第四章 賢天の魔術師 3
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ブンスロー。
そこは昔から多くの知識人や芸術家、音楽家などを輩出してきたことから文化の都と謳われる都市だ。町にはラブラス随一と呼び声高い美術館、図書館、公会堂に野外音楽堂といった、ラブラスの文化を記録し、彩りをもって表現してきた施設がひしめき合っている。
その中でも、エンボールド文化学校と言う世界的有名な巨大学舎がある町としても有名だ。一万二千人とも言われる生徒数で、一〇年の修業期間と、三年の研究期間があり、卒業者は大学卒業と同等の学位が与えられている。その他にも多くの歴史有る学舎が在り、その事から学園都市としても海外に名が知れていた。
人口は一四万。リリビア州の中では七番目に当る都市で、鉄道の整備をされてからはトマーウェルへのアクセスも良好となり、首都から子供達を文化学校へと送り出す親が大勢いた。
その中には、政界や資産家の子息も居るため、彼らを若い内から手懐けておく意図を持つ、アルビオン情報機関[王国の庭師]の支部もこの町にあった――と言うのは余談である、ニャ。
パンフレットを読んで聞かせたケメットは一仕事終えた、と息をついた。
「おかしいでしょ。どうしてパンフなんかに庭師の情報が載ってるのよ。筒抜けじゃない」
「企業努力の賜物ですニャ」
なんて他人事のケメットから冊子を奪い取り、いったい何処の馬鹿がこんな危険な物を出版したのか確認しようとしたその矢先、パンフレットが自然発火した。
驚いて「ヒィッ」と悲鳴を上げ、地面に落ちて灰になっていく『ラブラスの歩き方』を苦々しく睨み付ける。読み手の意思を汲んで魔術を発動させるとは、なんと手の込んだパンフレットだろう。
くだらない事に力を注ぎすぎだが、諜報機関並の情報網に舌を巻いてしまう。
「にしても、見るのと聞くのとではやっぱり衝撃の度合いが段違いですね。実際に目の当たりにしてみて、この異様さが良くわかりました。私なんだか恐くなってきましたよ」
そう言って息を呑むルイズにつられて、改めて街を見回していく。
ここはブンスローの繁華街で正しい筈だ。
色彩に富む洒落込んだタウンハウスが軒を連ね、整然とした石畳の通りは桜並木で華やいでいて甘ったるい芳香が鼻を擽っていた。
若者達が集う街なだけあって、通りに面した店は伝統から乖離した新世主義国風の流行を追っている。すなわち、歴史の継承ではなく看板のすげ替えで何にでもなりそうな、判で押した類の店構えだ。
しかし、多くの学生達で賑わっていたであろう街路は驚く程静かで、あまりにも小綺麗。
これまでも、戦地に近い町々では、住民が戦火から逃れる為に地方へと移動する『疎開』が行なわれた光景を何度となく目にしてきた。但し、そのどれもが敵による待ち伏せであったり、様々な罠や有刺鉄線などの障害物で要塞化され、こちらの進撃を阻止する妨害工作が行なわれていたのだ。
だというのに、この首都から一番近いブンスローには、その何れも存在しない。
疎開時の混乱の痕も見ることが出来ず、まるで街が住民を呑み込んでしまったかのように、人だけが生活の中から切り取られていた。これでは……。
「こんな様子じゃ、メイチャップを買ってくれる人は居ないみたいね……」
「まだ言ってますニャ?」
「もう商売は諦めてください。偵察からの報告で、周辺の村や町からも人が消えている事が確認されています。メイチャップやお祭りどころじゃないんです」
「でも大佐、トントンだって言ってました。美味しい物くらい食べられますニャ」
いつも通り二人は口を挟んでくる。そりゃあ自分でもこの状況を見れば商機が無い事くらいわかる。でも悔しい。いっそのこと兵士達に土産物として在庫を買わせてしまおうか。
「トントンなんて商売じゃないわ。時間の無駄よ。あ、良いことを思いついた。この町に銀行はないの? 金山が近くあるんだから、きっとお宝が眠ってるはずよ。財宝を探しに行きましょう! トレジャーハントよ!」
「世間じゃそれを泥棒や強盗って言うんです。絶対に駄目ですよ。今度こそモック中佐に言いつけますから」
取り付く島もないルイズにピシャリと叱られてしまう。
口を窄めて不満を露わにしてみるが、彼女は一歩も引かんとばかりに柳眉を逆立て、駄目だ駄目だと背中を押してメインストリートへと歩かされた。
「ねぇ、シンクレアは商人なの?」
後ろからトコトコついてくるリースが小首を傾げながら尋ねてくる。
その小動物めいた愛らしい仕草に、自然と頬が緩んで笑みが浮かんでしまう。
「ええそうよ。あたしは商人。戦場を渡り歩く行商人。たまに本も書くわよ。戦術書と……あと恋愛小説。そして冒険家ね。世界中の財宝を探し求めているの。今の目標は『アルトロモンド』を手に入れる事。それが何かは知らないけど、きっと素晴らしい物に違いないわ。でも重要なのはその旅路なの。バーニィも言っていたけど『あの世に財宝は持っていけない。この記憶こそ俺の人生の宝だった』はぁ、死ぬまでにあたしも言ってみたいわ」
