第三章 青空軍隊の行商 2
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その日の午後になっても、狼連隊の進撃は止まらなかった。
彼らは何一つの戦果もなく、作戦目標を次々と攻略――というより消化していった。
地質変換を終えた湿地帯をシンクレアの号令の下に駆け抜け、続く森林地帯を突っ切り、次なる攻略目標である一一五〇高地の奪取を敢行。
二〇両のジーター戦車が横一列に並び、稜線を一気に駆け上がった。マンロイツ・エンジンが苦しそうに唸り履帯を軋ませながら、再三に渡る登頂に挑んだ。
そして高地を奪った戦車大隊とその随伴兵たちは歓声上げ、アルビオン国旗を突き立てる。
その頃にはもう、シンクレアは車両で眠りこけていた。
だらしなく半開きになった口から涎を垂らし、何一つ憂いの無い幸せな表情を部下達に晒されながら、仮設野戦指揮所に連れて行かれたのだ。
「大佐! 大佐は着いたか!」
大声を上げながら天幕を飛び出してきたのはレヒト中佐だった。
ケメットが「こちらですニャ!」と車両を停めると、彼は駆け寄ってきて突然哀願するように訴え始めるのだった。
「大佐、自分はもう我慢なりません! 敵はどこです!? ここまで一度の接敵もない! 斥候を放ち、草の根分けて探しても、奴らの活動痕跡一つ見つからない! 我々は本当に戦争をしとるんですか!?」
レヒトの大声で夢から現実に引き戻されると、全身をビクつかせて涎を啜った。
「ねてない、寝てないわ」
「何の話です。それよりも敵のことです。いったい我々の戦争はいつ始まるのです。敵が居なければ戦争にならない! 子供の使いに来たわけではないのです。このままでは兵の士気が落ちてしまう」
口角泡を飛ばし詰め寄るレヒトの頭を押し返しながら何度も頷いてみせる。
まだ頭の中がわた飴のようにふわふわしており、何とはなしに同意しておいた。
「もっともな話だわ。でも敵は必ず居る。あたし達はまず一つ一つ要点を押さえながら支配圏を固めていく。延びきった補給段列のことも有るし、この指揮所に物資集積所を作らせる。この先の鉱山都市スプートが次の目標よ。そこを押さえられたら、敵も動かずには居られない。あたしはこのまま視察に行くから、指揮は任せるわ。モック中佐が着いて補給と整備を終わらせたら、順次前進を再開。力を溜めておいてね中佐。ラブラスへの一番槍はあなたなんだから。あ、すごくない? 噛まなかったわ」
寝起きにしては良く回る舌に自画自賛していると、レヒトもいまの説明で溜飲を降ろしたらしい。
満足したように一歩下がった。
「了解しましたぞ、大佐!」と少しばかりやる気を取り戻せたようだ。
未だに重い瞼を擦って「じゃあ出発」と号令を出せば、ケメットはいつものように従順な返事で「はいニャ!」と答えて暴れ馬のようにバンカーフラッペ発進させた。
だが直ぐさまルイズが慌てふためいた様子で叫びだす。
「ちょ、ちょっと待ってください! 私は降りるんです! 止めなさいケメット!」
「大佐のご命令です。止まりませんのニャ」
「なんて聞き分けの無い子なの! 大佐ぁッ、なんとか言ってやってください!」
「やっぱり戦場は自分の目で確認しないとダメなの。五感を使って全身で感じる必要があるの。そこに歴史が甦るのよ。わかる?」
「何の話ですか! モック中佐に怒られるぅ!」
寝惚けていた所為もあるが、半分は確信犯だった。
まだルイズをモック中佐の下に戻すわけにはいかない。
彼女は嘘を吐けない真面目な性格の持ち主で、ケメットとは別の意味で融通が利かない。
もうしばらく手元に置いて、共犯者に……いや、同志にしてしまおう。それに彼女が志望する参謀部はずる賢い制服組の巣窟だ。酸いも甘いも噛み分けて、強靭な精神を養って欲しい。
