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眼炎く倭(まかかやく やまと)  作者: 鈴鹿
第三章 総羽
20/67

20.共闘

 総羽はおぼつかない台与の言葉を黙って聞いた。台与にも上手く説明しようがなかった。自分自身でさえ、はっきりとした確信は持てないのだから。ただ自分が感じた恐怖、そしてそうなるに至った原因である今までの偽りをすべて伝えたかった。

 台与が全てを伝え終わったあと、総羽は細い腕を組んで念を押すように反芻した。

「要するに、日巫女はあんたの体を乗っ取ろうとしたのね?」

「はい……『器』というのはそういうことだと思います。死にたくはないと言って、わたしに……」

 台与は唇を噛んだ。壺から壺へと水を移すように魂が体に入り込む、その瞬間を思い出すと喉が震えた。あんな嫌な気分は生涯二度とないだろう。

「でもそれは失敗に終わった。台与の魂を身から離そうといざない、そこで台与の魂は分裂した。日巫女が思うほどあんたは弱くなかったって事でしょ。入り込んだ日巫女の魂と残ったあんたの魂が一つの器を巡って三日三晩争った。そして目覚めたのは、今目の前にいる、あんた」

「今の、わたし……」

 台与は思い通りに動かない両手を胸元まで引き上げて、そっと頬にあてた。自分の体温を感じて安心しようとする無意識下の反応だったのかもしれない。だが期待とは裏腹に、心の隙間に射し込んだのは絶望の閃光だった。

(わたしの手は、こんなに、冷たかった……?)

 この氷温が思い出させるのは、あのとき頤を掴んだ、たった一人の女の手――

(違う……違う!)


 わたしは、だれ?


「……っ、う」

 鳴り響く耳鳴りに耐えられず台与は呻いた。

「大丈夫? まだ調子が悪いんだからおとなしく寝ていなさい。完勝とは言えないまでも、日巫女の魂を押さえこんだだけでもすごい事よ。それに、あの長い階段から転げ落ちたくせにかすり傷しかないんだから、相当な強運だわ。あんたを助けた男もびっくりしてたわよ、死人だと思っていたのにって」

 総羽は喋りながらも台与の額を押さえつけ、手にしていた玉箒を何度も強く振った。結びつけられた木綿ゆうと硝子玉が一斉に揺れて清々しい音色を奏で、その響きを聴くうちにひどい頭痛の波も少しずつ凪いでいった。

「わたしを、助けた……人?」

「あんまりここいらじゃ見ない感じの若い男よ。しばらくこの屋敷の下働きとして働かせてほしいっていうから、一応従妹を助けてくれた恩もあることだし勝手にさせているけど。あんたがこんな目にあったのは、私のせいでもあるからね……」

「ええ?」

 総羽の口から出た思いがけない言葉に、台与は痛む体を傾けて振り向いた。

 総羽はそれを制するように手をかざしたあと、乱れた裾を整えるでもなくすとんと座り込んだ。

「あんたと会った一年前。あのとき私はあんたに言うべきことを言わなかったのよ」

「……言うべき、こと?」

 一年前というのは、最後に会ったあの何とも言い難い最悪の別れのことだ。

「言いたいことなら散々言われたような気がしましたけど」

 台与が少しばかり意地悪く口を挟むと、総羽は眉をつり上げてがなった。

「あれはっ、あんたが余計なことを言うから! 思い出したくもない『炎と水』の話題さえ持ち出さなければ、怒ったりしなかったわよっ。私はちゃんとあんたに忠告するつもりだったもの。まあ、ちょっとばかり動転してたけど……」

 当時を思い出したのか、苦虫を噛み潰したような顔をして総羽がかぶりを振る。

「ああもう、だからつまり、私はあんたが何か良くないことに巻き込まれると思ったのよ! あの女……日巫女、私はあの人が信用できない。あの女の霊力はまが。神殿の周りの霊気は、私のそれと正反対だった」

 総羽が具体的に自分の霊力のことを話すのは初めてだった。そして日巫女に対する印象も。

「あの女は、私を追い出したわ。謁見だというのに神殿に入ることも許されなかった。ただ気怠そうに扉の向こうから言ったのよ、『そなたの気は心地が悪い、話すことは何もない、さっさと去ね』ってね。私だってあんな気持ち悪い霊気に近寄るのもイヤだったけど……ああ腹が立つ!」

