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眼炎く倭(まかかやく やまと)  作者: 鈴鹿
第六章 狗奴彦
40/67

40.危機

「いやです」

 必死の形相で答えた台与に対して、湯把は笑みの表情を崩すこともなくまた一歩近づいてきた。

さかしいあなたには解っているはずですよ、台与姫。あなたはまだわかい。むざむざと蕾を手折るような真似はしたくないのです。あなたは私に逆らえない。私はこのクニの主だからね」

 台与はかっとなって叫んだ。

「日巫女をかさに着て今の地位があるくせに! あなたはなんの力も持っていない、これから苦しむのはあなたよ。どうしてわからないの。日巫女の次の王が、霊力を持たないままこのクニを治められるわけがないのに」

「かつてのあなたと同じように、ね……」

 湯把の眼差しが一瞬日巫女のそれと重なった。真冬、高殿の軒に成される、氷の矢先の如き鋭さ。

「だから、私は求めているのですよ。まんまと日巫女を乗っ取り、その霊力を根こそぎ手に入れた、あなたを」

 台与は瞠目した。足が痙攣ひきつるように勝手に後退り、それは隅の小さな燭台を引っかけて倒した。

 かわらけの割れる音とともに、小屋の中は瞬く間に夜の闇に飲み込まれる。

 死の臭いの漂う、そこは黄泉だった。


「なにを……言っているの」

 声が震える。「日巫女に乗っ取られたのは、わたしよ……!」

 衝撃のあまりに、うまく舌が回らなかった。あれほど辛い思いをして、こんなことを言われるわけがわからない。

「ええ。日巫女があなたを依坐よりましにする現場を、私はたしかにこの目で見ている。だが日巫女の魂は目覚めなかった。それどころか、あなたは日巫女の霊力を我がものとしてふるい始めた。日巫女の死をたから、あなたはあの日あの神殿に駆けつけたのだ、そうでしょう?」

 台与は声を失った。知らない、と言いたかった。けれど確かに、その言葉は間違ってはいなかった。力を操ることはできないにしても、それまで決して成功することのなかった夢見が、鮮明すぎるほどに顕現されたのだ。

「おっしゃるとおり、今のこのクニを治めるためには、日巫女に匹敵する霊力は不可欠です。だが日巫女がいたのでは、私の出る幕はない。あなたはその日巫女を封じ、霊力だけを私にもたらしてくれるのだ」

 台与は眩暈を覚えた。この闇に全身の力が吸い取られていく気がする。

 それでも目を閉じ、深く息を吸いながら、じりじりと壁伝いに後退った。

「あなたのために霊力を使えというの。そんなこと、死んでもお断りよ」

 胸元の短剣を力一杯握りしめる。

「折角長らえた命を、無駄に散らすおつもりか?」

 湯把の顔は、再び余裕の微笑に包まれていた。逆らえるはずがないと思っているのか、または別に死んでも構わないと思っているのか、どちらにしてもその笑みが台与の感情を逆撫でしたことにかわりはなかった。

 台与は抱いていた短剣を喉元に向けて振りかぶった。

「あなたに殺されるくらいなら、自分で死ぬわ」

(何度も死のうと思った、今だって本当は生きてるはずなんてなかったのよ)

 この世界に未練なんてない。ただ、残す人々をほんの少し哀れだと思うだけ。


 けれども。

 剣を振り下ろすことは出来なかった。


 台与は震えて力の入らなくなった自分の手を、愕然と見つめた。辛うじて握られたまま力無く下ろされる短剣に、湯把は声を上げて笑い始めた。やはりできるはずがない、強がったことを――そんな雑言が聞こえる。

「さあいい子だから、そんなものは捨ててこちらに来なさい。大丈夫、悪いようにはしない」

「――!」

 台与はもつれる足で扉に向かって走り出した。だが、たすきを掴まれ、あっけなく湯把の手の中で身動きがとれなくなった。振り払おうとしても、華奢な腕のどこにそんな力があるのか、台与の力ではびくとも動かない。

(誰か、たすけて)

 涙に滲んだ視界をよぎったのは、闇の中にぼんやりと白く浮かび上がる日巫女の骸――


 ばし、と


 消えたはずの燭が、篝火ほどの炎をあげて突如破裂した。その大きな音に、湯把の力が一瞬だけ弛む。

 台与はその隙を見逃さず、湯把の手を振り払って扉に向かった。逃げられると思った。だが、扉に手をかける直前で、裳裾を踏んでつんのめった。

「きゃあ!」

 風が吹き込む。そして、転んだ床の思いがけない温かさに台与は少し驚いた。

 おそるおそる、目を開けてみる。

 自分は転んではいなかった。何かに支えられて、風の中まだ立っていた。

 しがみついたものを見上げて――

 息を、するのを忘れた。


 その目は台与の瞳を覗き込んで、一瞬逡巡するような迷いを見せた。だがやがてその視線を湯把に移し、その後ろで黒い煙を上げ始めた殯屋の中を巡ったのち、再び台与の目の中に戻ってきた。

 台与の喉にこみ上げる歓喜が詰まり、言葉が出ない。

「――来い!」

 その手を引かれて、台与は走り出した。前にも同じ事があった……

 わき上がる涙の向こう、激しい雪の舞い散る夜、自分の手を握りしめる、その確かな温度。

「マナシ……っ」

 台与は握りしめる手に力を込めた。

 彼の手も冷たいはずなのに、灼けるほどに熱く感じた。

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