こうして大人になっていくのよルイズ――感慨深く思いながら、降ろしてくれという彼女の悲鳴が尾を引いて、バンカーフラッペは高地を駆け下りていった。
∴ ∴
家を出て何日経ったんだろう。
ベッドで寝なくなって何日経ったんだろう。
一人になって何日経ったんだろう。
人と話さなくなって何日経ったんだろう。
昼は森の中に身を潜めて静かに夜を待った。日が沈めば人里に下りて霧の中を彷徨い続けた。たまに人の居ない集落に留まる事もある。知らない人の家に勝手に入って、食べ物を盗んで一晩明かすこともあった。でもずっとそこに居るわけにはいかない。ごく稀に人が訪れる事がある。
トマーウェルの方へ向う人も居た。そんな人たちを怖がらせてしまうかもしれないから。
でも、何も知らない人達を、行かせる訳にもいかない。結果的にそれで良かった。
牧師様が聞いたら卒倒してしまうような生活を続けて、きっと神様は怒っている。
でも毎晩のお祈りは欠かしていない。お許しくださるよう、毎日祈った。
非常識で倫理感も何も無い昼夜の逆転した生活も、慣れていくのが恐かった。
元の生活に戻れなくなってしまうような気がして、そうなったらお母さんはきっと怒る。
でもあの人に怒られるのはへっちゃらだ。
自分の事しか考えていない人だし、子供も自分のステータスにしてしまうような人だ。
自分の為に勉強をさせて、綺麗に着飾って、飽きたら見向きもしない。
好きな人が出来たら、邪魔者を見るような目でわたしを見てくる。
そんな人――死んでしまっても、心は痛くない。
長い時間を掛けて、あの人は、わたしのお母さんに対する愛を殺したんだ。
だからお母さんの色をしていない。
お父さんが心配だった。
お父さんは沢山の人から虐められている。お母さんからも裏切られて、皆から陰口を叩かれている。
どうしていつも頑張ろうとするお父さんが、皆から虐められるのかわからなかった。
助けてあげたいのに、わたしにはどうすることも出来なかった。
わたしに力が無いから、お父さんは心を閉ざしてしまったんだ。
だから恐い人達に囲まれて辛そうなのに、笑っているんだ。悲しい嘘の色をしている。
助けてあげたいのに、わたしにはその力がない。
仕事の事になると機嫌が悪かったけれど、普段は色んなお話をしてくれた。たくさん遊びに連れて行ってくれた。あんなに辛い笑顔のお父さんは、もう見たくなかった。だから頑張るんだ。わたしが頑張るんだ。
ずっと一緒だったソニーも居なくなった。
一緒に家を出て、恐い人からわたしを守ってくれた。でもソニーは病気だった。
治してあげようと頑張ったけれど、わたしにはまだ無理だった。ソニーは笑って許してくれたけど、壊れていくソニーを見るのは辛かった。その内お父さんを助けるために、人を呼びに行くと言って姿を消した。
優しい色だった。
それからわたしは一人だ。
寂しいし、恐いけれど、お父さんを放っては行けない。
山の街道を行く商人達の噂話を聞いてしまった。魔女の軍隊がラブラスに上陸したらしい。
指揮官は賢天の魔術師シンクレアと言っていた。
賢天なんて、人の心を惑わすばかりでろくな物じゃない。それにきっと、お父さんをまた虐めるんだ。
絶対にそんな事はさせない――お父さんを守るんだ。
深い森の遺跡に一台の車両がやって来た。
そこには、軍服を着ている人間と半獣人、そして鳶色のスーツを着た女が居た。
あれは魔女だ。
人の出す色でわかる。
あれが――わたしの敵の色だ。
∴ ∴
ラブラスには古くから信仰されている土着宗教がある。
女神『テンドー』による創世から始まり、人々に農作の知識を与え、土地と共に生きることを諭したとされる。古代ラブラス人はこの女神を崇め、数々の供物を残した。
神殿を筆頭に、豊穣の神であり、太陽と雨をも司る天空神でもあるテンドーへ捧げる像は、天へと伸びる柱として表された。
