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眼炎く倭(まかかやく やまと)  作者: 鈴鹿
第八章 掖邪狗
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56.上邪

 山を越えて、人里の近くを通るようになると、二人は戦渦で焼け出され落ち延びてきた兄妹として人々に接し、時には日雇い程度で働いて食料や衣服、一夜の宿を得ることもあった。マナシは相変わらず流民そのままの些末な格好で、また台与の丈長い衣も山越えの前に早々に破いてぼろぼろだったため、身分をどうこう詮索されることはなかった。

 だが念には念を入れて、と台与はマナシの刀子を借り、足の付け根程まであった長い黒髪を一気に断ち切っていた。巫女として伸ばし続けた髪を失うことで、台与は神に決別の誓約を立てたのだった。

 長い時間をともにすごすうちに、マナシはやがて故郷の思い出や身の上を少しずつ話すようになった。行きずりのムラで仕事を与えられた二人は、それをこなしながらぽつりぽつり語り合った。

「俺は彦覡の長男として生まれたけれど、母は夭逝し、父親のはずの彦覡は見事なまでに強欲で冷酷な人間だった。おまけに女狂いで、出来た子供のことなんか片っ端から忘れるような人間だったよ。実際殺された異母や兄妹も何人もいたって聞く。俺は第一子だっただけでその難を逃れ、菊池彦っていう側近に育てられたようなものなんだ」

(キクチヒコ……知ってる、聞いたことがある……)

 だがどこで、とは思い出せない。台与が首を傾げているのには気付かず、マナシは慣れない台与の績み仕事を手伝いながら語り続けた。

「菊池彦はいいやつだった、本当に。十ほど年が離れていたけど、俺にとっては兄貴で父親で先生で、側近で……親友だったんだ。俺が邪馬台に向かうときも、一番反対して、でも結局は応援してくれた。あいつは解っていたかもしれないのに。俺が邪馬台国へ行く、本当の理由を」

 糸を縒っていた手を止め、台与は怪訝な顔でマナシを見た。

「お父さんの仇を、討つ為でしょう?」

 マナシは微かに嗤って首を振り、皮肉めいた口調で語り始めた。

「……彦覡は昔、倭の国がまだ混乱の時代にあった頃、戦で出向いた土地で一人の女を見たんだ。そのときからあの人は野望に固執するようになった。邪馬台を手に入れたがったのも、たった一人のその女を手にするため。だがその女はとてつもない霊力を持っていて、やがて倭を統べ始めた。手の届くような存在ではなかったのに、無茶をして殺されたんだ……おかしな話だよ」

「それって……日巫女の……?」

「俺にとってあの人は『彦覡』ではあったけれど『父親』じゃなかった。確かに女王は憎かったけど、それは父親を殺されたからじゃなく、卑劣な手段で王を殺された民の怒りといったほうが良かったと思う。復讐なんていうのは言い訳に過ぎなかった。ただこのまま全てに縛られるのがいやで……逃げ出したのと同じなんだ。それをあいつは解ってたと思う。それでも信じて待つと――」

 そこでふと遠くを見るような目をしたあと、唇を歪める。

「もう一人……いたな。俺の思うことみんな見透かした目で、クニを出る前日もそりゃもう怒り狂って喚くわ叫ぶわ、手が付けられなかったよ。それでも泣きながら、絶対待ってるからって、そう言ってた……」

 そう語るマナシの眼差しにどきりとして、台与は彼の手を掴んだ。一瞬、彼がひどく遠い場所に融けてしまうように見えた。

 台与の瞠かれた目を見て、マナシはわずかに微笑んだ。

「ああ、異母妹だよ。あいつの母親も彦覡に捨てられて死んだようなものだったし、いつの間にか菊池彦と俺、妹の小魚と従婢の珂良、それから刀麻っていう大男と5人でいるようになってたんだ」

「そう、なの……」

 胸を覆う得体の知れない不安に戸惑いながら台与は答えた。

(わたし、やっぱり知っている。キクチヒコ……妹のサオ……従婢のカラ、それからトウマ)

 確かに知っている、なのにどこでどう知ったのか思い出せない。しばらく夢の世界に閉じこもったせいか、過去の曖昧な記憶は奥深くに眠ってしまい引き出せなくなっているようだった。

 ただ、胸の奥底で小さく灯る光が呼び合うような感覚。

 奇妙な顔で俯いてしまった台与に、今度はマナシが怪訝な顔をする番だった。

「どうしたんだ? 台与」

「ううん、何でもない。……そのサオって子、マナシのことすごい好きだったんだなって思ったの」

 マナシは手を止め、きょとんとした顔で台与を見て――そして、大笑いした。

「なんだ、もしかして妬いてくれてるのか? 確かにあいつと俺は彦覡が勝手に決めた許嫁ではあったけど、口約束みたいなものだったし、第一あいつとは言い合いばかりしていた気がするぞ。ないない」

 腹を抱えて笑い続けるマナシを蹴飛ばしてやりたい衝動に駆られながら、台与は呆れて肩を竦めた。

(かわいそうな妹さん、苦労したんだろうな……)

「ああ、でも……こんな事になるなら……もっと優しくしてやれば良かったな」

 そうこぼしたマナシに、台与の胸は締めつけられるようだった。本当はその子が受け取るはずだった幸せをすべて奪ったのは台与なのだ。生死も定かでないその子のことを考えるのは、他の何を考えるよりも痛かった。


「――上邪」

「え?」

 驚いて顔を上げた台与にマナシは片目を瞑り、そうしてその口から言葉を紡ぎだした。

 それは台与の知らないクニの言葉。


 上邪

 我欲興君相知 長命無絶哀

 山無陵 江水爲竭

 冬雷震震 夏雨雪 天地合

 乃敢與君絶


「な、何? 大陸の言葉? 何て言ったの?」

 マナシはせき込んで尋ねる台与の頬をつついてにやりと笑い、立ち上がって踵を返した。

「ひみつ」

「どうして? ずるい。ちょっと、マナシ!」

「張政に会ったら教えてもらいな。言っておくけど、あいつが無理矢理俺に教えたんだからな」

 どこか顔を赤らめて言ってから、マナシは自分の仕事場へと戻っていった。


 それは、ふるい大陸のうた。

 そしてそれがやがて、ふたりをつなぐたったひとつの思い出となる……

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