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眼炎く倭(まかかやく やまと)  作者: 鈴鹿
第四章 真男志
25/67

25.追うもの、追われるもの

“ああ、俺も会いたかったよ――日巫女”

 夜半をまわり、月が遠く見える。

 結局張政に救いを求めることはせず、台与はマナシと共に使者の御館をあとにした。

 扉を閉めたあと、入り口の篝火から持ってきた小枝に火を移して、足元を照らす手燭にした。もっとも幽かすぎて殆ど役に立ちそうにはなかったが、それでもその光があるだけで暖かい。

(これでよかったんだ)

 後悔はしていないし、これからもすることはない。会えてよかったと――強くなったと言ってくれた、それだけで十分すぎるほど幸せだった。勇気のきっかけをくれた彼に最後まで泣きつきたくはなかったから、これでよかったのだと台与は何度も自分に言い聞かせた。

(きっと強くなるんだ、もっともっと……)

 まだ張政の熱を残す右手を、胸元で握りしめる。

 張政に恥じない生き方をすることがきっと自分を光へと導くだろう。そう、思った。


「張政と何を話した?」

 ふいにマナシが口を開いた。横顔はじっと前を見据えており台与の方を一瞥もしないが、その緊張さえ感じ取れる硬い声はまっすぐ台与に向かっていた。

 台与は口を開きかけて、そしてややあってから本来の答えを避けて別のことを口にした。

「大陸のこと、色々教えてもらったよ」

 マナシは一変して明るい表情で振り返った。予想したとおりの反応だった。

「大陸は本当にすごいところだよ、俺達の知らないことばかりが溢れかえる、知識も宝物もあらゆるものが眼炎くクニだ! 倭の国の小ささといったら馬鹿馬鹿しいほどだ。こんな小さな国の覇権を争って戦い続けたってどうにもなるものか。何故誰もそれに気付かないんだ」

 マナシは打って変わった悲壮な表情で舌を打ち黙り込んだ。それがただ大陸に触発され自国と比較して悲しむ民の声ではなく、自国の退廃を憂える王の声のように聞こえて台与は驚いた。

「……うん、わたしもそう思う。でも、小さなかけらでは出来ないことも、かけらを集めて一つの大きなものを創り出すことによって可能になることだってあると思う。他の生活を取り入れて初めて文化は発展するし国は栄えるんじゃないの? 滅ぼされて組み込まれた弱い国の民は最初はその国を恨むでしょう……でも、代を重ねるうちにやがてそこが故郷になってしまうのよ」

 言って、台与はどこか哀しげに微笑んだ。「きっとわたし達はそうやって生きている。それが正しいことだとは言い切れないけれど、今の大陸だって、その大陸との交流だって、そうやって作り上げられてきたのだと思うの」

 それは台与が「知りたい」と願い、張政と出会ってからずっと考えてきた一つの課題でもあった。戦を嫌う自分にとっては決して納得のいく答えではなかったが、これがきっと戦を続けながら国を治める王や首長たちの思いなのだろう。

 そしてそれに気付いた自分も、むしろ民としてよりは支配するものとして世界を見ているのかもしれない。そう思ったとき、日巫女の影が背中合わせにへばりついているような気がして寒気がした。


「お前……一体」

 マナシはどこか間の抜けた顔で台与を見つめた。今の台詞を目の前の小さな少女が、しかも物知らぬ婢が言ったとは信じがたかった。その考えに共感するしないという次元ではなく、むしろ今まで気にも留めなかった目の前の少女の存在が煌々と輝いて見え始めたことの方が驚異だった。

 台与はその中途な問いをさえぎり、足を止めて静かにマナシを見返した。

「……張政さん、明日伊都国へ発つんだね」

「――ああ」

 マナシは声の抑揚を抑えて呟いた。「聞いたのか。同じ倭とは言え、ここからは遠いよな」

「どうして」

 台与は思わずマナシの衣を力一杯掴んで引いていた。

「どうして一緒に行かないの? あなた大陸のことが知りたいんじゃなかったの? 張政さんはいつか大陸へ帰るんだよ、そのとき一緒に行こうとは思わないの。こんな小さな国ではどうしようもないって言ったじゃない」

 何故これほど必死になって問いかけなくてはいけないのか、台与自身にも分からなかった。けれど別れを告げる張政の顔と今のマナシの表情が心の中を交錯して、いてもたってもいられなかった。

「張政さん、来てほしいんだよ。あなただって行きたいんでしょう?」

 何も答えないマナシに重ねて問いかけると、彼は歪んだ唇を噛みしめて台与の手を振り払った。止まっていた踵を返して台与から離れ、次に振り返ったとき、彼は微笑んでいた。

「やりたいことと……やらなければいけないことが相対することもあるんだ。俺と張政はそうだった。思いや考え方はひどく似ていて、他に知らないほどに気があった。だけど、あいつの使命と俺の使命はむしろ……」

