5.決意
月明かりのもと、私は目を閉じて集中していた。
体の中にあるマナを意識して、操る。
精神を統一し、世界に意識を向ける。
探し続ける。境界の魔女の拠点を。
しかし、容易く出来るはずのそれは、すぐさま何かの壁のようなものに弾かれ、遮断される。
「……今日も、ダメか」
私は目を開け、ため息をつく。
初めて街に行った日から一週間。毎晩のように私は、拠点へ連絡を取ろうとしていた。でも、失敗続きだ。
拠点への門に繋がることはない。
「あー……朝が来ちゃう」
私は弱々しく呟いた。
夜が明けたら、朝が来る。そしたら、ラルクが街に行く日になる。
私は、それについて行く約束だ。
「ラルク……」
私は膝を抱えて、優しい少年の名前を呟いた。
声は、夜の闇にそっと消えていった。
朝が来た。
私は憂鬱な気持ちで、居間の椅子に座っていた。
決意を揺らがしたくなかったので、既に手袋は嵌めている。
じっと、床に視線を向けていると扉の開く音がした。
振り向けば、寝起きのラルクがやってくるところだった。
「あれ、レナ。もう居間にいたんですか?」
「うん……」
私はこくりと頷いた。
「あ、早いですね」
ラルクは私の手元を見て微笑んだ。
「今から手袋をつけるだなんて、よっぽど街が楽しみなんですね」
「そう、だね」
私はぎこちなく笑い返す。
寝起きだからか、ラルクは私の不自然な態度には気づかなかったようだ。
欠伸を一つすると、外へと出て行ってしまう。
畑の様子見と、顔を洗いに川に向かったんだと思う。
「ラルク、ごめんね」
見えなくなった少年に、私は謝罪を口にする。
ラルクの姿を見ると、やはり決心が鈍る。でも、私は……。
不安を隠すようにぎゅうぎゅうと、体を抱きしめた。
人形の体では、温かさとかは感じない。いくら力を込めても、痛くない。
「……異質、だなぁ」
呟きは震えていた。
ラルクの準備が終わり、出かける時間になった。
「今回はたくさん薬が作れましたから、収入は多くなりますよ」
「そうなんだ」
ラルクの鞄を見れば、確かに前回よりも膨らんでいる。
ラルクの鞄は、軽量化の魔法が掛かっていて、どんなに重い荷物を入れても軽々と持てるのだ。
魔法を研究していたお爺さんの作品だとか。
ラルクは機嫌が良い。
「お金が入ったら、レナの服を買いましょうね」
当然のように言われた言葉に、一瞬動きが止まる。
ラルクの描く未来には、私がいるのだ。
「レナは可愛いですから、何でも似合いそうです」
「ラ、ルクのが、可愛いよ」
動揺が声に出てしまう。
だけど、浮かれているらしいラルクには気づかれなかったようだ。
「僕は男ですから、可愛いは不名誉です」
「そうかな」
「そういうもんです」
ラルクは微笑んで、私の手を取った。
「まだ、街じゃないよ」
「いいんですよ。今から繋ぎたい気分なんですから」
……人形の体で良かった。
でなければ、私の手はきっと緊張から冷たくなっていただろうから。
ラルクに、気づかれてはいけない。
私は、ただ無言でラルクの手を握った。
「さあ、レナ。行きますよ」
「うん」
私たちは、家を出る。
私は振り返り、二ヶ月過ごした家をじっと見つめた。
「さよなら」
口の中で、小さく言葉にした。
前回と同じく、ラルクの転移魔法で街の入り口まで来た。
ラルクと手を繋ぎ、道を歩く。
緊張から私は言葉が出なくて、ラルクばかりが話していた。
そんな私に、ラルクは心配そうな視線を向けてくる。
「レナ、あまり元気がないようですが。大丈夫ですか?」
「だ、大丈夫、だよ」
声が、震える。
ダメだ、しっかりしないと。
「服、楽しみだなって」
何とか笑みを浮かべて言う。
ラルクも微笑み返してくれた。
やはり、今日のラルクはいつもより浮かれている。
それのお陰で、私の異変に気づかれないから良かったけど。何故、ラルクは機嫌が良いのだろう。
私は不思議だった。
「この街には、良い服屋がたくさんありますからね」
「うん、楽しみ、だよ」
ラルクの言葉に、私は何とか答える。緊張は、ピークに達していた。
「あ、ほら。ガルさんのお店ですよ」
ラルクが指差す。
ラルクが教えてくれなくとも、私は分かっていた。
前回の時、必死に道を覚えたから。
ラルクと通った道は、ちゃんと記憶している。
「……着いちゃったね」
「レナ?」
ラルクが不思議そうに、私の名前を呼ぶ。
私、ラルクに名前を呼ばれるのが好きなんだと、今実感した。
私はラルクを見た。
「ラルク、今までありがとう」
「レナ、何を言って……?」
ラルクは目を瞬かせる。ラルクの紫水晶のような目、大好きだったよ。
私は、繋いでいた手をラルクから引き剥がす。不意をついたから、簡単に手は解かれた。
「レナ……っ」
私の様子から何かを感じ取ったのか、ラルクが手を伸ばしてくる。
目は、私を捉えたままだ。
ラルクの手は、私に届く前に弾かれる。
「え……っ」
目を見開くラルク。
ラルクは、見えない壁に──私の張った結界に阻まれたのだ。
魔女の魔法は詠唱を必要としない。私は、ラルクの手を離した瞬間に彼を結界の中に閉じ込めたのだ。
「レナ……どうして」
