8.それからの生活
雑草とはたくましいもので、抜いても抜いても生えてくる。
私は、根気よく相手しているけれど。時々、腹立たしくなる。そういう時は、憎しみを込めて雑草をむしるのだ。
今のように。
「滅せよ、雑草!」
「レナ、物騒ですよ」
ぶちぶちと畑の雑草を抜くと、野菜の収穫を終えたらしきラルクが、呆れ顔で言う。
「何を言うの、ラルク! 雑草は敵なんだよ!」
「そうなんですか……」
ラルクは、私の相手に疲れたのか、収穫した野菜の入った籠を持って川の方に向かう。洗いに行くのだ。
ラルクの背中を見つめ、私は表情を引き締めた。
「ラルク、流されないようにね!」
「……流されませんから」
振り向いたラルクは、ため息混じりにそう言った。
「分からないよ。もしかしたら、巨大な桃が流れてきて、ラルクを押し流すかもしれない」
「意味が分かりませんよ。真顔で、何を言っているんですか」
「空想」
「そうですか……」
ラルクはまたため息をついた。
最近のラルク、ため息多いけど大丈夫なのかな。疲れてるの?
「ラルク、幸せは逃がさないようにね?」
「……レナは、変なことばかり言うようになりましたね」
「失礼だよ」
「本当のことじゃないですか」
「なにおう!」
私は拳をぶんぶん振り回した。怒りを表現したのだ。私の微かな動きの表情では、ちゃんと怒りを表せない。
だから、体でも表現するのだ。
そんな私を見て、ラルクは声に出して笑った。いつも静かに笑うラルクにしては珍しいことだ。
驚きから、私は拳を止める。
「レナが今日も元気で、僕は嬉しいですよ」
「そ、そう?」
「ええ」
そうしてラルクは、幸せそうに笑った。
「こんな毎日がこれからも続くかと思うと、嬉しいですね」
ラルクの真っ直ぐな言葉に、私は照れてしまう。
視線を逸らし、雑草抜きを再開する。
「あ、当たり前のこと言わないで」
「そうですよね。当たり前のこと、なんです」
ラルクが、噛み締めるように言う。
「レナがいて、僕は幸せです」
また直球な言葉に、私は人形の体で良かったと思った。
元の体だったら、今頃真っ赤になっているはずだからだ。
「も、もう! 早く、洗いに行きなよ」
「はいはい」
くすくす笑いながら、ラルクは歩き出した。
「流されちゃ、ダメだよ」
私は、ラルクに視線を向けずに早口で言う。
「……それは、もういいですから」
ラルクの突っ込みはやはり疲れた響きがあった。
私は真剣なのに。
「……幸せ、か」
ラルクの足音が遠くなったのを確認してから、呟く。
幸せ。ラルクは私と一緒にいることに、幸福感を持ってくれているんだ。
私がラルクを幸せにしているのだと思うと、何だかくすぐったく思う。
ぶちぶちと雑草を抜きながら、口元が緩んでいく。
朝日が差す中、私は空を見上げた。
鬱蒼とした木々の合間に、青い空が見える。
「今日も、良い天気」
畑作業も捗るのは、当然のことだ。
私はすっかり手慣れた作業を、こなしていく。
私が異世界に来て、半年が過ぎようとしていた。
畑の仕事が終わった私とラルクは、森の少し奥に来ていた。あまり深い場所に行くと、魔物と遭遇してしまうので気をつけなければならない。
「レナ、そっちに行きましたよ!」
ラルクの声に、私は身構える。
私の目に兎そっくりの小動物が、駆けてくるのが見えた。
「ラルク、任せて!」
私はすぐさま、頭の中で小さな箱をイメージする。それは一秒も満たない、瞬時に行う作業。その先に待つのは──結界の展開だ。
イメージした箱に、私は兎を閉じ込めた。
逃げ場を失った兎は、結界の中をうろうろと動き回っている。
