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第四章 賢天の魔術師 6

 大聖堂からほど近いモリスの家に招かれた。

市内の中心から少し外れ、東部の高級住宅街に建つ豪邸が彼の屋敷である。

そこには広々とした芝生の庭があり、家を覆い隠すようにマツ林が植えられ、その外周には壁が張り巡らされて外界から完全に遮断されていた。

 彼の屋敷は、近年のアルビオン貴族ですら忌避してしまうような立派な城で、本土の風潮から明け透けに言ってしまえば、虚栄心を押し止めることの出来ない成金のようなさもしさの塊と評すことも出来る。

 つい先ほど目の当たりにした怪物のパレード。

あんなものを見せつけられていながら、その上で疑いようもなく心を病んでいる魔術師の城を訪れる。

危険極まりない行為に思えたが、ここまで来てしまったのは、モリスが敵意ではなく別の心情で動いていると考えたからだった。

だとしても、混迷極める魔術師の人柄に全幅の信頼など寄せられるはずもなく、ケメット、オリバー、マックドック、シーパー、コリゴリンの〝やり手集団〟を玄関口で待機させて二手に分かれた。

 彼との会談に臨むのは自分とルイズ、そしてバリーという面子だ。


 通された執務室のローテーブルを挟み、モリスとリースに向き合っていた。

「彼らを嫌わないでやって欲しい。危険は無いんだ。全て私の支配下に置いているからね。姿こそ変わったが、皆この町の市民だよ。在りし日と同じように、生活を送っているんだ」

 落ち着いた口調にどこか満足感を窺わせるモリスに対して、険を強めた。

「どう見ても在りし日とは永遠に切り離されたようにしか思えない。いい加減、説明を求めるわ。アレは何なの?」

「何かと問われれば、私の研究成果であると答えるしかありません。人と魔族を掛け合わせた『合成体(キメラ)』です。ここに至り、遂に私の魔術が真価を発揮したのです」

 事も無げに答える彼に対し、ルイズが怒りを露にした。

「なんて事を――つまり、あなたはッ、」

 彼女が何かを口走る前に、肩に手を置いて制しておく。

 まだ早い。

「モリス、なぜこんなことをしたの?」

 彼は目を伏せると一度唸り、再び視線を持ち上げる。

「それは愚問というものだ。賢天の魔術師(サージオ)であるためには、評議会の眼鏡に適う術式がなければなりません。常に比較批評され、何千何万という候補者よりも優れていることを証明しなければならない。そして選ばれた者だけが、一二席という限られた賢天の座に着くことが許されるのです。魔術師がこの高みを目指すのは当然だ。シンクレア、あなたも賢天ならばわかるはず。現状、賢天の魔術師(サージオ)は定数を越えて一三名となり、評議会は王国議会より人員の削減を迫られている。その中で私は……お恥ずかしい話だが、私の賢天の秘奥(サージェイト)――〈複合練成召喚〉は唯一無二であっても、その用途は法的な制約を受けている。その為、国にとり、大きな価値を見出せないと評されることが多くなった」

 歪んだ相貌からは、過去の屈辱に懸命に耐えているような険しさが表れ、刻まれた皺の深さがその苦悩を物語っている。

 ですが――と顔を上げたモリスの顔に赤みが差し込む。

「遂に私は、自分自身を確立させる術を手に入れた。魔族を隷従化する(わざ)を、編み出すことに成功したのです!」

「それがキメラだと?」

 その通り、彼は頷いた。

「魔族の召喚が何故禁じられているのか。それはもとを糺せば、魔族の制御が人の手に余るものであるからに他ならない。その他の理由などは禁止を正当化するためのこじ付けでしかないのです。だからこそ、この分野に価値があった。誰も出来ないからこそ意義がある。そして魔族召喚と私の〈複合練成召喚〉はとても相性が良かった。元々は高次元上で行う練成工程を現実世界に下ろし、意思疎通が可能である個体の座標軸へと固定する。その結果、魔族の体力を備えた〝人間〟の構築に成功した。我が魔術〈複合練成召喚(コンペルチオネ)〉は、張りぼての規制を突破する――〈魔人転生(リンカルナ・ジーニオ)〉へと進化したのです!」