 負けず嫌いの総羽は最後に一声怒鳴って、吊り上がった目を台与に向けた。

「何でって聞いたわよ、私は女王になるつもりだったし、そんな邪険な扱いを受けるなんて信じられなかった。そしたらあの女、何て言ったと思う?」


『欲しいのはそなたではない、炎はわらわを受け付けまい? 水のほうが余程心地が良いというもの……』


 台与は全身が粟立つのを感じた。それでは、日巫女はかなり以前から台与を器にしようと目論んでいたのだ。ずっと蔭から獲物のように狙われ続けていた事を思うと、怖気が走る。

「だからあんたに炎と水の話題を出されてかっとなったのよ。あれさえなきゃちゃんと忠告できたわよ。……ううん、ちゃんと言っておくべきだったわ。子供だった、私も。まさか今になってこんなことになるとは思いもしなかった」

「総羽さん」

 台与は総羽の殊勝な態度に内心驚いた。この気位の高い総羽が自分の非を認めて謝ることがあろうとは、夢にも思わなかった。総羽にとってあの謁見は屈辱以外の何ものでもなかったはずだ。それをおしてまで台与の所まで来てくれたことが嬉しかった……多少の美化はあるにしても。(実際のところ、あの会話の大部分は台与への罵声だった)

「ま、でもまさか、あんたが何の霊力も持ってなかったとはさすがに思わなかったわ」

 台与は息を呑んだ。この総羽のことだ、さぞ散々な嫌味を浴びせてくるに違いないと覚悟を決めてそれを待った。

 だが、総羽は窓の外を見つめて何か他のことを考えているようだった。真剣な総羽の目元には幾分以前の険が戻って、だれかの視線を思い出させる。

 総羽の父親は采迦の弟にあたるが、端正で精悍な采迦に比べると特徴の少ない小男だった。それを知っている台与は、総羽は誰に似たのだろうとよく思ったが、今なら連想できる顔立ちが一つあった。

(日巫女に似てるんだ。強い目の力といい、華やかな容姿といい……)


「あんたに力がないのなら、その部分を私が補うわ」

「え―――」

 ぼんやりと総羽の横顔を眺めていた台与は、毅然と振り返ったその眼差しに打たれて言葉を失った。

「力を貸すと言っているのよ。日巫女かあんたかっていうなら、私は迷わずあんたを選ぶ。霊力が必要なら私のを使えばいい。だから二度と一人で抱え込まないでよ」

 総羽の言葉は天地がひっくり返ったくらい衝撃的なものだった。

 にわかには信じられず、台与は目を白黒させて訊ねた。

「わ、わたしを選ぶ? 総羽さんが?」

「勘違いしないで。あの女に出てこられたらこのクニはめちゃくちゃよ。それくらいなら、多少根暗で鬱陶しくてもあんたのほうがましってこと。私は絶対に女王になる。……その時は必ず、私があの女を邪馬台から追い出してやる」

 総羽の目の奥に燃えさかる炎にも似た決意がかいま見えた。これがこの少女の持つ気質、そしてそれを源とする陽の霊力。一年会わないうちに、総羽は以前の何倍も巫女としての力を強めていた。絶対の女王に立ち向かうことすら、無謀とは思えないほどに――。

「変わったね……総羽さん」

 台与は総羽から目を逸らして呟いた。あまりにも眩しくて見ていられなかった。

 自分とは対極にいる美しい従姉の姿が、今では無性に胸に痛い。自分も総羽のように全てを手にしていたら、きっと今こんな惨めな姿にもなっていなかったはずなどと思ってしまう、そんな自分が嫌だった。

「そうかしら。まあこの一年私なりに色々考えることはあったわね。女王の道は閉ざされて、これから先どうしようかと柄にもなく悩んだときもあったし。でも泣き寝入りは性に合わないのよ、だったら私はあの女を超えることにした。私だって巫女だもの、死力を尽くせばできないことはないわ」

 そう言って笑う総羽からは、揺るぎのない強さがあふれていた。

 日巫女から感じるものが氷の刃だとしたら、総羽が振りまくものは火の粉だった。神秘性よりも熱情で人を導く、まるで生命力の塊のような。

「総羽さん……わたしも」


 強くなりたい。

 力じゃなく、逆境にも負けない不屈の心がほしい。


 このとき生まれて初めて、台与は本当の願いを見いだした。

 この先に待つ、途方もない嵐の海に対抗しうる唯一のものとして――。

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