第三章 青空軍隊の行商 4
4
「すみません旦那さま! 止めようとしたのですがここまで強引に……」
部屋の外で女給が無念そうに声を上げて弁解しているが、言葉ほどの抵抗は受けていないので、その悪者扱いが少し癪に障った。
それは置いておくとして、室内に居る面子を確認していく。
いい年の男二人に老婆が一人。
文字通り聞き耳を立てていたケメットがスピーカーになってくれていたので大まかな状況は掴んでいる。彼らの窮地をダシに町への進駐を迫ろう。そうした算段を立てていると、粗野な風体の男が噛み付いてきた。
「おいおい、姉ちゃん。いきなり現われてなんだってんだ!」
「あなたがモルガン伯爵? 失礼だけど、伯爵さまには見えないわ。どちらかと言えば鉱夫ね」
「言われずともこちとら四〇年も山を相手にしてきた鉱夫だ! どこのどいつか知らねぇが、女だからって容赦してもらえると思ったら大間違いだぞ」
敵意を剥き出しで彼は睨め付けて、今にも掴み掛かって来そうだ。
「待て、ドニー。こちらのお嬢さんは私に話しがあるらしい」
ドニーと呼んだ鉱夫を引き止めたのは、背も高く目鼻立ちも洗練され、身形にも気品が表れている三つ揃いの紳士だった。
「私がこの家の当主、ユークス・モルガンだ。伯爵の爵位はアマルデウス王より賜った。これでも、アルビオン王国の一貴族の支流を継いでいるよ。それで、あなたはどちら様だったかな。我々はいま重要な話し合いをしているんだ。急用でなければまた後日、日を改めていただきたい」
「改める日も後日もない。我々はアルビオン王立陸軍――中央即応軍、第三軍破城槌軍団に所属している第七独立連隊。あたしは指揮官の賢天の魔術師シンクレアだ」
「アルビオン? なぜアルビオン軍と賢天の魔術師がここに……」
驚きの色が広がる様子に多少なりとも優越感を覚えた。近頃とんと感じなかった畏敬や畏怖といった空気がここにはある。部下達に小突き回されている自尊心が癒されていく。
そうだ、あたしはアルビオン軍の軍人。
一軍の指揮官。司令官と呼んでくれても良い。
そして何よりも〝シンクレア〟だ。
誰もが尊び畏れるであろう賢天の魔術師シンクレア!
「ふふふ、ルイズ、説明しておあげなさい」
優越感に浸りながら気持ちよく命令を下すと、珍しくルイズも型に嵌って「はい」と厳かに応え眼鏡を直した。
「多少の誤差があるでしょうが、約二週間前、我が国はラブラス共和国による宣戦布告の通知を受けました。アルビオン王国はそれに答える形で現在、大ラブラス島への侵攻を開始しています」
「馬鹿な――ッ!?」
老婆……恐らくカーミラを除く二人は驚愕を露にする。
この反応も見慣れた物だったが、こちらから事態を説明する下りはやはり奇妙なものだ。彼らが狼狽している内に更なる畳み掛けを行う。
「ここより南の町や村落は既にアルビオン軍の支配下に置かれているわ。この町にも砲兵が狙いを定めている。いつでも焼き払うことが出来る。無論、あたしもそんな真似はしたくないわ。でもあなた達の出方によっては――」
「いつの間にそんな采配を……ッ! ウチときたらまったく気づきませんでしたなッ! さすがは大佐ですニャ! 天才軍師ですニャ!」
「……」
この無垢なる賛辞を贈りつけてくれた察しの悪い〝獣兵〟に向かって上体を捻ると、嫉妬したくなるほど綺麗でぷにぷにの頬を鷲掴みにした。
「そう、さすがでしょう?」
「ふぁい」
この奇行があってもモルガンたちが嘘に気づいた様子は無かった。
信じられない、口々にそう言って頭を抱えて青ざめていた。
「政府は何をやっている。どうしてそんな馬鹿な真似を。それで……そちらの要求は?」
「スプートへの一部隊の滞在許可と司令部の設置よ。それと兵士達の寝泊りできる場所のも借りたいわ。あと食料の供出ね。接収もしないし、略奪もしないわ。悪い話じゃないでしょう?」
こちらとしては最大限の誠意を見せたつもりだ。
シオーリンでモーストン将軍にやり込められた事を思い返せば、このくらいの強気で無ければバランスが取れない。だが、鉱夫の方は不満らしい。
「勝手に人様の土地に上がりこんだ上に、銃で脅して何都合の良いこと言ってやがる! こっちは自分たちを食わしていくのがやっとなんだ! どれだけ俺たちを追い詰めりゃ気が済むんだよ!」
