第三章 青空軍隊の行商 1
第三章 青空軍隊の行商
1
前線司令部を設置したシオーリンの町に引き返したシンクレアは、これまでの情報を統合して今後の方針に関する話し合いの場を設けた。最前線に布陣していた第一戦闘大隊のレヒト中佐を呼び戻し、モック中佐たちを始めとした第七独立連隊の頭脳を召集する。
暗黒大陸から大海を挟み大きく離れたこのラブラス島で、魔族が出現するという異常事態に加え、未だに姿を見せないラブラス軍の存在を鑑みた作戦会議だった。
しかし、ラブラス攻略に当たり、大筋を変更するには多くの為すべき事柄を残しているという結論に達し、『マイルキッパー作戦』は現状維持で進められることとなった。
上陸から四日目の朝。
第二戦闘大隊と後方支援部隊を町に残してシンクレアは出発した。
本日中にリリビア州へ渡り、新しいの精霊圏での橋頭堡を確保する侵攻作戦の第二段階へと移行する。
朝靄に包まれるシオーリンを出立し、第一戦闘大隊と共に州境を目指した。
道行く中、左手には反り立つ壁のように隆々と続くハルジオ山脈の偉容がある。山頂付近には未だ雪化粧を残す美しい霊峰を遠望し、澄み切った空気に混じる戦車の排煙のかぐわしさと言ったらない。
狼連隊は延々続く緩やかな勾配の坂をゆっくり登っていた。
進軍を再開した当初こそ鼻息荒く、敵の待ち伏せを考慮して行動しろ! 魔族に対する警戒を厳とせよ! など喚きたてて、兵士達から煙たがられるほどのやる気を発露させていた。
だが、如何せん変わらない景色に早くも飽きが回ってしまい、あくびを禁じえない。
これに対してすっかりポジションが定着しつつあるルイズが咳払いをした。
「大佐、みんなが見てます。士気にかかわりますから、そう言うのは気をつけてください」
ポジションというは小姑ポジションのことだ。
彼女はモック中佐から指示されているのか、こうした小言が平時のときから多かったが、上陸後は更に口うるさくなった。
「わかってる。わかってるわぁ……わふ――ぁあ」
退屈から生まれたあくびが終わりの見えない田舎道と共に伸びていく。
暇をもてあましているのは自分だけじゃない。ハンドルを握りながら遅々として進まない車列に業を煮やしていたケメットである。彼女は悟りの境地に達する前に、おしゃべりでストレスを発散することに決めたようだ。
「それにしても、現町長がモーストン将軍の息子であったとは驚きましたニャ」
中々良い話の種であったので、タイムリーな話題に乗っかることにした。
「なーにが驚きましたニャ? パンフレットに書いてあったわ。本国まで問い合わせていたのが馬鹿みたいよ。しかもあの爺さん、息子が一七人も居る。しかも全員異母兄弟。とんでもない種馬爺さんよ」
「英雄色を好むといいますニャ」と得心顔をするケメットに、ルイズも資料を手にして付け加えてきた。
「モーストン氏のご子息は、カウウィー州を中心に勢力を広げているようです。各々が町の名士であったり、行政の重要ポストに就いていたり、地方代議士を務めていることがわかりました」
「つまり、戦争があろうが無かろうが、あの爺さんはこの国で実権を握る準備を進めていたってことよ」
「ですがやはり気になるのは、現町長の行き先がトマーウェルだと言うことです。数日の日程で馬車を借りる為に出張されたらしいのですが、一週間たっても帰ってこない」
「やっぱりリリビア州が本丸であることに間違いない。この先に何かあるのよ。わくわくしてきたわ!」
先ほどとは別人のように意気軒昂な快活さを見せる上官に、ケメットはぼそりと呟いた。
「大佐は感情のふり幅が大きいです。メトロノームみたいですニャ」
「ケメット、それは情緒不安定という言うのよ」
「あんた達ね、あたし上官。あたし大佐。高級将校。わかる?」
ならばそれ相応の立ち振る舞いというものが有るはずだ。喉元まで出掛った言葉を飲み込むと、二人は静かに息を零す。
「それにしても、こんな荷物まで引き受けて……いつからここは運送屋になったんです」
〝こんな物〟とルイズが言うのは、荷台に積まれた葛篭とその中身のことである。
彼女は蓋を開けて中から派手な装飾が施された衣装を引っ張り出した。
それは『メイチャップ』と呼ばれるラブラスの伝統衣装で、年に一度の祭りの為だけに仕立てられる巫女装束だ。シオーリンの案内を受けた際に、搬送が間に合わないという窮状を訴えていたものでもある。そのメイチャップを収めた同様の箱が、部隊の輸送車両にも所狭しと積み込まれていた。