「アルトロモンドって、カイロ・メジャースの?」
「そう! 偉大な文学作品よ。あなた小さいのによく知っているわね」
「主人公のバーニィはアルトロモンドを手に入れる為に、七つの創造器を集める旅に出るのよね。本編では六つの創造器を集めるんだけど、記録を操る七つ目の創造器〈蛇の書〉を前に、病に倒れて夢を諦めるんだわ。あれは悲しいお話ね。あ、シンクレアって、いつもバーニィの邪魔をしていた女盗賊から取った名前なのね」
「リース、あなた将来大物になるわよ。うちの連中ときたら、どいつもこいつも本の題名くらいしかしらないの。こんな無教養が許されるっておかしいと思わない?」
「冒険譚としてはわたしも好きよ。バーニィは格好良いもの。シンクレアも、いつもやられちゃうけど、諦めないのは偉いと思うわ。ちょっとエッチだけど。でも本当はね、一番好きなのは、ハナクソ味のお菓子が出てくるやつよ」
「ああ、あれは良い空想科学小説だったわね。あれのお陰で飛行魔術が流行ったわ。高度過ぎて事故が続出したけど。エルードラ学派の若い連中なんか、額を自分で傷つけたりしてさ。影響力があるのも考えものね」
打てば響く小さな同士の出現に、つい立場を忘れて(いつも忘れているが)自分の中の趣味人が子供のようにはしゃぎだしてしまう。第三者が今の二人を見て、早朝に殺し合いを演じたばかりであるなどとは想像出来まい。思わず抱き締めて、何処かに閉じ込めて仕舞いたくなる衝動を抑えきれず、リースを腕の中に収めて宣言した。
「決めました。あたしはこの子を次代のシンクレアに任命します」
この厳かな決定に、呆けた顔のケメットと無表情のルイズは歩みを止めると、「襲名制でしたのニャん。それはそれは……」「馬鹿言ってないで行きますよ」彼女達は毛筋ほどの関心も示さずすり抜けていった。なんと冷たい連中だろう。
「ちょっと扱いが雑になっている気がするの。上官の稚気に付き合わないって酷くない?」
「いつもは違う? これも面白いと思うけど」
リースは抱き留められながら見上げてくる。
「リースは遊びの達人ね。なんでも楽しめるのは良いことだわ」
腕の中の少女は肩を揺らして、ふふ、と笑うと柔い拘束を逃れ、後ろ向きに歩きながら小路へ入る。
そしてこの静かな街の建物の影に入ると、瞳だけを光らせて尋ねてきた。
「ねぇ、シンクレアは魔術が好き?」
「さあ、どうかしら。楽しかったことはないかもね」
「どうして魔術師になったの?」
「なりたかったわけじゃないわ。子供の頃から一番身近にあった。友達も――いなくはなかったけど殆どいなかったから、母親の魔導書を絵本代わりにして毎日読んでた。気付けばこうなっていたわ」
「じゃあわたしと同じね。家には沢山の本があったわ。魔導書ね。お父さんが集めたの。嫌いだったわけじゃないのよ。お父さんはその魔導書の意味を教えてくれたし、それに纏わるお話もしてくれた。悲しいお話が多かったけれど、こうやって正しく使えば、ハッピーエンドになったよねって、二人で想像するの。それは楽しかったわ。楽しいことは良いことよね? でもね、お父さんは魔術のことを考える時、すごく辛そうにするの。あまり構って貰えないし、邪魔をしたら怒るの。そんな時はね、ソニーの部屋に行って遊ぶの。ソニーって、ケメットみたいのね。あの変な語尾は無いけれど。だからね、わたしも魔術はあんまり好きじゃないの。お父さんも辛そうだし、わたしも寂しいし、楽しくないわ」
だからね――とリースは眩しさに耐えかねるように、その綺麗な瞳を狭めた。
「お父さんを魔術から解放してあげたい。苦しい思いをしてほしくないわ」
言葉を継いでいく中、心なしかリースの声から温もりが失われていくような気がした。
アング・レヒト中佐率いる第一戦闘大隊の指揮所は、ブンスロー中央区にある野外音楽堂広場手前の町役場に置かれていた。窪地に造られた音楽堂のステージには、張り出しの屋根が設えてあり、それを大理石の柱が支えている。客席は石造りの階段席となっており、約千人を収容することができるであろう立派なものだ。
今は音楽を楽しむ観客の代わりに、行軍の疲れを癒す為の休憩場になっており、雑嚢や背嚢を枕にして横になる兵士達でごった返している。一度の交戦もしていない彼らであったが、常に第一線として前進し続けてきたので、流石に疲れの色は隠せなかった。
役場の中では、多くの指揮所スタッフ達が動き回り、最後の仕上げとばかり精を出して仕事に励んでいた。事務机や受付カウンター、棚の中の冊子やファイル、地元の新聞、役場職員のマグカップ、それらはそっくりそのまま遺されているように見受けられる。