結界に捕まえるために、兎を誘導して走り回っていたラルクが追いついた。
「レナ、お疲れ様です。狩りに魔法を使うのも、だいぶ上手になりましたね」
「うん! もう、失敗はしないよ!」
ラルクに誉められ、私は鼻高々だ。
初めて狩りに結界を使った時、動く獲物相手に四苦八苦したのが懐かしいぐらいだ。
森には、二人で狩りに来ていたのだ。
ラルクは人間。野菜ばかりではなく、お肉も食べないと栄養が偏ってしまう。
それゆえの狩りなのだ。
「レナ。結界を解いてください」
「うん」
ラルクに言われ、私は結界を消す。すると、ラルクは素早く兎の耳を掴み、持ち上げた。
バタバタと暴れる兎。自分に待ち受ける運命を分かっているのだろう。
「……大事に、食べますから」
そう言って、腰に下げたナイフを取り、兎へと走らせる。
赤い血がラルクの顔や腕に掛かる。そして兎は動かなくなった。
私は一連の動きを、じっと見守った。
私は食べないとはいえ、命が失われる手伝いをしたのだし、生命に関することは神聖なことだ。目を逸らすべきではない。
「……今日は、これで充分ですね。家に帰ったら血抜きをしましょう」
手の甲で血を拭い、ラルクは微笑んだ。
食物連鎖の形を、ラルクはちゃんと分かっている。兎は、無駄なくラルクの糧となるのだ。
「じゃあ、家に帰りましょう」
「うん」
私とラルクは、狩りを終え帰路についた。
家の中、私はテーブルや椅子を拭いていた。お掃除である。
床はもう掃いた後だ。
「……ラルク、遅いな」
今日狩った兎の血抜きをしに、外で作業をしているはずなのだけど。ちょっと、時間が掛かっている気がする。
いつもなら、とっくに戻っているはずなのに。
「様子、見てこようかな?」
ついでに、木で出来た桶に入った水も変えてこよう。
私は桶を持ち、外に向かった。
「あれ……?」
家の裏手にある作業場に、ラルクの姿はなかった。
「どこ、行ったんだろ?」
きょろきょろと見渡してもラルクはいない。
もしかしたら、森に木の枝でも取りに行ったのだろうか。
確か、台所に積んであった枝が少なくなっていた気がする。電気のない世界で、火を起こすのに木は必要だ。
だから、作業が終わったついでに森に再びはいったのかもしれないと思ったのだ。
「うーん。水取り替えたら、少し探してみようかな」
とりあえず川に向かうことにした。
途中の道で、使用済みの水を捨て、軽くなったであろう桶を持って行く。
川は近い。すぐに着いてしまう。
そして、私は川から少し離れた場所で立ち止まった。
「あ……」
思わず声が出てしまう。
何故なら、ラルクが上半身裸で川の浅い場所に立っていたのだ。
遠目からも分かる白い肌が、陽のもとで淡く輝いて見える。
「う、うわ……!」
見てはいけないものを見てしまった気がして、私は慌ててしまう。
ラルクはそんな私に気づかずに、白い背中を晒している。
び、美少年は、体まで綺麗なんだね……。
「あれ……?」
ラルクの背中から視線を外せずにいると、あるものが目に入った。
「……魔法陣?」
そう。ラルクの背中の真ん中辺りに、漆黒の円形の模様があったのだ。私の手のひらより小さい二重の円には細かな文字が連なり、円の中心には羽ばたく鳥のような形をした模様がある。
あれは、何なのだろう。
気になった私は、もっと良く見ようと一歩を踏み出す。
だけど──。
パキンッ。
足下から枝の折れる音がした。
「あ……っ」
私の足が、枝を踏んでしまったのだ。
枝を踏んだ音は、思いのほか響いた。
「レナ……?」
ラルクに気づかれてしまった!