 目を輝かせて魔術師は嬉々と語り、熱の篭った弁舌は言葉を積み重ねるにつれて感情が乗り、身振り手振りも激しさを増していった。

 こちらの冷めた視線に気付かないのか、それもと気づいているから言い捲くることに終始しているのか。どちらにせよ今の彼を止めることは出来そうもない。

「現状は『屍を喰らう者(グール)』が主な召喚対象ですが、コストや機能を考慮すればこれでも十分採算は取れます。それだけではありません。ある一体の合成体(キメラ)に、少々難儀ですが吸血鬼の血を加えることで、合成体(キメラ)の複製にも成功しています。彼らが自律して仲間を増やすことが出来るのです。しかも複製された合成体(キメラ)であっても、私の制御を受け付けてくれる。その後の実験も順調に進みまして、トマーウェルを越えてリリビア州全土にまで広がりました。あなた方風に言うのなら、ここより北の地域は全て制圧完了しております、というところでしょうか」

 若干の照れくささすらも交えて、これらのことを自慢げに語るモリスに対し、果たして第三者は何を思うだろう。彼から吐き出される言葉には徹頭徹尾、人倫というものが欠如していた。何か言いたげであったルイズは畏れからか、完全に言葉を失い、ソファーの後ろに立つバリーも険しい表情で静観している。自分はというもの、目の前の男が何なのかもう良くわからなかった。

 モリスは子供のような笑顔で自らの功績(所業)に酔い痴れている。

「リリビア南部の掌握が進んでいないことは皆さんご存知でしょう。それに関しましては、やはり被験体の数が多いもので、一部の合成体(キメラ)の行方がわからなくなることもありまして、この制御が行き渡らない問題点は、ラブラスでの実験結果を待っていただけると幸いです。北へは順調でしたので、いずれ解消できる弊害であると確信しております。一ヶ月以内にラブラス全土を攻略してみせます。魔族の利点である精霊圏の突破も有効な筈ですよ」

 こちらの心情をまるで汲むつもりのないモリスは一方的に言い募る。

 それは企業でプレゼンを行う会社員の姿を髣髴とさせるものだったが、大部分が押し付けがましい情報ばかりだった。しかしながら、今の話だけは引っかかる。

 リリビア州の南部掌握が滞った原因は、本当に数の問題なのか。

 何者かによって阻まれていたのではないのか。

 誰かに助けを求めることも、訴えることも出来ず、孤独の中で懸命に戦っていた者が居たのではないのか――。リースは黙して語らず、人形のように身動き一つしない。

 ただその瞳が悲しげに伏せられていた。

「そこでシンクレア、折り入って君に相談がある。この歴史的偉業の証人となって欲しい。この研究成果を持って、賢天評議会と枢密院の老人達に取り次いでくれないだろうか。期待の新人として脚光を浴びる君の話ならば彼らも聞く耳を持ってくれるに違いない。この魔術の確立が、アルビオンに大きく貢献できることは疑いようがないんだ。だから――だから、賢天の枠の拡充を君からも頼んで欲しい!」

 興奮して焦りすら窺えるモリスは突然身を乗り出し、再びこちらの手を取ってきた。

 思わず仰け反ってしまうが、又もや手を掴まれて強引に握りこまれてしまう。

 モリスからは相反する多くの感情が見え隠れしている。

 強気と弱気が、恐怖と歓喜が、不安と安堵が――全てが一処に詰め込まれている。だから彼に、狂気を感じずにはいられない。少しでも先を見通せる正常な目を持っていれば、答えなど考えるまでもないのに。


∴ ∴

 とうッ! 

 そのかけ声と共にケメットは八リーム近くある外壁を、驚異的な身体能力でよじ登り周囲を見回した。彼女の大きな空色の瞳が街の全景を写し、あらゆる情報を読み取ろうと隈無く観察していく。

 シンクレアは何も厳命しなかったものの、彼女とは結構な付き合いで、気心の知れた仲である。

 その時々の心の機微を推し量る事も出来るし、あの人に課せられる任務の性質も理解している。

 だから次に事が起こるその前に、事前準備が欠かせない。

 コーヒーを淹れるのも、替えの服や下着を用意するのも、待たせず車を回すことも、戦地でスカートの制服を着るのも、退路の確保だって全て同じ。大事な任務だ。だのに気が散って仕方ない。

