43.采迦出陣
日巫女の大葬が終わると、ムラはいつにも増して活気に満ちた日々を送るようになった。男達は蹈鞴小屋にひっきりなしに足を運び、尖石を研磨しては数え切れないほどの武器を作り始めた。女達もまた日々の営みの合間に、貯蔵しておいた木実や木の芽をすりつぶして保存食や酒を作ったりと、ムラには奇妙な明るさと火蓋の焦げるきな臭いにおいが交錯した。
いくさが始まる。おそらくこれが最後の戦いになるだろうと、誰もが承知していた。
台与はまんじりともしない日々を過ごしていた。闘う相手は紛れもなく東国狗奴、他でもないマナシの故郷だ。そしてマナシは、総羽の報告によれば、いつの間にかまた総羽の館の下働きとして働いているという。
(本気なの? 本気でわたしが行くまで、戻らないつもりなの……? どうして……)
漂ってくる緊張感が、日を経るごとに一本の張りつめた糸を紡ぎだした。弦が引き絞られるようなきりきりという音は、やがて台与の神経まで感化し、こわばらせていった。
そして、そんな台与のもとに信じられない報せが飛び込んできた。
「姫さま――采迦さまが御出陣なされます」
息せき切って飛び込んできた菜於の言葉に、台与は腋付を倒す勢いで立ち上がった。
咄嗟のことで言葉が出ない。どうして、と思い、それはそうかもしれない、とも思う。いつかはこういう日が来ることは覚悟はしていた。けれど。
「おとうさまが……何故、今」
采迦はもはやこのクニになくてはならない首長だ。湯把の専政の楔となるのは彼しかいないことは誰もが知っている。彼が戦に出てしまえば、このクニはどうなるのか、考えたくもなかった。
(次はお父様だというの? こうやって邪魔なものを排除して、自分の思うとおりにクニを操るというの)
全身が、歯ぎしりの音を立てている気がした。眩暈にふらついた台与を、慌てて菜於が支える。
「姫さま、お気を確かに。采迦さまならきっとご無事でお帰りです、あのお方は百戦錬磨の将軍です。きっと名高い功績を挙げて凱旋なさいますわ。わたくしたちはそれを……じっと待ちましょう」
(待つ? 何を? お父様が帰るとき、それは狗奴が滅びたとき……)
目の前が真っ暗になる気がした。
台与の望むもの、守るもの、すべてが闇に呑まれてゆく――
その日、木片を打ち鳴らす音が絶え間なく響く中、邪馬台国の男達は母村の大門の前に集結した。
鞍を載せた馬、食料や武器を載せた馬、そのどれも落ち着きなくいななきを交わし、人々もまた戦渦の予感に奮い立った。早くから酒で気分を紛らわそうとする者までもがいた。女達はムラの外まで男達を見送るために足を伸ばし、しばしの別れを惜しんで言葉を交わしていた。
それらを見渡したあと、今まさに大門をくぐろうとする馬上の采迦を振り仰いで、掖邪狗は言った。
「……やはりわたくしも参ります! 采迦殿をお一人で行かせるなどとは、あまりにも」
「掖邪狗、そなたはこのクニを守るのだ」
いつものように微笑む、その姿が奇妙に遠くに感じられて、掖邪狗は首を振る。この人をこのまま行かせてはならない――根拠などなにもないのに、その不安だけがこの瀬戸際にもどんどんと積もっていた。
何とか引き留めたい一心で掖邪狗は言い募った。
「采迦殿はこのクニになくてはならない方です。今からでも遅くない、代わりにわたくしが参ります……! このままあなたを行かせては、台与姫はお一人になってしまうではありませんか」
采迦は馬の足を止めて、ゆっくりと掖邪狗に顔を向けた。
「掖邪狗。私は台与が生まれたときに、そなたに使命を授けたはずだ。私がいない間、そなたは台与とこのクニを守るのだ。私は必ず帰ってこよう。それまで台与を頼んだぞ、掖邪狗」
掖邪狗は返す言葉を失った。じっと采迦と目を見交わして、変わりないその人の強さを知った。
「……承知つかまつりました、首長」
ようよう絞り出すように掖邪狗が答えると、采迦は晴れやかな笑顔で彼の肩を叩いた。
「立派になったな。わたしはそなたを誇りに思おう」
その背を見送り、喧騒に呑まれた姿が見えなくなってから、掖邪狗は深く一礼を捧げた。
彼の行く先にある戦渦の炎、その蜃気楼が、掖邪狗の目の前でゆらりと揺れたように見えた。
第六章 狗奴彦 終