凄い剣幕で捲くし立てられて少したじろいでしまう。
それに生活が苦しいと面と向かって訴えられてしまうと悪いことをしているみたいだ。でも、これ以上軍票を切ってしまったらさすがに用途を詮索されてしまう。
シオーリンでも食料とは別にラブラス侵攻記念として全部隊にマイルキッパーを配って軍票を切っている。加えて、既に余計な――もとい未来の軍資金への投資をしたこともあり、ご利用は計画的な物に抑えておきたい。
「そ、その代わりに、ラブラスで起きている事態の解明に手を貸すわ! 行方不明者が大勢居ると聞いたし、それなら良いでしょ?」
「それがわかったところで、もしこっちの食い扶持が戻らないとなったら、結局俺たち飢えることになる。その中でどうしてお前達に貴重な食料をくれてやらなきゃならない」
腕を組んだドニーは一歩も譲らぬ姿勢だ。一見して愚鈍そうだという見立ては誤りであった。
立場がおかしなことになりそうで生唾を飲み込む。
「だったら……食料の供出は止めても良い、かな。これでいいでしょう?」
いつの間にか自分が譲歩に譲歩を重ねていることも気にならず、目の前の交渉に傾倒していた。
ドニーは熊のように唸り黙考している。
とにかくもう一押し。
「伯爵、あなたはどう?」
「うぅむ……事態の解明は確かに我々の欲するところでありますが……」
「こちらからはもう一つ提案がある。ケメット」
「はいニャ!」
呼ばれて前に出た彼女は、煌びやかな装飾が施される一着の巫女服――メイチャップを広げて見せた。
「メイチャップじゃねえか!」
「なぜあなた方それを?」
状況が再びこちらに傾いたと見て、気を取り直し、再び尊大な態度で得意げに言った。
「あたし達は南から来たのよ? 当然、シオーリンの町も支配下に置いている。そこがハルジオ祭りで使われているメイチャップを伝統的に生産し、この国のシェアをほとんど独占していることも調べたわ」
「まさか奪ってきたもんを売りつけようって腹じゃあるまいな」
「馬鹿言わないで。輸送手段が無くて困っていたところに、我々が手を差し伸べたの。リリビア行きのメイチャップを買い取って、必要とされる地で需要を代わりに満たしてあげようってだけよ。良心的でしょ?」
「それを我々に売ろうと言うことですか?」
「この霊服……微かだけれどマナを内包している。儀式の為に専門の職人が最適化したものと見受けるわ。子供達も言っていたけれど、これが無いと出来ないんでしょ? お祭り。今なら送料込みの1万6千カークでお譲りするわ。スプート行きの一五〇〇着もちゃんと確保してるの」
もともとメイチャップは祭りの儀式に欠かせない物のはずで、発注したのはスプート商業組合である。もしこれが拒絶された場合は、大量の派手な衣装は不良在庫となって赤字を抱え込んでしまう。
もしそんな事になったら元手の回収は非常に困難な事になるだろう。
だが、こちらには奥の手がある。
不測の事態に備えてモーストンから買い取ったスプート商業組合からの発注書だ。
彼らが取引を拒否したなら、直ちにこれを突きつけて契約を反故にするのかと迫ることができる。最悪の場合、強引に取り立ててやることも出来るのである!
「――あ……」
ここに来て、とんでもないことに気づいてしまった。
もし彼らが取引を拒み、こちらが無理強いしたとしよう。
そうすれば金は入るかもしれないが、信頼関係は築けなくなるのではないか?
部隊を滞在させ、前線司令部の更新という目的が頓挫してしまう。住民の協力が得られずに衝突が起これば本末転倒。作戦の遂行が危うくなる。対して、買取を拒否を受けれた場合はどうだ?
モーストンに渡した軍票を買い戻せなくなる。そうなれば軍票の用途が詮索されるのは必至。
事態が発覚してしまう。
そうなれば汚職とみなされ軍法会議が開かれる。
会計局の疑いの目を遠ざけるために戦争に乗り出したというのに、このままではトロン将軍の後ろ盾を失うどころか、顔に泥を塗りかねない。そうなったらあたしはどうなる?
賢天をクビになって軍を除隊させられて逮捕?
あまりにも戦場が平和すぎて余計なことを考えすぎた。
欲に目が眩んだばっかりに、このわかりきった図式を読み取ることが出来なかった!
