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眼炎く倭(まかかやく やまと)  作者: 鈴鹿
第二章 日巫女
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16.せめぎあう魂

「……い、今……今何と……?」

 咄嗟にその意味がつかめず、台与はやっとのことで目の前の女を見上げた。

「そなたがこの国の女王となるのだよ。わらわの『意志』を引き継いで」

 台与は言葉をなくした。知られた以上はもうこの国にいることすらできないと思っていたのに、その自分が後継者になるのだという。

 信じられるはずもなく、台与はじっと日巫女を見つめた。その真意が読めなかった。

「そなたは霊力を持たぬくせに、未曾有の業を持っておる。まさか、かの者と逢うとはな……。だがそれで判った。そなたはまさにわらわのための娘。そなたはわらわのものじゃ……」

 耳元で囁かれる日巫女の言葉は、極限状態にある台与の心までも恍惚へいざなった。

 朦朧としてくる意識の中、ああこれが言霊の力なのかとどこかで納得する自分がいた。

「日巫女……さま……?」

「わらわはやがて死を迎える。こればかりは逃れられない運命じゃ。他でもない、このわらわが予知さきみしたのだから」

(死……? 日巫女が、死ぬ…?)

 それはまったく現実味を伴わない告白だった。台与自身が後継者候補という立場にありながらも、この神々しい不老の神の妻が黄泉路を旅立つことなど考えられなかった。

「だがわらわはまだ死にとうはないのだ。せっかく手に入れたこの力、手放すつもりはない。そのためにはそなたが必要だった。わらわの魂を難なく受け入れる、完璧な器が」

「え?」


 うつわ――わたしが日巫女の魂の器。それはつまり……


「そなたの体を頂こう。妾と最も近しい血を持ち、相反する霊力を持たぬ愛し子。よく見るとそれなりに可愛らしい顔もしておるし、姿を変えても退屈することはなかろうしな。第一そなたの魂は傷つきすぎて、もう長くはおられまい? むざむざ失うには惜しい絶好の器だからのう」


――退かり出て来――


 台与の身体中に、凄まじい悪寒が走った。

(これ――だったんだ――あの夢は――!)

「いや! いやです!」

 耳をふさいで悲鳴を上げる台与に、日巫女は囁く。

「そなたは力が欲しいのだろう? 女王として君臨できるだけの力が。わらわがそなたになれば、それはかなう。誰も不幸にならず、誰も裏切ることはない……そうではないか?」


“チカラ ガ ホシイ……”


(いらない! そんなものいらないわ!)


 まただ。あの自己の分裂――二人の自分。


――魂よ、退かり出て来。


   汝が我となるために。


   我が汝となるために。


   その身を、我に捧げよ――


“チカラ ガ ホシイ!”


(やめて! 欲しくなんかない! わたしはそんなものになりたいわけじゃない!)


“ワタシ ハ ホシイ  チカラガ ホシイノヨ!”


(だったら出ていって!)


「わたしから出ていって――!」


 その瞬間、体が引きちぎられるような痛みと衝撃が台与を襲った。

 床にもんどりうって倒れた台与は、息もままならず苦しみに喘ぎながら、日巫女を見上げた。

 日巫女はうっすらと満足げな笑みを浮かべていた。

「ほうら、出てきた。これでそなたは器そのもの、わらわの依坐じゃ」

「……っ、あ……!」

台与は手を伸ばし、床を掻いた。ここにいてはいけない、それだけは判る。だがのがれようと藻掻けば藻掻くほど体は痺れ、言うことを聞かなくなった。

「おや、まだ動けるのか、案外しぶといの。苦しいだろう? 大丈夫、すぐ楽になる……」

 日巫女は蒼白になった台与の顎を掴み、その薄く紅い口で台与の唇を塞いだ。

「!?」


 流れ込んでくる。

 それは扉を開いたときの霊気と同じ冷たさの。けれどそれとは全く違う、甚大な霊力。

 全身が脈打つような圧倒的な力に抗うすべもないまま、身体中が侵食されていく――『日巫女』に。

 台与の細胞の一つ一つが、『日巫女』の魂と同調する。塗り替えられてゆく。

(わたしが……消える……!)


 台与は全身の力を振り絞り、日巫女をその手で突き飛ばした。

 床に簡単にへたり込んだ日巫女の目には、さっきまでの異様な眼光はなかった。そこにいたのは抜け殻のような、か細く儚いだけの女。満足げに微笑んだ女は呂律の回らない口調でくすくすと笑う。

「これでよい……これでわらわの魂は生きる。この体が滅んでも……かまわぬ、この器にもう用はない」

 その微笑にも声にも、もはや生気は感じられなかった。その霊力を全て台与に移し替えたためだろうか、表情は一気に年を経て衰えて見えた。それでもその顔は笑っていた。

「わらわは死なぬ……」


 台与は全身の力を振り絞って立ち上がった。その瞬間、途轍もない吐き気に襲われた。

 口元を押さえたまま台与は戸口まで這うようにしてたどり着き、神殿を抜けた。

(拒否反応だ……)

 闘っている。残った台与の魂と、入り込んだ日巫女の魂が。

 内蔵を全部口から吐き出してしまいたいほどの苦しみに喘ぎながら、台与は必死で自我を保とうとした。今意識を失えば、もう二度と目覚めることはないような気がしていた。

 自分の中に力への渇望があったのは本当だ。そこをつけ込まれ日巫女に侵された。自業自得かもしれない。

 けれど、決してそれだけではない。ちゃんと立ち向かおうと思う心もあった。

 わたしは、わたしでありたい。たとえこの身に生きる意味すらないとしても。

(わたしは、日巫女じゃない、台与なのよ! 器じゃない、わたしの魂はちゃんとここにある!)

 忘れたくない、自分を生み育ててくれた両親のこと、意地悪でも憎めない総羽のこと、唯一の理解者である張政のこと、一番近くで見守っていてくれた菜於や、掖邪狗のこと――

(忘れるなんていやだ……)

 そのときにふと眼裏をよぎった面影があった。

 同じ業を背負い、同じ瞳を持つ者。

(―――マナシ……)


 その一瞬、それまで身を嘖んでいた苦しみが弛んだ。日巫女の魂が潮を引くように小さくなっている……?

 台与は両手で頬をたたいて正気を取り戻し、思い切って駆けだした。

 胸が苦しくて息が出来ない、けれど立ち止まることはできない。とにかく早くこの館を出たかった。ここは日巫女の霊力をもっとも高めるための館であり、今の台与にとっては極めて都合の悪い場所であるに違いないのだから。

 勘だけを頼りに、壁に手をついてはいずり回った結果、奇跡的に屋外の光を見た。戸口へ向かって体を引きずるように駆ける台与を見て、婢たちが驚いたように寄ってくる。「どうなさったのです、台与さま!」

「近寄らないで……! 誰もわたしに触れないで!」

 半狂乱で叫び、再び満ちてくる異質の魂を体内に感じながら、台与は壁に手をつき一歩ずつ進んだ。


 ――負けない。

 わたしは、負けない。


「わたしは絶対に負けない! この体は、誰にも渡さないんだから!」


 最後の力を振り絞り、台与は駆けた。

 ほとんど呼吸も出来ず、苦しみに視界が暗く閉ざされ始めた状態で、それでも走った。

 心の中で、自分の名を何度も何度も呼びながら――。

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