 壁の下で待っているオリバーとマックドックが、先ほどからワイワイ騒いでいるのだ。

 任務の性質を理解しているのか不安になるが、彼らは全く気にしない。曰く「見たか?」「ああ、見えた」そしてハイタッチから下卑た笑いを響かせる。

 意気投合したかと思いきや、白か黒かで口論を始める始末であった。

 彼らは階級が上であるためおいそれと、静かにするよう注意することも出来ないのだ。

 ルイズ中尉は特別だった。あれは虐めても良い上官だ。

「まったく何を楽しそうにしていますのニャ」

 疑問を浮かべつつも、北方の状況を探る。

 ここからもあの怪物市民の姿が散見出来るが、彼らはあんな姿になっても本当に以前と同じ生活を送っているのだろうか。疑わしい限りで、彼らの姿を双眼鏡で一人一人観察していった。

 怪物の一人が路地の影で蠢いているのに気付き、それに焦点を当てた。

 よくよく視てみれば、それは女であろう市民が腕に抱いた小さな怪異を、肩口から喰っている光景だった。

 渋面が顔に広がるのを感じ、意識が再び捕食者へと向いた――。

 その怪物は涙を流していた。崩れた顔から元の状態を想像する事は出来ないが、止めどない液体の筋を作り、苦しそうに小さな怪異を――、双眼鏡から眼を離して目頭をごしごし擦った。

「ニャ、ニャッニャ……」

 何も想像したくない。考えたくない。気付けば手には涙の跡があった。

 一つ大きく深呼吸してから、再び状況を把握する事に務める。退路として使えそうな候補に目星をつけた所で、下からマックドックに呼ばれた。

「ケメット! もう良いだろ、戻るぞ!」

 壁の天辺からふらっと躍り出て体を宙に投げる。そして重力に引かれるまま体を落下させ、猫の様な四点着地で舞い降りた。

 預けていた小銃を渡してきたオリバーが端的に「どうだった」と尋ねてくる。

「心なしか市民が増加しているように思われます。あまり大きな路を使うのも危険かと。南の住宅街を抜けて、選択肢の多い西に向うのが吉ですニャ」

「おいおい、何だってそんな言い分なんだ? ドンパチ前提かよ」

 短機関銃を肩に預けたマックドックは不満気な口を利きながらも顔は笑っていた。

 血の気の多いドワーフらしい反応は頼もしいもので、両腕にぶら下がる筋肉が荒事に備えてむくつけき雄の臭いを放っている。小銃と弓を肩にかけるオリバーも、愛用のニット帽を目深に被ってやる気を漲らせていた。

 一連の行動は念の為にと備えているに過ぎないが、結果がどうなるかは火を見るよりも明らかだ。

 大佐は所謂ダメ人間の気質を人間性の衣に着ている。金にも汚いし、目立ちたがり屋だし、横暴だし、口喧嘩は弱いし、商才も無い。

 けれど土台にあるのは、軍人からは凡そかけ離れた人情家だ。

 利害を超えて己の道義に依って立つことが出来る優しい人だ。

 優しいからこそ、厳しく激しい怒りによって魂を奮わせる。

 この町の惨状を、あの光景を見て、何事も無かったかのように振る舞う事は決してない。

 あの人は自分が傷つき、他者から忌避され、総身を矢を受けながら突き進むだろう。自分たちは真の意味でその当事者にはなれない。ただあの人が進む道を、脇から支えてやる事くらいしか出来ない。

 だから自分たちも頑張るんだ。

 我らが親愛なる魔女の為に。

 

「ルイズ、リースを連れて部屋から出て欲しい。大事な話をしなくちゃならない」

 ただならぬ空気を察知したのか、ルイズは口を引き結んで立ち上がり、何も言わずリースの手を引いて部屋から退出した。その時リースの目に光が戻り、こちらを見つめてきたような気がしたが、それは無視するしかなかった。