いつも加減を間違えて調子に乗ってしまうこの身の愚かしさに辟易として、人知れず心臓の鼓動が早まっていく……。
ところが、暗闇に差し込む一条の光は意外なところからやってきた。
「買い取ってやろうじゃないか」
嗄れた声が沈黙に支配された部屋に響く。
これまで事態を静観していたカーミラが口を開いたのだ。
彼女は杖に体重を掛けてやおら立ち上がると、こちらに向かって歩き始める。彼女からマナの微震が発せられ、手を前に突き出すと、全身をすっぽりと覆い隠す煙の膜が展開された。
即座にケメットが拳銃を抜き、遅れてルイズも鞄から――手間取りながら銃を取り出す。
「待ちなさい、カテゴリー2だ。攻撃じゃない」
攻撃の意思があるのならば、霊振幅はカテゴリー3以上のふり幅を示し、肌を刺す感覚が魔術の発現前に放散されるものだ。危険は無いと判断して部下達を制する。
だが、カーミラは何を思って魔術を行使したのか。
自らが生み出した煙を突っ切った彼女は、それまでの干しブドウのような姿から一変していた。
背丈は一七〇サントある自分よりも高くなり、荒れ放題だった白髪には艶のある濡れ羽色を見せた。
干乾びた肌には潤いが戻り、斑点を散らしていたシミは一つも無い。
骨と皮だけの体にも肉がついて、胸元や臀部は盛り上がり、いかにも男好きする背格好へと変身していた。蠱惑的な顔に微笑を浮かべる彼女はこちらを見下ろし、透き通った猫なで声で語りかけてきた。
「あたしが若い頃には、エボナの作った術士等級なんてなかったのさ。カテゴリーで評価され、地位が決められることも無かった。もちろん、賢天なんて称号も無かった。古き良き魔術師は、土地に根付き、人々と共に生きてきた。それが今はどうだい? 魔術師は免許制となり、企業に召抱えられるようになった。営利目的で術技を身に着けた粗製乱造の〝術技者〟どもが世の中に跋扈している。そこに矜持も哲学も無く、産業革命の名の下に札束の沼に沈んでいった。それでもまだ魔術師としての誇りを保てる場所があるとしたら、それは戦の中だけなのだろうか。お前もその口かね、賢天の魔術師」
マナの圧力からしても、この老魔術師に危険な術が無いものと考えられる。
しかしどういうわけか自分は射竦められている。
力としては自分が上のはずだ。
魔術も畑が異なるようだが、カテゴリー5――『賢天の秘奥』の所有者は伊達ではない。それなのに、大蛇を前にしたカエルの心境を理解してしまう自分が気に食わない。
腹に力を込めた。
「何が言いたいの」
「聞かなくてもわかるだろう? それとも、口にして身を滅ぼしたいのかい」
「話がさっぱり見えてこないわ」
「まったく、商売で火遊びをしたり軍隊ごっこに感けているから、世渡りの術が疎かになるのさ。やはりエボナの世界は人を劣化させるね。良いだろう、やり易くしてやる」
それからカーミラは抑揚を欠いたまま淡々と続けていく。
「メイチャップが欲しいのは事実だし、買ってやることも吝かじゃないよ、小娘。お前達がラブラスの異変を解決し、民に安寧をもたらすというのならこの町への滞在も認める。だがね、如何せんこの先心許ない。そこでどうだろう、持ちつ持たれつでいこうじゃないか。この町を物資集積所として使うことを許す。労働力として持余している鉱夫たちを貸してやるよ。奴らは学は無いが力だけはある。荷運びや荷物番くらいなら役に立つさ。その代わり、食料の備蓄を分けてもらいたいね。シオーリンを取ったのなら、しこたま仕入れたはずだろう?」
「カーミラ様! そんな勝手に」
魔女達の中で話が進んでいくことに焦燥感を覚えたのか、モルガンが口を挟もうとするが「お黙り」という強い一言で、彼は口を噤んでしまう。
「なぁシンクレア。賢天とまで呼ばれる魔女が、つまらんことで経歴を傷つけるのは、それこそつまらなんだ。あたしの言ってること、わかるかい?」
カーミラは気づいている。
自分のしでかした失態を見透かして交渉を持ちかけてきたんだ。
気の緩みから本分を疎かにして、好き勝手振舞ってきたことのツケが今まさに降りかかってきている。
逃げ道は無い。
無くはないが――それは理想とするところではなかった。
もっとも、逃げ道を塞いだのは自分なのだ。
「過ちは誰にでもある。次に生かすことだね」
唇を噛み締めて勝ち誇るカーミラを睨みつけた。
あとはもう、匙を投げるだけだった。




