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眼炎く倭(まかかやく やまと)  作者: 鈴鹿
第一章 張政
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6.菜於と掖邪狗

 きざはしを飛び降りた台与は、危うく足首をひねりそうになりながらも着地には成功し、館の入り口とは正反対のくりやに向かって歩き始めた。途中で何人かの婢たちとすれ違ったが、誰も台与に目を留めるものはいなかった。それほど普通の少女と変わりがなかったのだ。

 しかし改めて意識してみると、一ヶ所だけものすごく違和感があることに台与は気付いた。

(足が……)

 台与が普段着ている衣は、自分の足をほぼ丸ごと覆ってしまうだけの長さがある。しかしこの簡素な貫頭衣は、いかに布地を少なく仕立てられるかといった挑戦的な意図までが感じられるほど丈が短い。普段風を感じることのない腿が冷え冷えとするのを、台与は内心居心地悪く感じていた。おまけに、他の婢と比べれば一目で解るであろうその白さとしみ一つない柔肌は、自覚できるほどの違和感がある。

 廊の角で数回深呼吸を繰り返した台与は、思いきって厨に足を踏み入れた。初めて入る厨は、台与が思わず首を竦めるほどむっとした熱気に包まれていた。婢たちが大量の米を炊き、汁物を煮ている。半ば感心しながら台与が外に面した通用口をくぐろうとすると、突然後ろから何者かに首根っこを掴まれた。

「うわっ」

「ちょっとあんた。手が空いてるなら今すぐ若菜を摘んで来な。この籠いっぱいにするまで帰ってくるんじゃないよ」

 大柄な中年の婢が、どんと台与の胸に蔓草で編んだ籠を押し付けた。台与は目を瞠いて呆然と立ち尽くしたが、鷲のような大きな目に一睨みされて慌てて厨を飛び出した。

 館から離れても、まだ心臓がどきどきと脈打っている。

「若菜……?」

 蔓籠はもちろん空で、若菜の手がかりになるようなものは何もない。はっきり言って、それがどこにどんな風に生えているものなのか想像もできない。

 台与はとりあえず籠に結わえ付けられていた麻の紐を肩にかけ、邑を歩いてみることにした。


(ふふ、なんかちょっと楽しい)

 当初の目的も忘れて台与はふらふらとあちこちを歩いてみた。

 踏み敷かれた邑の土は異物を踏み慣れない台与の足の裏にもそう痛くはなく、見上げれば広がる晴れた空と、時折頬をなでる澄んだ風が気持ちいい。普段は台与の顔を見ると(そんな機会すら滅多にないのだが)叩頭して顔を上げない下戸たちが、くるくると笑い語りながら働いている姿は見ていて楽しかった。

(みんな、日々を暮らす為に頑張っているんだ)

 太陽が昇るとともに起き出して働き、沈めば一日が終わる。日の神に最も近しいのはムラに住む普通の人々のほうではないか、と台与はどこか納得させられる気分で考えていた。神に捧げられる供物は人々が栽培や採取をして手に入れたものであり、切実な祈りを捧げるのは天候に直接関わる人々のほうだ。巫女は、思いを伝えるただの媒介にすぎない……

 そこではっと我に返り、台与は驚いて足を止めた。いつの間にか荷を収めておく邸閣の前までやってきていたらしい。そしてその前には菜於がいた。

(わっ、大変、菜於だ……あれ?)

 柱の影に隠れて菜於のほうをじっと窺った台与は、菜於が一人ではないことに気付いた。邸閣を囲む柵にもたれて、誰かと話をしている。その楽しげな様子が、台与の胸中に複雑な感情を広げていく。

(そうだよね、菜於だって友達の一人くらい、いるよね……いつまでもわたしのお守ばかりやっていられないものね)

 心を過った寂しさを振り払うように顔を上げて踵を返そうとした台与は、その拍子に見えた菜於の隣の人物に目を奪われた。


(ヤヤコ……!?)


 菜於と楽しげに語り合っているのは台与もよく知る青年だった。久しぶりにみるその笑顔に台与は釘付になり、そこから一歩も動けなくなっていた。

 そうして見ていると、今まで見えなかったことまでが不思議と理解できるようになっていた。

 菜於の顔は、明らかに普段と違った。泥だらけになって台与のあとを追いかけて回っていた十二の時とも違った。唇には紅を挿し、いつも梳きおろしの髪は耳の横で小さく輪に結われているせいか、ひどく女らしく見えた。

 もとはムラの娘だった菜於は采迦の薦めで台与専属の従者になり、そのせいか他の婢よりも大幅に優遇されている。膝下くらいまである丈長の麻衣には鮮やかな色糸で模様が縫い付けられ、人前に出られない台与の代わりに大人の前でも見劣りしない恰好でいるのだと解った。

 そうして見た菜於と掖邪狗は、大人と下戸というよりはむしろ――――


 台与は弾かれたように駆け出した。

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