7.れなとラルク
私たちは、しばらくの間抱き合っていた。
ラルクのすすり泣く声も、だんだんと落ち着いたものになっていく。
自分が泣かせたのだと思うと罪悪感が増すけれど、私はラルクの背中をさすり続けた。
「レナ、レナ……っ」
「うん、私はここにいる」
ラルクは何度も、私の名前を呼んだ。
私は申し訳ない気持ちで消えてしまいそうだった。
ラルクを悲しませて、苦しませたのは私なのだから。
「レナ、さよならだなんて言わないでください……っ」
「ラルク……」
ラルクは私から体を離す。そして、私と視線を合わせた。涙で潤んだ目が、私を捉える。
「僕はレナを家族だと、思っているんです」
「うん……っ」
ラルクの必死に言葉を紡ぐ様子に、私はラルクの中での自分の存在の大きさを痛いほど思い知らされた。
こんなにもラルクに思われていて、突き放すような真似をした自分が恥ずかしい。
「レナ。僕と共にいてくれますか……?」
心細く問いかけられた言葉は、私の脳裏に様々な面影を過ぎらせた。
エリシア先輩や、他の先輩魔女たちの笑顔が。
人間とは価値観の違う先輩魔女たちと過ごした一ヶ月は、とても刺激的で、充実していた。
様々な魔法で悪戯されたり、逆に私が仕掛けたり。時には、披露された魔法で笑かされたこともあった。
懐かしく、楽しい一ヶ月だった。
でも。
「私は、ラルクといる」
ラルクと過ごした二ヶ月は、温かくて優しい時間で。私の中に、刻みつけられていた。
もう、手放せないほどに。
私の本心を告げると、ラルクの目からまた涙が零れ落ちる。
そして、私の右手を取ると、頬に寄せた。
ラルクは、涙を流しながら微笑んだ。
「嬉しいです、レナ」
とても、美しい微笑みだと思った。
「魔法を使える奴らの兄妹喧嘩は、派手だねえ」
仲直りし、ラルクとガルの店に行けば。そんな風にからかわれた。
私は、頭を撫でられることを警戒してラルクの後ろに隠れている。ガルは苦笑しただけで、特には言及してこなかった。ラルクの言った人見知りというのを信じているのだろう。
「ガルさんのお店の前で、お騒がせしました」
「ごめんなさい」
ラルクがぺこりと頭を下げたので、私もそれに倣う。
「いいってことよ。酒場から流れてくる客に比べりゃ、可愛いもんさ」
恐縮する私たちを、ガルはからからと笑い飛ばす。
「嬢ちゃん、坊主は優しいだろ」
「うん」
「坊主は本当に、嬢ちゃんを心配していたんだ。良い兄ちゃんだな。大事にしろよ」
「分かった!」
ガルの言葉に、私は力いっぱい頷いた。もう二度と、傷つけないようにと誓う。
ガルは私とラルクを兄妹と勘違いしているみたいだけど、家族なのだからあまり違いはないだろうと思い、否定はしなかった。
「そんじゃ、ま。仕事の話でもするかね」
「あ、今回は薬いつもより多いですよ」
「おお、そいつは有り難いね」
ガルとラルクはお仕事モードに入ってしまった。
商談の間、私は暇だ。
だから、雑貨屋の商品を見て回る。
美味しそうな飴から、よく分からない道具から、様々なものがある。
これから私は、この世界で生きていくんだ。
色んなことを覚えないと。
商品の前に吊されたくにゃくにゃした線の彫られた板を見て、先ずは文字を習おうと思った。
ラルクの商談が終わり、私たちは手を繋ぎ街を歩いていた。
通りには色んな店がある。この通りにはガルの店もあるから、商店街みたいなものなのだろうな。
「ここには服屋がいくつかあるんですよ」
「そうなんだ」
「レナの服。一つしかありませんから、買ってあげたかったんです」
「ラルク……」
寂しそうに笑うラルクに、私は名前を呟くので精一杯だった。
今日街に来た時に、ラルクの機嫌が良かったのは私のために何かをすることが出来るという喜びによるものだったのだ。
「……ありがとう、ラルク」
「お礼なんて、いいんです。家族なんですから」
ラルクは優しく微笑んだ。
家族。当然のように言われる言葉に、私は自分の居場所を再確認した。
エリシア先輩たちのことを思うと、複雑な気持ちになる。
でも、私は選んだ。
ラルクと生きる未来を。
「レナは、どんな服が良いですか」
「……ゴスロリは、ないよね」
「ごすろり?」
「ううん、何でもない」
首を傾げたラルクに、私は苦笑を浮かべた。
この世界にゴスロリ文化はないのか。今着ているワンピース以外では、一番馴染みがあるんだけどな。
「袖と裾の丈は長くなくちゃいけないけど、ふりふりした服も着てみたい」
「ああ。この街には良いレース職人がいるらしいので、きっと良いものが見つかりますよ」
「うん。あとは、汚れても良い服も欲しい」
「どうしてですか?」
問いかけられたので、私はラルクを真っ直ぐ見た。
「これから、ラルクの家族として森で暮らすからだよ」
「レナ……」
感極まったように名前を呼ばれ、気恥ずかしくなった。
私はそっとラルクから視線を逸らす。
「そうですね! なら、たくさん買わないと」
「お金もったいないから、ちょっとでいいよ!」
今のラルクでは、本当に大量に買いそうだったので、慌てて止める。お金、大事である。
「そうですか?」
ラルクは凄く残念そうだったけど、私も譲れないのだ。
家族の無駄遣いは、阻止するのである。
「ラルク、浮かれ過ぎ!」
「浮かれもしますよ。レナが家族になってくれたんですから!」
ラルクの機嫌は最高に良いようだ。笑顔全開だ。
私は何だかこそばゆくて、それ以上たしなめることは出来なかった。
「ふんふんふん」
とうとう鼻歌まで歌い出した!