「あ、あのっ。けして、覗いていたわけでは……っ」
不思議そうに振り向くラルクに、私は慌てて両手を振った。
その拍子に抱えていた桶が落下し、カラカラと音を立てて転がっていく。
「レナ……」
ラルクが半目で、私を見る。
「いやっ! これは、事故だよ! 事故!」
ラルクの責めるような視線に、私はますます慌てて弁明する。
しかし、ラルクはため息をつくと。
「物は、大事にしてください」
と、転がる桶を指差した。
「あ、そっち……?」
「他に何があるんですか」
呆れるラルクに、私は視線を逸らした。追求されるのを恐れての行動だ。
ラルクに覗き魔と思われるのは、心外だ。
「まったく、レナはそそっかしいのだから」
そう言ってから、ラルクは微笑んだ。その優しい笑みに、私は惹きつけられる。
ラルクの微笑みは、不思議だ。私の心を、簡単に温めてしまうのだから。
「ラ、ラルクは、何で川に入っているの?」
何だか恥ずかしくて、桶を拾いながら早口で問う。
「ああ。さっきの狩りで血を浴びましたから。洗い流していたんですよ」
ラルクは川から出て、近くの枝に掛けていた服を取りに行く。
「そ、そうなんだ。早く乾かさないと、風邪引くよ」
「そうですね」
ラルクは素早く呪文を唱えた。すると、あっという間に体についた水滴が消えていく。
……ここの魔法、本当に便利だな。
体を乾かしたラルクは、さっさと服を着てしまう。
白い肌が見えなくなって、私は密かに息をはいた。
「目の毒だった……」
「レナ、何か言いましたか?」
「ううん、何でもないよ」
正直に話したら、軽蔑されてしまうかもしれない。
そもそもラルクは男の子だ。体の美しさに見とれていたなんて言われても、嬉しくなるどころか困惑するだけだろう。
ここは、ごまかすに限る。
「さ、さあ。水でも汲むかな!」
「……何か、変ですね」
「何にもおかしくないよ!」
「そうですか?」
「そうだよ! はい、水汲みお終い!」
私は強引に話を切った。
ラルクは不可解そうに私を見ていたけど、小さく息をはいた後に苦笑した。
「まあ、いいでしょう」
「そうそう。じゃあ、お家に戻ろうよ!」
「そうですね」
私とラルクは、並んで家路につく。
途中、ラルクに桶を持つと言われたけど、いやいや私の仕事だからと断り、小さな言い合いになった。
「僕は男ですから、僕が持ちますよ」
「いいよ、ラルク色々仕事して疲れてるでしょ!」
「あれぐらい、へっちゃらです!」
「でも、私の仕事だからいいって!」
「遠慮なんて、レナらしくないですよ」
「……引っかかる言い方だな」
「気のせいですよ」
等々、言い争い。
結局は、二人で持っていくことになった。これって、引き分け?
そんな白熱した争いがあったから、私はラルクに何か聞きたいことがあったはずなのだけど。
家に着く頃には、すっかり忘れてしまっていた。
……何か、あったっけ?
私が悩んでいると、床に桶を置いたラルクが小さく笑った。
途端に、私の意識はそっちに向いてしまう。
「ラルク、どうしたの?」
体を伸ばしたラルクは、嬉しそうな表情を浮かべている。
「いえ、誰かとこうして言い合ったりするのは、とても幸せなことだと思って」
「ラルク……」
ラルクは四年、一人きりで暮らしてきたのだ。
私との暮らしは、新鮮な発見の連続なのかもしれない。
ラルクは、微笑んで私を見た。
「ありがとう、レナ。僕は今、とても幸せです」
ラルクの言葉はゆっくりと私の心に染み込んでいき、私は自然と笑顔になった。
「うん! 私も、幸せだよ!」
ラルク、これからもよろしくね!
それから私たちは、お互いに笑い合うと一緒に掃除をした。
一緒って、楽しいね!