序章 1
汚職に塗れた魔女が率いるユニークな軍隊による行軍と作戦模様をご覧下さい。
序章
1
「チョッパァア! 弾ァ持って来い!」
街角に外壁がごっそりと抉られた民家があった。
通りに面したその家の二階から、狙撃兵が突き当たりにある集合住宅を狙い撃つ。
眼下では砂埃にまみれた路上で友軍の兵士たちが瓦礫を背にして同じ一角を攻撃していた。閃光が瞬き、身を置いていた寝室の壁が削られる。反射的に首を竦めて鉄帽を被り直す。
すると屋内で足音が聞こえてきた。段々と近づく足音を警戒して銃を構えると、扉のない戸枠からひょっこり顔を出したのはゴブリンだった。
自分と同じオリーブ色の鉄帽と野戦服を身に着けた――妖精だ。
人間の少年ほどの背丈に、大きな鼻が特徴だった。
「酷ぇな! ちゃんと持ってきたんだぞ!」
煤に塗れたしかめっ面で文句を言いながら弾薬箱を押し付けてきた。ご苦労さんと鉄帽を叩くが撥ね退けられる。手際よく装弾作業をこなしていると、チョッパは穴から街路を覗き込んでいた。
「おい撃たれるぞ」
「あぁまずい。赤マント隊だ。ミッドガーズに芸を仕込まれた猛獣どもだぞ」
そりゃまずいと、彼に倣いその上から顔を覗かせた。
チョッパの言うとおり、戦場では目立ちすぎる赤いマントを背に靡かせる魔術師が三人確認できた。
彼らは堂々と通りに出てくると、杖を胸に構えて前進してくる。すると、仲間達が浴びせかける銃火が奇怪な空間の歪みの中へと消え去ってしまう。赤マント隊を盾として、ダトハルカの兵士達が一斉に姿を現し攻撃を仕掛けてきた。
ミッドガーズはアルビオンと同じ神秘主義国家ではあったが、この時代、アルビオンの覇権に異を唱えるために急速に勢力を拡大している第二の王国であった。とにかく彼の国は、アルビオンのやる事成す事全てを否定し、足を引っ張るのが趣味であるとでも言いたげな連中なのだ。
アルビオンと敵対関係にある国を援助しては、ご案内の通り、ミッドガーズの義勇軍によって訓練された魔術師を嗾けてくる。
「ミッドガーズの連中め、ろくでもない置き土産だぜ。アルビオンが嫌いなら直接喧嘩をおっ始めたらいいのさ! そんな勇気もない腰抜けどもめ!」
それはお互い様だが、さて、どうしたものかね。名も無き狙撃兵は空を見上げた。
澄み切った青空には純白の雲が優雅に漂う。地上とは打って変わり平和なもので、街中で響く銃声や、遠くで轟く砲撃音までもが牧歌的なものに思えてくる。
くだらない夢想に現を抜かしていると、何やら轟音が近づいて来ていた。金属が擦れ合い、角材が潰れ、建材を粉砕する音。そして――砲弾が民家を突き抜け、赤マント隊の手前の路上で爆発した。
民家を粉砕しながら現れたのは鋼鉄の獣、友軍の『ジーター支援戦車』だ。機械仕掛けのうなり声を上げる戦車に兵士達は沸き立ち、一転攻勢に出るらしい。
狙撃兵は重い腰を上げ、再び小銃を構える。
小銃の照門に敵の首を据え、照星がぴたりとはまった。
聖導暦3624年。
グロージア大陸南部。暗黒大陸と呼ばれる魔族支配領域から人類を守る為に打ち上げられた大プロジェクト。それがアズラント運河の建設であった。
大陸を分断し、長大な運河とすることで魔族流入を防ぐ計画だ。
最前線国家であるダトハルカ王国はこの事業を担い、各国に支援を呼びかけて同運河は半世紀の月日を費やしようやく開通した。人類史に刻まれる偉業であった。
しかし、その用途は魔族に対する要害に留まらない。アズラント運河は大陸を切り開いた事で世界経済にとって重要な通航路となったのだ。だが、多大な資金を投じたこの運河を、他国が我が物顔で使用することに不満を示したダトハルカは、通航料を取ることに決めた。各国も多くの出資を行ったにも係らず、これを押し通そうとするダトハルカに非難が集中した。しかし、世界不況で地盤が揺らぐ各国の足元を見た彼らは強気だった。
この出来事は、超大国『アルビオン王国』までをも呼び覚ましてしまった。
当初、アルビオンの軍事力を考慮して特別待遇を申し出たダトハルカであったが、アルビオンの要求は他と一線を画するものだった。アズラント運河の全権譲渡である。
世界各国のダトハルカに対する反感を読み取った彼の国は、今のダトハルカを同情を得られまいと判断してこの方策に舵を取った。当然、受け入れられないダトハルカは要求を拒否。
両国は戦争に踏み切ったのである。
ダトハルカ王国。王都『ビリアン』は混乱に陥っていた。
