6.危機
どさりと、地面に放り投げられる。痛みは感じない。けど、視界がぐらんぐらんと揺れた。
「はー、こんな精巧な人形を作るとは、王国一の人形師は違うねぇ」
「……疑うなら、そいつの手袋を取ればいい。人形の手をしとる」
「疑っちゃいねえよ。このガキ、人にしちゃあ、軽すぎる」
「ふん」
私の頭上で、会話がなされる。
混乱したままの私は、状況についていけない。
何故、ここにくそ爺がいるのか。
私を乱暴に扱った男は、何者なのか。まるで、分からない。
……どうする?
まずは、結界を張って身の安全を図るか?
──……ダメだ。
浮かんだ案は、即座に却下する。
発生してから一ヶ月の間しか、結界魔法を教わっていない私は、結界を一つしか使えない。
まだまだ腕が未熟なのだ。
ここに結界を張ったら、ラルクに使ったものが消えてしまう。まだ、消すには早過ぎる。
結界が消えたら、ラルクは私の異変に気づくだろう。必死に探してくれるかもしれない。
そうしたら、彼はきっとここに来る。
くそ爺はまだしも、男の方はよく分からない。ラルクを危険に晒すわけにはいかない。
「……ずいぶんと大人しいガキだな」
「なに、破棄されると分かり、恐れているのだろうよ」
くそ爺の言葉に、体がピクリと動く。
今、くそ爺は何と言った?
破棄。破棄されると言ったのだ。
いや、予想は出来たはずだ。くそ爺はもともと私を、魔物に喰わせようとしていたのだ。私を見つければ、壊そうとするだろう。
「わしの弟子が、街でこいつを見かけたと聞いた時には、心臓が縮まるかと思ったわ。だが、あんたらに任せれば安心だ」
くそ爺が機嫌良く、男に声を掛ける。
そうか。くそ爺の知り合いが、私を見ていたのか。
確かにラルク効果で、私たちは街の視線を集めていた。その中に、くそ爺の作った人形を見たことがある人間がいてもおかしくはない。
迂闊だった。
地面に転がったままの私は、ぐっと唇を噛んだ。私は、こんな路地裏で朽ちるのか。悔しさでいっぱいだった。
だけど。
「は? 破棄なんかするわけないだろ。こんな上等な人形で、しかも動くときた。貴族どもに高く売れるぞ」
「な、何を言っとるんだ! こんな魔を、あんたは生かすと言うのか!」
「そんなの、俺らには関係ねえよ。俺らは盗賊。売り物が目の前にあるのなら、どんなものでも高く高く売り飛ばす」
「ふ、ふざけるな!」
くそ爺と男が言い争っている。
くそ爺は私を壊したがっているけれど、男は私を売り物にしたいようだ。
だが、どちらも私にとっては悲惨な末路しか想像出来ない。
「……うるせえ爺だな。あんたが、俺らの客になってなかったら、ここで黙らせてもいいんだぜ?」
「ひ……! わ、わしを殺す気か!」
ドスの利いた男の声に、くそ爺が掠れた悲鳴を上げる。
「殺しやしねえよ。あんたは王国一の人形師だ。俺らに、その人形の一部を横流しする約束を守ってくれさえすればな」
「わ、分かった」
くそ爺はへなへなと、地べたに座り込んだ。
私は無感動な気持ちで、くそ爺を見た。
くそ爺はこれから男の言う盗賊とやらに、利用し尽くされるのだろう。
それに同情したりはしない。
くそ爺は、私を男に売ったのだから。
「わ、わしは約束は守る! そいつはお前らにくれてやる!」
くそ爺は叫ぶと、よろよろとした足取りで立ち上がり、路地の入り口へと走って行く。
男は引き止めなかった。
男にとって魅力的な商品が、ここにあるからだろう。
「さーて、ガキ。起きろ。話、聞こえてたんだろ」
男が私の前髪を引っ張り、顔を上げさせる。
この時、私は初めて男の顔を見た。