 娘を連れて行かれたモリスにも不安の色が差すが、彼もここで抗議するほど空気の読めない男では無いようである。

 扉が閉まるのを待って、話を切り出した。

「モリス、これはどうしても確認しなければならないわ」

 背後に立つバリーがタバコを取り出すと、一本差し出してきた。

 そこで一服点けて、ゆっくりと紫煙を吐き出す。

「あなたは何故トマーウェルでキメラによる攻撃を始めたの」

 彼の唇が震えた。

「……それは、それは、戦争だからと……」

「よく整理しましょう。ラブラスが戦争を始めた理由に心当たりはないかしら。あなたは戦争をどこから聞きつけたの。この屋敷は街に比べて随分と綺麗だけど、ラブラス軍はここへは来なかったのかしら」

 生唾を嚥下する音が聞こえるほどの静寂が室内に降りる。

 タバコの焼ける微かな音でさえ、耳に良く通った。

「わた、私はアルビオンの為にこの魔術を――」


「モリス、質問に答えなさい。あたしは疑っているの。|戦争(卵)が先か、|殺戮(鶏)が先か」


 煙のヴェールの奥底から、赤銅の瞳を、小さな、あまりにも小さな男に突き立てる。

 両手を組み合わせたモリスは体の震えが止まらず、言葉にならない声で弁明を続けた。

 話は二転三転し、説明口調はマシンガンのように口早で、焦点がぶれて支離滅裂、しどろもどろとなった彼は、終ぞ何一つまともに説明出来ず、饒舌だった魔術師の舌は見る影も無かった。

 そして呆気なく「仕方がなかった」と力無く吐き出した。

「こうする他に道は無いと、オボロに言われて、もうどうすることも出来ずに……」

「オボロとは?」

「友人だ。彼の資料提供によって魔術は完成した。そして――どうにもならないほど事態が拡大してしまい……」

「あなたは領事館の職員達もその手に掛けたの?」

「し、してない! もちろん事態を治めようと、力を借りるために領事館に向ったんだ。だが皆殺されていて、途方に暮れてしまい……そのときオボロがこれは戦争だと。領事館員はラブラス政府に暗殺されて、せん、宣戦布告が行なわれたのだと! いや、いやいや……あれは、どうだっただろう、あれは、あれは――――し、シンクレア、頼む! この魔術は国の為になる。国益に適うんだ。これがあれば戦争だって変る。世界が変るんだよ! 君だって死ぬのはいやだろう! 兵士だってそうだ! この魔術でアルビオンの栄光は永遠の物となる! 私は愛国者なんだ。祖国と国王陛下を愛してる! だから――ッ」

「――見逃せと?」

 モリスは居ても立ってもいられずに、床を這って脚に縋り付いて来た。

 泣きじゃくりながら懇願し、虚しい愛国無罪を乞うた。

 彼の涙と鼻水が脚を濡らし、嗚咽が部屋に響き渡る。無言で回り込んだバリーが強引にモリスを引き剥がして、彼は床に倒れこむと、泣き声は一層高まり、釈明は命乞いへと変わった。

「待ってくれ、こんなつもりじゃなかった! こんなつもりじゃなかったんだよ!」

 何度も何度も後悔の念を吐き出し、モリスは大声で泣き喚いた。

 最後の一口を吸い終え、テーブルでタバコをもみ消す。

 頭の中ではこの戦争の真相が組み上げられていた。動機の詳細に関しては知ったところで意味が無い。情状酌量の余地を与える裁判官はここには居ない。

 そして、足手まとい(・・・・・)に恩赦を与えるアルビオンではない。

 鶏が卵を産んだのだ。

 モリスはリリビアの南部以外を掌握したと語ったが、それはラブラス人口四八〇万人の内、七割を占めるリリビア州の人々の殆どを手にかけたと言って良い。

 評議会云々という彼の要望は当然ながら受け入れることは出来ない。事がここまで大きくならなければ、あるいは口利きすることも可能ではある。だが現実を直視すれば不可能としか言えない。

 作戦司令部による任務の更新はこれを考慮していたのだ。

 いやそれよりも以前に、彼らはこの情報を掴み、事態を見越した上で自分を派遣した算段の方が大きい。話に上がったオボロなる人物。そして海外で喧伝されている虐殺の報道。工作を警戒した通信規制。

