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眼炎く倭(まかかやく やまと)  作者: 鈴鹿
第七章 彦覡
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50.魂離り

 誰かが泣いている……

 ああ、まるでわたしのようだ。ずっとずっと、独りぼっちで泣いている……

 白霧の中、はかなげに佇む少女。

 どうして泣いているの、と尋ねると、少女は澄んだ瞳を潤ませて答える。

 待っているの、たった一人の人を。

 ああ、わたしとおなじだね。叶わない願いでも、信じていたいんだね……

 無性に哀しくなって、泣いた。二人でただ、泣いた。



 凱旋した邪馬台の軍が、すべてのムラを賑わせた。人々は無事に帰ってきた家族を喜んで迎え、また兵士は名誉の死を遂げた戦友の話を遺族に残しながら、自らの生還を神に感謝した。

 失われた命も少なくはなかったが、狗奴から連れてこられた人々もかなりの数だった。その多くの人々が祖国を悼む暇もなく、奴隷として働かされることになるだろう。

 その喧噪さめやらぬなかで、掖邪狗が台与の館を訪れた。

 実際は掖邪狗だけではなく、その前に難升米や総羽の所の使者など、何人もが顔色を変えて台与を訪ねていたのだが……


「姫さまは、お会いにはなれません」

 取り次ぎに出てきた菜於が掖邪狗にそう告げた。

 掖邪狗は眉根を寄せ、苛立ちを隠すこともせずに菜於を問いつめた。

「火急の事態だ。聞けば難升米どのも追い返したそうだな。いくら姫が巫女といえど、今回はそんなわがままを聞いている場合ではないのだ! 解っているなら通しなさい、菜於」

 菜於は責められたことで哀しげに唇を噛み、それでも力強く首を振った。

「お通しするわけにはまいりません。姫さまがどなたにもお会いにならないと仰っています」

 掖邪狗は訝し気に菜於を見た。菜於が台与に誰よりも忠実なのは知っているが、逆に言えば誰よりも台与に厳しいのも菜於だった。理由のないわがままを許すような従婢ではない。

 だとすれば、台与に何かあったのか。

 制する菜於を突き放して、掖邪狗は台与の部屋に走った。

「姫、失礼を!」

 勢いよく帳をかき上げ部屋に飛び込むと、台与は窓際の桟に腰掛けて外を眺めていた。特に平素と変わったところはないように見える。

 やや拍子抜けした気を取り直し、掖邪狗はその場に膝をついた。

「姫さまにお知らせしたいことがあって、急遽参りました――」

 一気に言ってしまうつもりだったが、その先が喉で詰まって出てこなかった。自分でもまだ信じられない訃報、それをどうこの少女に伝えればいいのか。

 急におぼつかなくなって掖邪狗は言いよどんだ。ちらりと台与を見上げると、彼女はおし黙った彼を気にするでもなく、窓の外をぼんやりと見ていた。

(……?)

 黙ったまま、掖邪狗はじっと台与を見つめた。

 台与はいつまでたっても掖邪狗を振り返らなかった。この部屋に彼が来たことすら気付いていないような様子で、視線をふわふわと漂わせている。

 掖邪狗の背筋に、冷たいものが走った。

「台与姫……?」

 微かに震えた呼びかける声は、答える者のないまま静寂に吸い込まれる。

 掖邪狗は立ち上がり、大声で台与の名を呼んだ。何度も何度も叫ぶように。

 けれど、台与は答えなかった。

 窓の外から射し込む穏やかな日差しを浴びて、台与はそこにいた。

 確かに、そこに存在していたのだけれど。



「菜於、これは――一体何が、姫に何があったというんだ!」

 台与の居室を飛び出してきた掖邪狗は、帳の前にじっと佇んでいた菜於の肩を掴んだ。

 菜於はぎゅっと唇を噛んで俯いていたが、やがて床に手を付くと居住まいを正して言った。

「先ほどのご無礼をお許し下さい、掖邪狗さま。わたくしにも一体何故あのようなことになったのか、わからないのです。七日ほど前、姫さまはいつものように神殿に籠もられて、夕刻になっても出ていらっしゃらないのでお迎えに参りましたら、炉の前にお倒れになっていて……。翌日の昼にお目覚めになられたときにはもう、あのような状態で……薬師もどうしようもないと」

 語尾が震え、菜於は顔を伏せたまま黙りこんだ。掖邪狗が衝撃のあまりに何も言えないでいると、沈黙の果てに菜於が掠れた声で呟いた。

「わたくしも……存じております。難升米さまが直々においでになり、次に総羽さまのお使いが参られて……なのに、あのお方だけがいらっしゃらないという意味を。もし……もしかしたら姫さまは……その事を、誰よりも早くに視てしまわれたのではないのでしょうか」

 掖邪狗は打たれたように菜於を見た。縁談があってもおかしくない年頃の娘に成長した菜於は、しかし明けても暮れても台与の側でその世話だけに心血を注いできた。丁度咲き始めた梅の花のように匂いやかな容に惹かれる男も少なくないことを彼は知っている。だがそんな恋の駆け引きには目もくれず、巫女姫と同じ場所で同じものを見つめてる菜於の言葉だからこそ、掖邪狗はその言葉に秘められた意味に息を呑み、目を見開いた。

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