他にもカレンダーや政治家のポスター、掲示板に画鋲で留められた報せの数々も、昨日までここに人が居たかのような生活感に溢れていた。
レヒト中佐がコーヒーを差し出し、事務机を四つ合わせて拵えた卓の左手に腰掛けながら言った。
「今朝は大変だったようですな。しかしまぁ、そこは大佐だ。戦果を聞きましてどれだけ自分が悔しかったことかおわかりになりますか? とても……とても羨ましい! 一番槍は我らにとあれほど言いましたのに――いえ、いえ、過ぎたことです。もう良いでしょう」
口ではそう言いながらも確り当てこすってくる辺り、よほど悔しかったと見える。
「あんまり虐めないでよ中佐。好きでああなった訳じゃないわ」
「はい、それはもう。承知しております。我々はメインディッシュを頂ければ、もう何も言うことはございません」
「話が逸れた。状況はどうなってるの」
ええ、とレヒトは立ち上がり卓上の街とその周辺の地図を指した。
「ここが現在地となっております。街の調査の方は終りまして、罠も無ければ人も居ないという状況です。ここからトマーウェルですが、車で一時間もしない距離にあります。ですが大佐の厳命通り、丘を越えさせてはいません。〝驚くほど〟慎重に事を運んでいます。しかしもう部下の方が限界でしてな、抑えるのに一苦労です。我兵士ながら血気盛んなものでして。ああそれと、補給物資を町で調達しようにも許可を求めるべき人物が見当たらんのです。勝手に進めてもよろしいでしょうか」
「そうね、進めちゃって……いえ、待って」
窓の外でリースとハティが戯れていた。それをケメットとルイズが見守る構図になっているのだが、次第に暇を持余した兵士たちが集まりだして、地面に寝転がったハティの前脚を引っ張り回して遊び始めた。ハティの大きな尻尾に弄られてリースが大声で笑っている。
そんな事に気をとられながらも、自分の置かれた立場に意識を振り向け、現地調達が略奪の気質を持つことに思い至る。
「中佐、今あたしが置かれている立場はわかっていて?」
レヒトは戦闘指揮官としては申し分ない人材で、自らが戦場の主要プレーヤーであることを自負するほどの武人である。勇猛果敢、豪放磊落、意気衝天の化身であり、以前彼が所属していた大隊では、この竹を割った性格が仇となり、政治力で敗れて居場所をなくした口なのだ。
瑣末なことには拘らないが、他人の機微にも拘らない。
彼は左目を覆うトレードマークのアイパッチを二、三回いじって息を吸い込むと「はて……」と呟き右目を宙に漂わせた。
「あたしは今、国際社会からラブラスで大量殺戮を行った戦争犯罪者として喧伝されている。この状況で、ラブラスの人民を敵に回すような行為は一切できないのよ。全て書面で明らかにすることが出来る方が望ましいわ。そう、そうよ。いま思い出した。こんな苦境に立たされてなければ、金庫破りでもなんでもしてやったのに! ああもう……ああ! お宝がすぐそこにあるのに!」
はぁ、と特に興味もなさそうなレヒトは「では仕方ありませんなぁ」と得心顔で頷いていたのだが、突然「そうでした!」と大声を上げるものだから驚いてしまう。コーヒーを少し零してしまった。
「お宝で思い出したのですが、町の情報を集めていて一つ気になる調査報告がありました」
「聴きましょう」
「それがですね、大佐も町を見てきて当然気付かれたでしょうが、住居や店舗のドアが高い確率で破壊されているということです」
「ああ……ええ、うん?」
気付かなかった。リースに構ってばかりいたので完全に失念していた。何の為に?
「初めは火事場泥棒の線を疑いました。しかし情報が集まるにつけ、銀行やら時計・宝飾店なんかの高価な品物を置いている店は無事でして、まだ完全に把握できたわけではないんですがね、民家や住居一体型店舗ばかりがこの被害に遭っているらしいんです」
ふむ。順当に考えて、それは人の居る家屋が狙われたのだろう。
この町に人が居ない理由も絡んできそうだ。それにもう一段、強力な発想もある。
リースが手駒として使役していたデュラハンだ。彼らはこの国の兵隊だった。
それがどうして首なし騎士へと変貌を遂げ、どういった経緯でリースの配下に加わったのか。彼女に訊くことが出来るなら話は早いが、無理だろう。彼女の精神を追い詰めることになるし、何より自分にはその手段を取るつもりはない。
「関係ないわ。あたし達は警察じゃない。民間人が居ないならやり易いじゃないの。今あたし達に求められているのは、一日も早い終戦よ。敵が居るなら叩いて潰す。それだけよ」
子供でもわかる軍隊の論理にレヒトは甚く共感して「いやまったく、まったくその通り」と馬鹿でかい豪快な笑い声を響かせ、スタッフ達の肩を跳ね上がらせる。
トマーウェルへと続く一番大きな街道である国道三号線。
そこで待機していた斥候からの一報が入ったのは、そのすぐ後のことだった。