だけど、嬉しそうなラルクを見るのは悪い気はしない。
私は、繋いだ手に力を込めて、ラルクの鼻歌を聞いていた。
パンパンになったラルクの鞄と、数着の服が入った袋を持って私たちは家に帰ってきた。
木々に囲まれた小さな家を、私は感慨深く見つめる。
家を出た時、私は二度と戻らないつもりの覚悟を持っていた。それなのに、こうして未来へと繋ぐ服を買って帰ってきた。不思議な気分だ。
ラルクが私から手を離す。
そして、微笑んで私を見た。
「お帰りなさい、レナ」
「た、ただいま」
当たり前の挨拶。それをラルクと出来ることが、幸せだと思った。
私の心はもう、ラルクのそばにある。
選んだ未来。後悔のないように進みたい。そう思う。
「さあ、レナ。荷物を片付けましょうか?」
「うん!」
家の扉に手を掛けたラルクに、私は大きく頷く。
「ただいま」
私は、先ほど言ったのを再び口にする。
家に対して言ったのだ。
ただいま。また、よろしくね。
部屋に入る。
当たり前だけど、出かける前と変わったところはない。
だけど、私は新鮮な気持ちで二ヶ月を過ごした部屋を見た。
クローゼットと、ベッド。古そうな本の並んだ本棚。小さな机と椅子。
境界の魔女の拠点にある部屋に比べると、凄く小さな部屋。
でも、二ヶ月過ごした大切な部屋だ。
これからも、私が使うと思うと愛しさがこみ上げてくる。
この部屋で月明かりのもと、たくさん苦悩した。ラルクと地球への帰郷の念との間で、いっぱい揺らいだ。
でも、今の私の心は穏やかだ。
あの苦しみがまるで幻だったかのように。
「これからも、よろしくね」
私は自然とそう口にした。
そして、服の入った荷物を抱えてクローゼットに向かう。
クローゼットの中は、空っぽだ。前に使っていたお爺さんの服は入っていない。多分、ラルクが片付けたのだろう。
空っぽのクローゼットに、私の服が入る。それがまた、ここが私の居場所になったということを実感させる。
この世界で生きると決めて、まだ少しだけど。そのことが、何だか嬉しい。
「私は、ラルクと生きる」
神聖な言葉のように、私は一句一句噛み締めて呟いた。
『エリシア先輩へ。
きっと、たくさん心配掛けていますよね。
でも、私は出会ってしまったんです。
優しい、優しい人間の少年と。
彼には私が。
私には彼が。
いつの間にか、二人一緒でなければならないほど、近しい存在になっていたんです。
ファンタジーや恋愛小説好きのエリシア先輩だったら、どんな反応をしますか?
馬鹿な選択をしたわねと、悲しむかもしれませんね。
それとも、良い相手に巡り会えたと喜んでくれるでしょうか。
遠い場所にいる私には、想像することしかできません。
でも、言わせてください。
私は、たくさん悩みました。
苦しみもしました。
人間という存在に、懐疑的にもなりました。
でも、それら全てをラルクが壊していったんです。
私を必要として、私の居場所になってくれた。
だから。
だから、エリシア先輩。
私は、ここで生きていこうと思うんです。
大丈夫。ラルクがいれば、私は幸せです。
ただ、エリシア先輩。一つ、心残りがあるとすれば。
この言葉を、貴女に贈れなかったことです。
エリシア先輩、一ヶ月という短い期間でしたが、私を慈しんでくれて、ありがとうございました。
大好きです。
遥か遠い地にいる、れなより。』
そう魔女の言語で綴り、私はラルクからもらったばかりの羊皮紙の本を閉じた。これは、私の日記帳にするつもりだ。
魔女の使う文字で書いたのは、ラルクに見せられない内容だから。ラルクに、私がまだ地球への思いがあると誤解されたら大変だ。ラルクが、私の日記を勝手に読むとは思わないけれど。
こちらの世界──ニーナ王国の文字を覚えたら、それを使って日々を綴っていこうと思う。
文字の習得は明日から、ラルク先生により始まる。
「楽しみだな」
希望に満ちた言葉を、私は微笑みを浮かべて言うのだった。