アルビオンとの戦争が起きたのは国民の周知の所であったが、そのアルビオン軍一部隊である『第七独立連隊』はダトハルカ国防軍の防衛線をすり抜け、誰にも気づかれずにビリアンへ到達してしまった。
前線に兵力を集結させていた国防軍の隙を突き、彼らは手薄になっていた後方の王都防衛部隊を蹴散らすと、そのまま殴り込みをかけたのだ。
端から見るとその様は、迷子か狂犬のどちらかである。
市民の目からみても、戦略的に見ても明らかに悪手であった。
部隊を維持する補給線は伸びに伸びて、劣化したゴムのようにとっくに切れている。
アルビオンの本隊は遙か後方。
東西南北の国防軍が大慌てで王都に踵を返す中、退路の無い絶体絶命の状況にあった。
だがその部隊が『賢天の魔術師』の物であることが知れ渡ると、斜に構えていた市民は泡を食って逃げ出してしまった。
そして今に至る。
「大佐は! 大佐はどこへ行った!」
街の一画で大声を上げるのは、壮年の軍人セレ・モック。彼は街の至る所で轟く爆発音に物怖じすることなく上官を捜していた。そして指揮官専用の装甲指揮車の前にやって来た。車の戸を叩き、返事を待つこともなく中に押し入る。
まず目に入ったのは暢気に珈琲を淹れていた半獣人の女兵士である。
「ケメット伍長! シンクレア大佐は何処だ!」
開口一番に怒鳴られたケメットはビックリして珈琲を零してしまった。
彼女はモックがやって来た事を知ると、猫の様な耳を萎れさせて申し訳なさそうに答える。
「ほ、報告します……大佐は現在、特殊作戦を遂行中ですニャ」
「こんな時にか? お前の大きな耳はこの音が聞こえないのか? ダトハルカ国防軍の重砲だ。奴らは自分たちの王都を我々もろとも焼き払うつもりで攻撃している。国王はとっくに逃げてしまったからやりたい放題だ。それで大佐はどこにいる?」
恐縮して縮こまってしまったケメット。その背後のテーブルで珈琲を啜っていた軍人がやおら席から立ち上がって注意を引いた。
「ドレイク、こんな所で何をしている。外の様子は分かっているか? 白亜の街と謳われたビリアンが灰と化そうとしているんだ。それだけじゃない。ドワーフどもがこのままでは〝穴〟が持たないとわめき立てている。一刻の猶予もないんだ」
「モック中佐、大佐は現在ナルン・エッヂを率いて王立博物館へ向かっています。そこにこそ我々の馬鹿げた軍事行動の最大目的があるのだとか。ですが、このような状況です。中佐が代りに指揮を執るのがよろしいでしょう。大佐も承知のはずです」
「何を考えているんだか……あの娘は。わかった、先に機甲部隊を下げる。そのあとは順次撤退だ。大佐が帰ってきたらそう伝えろ。重ねて言うが、我々は包囲されている。良いな? ダイヤを乱すつもりは無い」
「了解しました」
王立博物館。
そこは白亜の都と呼ばれるダトハルカの王都ビリアンに相応しく、白雪のように美しい宮殿であった。
王宮かと見紛うほどの荘厳な建造物に、お宝が眠っているであろうという期待は益々増幅された。
戦闘服を着て武装する七人の兵士に紛れ、三つ揃いのスーツに中折れ帽というマフィアのような場違いな格好の魔女――シンクレアは博物館を褒め称えた。
「素晴らしい建物ね。歴史的な価値が見られる。後世に残すべき遺産よ」
うっとりと大理石の柱に手を触れていると、非難の声が返ってきた。
「大佐、そんなこと言ってる場合じゃありませんよ! 外がまずいことになってる。とっとと引き上げましょう。この様子だと国王はとっくに脱出してる」
ナルン・エッヂの隊長であるバリー大尉がそう諫言する。
「だめよ、今更退けないわ。ここまで来たんだから。ブツがある場所も分かってる」
「そうだぜバリー。ここまで来て無駄骨を折るつもりなんて毛頭無い。早いとこ、その神のイチモツだか何だかって奴を頂いていこうぜ」
下品な口を叩くのはドワーフで突撃工兵のマックドックである。
「分かってるじゃない。マックの言うとおり、早く行きましょ。先客はそろそろ結界を解除できているはずよ」
外は市街戦の最中であり、町はアルビオンとダトハルカ両軍による取り合いが続いている。
砲弾がいつこの博物館に直撃するかも分からない。さらには先客である国防軍の特殊部隊がいるというのにこの緊張感の無さ。怒りを通り越して呆れてしまったバリーは仕方なく、この若い上官の命令に従うことにした。
彼らの足下には国防軍兵士の遺体が転がっている。
何れも、矢とナイフによる無音殺傷の痕跡があった。
