34.日神の再生
太陽がゆっくりと環を描いて姿を顕す、その瞬間は台与の生涯忘れられないものになった。
「まるで……世界の混乱を憂いて閉じこもった日の女神が、人々の祈りに応えて岩戸を開いて顕れるようね……」
降り注ぐ光の雨を受けて、空を仰ぐ台与は清廉な神子のように、また生まれたての女神のように、白く霞む世界で佇んでいた。閉じた瞼の上には血の痕がくっきりと残っていたが、光はその総てを浄化していくようだった。
「閉じこもる……? 女神が?」
台与から目を離せぬままマナシは呟く。
「そう。地上が荒れて穢れて壊されてしまったとき、女神は嘆いて世界を閉ざしてしまうの……これ以上自分の世界の崩壊を見たくないから。そして世界は闇に閉ざされるの。それが、このクニの民の信じる神語り」
台与は彼を振り返った。潮が満ちるように、ゆっくりと光の波が目に映る世界を満たし、全てがあきらかになってゆく。ここが張政とマナシが出会い、台与と張政が語り合った場所であるということも、向かい合う互いの姿がどんなものであるかも、どんな眼をしているのかも。
二人が日の光のもとで見つめ合うのは、ひどく久しいことだった。
「このクニの女王は、日の神の妻じゃなかったのか。どうして日の神が女神なんだ」
「女王は、女神の依坐、ひいては女神と同位置にあるわ。女神は女王のことよ。そして伝説の通りに女王は……死んだわ。どこまでも神に近しい人だった……」
淡々と語る台与に、マナシは苛立たしげに眉を歪めて吐き捨てる。
「違う、神ならばこの太陽のように、その伝説のようにもう一度現れなければいけない。だがやつは死んだ。人は死ねばもう再生などできない!」
それは当然の理屈だ。台与には何も言い返すことはできなかった。
けれども、この世には理屈だけでは説明できないことがあるのを知っている。
そしてそれに縛られているのは誰でもない、台与だった。
(ちがう……ううん、違わない。マナシの言っていることは正しい。わたしが、おかしいんだ)
けれども、「彼女」は死なない。死んではいない。
身体を失ってもなお息をひそめ、再生の時を待っている―――
「その再生の神話は、つまりは次の後継のことだろう。霊力を持つ女神を奉る限り、再生には同じ女の王を立てなければいけない。このクニには、その候補がもういる……」
台与はぎょっとして目を剥いた。マナシの口から次期女王候補の話が出ることが、何故かひどく不吉な気がした。
「マナシ――あなたは一体……誰なの」
不安に駆られて台与は彼の腕を掴んだ。赤黒い汚れに覆われた彼の顔で、眼だけが澄んで輝いている。もうマナシは自分を取り戻していた。
「少しでもわたしを信じてくれるなら、話して。それとも……すべて知ってしまったわたしを、殺す?」
マナシは注意深く目の前の少女を見つめた。
もともと少女には霞のようにとらえどころがない不思議な存在感があった。彼の知る婢の娘たちは、もっと生命力に溢れていて、時には生臭ささえ感じるほどの俗世的な存在だった。だがこの少女からは、何度会おうとも生命の発する力が感じとれず、その代わりにひどく微かだが深い森の薫りがした。
そよぐ風の、なびく草花の、ざわめく葉擦れの音とともに思い出したのは、輝く穂波の中を唱いながら歩く一人の少女。
同じように小柄で華奢で儚げで、けれど眼差しはいつも鋭く自分を見ていた。
そうして、ときには痛いほど真摯な瞳で問いかけるのだ。
『お兄さまは一体何がしたいの? 本当にこのクニを愛しているの?』
「……そうか、お前は……あいつに似ているんだ……。だから……こんなに近しい気がするんだ」
(殺せるはずなど、ない……)
マナシは、ぽつりぽつりと呟くように語り始めた。
「俺は張政が言うように、このクニの人間じゃない。女王日巫女を殺すためにこのクニにもぐり込んだときに、あいつに出会って付き人の立場を手に入れた。あいつについていれば、誰も疑う者はいなかった。そうして、必要な知識も手に入った」
台与は強く瞼を閉じた。二人の絆の強さを羨んだ台与にとっては、それはあまりに悲しい告白だった。
「今日この日、『蝕』が起こることも張政から聞いた。大陸では星をよんでその日を知ることができる。日巫女の館に忍び込んで奴を討ち果たすのは、日が欠けて闇に覆われ人々の混乱に乗じる今日しかなかった」
「……どうして、日巫女を殺そうと思ったの」
台与が掠れた声で言い終わるか終わらないかのうちに、マナシは冷ややかに言い放った。
「あいつは盟約を破り、父親を殺した。それも刺客を用いて、何一つ明るみに出ない闇へと葬ったんだ。実際に行われている戦の場ではなく、立場を利用した汚い手を使って覇権を握ろうとする女王が許せなかった。だから復讐を誓って一人ここまで来た」
台与は息を飲んだ。そうして、最後で最大の問いをもう一度口にする。
「あなたは……誰なの?」
マナシは顔を上げた。血塗られたその面の、紅い黥だけが浮かび上がって見えた。
「俺は狗奴国王・彦覡の第一子、狗奴彦。彦覡亡き今では、俺が彦覡の名を継ぐことになる」