武器弾薬を隅へと押しやり、兵員輸送車の席を占領して、その数、実に五〇〇箱にも上っていた。
「しょうがないじゃない。町長が馬車を借りに行ったのだって、メイチャップをリリビア州に届ける為だったんだし? コレが無いとお祭りが出来ないっていうじゃない? いま目指してるスプートなんか、お祭りの本場なのよ? しかも作戦の重要攻略地点の一つでもあるんだから……ついでよついで」
「そうですニャ! 情勢からシオーリンの足元を見て安く買い叩いた挙句、軍票を切って公金を使った小銭稼ぎだなんて人聞きが悪い! これは部隊のため、延いては国民のため! 国王陛下のためですニャ!」
「ケメット! お口チャック!」
「大佐の横領は――綺麗な横領ですのニャッ!」
ケメットは自分の信じる正義を貫き通した。
それは良い。いや良くは無い。
世の中そう単純な物ではないのだ愛しい従兵よ。時と場合を考慮し、本音と建前を駆使して生活の術とするべきなのだ。知らなければ見向きされず、世の中上手く回る事だってある。
何だと言うのだ、そのやりきった表情は喧嘩を売っているのか。
褒めないよ。
空気を震わせ――実際にはそんなこと無いのだが、心象としては背後から四角四面の権化が「今の話は本当ですか?」と詰問の構えで待ち構えていた。
尋ねている様でいて、その実こちらの言い分など聞く気は無い。
怒髪天を衝いた者に良くある行動形式だ。
「何をやってるんですかあなたは! それでもアルビオン軍人ですか。立場を考えてください。問題どころの話じゃない、大問題です! 国民から糾弾されますよ!」
烈火のごとく怒り狂うルイズに肩をビクつかせてしまう。
モック中佐の品行方正な性格は彼女に確りと受け継がれている。目付け役として彼女を寄越すわけだ。
予想できなかったわけじゃない。
こうなることを恐れて、ルイズには『お人よしの大佐』ということで話を進めていた。
だがまさか、こんな形でケメットの再教育が支障をきたすとは思わなかった。
かくなる上は――。
「損をしなければいいの! 損をしなければいいの! 国民はあたしを許してくれるの!」
「そう言う問題ではありませんし国民が許しても私と軍がが許しません! モック中佐に言いつけます! 覚悟してください!」
「儲かったお金で軍票を取り返すの! そうすればほら、値切り分で生み出された上前を撥ねることが出来るわ。軍票の使用自体無かったことになる! これが戦場の錬金術! あたしは賢者の石を手に入れたの!」
「訳のわからないことを言わないでくださいッ! 賢天の魔術師じゃなく汚職の魔術師になりますよ!」
「汚職の魔術師――ッ!?」
なかなかに衝撃的な蔑称を突きつけられて身体に電流が走る。
なんて頭の固い娘なんだろう。
このあたしがここまで無様に駄々をこねて開き直っているというのに。
こんな手は使いたくなかったが、背に腹はかえられない。
一息ついてから背筋を正し、すまし顔をして横目で見やった。
「ルイズ。ルイズ・エリオット・フォン・ピルメルプルーム・プルハット中尉。賢く柔軟に生きなさい。あなたがプルハット家を再興したいのは知っている。でもその悲願が結実するのはいつかしら。没落貴族を取り立てるほど今のアルビオン軍は権力に餓えていない。あなたは今中尉だけれど、ここからどうやってのし上がって行くというの? 男社会に身を投じた今ならば身に染みているはずよ。その間にも時間は流れる。母は老いさらばえ、弟と妹達はそのまま大人となって荒野に放たれる。流れた時間は戻らない――」
「そ、それとこれとは、何も関係ないじゃないですか!」
「大有りだわ。時間は戻らないし、あなたには悠長に構えていられる時間も無い。けれど、その時間を飛び越えることは出来る。それがこのシンクレアだ。このままあたしの下に居れば、まだ小さい六人の弟や妹たちを大学までサポートしてやれるし、病弱なお母様を良い医者に診せてやることも出来る。ここは普通の軍隊じゃない。世界に名を轟かせる賢天の魔術師による執行組織なの。わかるわね? ルイズ」
ルイズは絵に書いた驚愕を顔に貼り付けて震えていた。
実直な性格故に、真面目一辺倒に努力すればいつかの日かきっと――その淡い思いを嘆きの壁の前に立たせてやった。
『良く考えろ、想像できるだろう? お飯事は卒業しなさい、これがお前の未来だ』と。
そして選ばせるのだ。
後悔しないようにね。
「くっ――ぅぅ……」
心の折れる音だ! なんと甘美な音色だ!
