探る為に良く目を凝らして視てみれば、北の大聖堂方面には路上を埋め尽くすラブラス軍の姿があった。

 彼らは発砲しながらこちらに接近しているのだ。

「マズイマズイマズイッ!」

 シーパーとコリゴリンが小さな体を乗り出し、術式杖による反撃に打って出るが、焼け石に水も良いところだ。まるで数が減らない。

「みんな伏せろ!」

 オリバーが声を上げながら小銃で建物の上部を狙い撃つと、屋上から合成体(キメラ)化された兵隊が落下してくる。

 これらは、その場に居た者たちに衝撃を走らせるのに十分な出来事だった。

 獣よりも単調な動きしか出来ない物と決め込んでいた合成体(キメラ)が、銃を扱い、狙いを定めるなどとは夢にも思わなかったのだ。危機感は否応なしに増幅していく。

 バリーは叫ぶ「足を止めるな! 連中とはまだ距離がある! 落ち着いて行け!」それで目が覚め、後方から襲い掛かる銃火に追い立てられながら、各々障害物を盾にして大通りを南に向かって進んだ。

「コリゴリン! 本隊に救援要請!」

「それが、大佐……」

 小さなゴブリンは申し訳なさそうに言って、背中を見せた。

 彼の背負う通信機は銃弾を受けて煙を吹いているではないか。

「ああくそ! いい! 行くわよ!」

 そんな折だった。

「ひぎゃんッ」と妙な悲鳴が聞こえたかと思えば、ケメットが膝を突いてこの世の終わりのような顔をしているではないか。

「ケメット、撃たれたの? どこを撃たれた――」

「ウチのアイデンティティがぁああああああああああ――ッ!」

 彼女は耳を撃たれていた。左耳に大穴が開いて血が滴っている。

 その上くだらない理由で気絶までしている!

「なんて手のかかる子なのッ!」

 激昂した傍からルイズが彼女を肩に担ぎ、歯を喰いしばりながら持ち上げた。

「私がやります。進みましょう」

 舞い上がる粉塵で汚れた眼鏡の奥では、生気に漲る瞳が爛々と踊っている。ケメットへの意趣返しとなるであろう事を思ってのことかは定かではないが、この逞しさが持続することを願った。


 大通りを抜けた先の路上にも、合成体(キメラ)は蔓延っていた。

 しかしもう橋は見えている。バンカーフラッペを出せば本隊にすぐでも合流可能だ。急く気持ちのまま、息を切らせながら懸命に脚を動かし続ける。背後から発砲。

 バリーは腕から血を流して応戦する。更に前方の小路から銃を持った合成体(キメラ)がなだれ込んで来た。

「オオォォオォァアアアッ!」

 怒号を上げたマックドックが、円匙と己の野太い腕を盾にしてその一団へと突進していく。

 制止の声も間に合わず、彼は集中攻撃に曝されて、全身に銃創を刻み込んでいった。すぐさまハティの援護を向かわせるが、彼は血だらけになった状態で合成体(キメラ)を脳天から叩き割り、続く二撃目で自慢の腕を振るい敵を殴り倒した。それでも足りずに魔の手が伸びる。そこへオリバーが銃撃で加勢するも弾切れを起こしてしまった。

 あわやと言うところでオリバーは弓に切り替え――、一射三撃の神業でマックドックの左右と後方に居た合成体(キメラ)を穿って窮地を救った。その後一撃も外すことなくオリバーは矢がある限り、敵を討ち続ける。無言の内に沈んでいく一団にハティが突入し、敵を弾き飛ばして河へと叩き落とす。

「今だ! 走れぇええ!」

 道は拓けた。

 一同は必死に橋へと詰めかけ、力の限り走り続ける。

 途中、マックドックに肩を貸していたオリバーが脚を撃たれ、続けざまに腹部からも血飛沫が飛び散る。衛生兵のシーパーは彼らを励ましながら支え続けて、最後尾のコリゴリンは橋の障害物を崩して道を塞いでいき、命辛々、全員が橋を渡り終えることに成功した。