 まず間違いなくオボロは第三国の工作員だ。アルビオンを陥れるためにモリスは嵌められた。

 虐殺の嫌疑は自分にでは無く、彼に掛かっていたのだ。

 これはモリスの所業が海外に漏れていることを示唆している。ここで彼を許容するようなことがあれば、賢天を駐留させている世界各国のみならず、親アルビオン国家や、二〇〇とも言われる潜在的植民地が反旗を翻し、世界は混沌(カオス)と化す可能性がある。

 合成体(キメラ)は元には戻せない。一考の余地は無かった。

 虐殺の情報が流れた以上、その手段をアルビオンが所持していてはならないし、その存在を仲間と認めるわけにもいかない。

 命令書の解読が終わった。


『王国が望む結果が達成されることで、問題は解決され、障害は存在しないものとなる』


 彼の前に立ち、哀れな姿を見下ろした。

 床にひれ伏して震えながら許しを乞う男の姿。同情が無い訳ではないが、どうすることも出来なかった。たとえこれが本当の戦争であっても、戦争犯罪を免れないことを彼はしてしまったのだから。

 胸に痛みを覚えるのは、リースの面影が浮かんでしまったからだ。

「モリス、本国はあなたを助けることは出来ない。あなたはオボロという工作員に利用された可能性が高いわ。残念だけれど、あなたの愛国心が真実であるのならば受け入れて欲しい。リースへの言伝を聞きます」

 彼は呻き声を上げながら泣き続けて、嘘だ、嘘だ、と首を振って否定している。

「オボロは友人なんだ。ただ一人話を聞いてくれる。唯一の友達だッ、そんなこと信じられものか。彼が私を騙すはずがない。彼は何時だって……嘘だ。嘘だ、嘘だ――ッ」

 その時、モリスは奇声を発しながら両手を前に突き出してきた。

 黒い稲妻が彼の手から放出され、自分とバリーを取り巻いた。

「お前達は嘘つきだ! その身を持って知れ! 我が魔術の真髄を――ッ!」

 しかし、驚愕はモリスのものとなった。

 自分達を取り巻いた黒の紫電は敢え無く消失し、代わりに彼の全身の皮膚が張り裂けて血が飛散した。彼は倒れこんだまま喘ぎ、嗚咽と共に血を吐き出す。

「あたしの軍隊は全員識別表に〈呪い返し〉の護りを刻印している。基本的なことすら思い至らなくなっているのね。あなたの魔術は強力だけれど、脅威となるのはその生成物だ。観念しなさい」

 地を這いずりながら狂気に歪んだ眼光で彼は睨みつけ、ここに至ってもまだ往生際の悪い魔術師の性を体現してみせる。懐から拳銃を抜き、銃口をこちらへ向けて来るがそれも一瞬のこと。

 即座に反応したバリーの早撃ちで右手ごと撃ちぬかれて悲鳴を上げた。

「良くわかった。言伝はあたしが考えておく」

 落胆を押し込めて銃を抜くと、モリスの額に照準を合わせた。

 嫌な仕事だし、嫌な立場だ。

 そんな事を頭に思い浮かべたその数瞬が仇となった。

 突如扉が勢いよく開け放たれて、小さな影が目の前に立ち塞がったのだ。

「リース!?」

 そのすぐ後に、手から血を流すルイズが駆け込んで来た。

「すみません大佐!」

 見れば何があったかわかる。

 もっと早く片付けるべきだったと後悔しても遅い。

 意志を宿す、強い眼差しが真っ直ぐ自分を見つめてくる。両手を広げて父を庇うその姿勢に思わず怯んでしまった。目尻に浮かぶ涙が、歯を喰いしばる口元が、立ち塞がる小さな体が全身全霊を持って訴えかけてくる。

「お父さんを虐めないで!」

 気丈な姿に力が削がれ、殺意が萎えていく。

「リース、どきなさい! モリスは一線を越えてしまった。許されないことをしてしまったの」

「でも助けるって、助けてくれるって言ったわ!」

 頭を振り乱して涙を散らす少女の言葉が胸を貫く。それを良いことに、モリスは娘の背中に隠れて懸命に射線から逃れようとする。その情けなさに血が煮え滾りそうな怒りが湧き上がる。

「どきなさいリース!」

 頑として聞かず、リースは激しく首を振って拒絶した。もう仕方が無い。バリーに目配せし、隙あらば撃てと意志の疎通を図る。彼も了解したようで小さく頷き行動を起こそうとした。