女神を象った大小様々な石柱が島には多く遺されていて、この『テンドー・ハルジャー』と呼ばれる石柱は、島の住民がアルビオン移民にとって代わった後も人々から愛され、伝統工芸となった。
今日ではテンドー関連の工芸品はその芸術性の高さから、世界各国で注目されるようになり、ラブラスの主要輸出産品に名を連ね、昇華されていった。
「――だ、そうです」
ルイズはパンフレットの朗読を止めた。
「消費されたの間違いじゃないの。『斯くも宗教とは優れた投資先だ』資本家の言葉ね」
皮肉めいたことを口走り、テンドー遺跡を見回した。
遺跡にはふくよかな女神を象った石柱が数多く立ち並び、その使いと思われる炎の化身――炎竜サラマンダーの石像も遺されていた。
石畳の長い道が不揃いの石段を経て、朽ちかけている神殿へと続いている。
ドーム状の神殿に開いた穴からは、巨大なテンドー像の顔が覗いており、参道を通る者達を見下ろすように視線を向けていた。
まるで監視されているような気味の悪さを感じるが、神秘の気配はない。
しかし、何だかこそばゆいような、マナの微震が近くにあるような気がして落ち着かなかった。
「大佐ァ! 神殿の偵察に向かいますのニャ!」
ケメットはそう叫ぶのだが、せめて言い訳をするなら手に持っているカメラを小銃に持ち替えろと言いたい。彼女はここに着いた当初から興奮し切っており、写真撮影に感けてばかりだった。
「ケメット! 観光にきたんじゃない!」
そう叱責してやった時だ。
近くで物音がした。ルイズは体を一瞬強張らせて息を潜め周囲の様子を窺った。ケメットはその頭に立つ大きな耳を二、三度ひくつかせて引き返して来ると、カメラと小銃をようやく持ち替えた。遊底を操作して薬室に弾薬を送り込むと、続いてバンカーフラッペのエンジンをかけた。
規則的なエンジン音が響く中、ルイズはおずおずと車両の陰に回りこむ。
「敵でしょうか?」
「ルイズ、逃げる前に銃を取りなさい」
「は、はい!」
声を上擦らせて彼女はパンフレットの冊子を座席に投げ込み、震える手で小銃を手に取った。
「中尉は無理をなさらない方が良いですニャ」
「ば、ばかにしないで! 私だってアルビオン軍人です!」
こちらもショルダーホルスターから拳銃を引き抜く。
どうにもこの雰囲気は妙だった。
「ケメット、敵の匂いはするかしら?」
「ウチは犬畜生ではありません。この立派に反り立つ耳が見えませんかニャ」
「犬だって耳は立ってる……ああ、でも、敵ならとっくに仕掛けてる」
そう言って地面を勢い良く踏みつけた。
すると、一〇リーム程先にある倒れた石柱の陰で悲鳴が上がり、二つの小さな影が飛び上がった。
「子供?」
物陰に隠れてこちらの様子を窺っていたのは、一〇歳前後の少年少女だった。
どこぞの紛争地帯や、営利戦争を理解出来ていない野蛮人同士の戦争では、一五にもならない子供が戦場に駆り出されることが儘ある。体力や教養を十分養わずに戦い臨む彼らが出来ることといえば、命を顧みない特攻攻撃以外に用途は無い。
自爆攻撃の事例は数多くあるため、当然警戒していたが、ひとまず害は無いように見えたので、捕えた彼らから話を聞いてみることにした。
「さあ、あんた達、こんなところで何をしていたのか白状なさい。悪いようにはしないわ」
子供達は自分達の境遇に納得がいかないらしく、反抗的な目を向けていた。
とりわけ、少年の方は仏頂面で、不満を隠そうともしないし、怖がる様子も見せなかった。
「うっせえババア! ここは俺達の縄張りだぞ! お前達こそ何してんだよ!」
「ば、ババア!? あ、あた、あたしのこと? あたしに言ったの?」
思いも寄らない直球の面罵に動揺してしまう。
蝶よ花よと育てられた訳ではないし、美人を鼻に掛けて生きてきた訳でも無いが、ババアだなんて捕えた捕虜にだって言われたことない!