 振り返れってみれば、合成体(キメラ)は橋上の障害物を前に立ち往生している。

「今の内に退散するわよ。ルイズ、運転手を起こせ! シーパーはマックとオリバーの治療を急いで。ポーションを使いなさい。あとついでにケメットの耳も治してやれ」

「了解」と、シーパーは車の傍でへたり込んでしまった二人の手当を始める。

「バリー、あなたは大丈夫なの?」

「かすり傷です。それよりも、橋に爆薬を仕掛けるべきだった」

「嘆いてもしょうがない。応急手当が終わったらすぐに移動を――」

 突如奇妙な感覚に襲われた。

 体が揺れている。自分だけかと思いきや、周りの者たちも周囲に目をやり困惑している。地震かと思うも、その考えは即座に取り下げた。

 トマーウェル南部の小さな市街地。

 中心を通る幅広の一本道が激しく揺さぶられ、敷き詰められた石畳に地割れが起きる。地響きが内臓を揺さぶり、吹き上がった砂埃に、大きな影が投影された。

 二階建ての民家ほどもある巨影は、それ自身が振りぬく(かいな)の一撃によって正体を現す。

 単眼の巨人――サイクロプス。

 その威容を見上げて唖然とした。モリスはこんな物まで作ってしまったのか。

 よく視れば、サイクロプスを構成している体は、幾重にも重ねられた人体によって形を成していることがわかる。業の深さも極まってきている。

 サイクロプスは大きな単眼をぎょろりと動かしこちらを見下ろして、一声咆哮――。

 全ての意志を挫く轟音に身がすくみ上がる。こちらには抗しうる手段がない。

 巨人が一歩を踏みしめて大地を乱し、舞い上がる砂礫に打たれて諦念が頭を過った。

 その時だ――。

 道の先。

 サイクロプスの後方、彼方の丘より閃光が走る。飛翔音。

 次の瞬間、目の前で爆風が巻き起こり、衝撃波に嬲られて倒れこんでしまった。視界が大きく揺れ動き、酷い耳鳴りに昏倒しかけてしまう。

 地べたに這いつくばりながらなんとか意識を保ち、ゆっくりと見上げたその先には、胸から上をごっそり抉り取られたサイクロプスの残骸があった。

 ただの肉塊と成り果てた巨人は膝を突き、轟音を立てながら地面に倒れてしまう。

 丘の上では、こちらに砲塔を指向していたジーター戦車が硝煙を上げていた。

 やけに誇らしげなその様に思わず笑いが込み上げ、ナルン・エッヂの一同は「騎兵隊の到着だ!」と歓呼の声を上げて喜んだ。


 シンクレア達はなりふり構わず尻尾を巻いて町から逃げ出した。

 間一髪のところで助かったものの、事態は一向に好転する気配は無い。

 北方からの合成体(キメラ)は時を追うごとにその数を着々と増やし続け、遠目には黒点が一所に集結する様が大きな波のうねりに見える程だった。集団行動を取る魚群も斯くや、一個の生物のようである。

 本当の意味でお荷物になっていたケメットも、霊薬による超回復で左耳の穴を塞いでアイデンティティを取り戻していた。元気になった途端に報復を口にして興奮する彼女を運転席に押し込み、モリスの手勢から一気に距離を空け、頼もしい援軍の元まで後退した。

「大佐! 危ないところでしたな!」

 意気揚々と戦車のキューポラから姿を現したレヒト中佐は、片目を輝かせながら言った。

「助かったわ中佐! もっと早く来て欲しかったけどね」

「ははは、虐めんでください。これでも全速力だったんです。して、これからどうします? よもや御役御免ということもありますまい!」

 レヒトのその口ぶりは、せっかく与えられた戦場を取り上げてくれるなというニュアンスを含んでいた。

「数が多すぎる! あなたもぶったまげるわよ!」

「しかしこのままあれを見過ごすわけにもいかんでしょう? あのダムが決壊すれば、奴さんがこちらになだれ込んできますよ!」

「どの道止められないわ。敵は三百万人以上を動員できる状態よ」

「さ、さびゃくう!?」

 ほらぶったまげた。

 さすがに想定外だったのか、レヒトは度肝を抜かれて神妙に帽子を被りなおす。

 三百万と言えば、軍隊では一個師団規模が一万から二万。軍団が三万以上。軍が五万から六万以上。アルビオン軍の総軍数が一五〇万人程度なので、これがどれほどの脅威かは推して知るべし、である。

 対してこちらは四〇〇〇人程度なのだから、やり合えばまず勝ち目など無い。

「あたしはモック中佐と合流する。あなたは遅滞行動で時間を稼いで。死守はしなくて良いわ、考えがある」

「お安いご用です」

 トマーウェルから茫とした曙光の明りが灯った。

 町全体が炎に包まれ、天を焦がす業火が立ち上がる。燃え盛る炎は町の上空で大火を押し広げ、それは人相を形作って叫びだす。

 〝彼〟はシンクレアの名を呼んでいた。

「大佐はおモテになるようだ。お美しいですからなぁ」

「冗談じゃない。任せるわ」

「了解。各車前進。敵は魔界の軍勢だ。遠慮はいらん、ぶちかませ」

 稜線の下で待機していた二〇両のジーター戦車が一斉に唸りを上げ、勇み我先にと丘の頂へ上り詰める。敵は途方も無い大戦力であるのに対し、此方は取るに足らない一個連隊。その差は歴然。

 されどこの程度の困難でおめおめと逃げ出すシンクレアではない。

 あの賢天の魔術師(サージオ)に示すのだ。

 なぜ魔術師になったのかではなく、なぜ魔術を使うのか。

 自分が何者かではなく、何者へとなるのか。

 欲するだけでなく、欲した物で何をするのか。

 指向する力が有ってこそ、その先に燦然と輝く遥かなる理想に心を燃やすことが出来る。

 あの愚か者がこれ以上性根を腐らせてしまわないように、呪いを振り撒く怨望の塊を是が非でも止めるんだ。でなければ、あの子は自分が愛した父の罪に押し潰されてしまうだろう。

 歳に似合わず聡い分、あれはそういう子だ。責任感の強い、優しい子だ。

 とどのつまり――ここで引き下がっては、あたしの腹の虫が治まらない。

「くだらない妄執と戯言に取りつかれたんだ。あんたは馬鹿よ、モリス」




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