 だがここで、モリスの凶行はその性質を更に醜悪な物へと変貌させた。

「近づくな! 私に近づくな!」

 モリスはリースの首に腕をかけると、自分の娘をまるで盾のように扱い始めたのだ。

「それが父親のすることかッ!」

「黙れ、黙れダマレダマレダマレッ! 私の研究を理解できない凡俗め! 殺されてたまるか……私はお前達とは違う。違うのに! 金で飼われる戦争の狗め! 人殺しはお前たち軍人の方じゃないか! お前たちだって殺しているじゃないか! 何故私が、私ばかりが罪に問われなければならない! 裁かれるべきはお前達だッ!」

 怨嗟に狂い、呪い言を吐き出し続けるその間にも、リースの首は締め上げられ、もがき苦しんでいた体はぱったりと身動きを止めて弛緩し切ってしまった。

 そこへ唐突に部屋の外から給仕服を身に着けた合成体(キメラ)が現れ、手近に居たルイズが真っ先に襲われてしまう。悲鳴を上げる彼女を咄嗟に引き寄せたバリーが合成体(キメラ)を突き飛ばし、頭に銃弾を叩き込んだ。

 いったいこれまで何処に隠れていたのか――そこへ意識を割いている間に、モリスはリースを投げ捨てて隣室へと繋がる扉の向こうへ消えてしまう。すぐにバリーが後を追ってドアノブに手をかけるがビクともせず、鍵を破壊する為に発砲した。だが銃弾は扉の表面で衝撃が吸収されていることに気付く。

「結界です! 逃げ込まれました」

 それよりもまずリースだった。彼女の元に駆けつけて力なく倒れる体を抱き起こす。

「リース! リース! しっかりしなさい、息をするの!」

 頭には出血がある。投げ出された際に、暖炉のマントルピースにぶつけた傷だ。それでも息は確認できた。傷も浅く、頚動脈を締め上げられて一時的に昏倒しているのだろう。

「大丈夫、大丈夫。すぐ良くなるわ」

「そうも言ってられませんね。大佐、まだ屋敷の中にはキメラが居るかもしれない。それにこの連中は、奴の支配下にあるんでしょう? 街中にはとんでもない数がありますよ」

 バリーは持ち前の手際良さと切り替えの早さで優先順位を即決し、モリスを諦めて廊下の警戒に注意を移していた。彼の言うとおり、この町はモリス・エルドランの伏魔殿だ。もたついて居ればあっという間に囲まれてしまうだろう。

「撤収する。ケメットたちと合流するわ」

「モリス・エルドランはどうするんです!?」

 負傷した右手にハンカチを巻きつけながら、ルイズは結界に護られた扉を忌々しく睨みつけていた。

「どうしようもない。結界破りの専門家でも連れてこないと、解錠してる間にみんなキメラにされるでしょうよ。それよりこの子を背負うから手伝って」

 そうこうしている間に、屋敷内で銃声が轟き始めた。

 待機組が異常を察知して突入を敢行したらしい。こうなってしまった以上、この町で出来ることはもう何も無く、彼我の戦力差は圧倒的にこちらが不利。事態は一刻の猶予も無い。

 背中に伝わる熱い感触に安堵を覚える。

 約束を反故にする結果となってしまい合わせる顔も無いが、この子だけはなんとしてでも生きて連れ帰る決意を固めた。これ以上、大人たちの血なまぐさい闘争に触れさせてはならない。


∴ ∴

 自分の工房に逃げ込んだモリスは、痛む身体をかき抱いて部屋の隅で泣いていた。

 絶望が胸の内に広がり、心が泥沼に沈みこみ、血に塗れた両手で頭を抱える――こんなはずではなかった。

 後悔は、どの時点からのものだろう。

 シンクレアなど招かなければよかったのか。オボロの言う通りにしなければ良かったのか。妻の不貞を見逃すべきだったのか。そもそも、魔術師なぞ目指さなければ良かったのだろうか……賢天への憧れを持たなければ? 

