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眼炎く倭(まかかやく やまと)  作者: 鈴鹿
第二章 日巫女
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15.暴かれた真実

 その扉だけが、この屋敷の中でぴったりと閉ざされていた。

 特に大きくもなく豪奢でもない、ごく普通の真木の扉。

 台与は高鳴る心臓に体が耐えられなくなる前に、と急くようにその扉に手を伸ばした。

 それは思いのほか軽く、手を触れるだけで音もなく開いた。だがその途端、扉の隙間から流れ出てくるものがあり、台与は弾かれるように手を離して後ずさった。

(つめたい……なに、これ?)

 明らかに外のものとは違う、冷気――いや、霊気と言う方が正しかった。

 触れた手をもう一方の手で握りしめて、台与は呆然と立ちつくした。忘れたはずの恐怖が、またかすかに蘇ってくる。

 勇気を振り絞り、台与は扉を押した。顔を覗かせると中はひどく暗かった。窓はなく、外光の射さないその中では、遠く紗の帳の向こうで揺れる燭台の幽かな炎だけが唯一の明るみだった。

(あちらにいらっしゃる……? どのような方だろう。随分とお年を召した方と聞くけれど)

 台与は、長らく子宝に恵まれなかった采迦が、かなり年を経てからもうけた一人娘だった。年の離れた采迦の実姉である日巫女は、台与の祖母と大差ないくらいの年齢のはずだ。

 静かに炎を目指して歩を進め、紗がかすかに震えるのも見えるほどの距離に近づいた。台与は乾いた唇を開き、声をかけようと息を吸い込んで―――

 そしてそこで息を止めた。

 帳の向こう、揺れた炎のもとに何かが見えた。

 台与がそれを理解するよりも早く、耳に届くため息にも似た喘ぎ。

 全身から血が引いていくのを台与は感じていた。

 あってはならないこと、犯してはならない禁忌…


――ここはどこだ。日巫女の神殿ではなかったか――


 足が震えて、もう動けそうもなかった。台与は信じがたい気分で見つめ続けた。

 帳の向こうに絡み合う、男女の肢体を。



「無礼な娘じゃ。盗み見るとは」

 突然その目に射抜かれて、台与は竦み上がった。悲鳴すら出そうだった。体中至る所が痙攣を起こし、がくがくと震え出す。殺されるかもしれないと、そのとき本気で思った。

(この人……誰……?)

 決まり切っているにも関わらず台与がそう思わずにいられなかったのは、女のしどけない姿と、その人知を越えた美貌のためだった。女は恥じる様子もなく乱れた衣を胸元で掻き合わせ、長い髪を払って立ち上がる。男は女の背後に下がり、台与の視界からは見えなくなった。

「……そなたが台与か」

 鈴を震うようなひどく冴え澄んだ声音でたずね、女は台与を見た。

 紗の帳からほの見える女の顔は、それだけでもこの世のものとは思えないほどに秀麗だった。紅い炎を受けて頬は透き通って見え、まるでつくりもののようだと台与は思った。

 儚さの極みを体現したような立ち姿。その中で瞳だけが鋭く燃えるように輝いて、表情は強い悦びに似ている。見つめられるだけで魂さえ抜かれてしまいそうな、鋭利な刃物のような視線。それで台与は悟った。


(間違いない、この人が、日巫女―――)


「は……はい、台与と申します。初めてお目にかかります……日巫女様」

 女は目を細め、おかしそうに台与を見た。

「ほう? 男と抱き合い、このような姿でそなたの目の前に立つわらわを日巫女と呼ぶか」

 風もないのに帳がふわりと舞い上がる。その中から姿を現したのは、限りなく天津神に近しい容貌と神力をもつ巫女――邪馬台国が女王、日巫女。

 在位の年月を考えれば、今の姿はありえないはずだった。台与の目の前に立つ女性はどう見てもかなりの若さを保っている。まるで、彼女の周りだけ時が止まっているかのように。

 日巫女は呆然と立ちつくす台与にすいと歩み寄り、その頬に手を触れた。

(つめたい!)

 血の通いすら疑わしいほど冷たく細い指が、台与の頬から喉へと流れる。

「そなたを待っていた……傷ついた可哀想な児。そなたの魂は今にも壊れそうなほど弱っておるな」

「……?」

 台与は一歩後ずさった。それを追ってまた一歩迫り、歌うように日巫女は語る。

「怖がることはない。妾はそなたのことを良く知っている……そう、そなたのさだめを知っている」

「運命……?」

 乾いた声で反芻した台与の頬に、またも日巫女の手が触れた。

 まるでその熱を求めるように。

「そう。そなたはいつも嘆いていたではないか。強い念は煩いほどに響く。妾のもとに届いたのは、いつもそなたの嘆きだった。その身に力がないことを――巫女としての資質を、奇異なほどに持ち合わせていないことを、死にたいと思うほど嘆いていたではないか」

 雷に打たれたように、台与は大きく身震いして息を止めた。

 最も恐れていたことが起こった。―――自分の秘密を、見抜かれた。


 台与がそのことに気付いたのは二年前。総羽とまだ同じ館に住み、共に鬼道の鍛錬に励んでいたとき。

 突然に訪れたそれは、それまで台与が信じていたものの全てを覆した。

 長い時間をかけて少しずつたまってきていた靄がふいに形を変えて、台与の目の前に壁として立ちふさがったようなものだった。それは総羽が時折見る夢見の話をするときや、他愛もない占いを二人でしたとき、決まって総羽のほうが的確に当たること、そしてそれをするときの意欲の違い。幼いながらも総羽は何よりも真剣に鬼道に打ち込み、その力をすこしずつ顕示し始めていたのだ。

 やがて積み上がったその不思議を目前にしたときに、台与は自分の欠陥を即座に理解した。

 その才能が――日巫女や総羽が生まれながらに持つ巫女としての霊力が、自分には一しずくすら無かったのだ。


 その事実は台与を崖淵に追い込むのに十分だった。それまで仕えてくれた全ての人を裏切ることになり、その瞬間に自分の居場所はどこにもなくなる。できそこないとして一生見下されながら、お荷物として生きる以外ない……そんな道を歩むのが怖かった。

 そして恐れていたことが起こった。日巫女はさも当然のように台与の秘密を語り、哀れと言った。彼女は初めから知っていたのだ……できそこないの似非巫女が、自分の後継者候補だと。

 台与は全身の震えが止まると同時に、膝を打つ勢いで倒れ込んだ。

 自分を操っていた全ての糸が切れた――そう思った。

「おや、知られたのがそんなに悲しいかえ?」

 日巫女は含み笑いを込めた口調で語りかけた。


「心配することはない。妾はそなたが後継者になることを知っている」

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