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眼炎く倭(まかかやく やまと)  作者: 鈴鹿
第二章 日巫女
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14.聖域へ

 台与の住む西の館と日巫女の住まう大御館とは、邑の中でも正反対に位置していた。

 邪馬台国のほぼ中心地にあるこの邑は、女王日巫女とその縁者、そして有力大人やそれらに仕える多数の奴婢たちで構成されており、邪馬台国の中でも最も規模の大きな邑になる。

 邑の東端にはなだらかな丘があり、そこに建つ宮が日巫女の住まう「大御館」と呼ばれる桁違いに大きな館だった。そのほぼ真向かいに総羽の「東の館」があり、台与の「西の館」からは林を挟んで小半刻は歩かなければならない。林を避けていくとすると、ほぼ半刻かかるような距離だった。

 そしてこの日は、衛士たちが、その道々で今か今かと一人の少女を待ち望む人垣を押し返すのに躍起になっていた。


 館から白い影がゆっくりと姿を現したとき、人々は息を呑んだ。

 はちきれんばかりの喧噪は刹那水を打ったように静まりかえり、誰もが叩頭礼も忘れてその少女に見入った。

 純白の上衣の胸元に光を集める硝子は、海士の男ですら見たこともないような深い蒼。歩くたびにさらさらと音を立てる裳は澄んだ空の色によく似た浅葱。そして襲からも覆いきれないほどの長い髪は、今まで陽に灼けることを知らなかったせいか見事な漆黒に輝いている。

 人々はその隠れたまなざしを一目見ようと、まばたきも忘れてやってくる少女を見つめていた。折しも風が吹き、柔らかな襲をふわりと舞い上げる。そのときに襲からのぞいたものは、人々をなお驚かせた。

 揺れる襲からほの見える、白栲よりも明るい雪色の肌――その上に血で描かれたような華やかな文様。紅を引いた唇は少女の幼さを残らず隠し、伏目がちの眼差しが人々の印象を決定的なものにしていた。

「巫女姫のお通りだぞ、頭を下げぬか!」

 衛士に怒鳴られてやっと我にかえったのか、人々は慌てて跪き叩頭した。

 少女が通り過ぎたあともしばらく人々の動く気配はなく、見かねた衛士が一つ咳払いをしたことで、ようやくばらばらと数人が立ち上がった。

「驚いた……今のが西の姫様かね」

「まだ十二だと聞いたぞ?」

「やはり神の妻問いをうける方は違うのお、同じ人間とは思えぬ」

「昨年の東の姫様もそれはそれは艶やかで綺麗だったもの。本当に、神に選ばれた祝子としか……」


「泣いている……」

 人垣から少し離れた木の陰に佇んでいた張政が呟いた。マナシは木の股に座って人垣を眺めていたが、その陰鬱な口調につられて振り返った。

「泣いてるって……あの巫女か? 顔も見えないのによく判るな」

「顔など見ずとも」

 張政は遠くなった小さく白い後ろ姿を目で追った。

(魂が泣いている。今にも霊離りしそうなほど、こころが病んでいる……)



 歩き続けて一刻、やっと邑の東端にたどり着いた。

 台与もこのあたりまでは来たことがなかった。東の館を行き過ぎると丈高い柵が連なって行く手を阻む。これが邑の東端を表し、また日巫女の丘宮との境目でもあった。

 環濠で囲まれたムラの唯一の出入り口である門と大差ないほどの巨大な門。その脇には楼観が備え付けられ、上にも下にも数人の見張りが駐在している。

 彼らはやってきた台与と掖邪狗に目を止めると、一様に頭を下げた。

 掖邪狗が門の前に立ち、口上を述べた後に扉をたたく。すると待ちかねていたように、大きな音を立ててそれが開かれた。現れたのは、巫の黥を持つ二人の美しい女だった。

「台与様ですね、日巫女様がお待ちでございます。わたくしどものあとにお続き下さいませ」

 台与は急に全身が萎えるのを感じた。急に孤独を意識したせいかもしれなかったし、掖邪狗が心配そうな目で自分を見つめているのが分かったからかもしれない。

 ゆっくりと落ち着くために吐いた息も、小さく震えていた。

「……参ります」

 目を閉じ、やがて開いて台与は門の中へと一歩踏み出した。

 とたんに門は音を立ててゆっくりと閉ざされ、外界とのつながりは完全に断ち切られる。

 そして台与は独りになった。


 二人の巫女は台与を挟むように前後に立ち、無言で歩き出した。板塀の向こうにほの見える木々の陰が、石の階の上を揺れている。どこまでも続く段を、浅葱の裳を踏まないように気を配りつつ登りながら台与は辺りを見回した。

(なんて長い階段……門の奥はこんな深い杜になっていたなんて。一体どういう造りになっているのかしら)

 息も切れはじめた頃に、突然階段が終わって前景が拓けた。

「えっ」

 台与は目を瞠り、驚きのあまりに思わず足を止めた。

 その丘陵の全てが日巫女の屋敷なのだった。前方には浜辺にあるような白砂を敷き詰めた斎庭が延々と広がり、土で固められた一本の道が続く遙か彼方には、目を疑うほどの巨大な館が建っている。

 実際台与は目を疑ったし、思わず口に出して訊ねていた。

「あの……ここ、本当に日巫女様がおひとりでいらっしゃるんですか?」

 前を歩いていた巫女が、洗練された物腰で優雅に振り返り答える。

「いいえ、このお館には数多の巫女や婢が日巫女様にお仕えして暮らしております。最奥に日巫女様のおわします神殿がございますが、そこへ入るのを許されたものは湯把様しかおられません」

「ユワ様?」

 聞き慣れない名前を反芻した台与に、今度は背後の巫女が答える。

「日巫女様にお仕えの巫覡でございます。日巫女様の神言を大人たいじんがたにお伝えなさる大切なお役目を任されておいでです。この館の唯一の男性です」

(男の人もいるんだ……)

 台与のような見習い巫女にとって、男は徹底的に厭われる存在だった。その点このクニを支える巫女が側仕えに男を重用しているというのは意外な気がするが、日巫女ほどにもなるとそういうものなのだろうかとも思う。

 そうしてまた台与は近づいてくる建物を見上げた。まず驚かされるのはその屋根の大きさだった。通常の倍はある切妻の屋根が前方に大きくせり出していて、陰になったその下は露台のような造りになっている。

「あちらで湯把様が日巫女様の神言をお伝えになるのです」

 想像は容易かった。神懸ったような巫覡が大声で信託を宣り、大人達がそれを跪いて拝聴する。その風景がこれ以上とはない程に似合う、演出すら欠かさない完璧な屋敷なのだ。

「こちらより御館になります。御館の中では言霊も力を増しますゆえ、どうぞお慎み下さい」

 台与ははっとして口を押さえ、こくりと頷いた。


 階を上り大きな戸口をくぐると、中には広い廊が一直線に続いていた。両脇には数え切れないほどの小部屋があり、中では婢や巫女達が織物をしたり縫物をしたりと忙しく働いていたが、誰一人として口をきくものはなく、奇妙なほど静かだった。

 どこまでも続く回廊を曲がったり横切ったりしているうちに、あたりから徐々に人の気配が薄れ、そしてやがて先をゆく巫女が足を止めた。

「こちらから先は、わたくしたちも入ることは許されておりません。どうぞ台与様お一人でお願いいたします」

(ここから先が、日巫女の神殿――)

 台与は唇を噛んで前を見据え、ゆっくりと歩き出した。

 聖域の中心地、全てを浄化する源へ。

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