高笑いを抑えていると、消沈するルイズにケメットが何度も頷き優しく声を掛けてやった。
「中尉、暗黒面を受け入れるのニャ」
「あなたわかってやってるでしょ!」
ルイズの再教育が終る頃には、長い長い坂を登り終えていた。
丘の先に飛び込んでくる景色には劇的な変化も無ければ、敵も軍勢もなかったが、この高台が一つのターニングポイントであり、作戦上の重要な要衝となっている。
高台の開けた広野には、第一戦闘大隊の車両と兵員らが道の両脇に留まっていた。
ケメットが乱雑とした物々しい街道に車両を進めていくと、休憩中の兵士が声を掛けてきた。
「大佐どの――ッ! すぐそこが州境になってますよ!」
「わかったご苦労! よしケメット、あたしは降りるわ」
速度を落とした車両から飛び降りてずっこけながらも、ハティを喚び出した。
彼を隣で歩かせながら道を進み、後ろからケメットがゆっくり随行してくる。
赤旗をつけた旗竿を手にした兵士も駆け寄ってきてこれに付き添う。いくらか歩いた辺りで歩みを慎重に、一歩一歩を確かめるように地面を踏みしめる。
二歩、三歩、そして四歩となったとき、途端にハティの体が糸のように解けて消えてしまった。
「ここよ!」
ハティの消えた地点で立ち止まり、道に靴で線を引いてやる。
先ほどの兵士がその位置を目印にして、道の端っこに旗を突き立てた。
「ここがリリビア州の精霊圏よ! みんな、必要のある者はちゃんと精霊契約を更新することッ!」
注意を喚起する大声を上げると、男達の野太い声が「はーい」と帰ってきた。愉快な連中である。
反応に満足して、その場で新たな精霊契約を執り行なう。上陸時と同じ、簡単な儀式を手早く済ませると、改めてリリビア州の前景を目に写した。
この先は、高台を下り終えた辺りから湿地帯が広がっている。付近の小高い山々から延びる裾野には、葦の茂る湖面が幾つも確認できる。
戦車や車両の移動に難儀しそうな一帯で、もしラブラス軍がこちらを引き込むのであれば、精霊圏の更新を済ませ、高台から下りた先の湿原というのは、絶好の伏兵ポイントだ。
というか、自分ならばそうする。
しかし何も起きない。
精霊圏を更新したばかりで、弱体化した賢天の魔術師を待ち受けるならばここしかないのに。湿地では既に偵察中隊の術技工兵が、それぞれ術式杖を携えて軟地舗装作業に入っている。
二つの地点にそれぞれ術者が立ち、杖を地面に立てている様子は測量技師の仕事を思わせる。この二点で結ばれた間の路は徐々に乾き始めていた。練成術で地質の変換をしているのだ。粘土状の土を硬化させて、一時的に頑強な大地を作り上げている。
もちろん永続する物ではないため、急場凌ぎの魔術ではあるが、軍事行動には打って付けだ。
この作業を許してしまえば、重量のある車両や戦車も難なく軟地を通り抜けてしまう。
敵もそんなことは承知のはずだが……。
「ここでは仕掛けないつもりか」
太陽は真上までやって来ている。
三月も終わりのこの季節。穏やかな春風が吹きぬける高台は存外、過し易いものだ。