男は暗い色の服を着た、声の通り厳つい雰囲気のある顔をしていた。左目の横から口元にかけて、大きな傷がある。とうてい、一般人には見えない男だ。
「痛覚はねえようだな。おい、俺の声聞こえてんだろ。返事しろよ」
私は無言を貫く。
すると、男の黒い目が淡く光った。
「もう一度言う。返事をしろ」
「はい」
私の口が勝手に動いた。私も驚いたが、男もわずかに目を見開いた。
「本当に喋るんだな。こいつは、良い商品になりそうだ」
男は、私の前髪から手を離した。
重力に従って、私の顔が地面に落ちる。そこで気が付いた。体が動かないのだ。
「おっと、商品は丁寧に扱わねえとな。壊れたりしてねえな?」
「はい」
また口が勝手に動く。
男は何か特殊な能力を持っているのだろうか。
「そうか、壊れてなければいいんだ。何せ、大事な大事な商品だからな」
男は満足そうに忍び笑いをもらした。
私の気分は最悪だ。
私はこれから、見知らぬ貴族とやらに高値で売られるのだ。
──……罰が、下ったんだ。
あんなにも優しいラルクを、悲しませた。
自分勝手な都合で、ラルクから離れようとしたから。
ラルクは、私を家族と呼んでくれたのに……。
「……一度も応えられなかったな」
男に聞こえないように、口の中で呟く。
こんなことになるなら、言えば良かった。
私が、ラルクの存在にどれだけ救われてきたのかを。
ラルクの優しさに、魔女たちと引き離された寂しさが薄れていっていったのに。
でも、馬鹿な私はそれを認めたくなかった。地球への帰郷の念が薄れるのを、恐れていたのだ。
だけど、最悪の状況になって、私は思い知らされた。
ラルクの存在の大きさを。大切さを。
ラルクを危険に巻き込みたくないと思いながら、ラルクのそばに戻りたいと心が叫んでいる。
私は、本当に大馬鹿者だ。
「ラルク……っ」
名前を呼ぶのは、これで最後になるかもしれない。
男に他人の意識と体を操る力があるのならば、私の意思は消えてしまうのだろう。
だから、最後にラルクの名前を呼びたかった。
「ごめんね」
悲しませて。傷つけて。
そして、優しくしてくれて、ありがとう。
「それじゃあ、根城に戻るか」
男が私の体を担いだ。
体が動かない私は、なされるがままだ。
「空間を司る闇の神よ。俺と根城を繋げてくれ」
男がそんな呪文のような言葉を口にし、路地裏の壁に手をつく。すると、壁が波打ち始めた。
空間魔法だ。だけど、ラルクの使う魔法とは違い禍々しい力を感じる。
「ガキも大人しくさせたし、帰るか」
男が壁に開いた真っ暗な穴に手を入れる。
ああ、もうダメなんだ。
私が諦めた、その時だった。
「その子を、離せ!」
路地の入り口から、声がしたのは。
透明感のある少年特有の声。もう、二度と聞けないと思っていた──ラルクの声だ。
「何だぁ?」
男が振り返る。担がれていた私も、視界が入り口へと向かう。
そこには、今まで見たことのないほどの怖い顔をした、ラルクが立っていた。
ラルクは、鋭い視線を男に向けている。
「おお、何だ。えらくお綺麗なガキだな」
だけど、男は余裕の態度でラルクの外見を口にする。
ラルクの眉間に寄ったシワが深くなる。
「もう一度言う。その子を離せ」
低い声。こんなラルクの声、初めて聞いた。
「くっ、ははは! 何だ、ガキ。勇者気取りか? 残念ながら、もうこいつは俺らの商品だ」
「何だと……!」
大笑いする男に、ラルクは激高する。ゆらゆらと、ラルクの周りに陽炎のようなものが見える。
あれは、ラルクの魔力だ。
「ああ、そうだ。お綺麗な顔をしたガキ。お前も商品に……」
「炎よ! 我が刃となれ!」
男は最後まで言えなかった。ラルクが叫んだ瞬間、炎で出来た鋭い剣が男の頬を掠めたからだ。
ジュッという、髪を焦がす音がした。