 それ以前に、こんな苦しみを味わうくらいならば、生まれてきたことすら間違いだった。

 自分とそれを取り巻くこの世の全てに疎まれ、苛まれ、いっそこの悲嘆のままに溶けて消え去ることが出来るならば、どれほどの救いとなるだろう。光明をひたすら追いかけ続けた人生は、ただの一度も確たる証を打ち立てることができずに終わったのだ――。


 モリス――可哀想なモリス。


 ふと、情愛の色のを秘めた声に誘われて顔を上げれば、そこには漆黒のローブを纏い、フードを目深に被った男が立っていた。

「ああ、オボロ。オボロ! 今ままでどこにいたんだい? 君が居ない間に、私は取り返しのつかないことをしてしまった。もう終わってしまった。私は終わってしまった!」

 モリスはこの親愛なる黒衣の魔術師に縋り付き、再会を喜ぶと同時に悲しみに暮れた。

 もう自分には彼しか話し相手は無い。励ましてくれるのも、赦しを与えてくれるのも、認めてくれるのも、オボロただ一人。

 この世でただ一人の自分の理解者。

「もう誰も信じられないんだ。本国からは見捨てられ、シンクレアは私を殺そうとしている。皆が私を責めるんだ。どうしていいかわからない。何をしても否定され、ばか者を見るような目で私を視るんだ。オボロ……私はどうすれば良いんだろう」

 泣きじゃくる肩に優しく置かれた手が体を起こさせる。

 青白いオボロの口元が微笑んだ。

「君は何も悪くないじゃないか。どうして君が責められなければならない。よく考えてみたまえ。奴らは軍人だ。合法的殺人などという言葉遊びで殺しを正当化する卑怯者じゃないか。その飼い主は更に悪どい連中だぞ。戦争が政治の延長などと言う戯言で、これまでも何千何万、いやもっと多くの人々に不幸と悲しみを撒き散らしてきた。どれだけの血が流れた? 君はこれまで清廉潔白に生きてきた。ひた向きな努力によって、滅私奉公の構えで研究に心血を注いできたじゃないか」

 オボロの手が頬を支えて涙を拭う。

 彼の目は暗闇に隠れて見えなかったが、確かに自分を見つめていた。

 認めてくれた。そうだ、彼の言うとおり。

 私はただ真面目に生きてきただけだ。空回りしても腐ることなく努力し続けてきた。賢天の称号を手にしたのも、命を奪った功績によるものでは、断じて無かった! 

 真剣に生きた報いが〝今〟であるというのか?


「君は悪くないのに、周りの人たちが君を否定するんだね。ああ友よ、可哀想に。その賢天への執着も家族の生活を思ってのことだった。なのにこの社会はあまりにも不感渉で辛辣だ。君は皆の事を考えているのに、皆は君の事を考えてくれない! なんて不平等だだろう」


「君は悪くないのに、君は頑張っているのに、周囲の者たちが、社会が、この世界が――君を否定している。あらゆるものが君の邪魔をしているんだよ。モリス、君は間違ってなんかいない。間違っているのは――この世界だ」


 オボロに手を引かれてどうにか立ち上がることが出来た。

 体中から発せられていた痛みは不思議と掻き消えてしまい、暖かさに包み込まれていた。彼の励ましてくれたお陰なのかもしれない。

「しかし、私にはどうしたら良いかわからない。オボロ、私はどうすれば良いんだろう?」

「思い出すんだよ、何故この苦境に立たされているのか。元はといえば、全ての原因はシンクレアが賢天の魔術師(サージオ)になったことから始まった。彼女が不幸の元凶だ」

 シンクレアが全ての原因。あの女が、私に不幸を運んできた? 

 逆巻く感情のうねりに怒りが呼び覚まされる。

 あの女さえ居なければ――力なく首を横に振った。

「無理だ。彼女には敵わない。私の魔術が効かないんだ。彼女は賢天だし、きっとまだ奥の手を隠し持っているはずだ。それに、私の手元にはもう練成に使える素体がない……」

 オボロは人差し指を立てると、それをゆっくり胸の中心に押し付けてきた。


「まだ、あるじゃないか」


 彼は耳元に顔を近づけて囁く。

 

 復讐だモリス。

 

 君を傷つけ、裏切り続けた世界に一矢報いるんだ。

 

 大丈夫。

 

 君は賢天の魔術師(サージオ)――さあ、勇気を出して。


「わたしは、賢天の魔術師(サージオ)





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