「よし、先行しろ。連中はもう近い。発砲を許可する」
言われて前に出たのは、銃の他に弓矢を装備した奇特な兵士オリバーだ。
狙撃手でありながら弓の名手でもある彼は、ニット帽を被り直すと小銃に持ち替えた。
「ガッテンだ」
ナルン・エッヂはオリバーを先頭に散開すると、博物館の最奥区画にやって来た。
オリバーが手を挙げて仲間に合図を送る。ハンドサインで複数の敵が居ることを伝えた。
バリーは、一応上官なのでシンクレアにお伺いを立てる。
「どうします?」
「結界が解除されてる。始めましょう」
部隊に合図を送り、ポジションに着かせる。そして、攻撃の火蓋を切った。
国防軍の兵士達は不意打ちに対処出来ず次々と撃ち倒されて行き、終ぞ何の反撃も出来ぬまま、あっと言う間に制圧されてしまった。シンクレアも自分の特殊部隊が他国の特殊部隊に勝る事を(不意打ちだが)目の当たりにして大いに満足していた。
しかし、国防軍兵士が討ち取られたすぐ側の物陰から怪しい響きが館内に反響する。
《古き者よ 我が声を聞き入れ給え 地を這う者よ 汝混沌より出で 我等が大地を穢す者どもにその牙を突き立てよ!》
空気が震える。マナの微震。魔術師である。
「恥ずかしい奴め。エルードラの召喚術だ! サーペントが来る!」
シンクレアが飛び出してそう叫ぶと、ほぼ同時に魔術師が隠れる展示用の台座から巨大な蛇が現れた。どう猛な牙から滴る猛毒を振り乱し、大蛇――サーペントは襲いかかってきた。
部隊が隠れる物陰に体当たりして悲鳴が上がる。
「こんちくしょうめ!」
マックドックは仲間を助け起こすと、腰に挿していた手斧を投擲する。手斧はサーペントの身体を引き裂き蒼い血を滴らせた。しかしその程度ではビクともしない。
獲物はどいつだと、大きな睨眼が品定めをしていると、シンクレアに目が止まった。
「大佐! 来ますよ!」
「爬虫類は苦手なのよ……」
サーペントは床の上を滑るように移動し、銃撃を物ともせずにシンクレアに襲いかかった。その牙だけでなく、大口を開けて、そのまま飲み込んでやろうという勢いだ。
「ハティ」
声に呼応し、彼女の影から巨大な狼が飛び出した。クマよりも大きな狼は、シンクレアを呑み込もうとするサーペントの首に喰らい付く。ハティと呼ばれた彼女の使い魔は、主人に仇をなそうとする爬虫類と格闘を演じてのけた。
苦しむ大蛇はしっちゃかめっちゃかに長い身体を振り乱し、辺りの展示品を尽く粉砕する。
バリーたちもそれに乗じてナイフを突き立て、至近距離で銃弾を叩き込み、ようやくサーペントが大人しくなったところで、ハティはその頑強な顎で大蛇の喉元を食いちぎった。
そしてシンクレアは、いつの間にか大蛇を召喚した国防軍の魔術師と対峙していた。
「魔女め、汚らわしい魔女め! 恥を知れ! 他国に踏入りその宝物を狙うなど、賊の極み! 〈蛇の書〉は渡さぬ! 消え去れ! ダトハルカより立ち去れぃ!」
魔術師は見た目からして老骨だったが、軍服には数々の略章が輝いていた。名のある将なのかもしれないが、興味は無い。
「一介の人間がその本の所有権を主張すること自体おこがましい。誰の物でもない、それは神様の物よ。知っているんだから。貴方たちダトハルカが、その本を所蔵し、その神を崇めていた神殿を信者もろとも焼き討ちにした事を。巡り巡ったわね」
シンクレアは魔術師を蹴り飛ばし台座に叩きつける。
うめき声を上げて沈み込む老人の手から、彼女は本を強引に奪いさった。
「悪魔め……侵略者の分際でどの口を叩く。呪いあれ……アルビオンに呪いあれ! 地獄の業火に焼かれて後悔しろ!」
懐のホルスターから拳銃を抜いて銃口を合わせると、飄々とシンクレアは答えた。
「地獄ならとっくに見てきたわ、お生憎様。それにあたしはこの本の所有権を主張するつもりなんて無い。ただ、神様から借りるだけよ。『アルトロモンド』へ至る為にね」
「ほざけ小娘が。絵空事を宣いおって。評議会も落ちたものよな、こそ泥風情に『賢天』の称号を与えるとは。魔術師の面汚しどもめ」
「他に言うことは?」
「ああ……そうだな」
魔術師は急に大人しくなった。そしてブツブツと呟くと、服の裾を震わせた。一匹の蛇がそこから飛び出し、シンクレアに牙を剥いたのだ。魔術師の往生際が悪いのは万国共通だなと、感慨深く思いながら事も無げに蛇を撃ち殺し、魔術師の腹にも三発撃ち込んだ。
言葉にならない声を漏して喘ぐ老人を前にして、頭に銃口を合わせてやった。
《この言葉と共に消えてなくなれ》