ラルクは男を睨んだまま、一歩前に進む。
ラルクの周りには、十は超える炎の剣が浮いていた。
「今のは、警告だ。もう一度言う、彼女を離せ」
ラルクの声に、男が息を呑む。
「……冗談だろ? こいつは、人形だ。たかだか動く珍しいだけの人形に、何でお前みたいな奴が出てくんだよ」
冷静になった男にも、ラルクの膨大な魔力が分かったようだ。
たったあれだけの詠唱で、複数の剣を作り上げたのだから。
ラルクが一歩一歩踏みしめる毎に、陽炎は増していく。
「何だよ、お前が先に目を付けていたのか? こいつは高値で売れそうだからな。それは謝る。だから……」
「彼女を……」
ラルクの地を這うような声が、早口でまくし立てる男を遮る。
「レナを、物のように言うな!」
また一本、剣が男のもとへ疾風のごとく飛んできた。男に突き刺さるかと思われた剣は、男の左胸の辺りで僅かな隙間を作り止まった。
これも、警告なのだ。おそらく最後の。
「くそ……!」
男は私を放り出し、壁に開いた穴に身を滑り込ませる。
「ガキ! お前の顔、覚えたからな!」
という言葉を残し、男の飛び込んだ穴は閉じていった。
後には、地面に横たわる私と、無言のラルクが残された。
男が消えると、私の体も自由を取り戻したのか、動くことが出来た。
のろのろと、私は上半身を起こす。
そして、逆光になって表情の見えないラルクに視線を移した。
ラルクの周りには、もう剣や陽炎は消えて去っている。
「ラ、ルク……」
私は、先ほどのラルクを思い出してしまい、少し震える声になってしまった。
ピクリと、ラルクの手が動く。
「あ、あの……」
何と言えばいいのか分からず、言葉が途切れた。
あんな別れ方をしたのに、ラルクは私を助けに来てくれた。
結界まで張った私を……。
ラルクの手は傷だらけだ。結界を破るのに、相当無理をしたのだろう。
私には、何かを言う資格がない。そう思い、俯いた。
情けない。私は、ラルクを傷つけてまで、何をしたかったのか。
ただ迷惑を掛けただけじゃないか。
「……レナ」
名前を呼ばれて、体が震える。叱られると思ったのだ。
だけど、それも当然のことだと思う。
私はラルクから罵られても当たり前のことをした。ラルクに嫌われても仕方ないことを……。
「レナ」
また名前を呼ばれた。
だけど、そこに覚悟したような怒りや嘲りの響きはなく。
ただ、優しい温もりがあった。
「ラルク……?」
顔を上げて、私は目を見開いた。
ラルクは、彼は、紫水晶の目から、透明な雫を零していたのだから。
ラルクが、泣いている。
それは、私に衝撃を与えた。
ラルクは私に近づき、地面に膝をついた。
「ラ、ラルク! 服が汚れ」
「無事で、良かったです……っ」
言い切る前に、抱き寄せられた。
ラルクは、しゃくりあげている。
「レナ、お願いですから。自分を危険に晒さないでください……!」
私は、本当に馬鹿だ。
ラルクは怒ってなんかいない。
私を、嫌ってもいない。
あんな酷いことをした私なのに、ラルクは必死になってくれたのだ。
必死に、私の身を案じて探してくれたんだ。
優しい。本当に優しい人間だ。
そんな彼に、罵られて当然だと思うなんて。あまりにも彼を馬鹿にしている覚悟だ。
「ご、めんな、さい」
掠れた声が出る。
「ごめんなさい、ラルク!」
私は、本当に、救いようのない馬鹿だ。
今更、気づくなんて。
ラルクはもう、私の中の深い深い場所に存在していたのだ。
切り離すことなんて、無理なぐらいしっかりと根付いていたのだ。
「ごめんなさい」
壊れたオルゴールのように、私はただラルクに謝罪を繰り返した。
ラルクの家族になりたいと、思いながら。