自身を閉じ込めている見えない壁に両手をつき、ラルクは呆然と呟いた。
そんなラルクの姿に、胸が鋭く痛んだ。
ダメだ。心を揺らしては。私はラルクのそばにいてはいけないと、思ったんじゃないか。ラルクの存在が、地球への帰郷の念を薄れさせてしまうから。
だから。
だから、私はラルクから離れるのだ。
私の中のラルクがこれ以上大きくなる前に。
ラルクにとっての私が、大切な存在になってしまう前に。
「レナ! お願いだから、結界を解いてください!」
ラルクの叫びに、道行く人間が何事かと見てくる。
でも、私もラルクも気にしていられない。
お互いに必死なのだ。
私は拳をぐっと握り、心を奮い立たせた。
「結界は解けない」
「レナ……!」
ラルクは必死に結界を叩く。
魔女のマナで作り上げた結界だ。いくら膨大な魔力を持つラルクでも、地球産のマナが相手となれば簡単には破ることはできないだろう。
ラルクには、ここで止まってもらわねばならない。
「ラルク」
呼べば、彼は結界を叩くのを止めた。
「いっぱい優しくしてくれて、ありがとう」
「レナ、さっきから何を言ってるんです……? それじゃあ、まるで」
「お別れ、なんだよ」
声を震わすラルクに、私は出来るだけ平坦になるように声を掛けた。
「レナ……」
信じたくないと言うかのように、ラルクはゆるゆると首を横に振った。
紫水晶の目が、揺れている。
私は、もうそれ以上見ていられなくて、目を逸らした。
「私たちは、一緒にいるべきじゃないんだよ」
「なんで、そんなこと言うのですか。だって、服を買いに行くって……」
「ラルク!」
思いの外、強い声が出てしまった。
私の心は、もう限界だったのだ。
「……さよ、なら」
ラルクに視線を向けて絞り出すように、別れの言葉を口にする。心が裂けるんじゃないかというほど、辛い言葉だ。
ラルクの目が零れそうなほど、見開かれる。
「嫌、だ……」
泣きそうなラルクの声を聞きたくなくて、私は目を瞑り背を向けた。
「レナ! 待って!」
ラルクの叫びを聞きながら、私は走り出す。
ラルクから少しでも、距離を取る為に。もう、限界を超えた心を守るために。
人間の波をかき分ける。
街の入り口から、雑貨屋までの道なら覚えている。身を隠せそうな場所も、把握してるつもりだ。
「ふ……っ」
人形の体なのに、息が苦しい。泣けないはずなのに、視界が歪む。
辛い、悲しい! 身が裂けそうだ!
「ごめん、ごめんなさい……っ」
ラルクを苦しめた罪悪感が、私の心を支配していた。
それでも必死に足を動かす。疲労など感じない体なのに、足がもつれそうだった。
そして、目を付けていた場所を見つける。
そこは、ゴミなのか箱が高く積み上げられている路地裏だった。店と店の間にある、狭い空間。体を隠す場所も多いし、通りからの死角になりそうな場所もある。
私はそこに、走り込んだ。
そして、箱の陰に体を隠す。小さな体は、箱の陰にすっぽりと収まった。
「……」
私は、更に体を隠すために膝を抱えた。
私の結界は、ラルクにしたら確かに異世界のものだ。
でも繊細な転移魔法を操れるラルクになら、時間は掛かるだろうけど。きっと、結界を壊すことが出来る。
私は、必死に見つからないように、と祈った。
今日を乗り越え、ラルクから離れることに成功したら、街を出よう。
そして、魔の森以外の森に身を潜めるのだ。
雨風をしのげる場所を探して、そこを生活の拠点にして地球への帰還の方法を探すのだ。
もしかしたら、身を隠している間に、境界の魔女が私を探し出してくれるかもしれない。
つらつらとそんなことを、考え続ける。
『レナ! 待って!』
「……っ!」
悲痛なラルクの声が蘇る。
私は、更に体を縮こまらせる。
私は逃げ出しのだ。ラルクの優しさから。
ラルクのそばにいると、分からなくなるのだ。
私の居場所が、どこなのか。
私は、私は異世界の魔女だ。この世界の存在じゃない。
だから、ラルクを拠り所にしてはいけないのだ。
私は、帰るのだから。
あのままラルクのそばにいたら、私は完全に居場所を見失ってしまうところだった。
離れるしか、なかったのだ。
私は自分に言い聞かせて、膝に顔を埋めた。
そんな時だった。
ぐんっと、視界が上に引っ張られた。
「え……っ」
マフラーとワンピースの裾がゆらゆらと、揺れているのが見える。足が地面から離れている。
私は宙に浮いていた。
いや──。
「おい、爺。コイツがそうなのか?」
厳つい男の声がした。初めて聞く声だ。
私は声の主に、襟首を掴まれ体を浮かされているようだった。
普通の人間だったら、首が締まって苦しいだろうが、人形の私には関係ない。
それは救いだけど、でも状況が分からない。
何故、私は見知らぬ人間に襟首を掴まれているのだろう。
姿の見えない男が、私の体を路地の入り口に向ける。
そこには、人影が一つあった。
「ああ、そうだ。そいつは魔の使いだ!」
聞き覚えのある声に、私は目を見開く。
聞き忘れるわけがない。
この声は、私が初めて会った──。
人影が路地に入ってくる。
その人影は、私を魔の森に捨てた、くそ爺だった。