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眼炎く倭(まかかやく やまと)  作者: 鈴鹿
第九章 台与
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59.幽閉

“何度生まれ変わっても、わたしはあなたを探すわ……”

「裏切り者」

 打たれた頬の痛さよりも、その時の総羽の声を忘れられないと台与は思った。


 台与は巫女姫でありながらクニに背反した罪で捕らえられ、もといた西の館になかば幽閉される形で押し込められた。

 西の館へ護送されてきた台与を迎えたものの、菜於を始めとする女達は彼女をどう扱ったらいいものか戸惑い、誰一人声をかけられずにいた。

 そこへ一人、馬から下ろされた台与の元に人影が歩みよる。ふと顔を上げた台与の頬に、それが誰か理解する暇もなく衝撃が走った。そして、その一言。

「裏切り者」

 総羽だった。台与は打たれた頬をかばおうとして両手が縛められているのに気付き、代わりに拳を握りしめた。

 自分をまとう全てをなくした今、総羽のこの怒りに対抗できるのも台与の眼差し一つだった。

 唇を引き結び、総羽の鮮やかに燃える瞳を見返すと、自分の中の決心はますます固くなっていく。

「何よ、その眼。本当に人が変わったみたいね、今までは謝って欲しくもないのにぺこぺこ謝り通しだった人が、それが必要なときには急に居座って開き直るのね。あきれたわ」

「……クニのみんなには悪いことをしたと思います。でも、わたしは後悔などしていません」

 真っ向から総羽に立ち向かうのも、これが初めてだった。ともすれば震えそうになる唇を何度も湿らせる。

「だから許していらないっていうの? ふざけないで、私が怒っているのは」

 総羽は荒げた口調の合間に一息置き、急に静かな声で呟いた。

「最後まで一緒に闘うと言った、私を裏切ったことよ」

 はっとして目を見開いた台与を後目に、総羽は背を向けた。「内乱は掖邪狗の勝ちよ、湯把は粛正されたわ。そして邪馬台の女王になるのは私! ……あんたなんかいなくなって、せいせいした」

 かつてと同じ憎まれ口のはずなのに、台与に届く声は切なさではち切れそうだった。

 彼女が背を向けたあとも、ただその響きの余韻だけがもの悲しげに漂っていた。


 台与は奥の自分の部屋に一人閉じこめられ、幾日もただぼんやりと過ごした。露台のついていた窓には木格子がびっしりとはめられ、外の景色も細い枠の中からやっとかいま見えるだけの寂しい部屋になった。

 巫女としての祈りを捨てた台与にできることは、ただマナシの無事を想うこと、彼との思い出に心を馳せることだけだった。今はただ、与えられた場所の中で静かに運命を待とうと思った。

 すっかり憔悴した菜於から、それでもなんとか聞き出した情報によると、マナシは村の外れの古い家畜小屋を改造した牢に一人で籠められ、多くの衛士に見張られながら断罪の日を待っているという。

 どのような裁きが下るのか台与には分からない。

 その時に自分がどうするのか。それはまだ考えられそうになかった。

(だめだ、わたしも混乱してるみたい……わたし自身のことならもう迷わないのに、マナシの……先なんて)

 許されるはずのないことを、してしまったのだ。彼もわたしも誰にも許しは乞わない。けれどそれで神と人々の怒りが収まるはずはない。考えたくもない裁きが下される――それを下すのは神か人か。

(苦しい。あなたのいない世界など、考えられない……)


 ふいに聞こえた、木戸の向こうからのかすかな物音が台与を現実に引き戻した。

 かつて幾重もの紗の帳が優雅に垂らされていた入り口は、今は外から閂のかけられた間に合わせの木戸で閉ざされてしまっていた。それが開くのは菜於が朝餉と夕餉を持ってくるときと、用を足すために人を呼んだときのみで、人も寝静まっているであろうこの時刻に物音がするのは異様だった。

 誰かの手で閂が外され、しずかに扉が開いていく。

 部屋にたった一つの小さな燭台が、入ってきた人の姿を照らし出す。最初に目に入った長い髪は緩やかに波打ってその淡い光を受け止めていた。

 台与は眼を細め、自信なさげに囁いた。「……掖邪狗?」

「そうです……夜分遅くに失礼いたします」

 掖邪狗は扉を閉め、そこで座り込んだ。窓際の壁にもたれていた台与とは奇妙な距離がある。

 掖邪狗はいつも耳の横で結っていた髪を解きほぐし、衣は寝姿のように見えた。そのせいか、人を圧倒するような雰囲気は消え、眼差しにもあの冷たさはなかった。

「……こんな夜に、何か用なの?」

「ええ。あなたと二人で話がしたかったのです」

 台与は続きを待った。もう言葉を交わすことはないのではないかと秘かに思っていた。

 彼を裏切らない、その約束を手ひどく破った自分。マナシを殺そうとしたことで彼には一時憎しみを覚えたが、彼の自分に対する怒りはそんなものではないことも、ここ数日一人で考えて分かったことだった。その彼から会いに来るとは。

「……彼は激しい怒りをかっている。かの戦で家族を亡くしたものは特にそうだ。狗奴の彦覡が彼であったことは、もうクニ中に知れ渡っています。その上、彼に唆された為に巫女姫は霊力を失ったという噂が広まり、いますぐに殺せという、もう押さえきれないほどの怒りが人々の間に高まっている。それにともなって……あなたへの怒りも。クニを捨て男を取った巫女は、このクニに生きる場所はないと彼らは言っています」

「もっともね」

 台与は目を伏せた。聞くまでもなく分かっていたことだった。

 そんな台与を見、掖邪狗は身を乗り出して続ける。

「総羽姫はあなたを助けるために女王となり、彼らの怒りを権力で抑えようとしている。だが彼女は日巫女ほど鮮明に霊力を顕すことができない。それでは民を完全に従わせることができないのです。失敗すれば湯把の二の舞だ。それでも彼女は、あなたを救いたいと思っている」

 台与は困ったように眉をひそめた。

 約束を違え、一人で遠くへ逃げようとした自分を、身を挺してかばってくれている。だが、総羽がそこまでしてくれるわけがわからなかった。

 彼女の最後の言葉が切なく響いたのは、彼女の心が怒りの壁の向こうでただ哀しく泣いていたからかもしれない。

 そう思って初めて、激しいやるせなさが胸を突いた。総羽を悲しませたくはなかった……。

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