 マナシは言葉を切り、再び歩き始める。けれど台与はなかなかその後を追えなかった。

 心を刺した彼の微笑みがあまりにも痛かったせいで。

(……痛い、これはなに)

 唇を噛むと涙が溢れてきそうだった。鼻の奥が痺れて、呼び止める言葉すら出てこない。

 台与の心にわき上がったものは、彼女が知らない感情だった。締めつけられるような苦しみと、細い串で刺されるような痛み、そしてその中に混じる細微な甘み。それは『切ない』という言葉の正体。

(かわいそうだ……マナシはかわいそうだ)

 その姿が、思うように生きられない自分の姿と重なって見えたのかもしれない。ただその悲痛な笑みに感化されたのかもしれない。

 突然の感情の高まりに戸惑いながらも、台与は思った。

 あなたを、守ってあげたい。



 距離を保ったまましばらく無言で歩き続けて、やがて蛇行する林の向こうに西の集落の影がぼんやりと見え始めた。台与は駆け足でマナシに追いつき、先ほどのことは忘れたように軽い口調で訊ねた。

「マナシはこのムラに残るんでしょう? 普段はどこにいるの?」

 台与が見上げた彼の瞳は何かを模索するように宙を漂っていたが、やがてその焦点をゆっくりと台与に戻した。

「東の……集落」

 台与は眉を上げた。東じゃそうそう会える距離ではない。気落ちして不平の声を上げそうになったが、自分は東の館の婢だったということを思い出して堪えた。ここまで台与の正体を知らなせかったのだ、もう嘘を貫き通した方がいいだろう。正体を知ってしまえば、もし台与の脱走がばれて何かの拍子に共犯者として問いつめられたとき、彼が誤魔化しにくくなるかもしれない。

「そっか……」

 とりあえずそれだけを言って視線を前に向けた台与は、マナシの衣を引いて突然足を止めた。

 訝しげに振り返った彼は台与の視線を追い、そしてゆらゆらと揺れる一つの朱点に気が付いた。夜の中の見えない光を集めていくようにそれは徐々に大きくなり、林のざわめきが静まった瞬間には、土を踏みしめ蹴散らす音が舞った。

「人が来る……」

 台与とマナシはほぼ同時に呟いて、持っていた火枝を地面にこすりつけて掻き消した。林の脇の道が蛇行しているせいで、相手は多分林の陰に紛れた台与達にはまだ気付いていないはずだが、こちらからは相手の持つ松明が木の陰から消えたり現れたりするのが見え、それが近づいてくるのが手に取るように分かった。

 みるみるうちに距離を詰めたそれは、蛇行部を通り過ぎてついに台与達と直面する角度に至った。二人はできるだけ物音を立てぬように静かに林の中へ身を隠そうとしたが、台与が目にしたものがそれをとんでもない事態へ導いた。

 松明を持って走る姿――その灯影にまさか、と思う。

 そして紅い炎に照らされた表情をつかみ取ったとき、台与の足は勝手に後退って、藪を大きく騒がせていた。

「!」

 相手が立ち止まる。マナシが身を凍らせる。

「おい、どうする。散歩やそこらじゃなさそうだけど、話を聞くか?」

 マナシが囁くが台与は答えず、聞いてすらいなかったように呟いた。

「マナシ、早く林へ。何も聞かずに逃げて」

「え? ちょっと待て、お前はどうするつもりだ……」

「わたしは大丈夫、あの人を知っているから」

 そして台与は、問答を断ち切るように大きく叫んだ。

「走って!」


 突然の事態にも関わらず、マナシは少しの躊躇も感じさせずに身を翻し、林の中へ飛び込んだ。それと同時に、目の前の影が大きく動く。

 目が痛むほどに眩しい松明の光を受けながら、台与はそれを持つ者に向かって走り出した。

「やめて!」

 人影は台与の声など聞こえないかのように林に飛び込み、木々に見え隠れしながら小さくなっていくマナシを驚くべき速さで追った。台与もそれを追うが、林の中は望月の光も生い茂る枝葉に阻まれて届かず、木の根に足を取られては倒れ、立ち上がっては幹にしたたかにぶつかって転んだ。

 それでも、必死で揺れる朱点だけを目印に走った。

「やめて、お願い」

 掠れた声はきっと自分にしか届かない。けれど台与は叫ばずにいられなかった。


「その人を追わないで――ヤヤコ!」

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