違うよねとケメットに目配せするものの彼女はケタケタ笑っていた。
頭に血が上り、この失礼なクソガキに大人の怖さを思い知らせてやる――その決心が固まる数瞬前に、ルイズに背後から抱きつかれて前後の位置を反転させられた。
「ケメット、空気を読みなさい! 大佐も、落ち着いてください、子供の言う事です」
「ガキの肩持つっての?」
「子供みたいなこと言わないでください! ここは私に任せて。こういうのは得意です」
言いたい事は間欠泉のように噴出してくるが、あまりにもルイズが自信あり気に言うので、鼻息荒く一歩下がって見守ることにした。彼女は眼鏡を掛け直すと、子供達の目線にしゃがみ込む。
「私はルイズよ。本名はちょっと長くてね、ルイズで良いわ。こちらのスーツのお方はシンクレア大佐。あっちの半獣人はケメットよ。さっきは驚かしちゃってごめんなさいね」
「なによ、あたしが悪いみたい」
不貞腐れているとルイズが振り向き「任せてください」と釘を刺してくるので渋々口を噤んだ。
そういえば彼女には六人も弟や妹が居る。
昔から子供の世話を焼いていたことを鑑みれば、なるほど適任だ。
そして実際に、彼女は少年少女の懐疑に歪む瞳を容易く懐柔してしまった。
自分の家族にも同じくらいの弟と妹が居ることや、故郷とラブラス島の違い、この島で驚いたことなどの他愛も無い話の中から、男の子の名前がレジー、女の子がシエラであることを聞き出した。
この先の町、スプートからやって来たようで、この遺跡は彼らの遊び場になっているという話だった。
「それで、今日もここに遊びに来たの?」
まだ自分に対しては心を開いていないようで、レジー反骨心を湛える眼で「違う」とだけ答えると、気弱そうなシエラが先を継いでくれた。
「大婆さまが言ってたの、大地が揺れている。精霊が怯えているんだって」
「よくないことが起こる前触れなんだ」
レジーも真剣な顔をして言った。
「最近あちこちで人が居なくなったり魔物が出るって噂があるの。だからきっとテンドー様が怒ってるんじゃないかって。わたしたちも、『霧の騎士団』を見たのよ」
魔物が出る云々という話はこの目で見たので疑いようは無い。
それに、魔物自体この島でもやはり異常と捉えられているらしい。
そして新たな情報がもたらされた事でつい「霧の騎士団?」と訊き返した。
「嘘じゃないよ。朝早く街道に出たとき、霧の中を進む凄い数の馬の足音を聞いたんだ。オレたちのほかにも見たって奴がいるし」
興味をそそられる話である。
視線だけでルイズに問いかけると、ラブラス軍ではないかという見解を示した。
ラブラス軍には未だ騎兵部隊が残っており、その一団の線が高いと言う。
しかし、これにレジーが反発した。
「あれは軍隊なんかじゃないよ。もっと幽霊みたいだった。霊服が届かない所為でハルジオ祭りが延期されたんだ。その所為でテンドー様が怒ってる。早く儀式を済まさないと、今年は大変なことになるだろうって大婆さまが……」
ハルジオ祭りという言葉を聞きつけ、ケメットは荷台から葛篭を乱雑に開けて、例の衣装を引っ張り出して子供達に見せてやった
「ウチが思うに、霊服というのはもしやコレのことかニャ」
子供達はまじまじとケメットが掲げる服を見ると、顔を輝かせて叫んだ。
「メイチャップだ!」
彼らの反応を見て、この商談の価値を再認識するに至った。
不適な笑みを浮かべ、メイチャップから遮るように二人の前に出る。
「こいつをスプートまで届けてあげるわ。でもその代わり、訊きたい事が山ほどあるのよ。お姉さんに、教えてくれるわね?」




