4.街
あれから毎晩、私は拠点へのアクセスを試みていた。
もしかしたら、奇跡が起きて繋がるかもしれないと思ったからだ。
だけど、無理だった。
魔女が起こすのは魔法。
奇跡を起こすのは人間。
そんな言葉まで浮かんでしまうぐらい、拠点との連絡がつく目処は立っていなかった。
日々は無情にも過ぎていく。
地球から、異世界に来て既に二ヶ月が過ぎようとしていた。
私の中で、過ごした時間だけラルクの存在が大きくなっていく。
どうしようもない状況が、私に焦りを感じさせていた。
朝食の場で、ラルクが私を見た。
膝を抱えて椅子に座っていた私もラルクを見る。
「レナ」
「何、ラルク」
ラルクは、私に微笑み掛けてきた。
ラルクの笑顔は、私の胸を騒がせる。苦手だと、思った。
「今日、僕は街に薬を売りに行きます。レナはお留守番……」
「行く!」
反射的に叫んでいた。
ラルクが驚いたように、目を瞬かせている。
「え、ですが。人がたくさんいますよ?」
私が人間に苦手意識を持っていることを知っているラルクが、困惑したように眉を下げ聞いてくる。
私はバツが悪くなり、視線をラルクから逸らした。
「あ、その……。ラ、ラルクばかりに仕事させて、悪いから」
私のしどろもどろな言い訳に、ラルクが微笑む。
「良いんですよ。僕が好きでやっているんですから」
「で、でも……」
私はちらちらとラルクを見る。ラルクは、私の態度を不思議に感じているのか首を傾げている。
悟られてはいけない。
そう思った私は、ラルクを真っ直ぐ見た。
「私、人間に慣れたい」
建前を口にする。本音は隠して。
ラルクが、表情を少しだけ引き締めた。
「レナ、それは……」
まだ早い。ラルクは、そう言いたいのだろう。
だけど、私にしてみれば遅過ぎたくらいだ。
私は抱えていた膝を下ろすと、姿勢を正した。
「私、ラルク以外の人間と関わって、少しでも慣れたい。……ラルクの役に立ちたいから」
「レナ」
ラルクが嬉しそうに目を輝かせる。
その様子に罪悪感を覚え、私は視線を逸らしたくなった。でもそうしたら、怪しまれてしまうからぐっと堪える。
「レナがそう言ってくれるのは、初めてですね」
「そう、かな」
「そうですよ!」
ラルクは意気込んで、身を乗り出す。
頬は薔薇色になり、美少年振りを遺憾なく発揮していた。
「ラ、ラルク……?」
「レナ。僕は嬉しいです! 家族として、レナに認められた気がして」
「か、家族」
ラルクの言葉は真っ直ぐで、私の罪悪感を刺激する。
ラルク、違うんだ。私は身勝手な理由で、街に行きたいんだよ。
「レナが街に行くとなると、手首まで隠れる手袋が必要ですね。足の関節は、服の裾とブーツで隠れますし」
「う、うん」
浮き立った様子で、ラルクは私の外出に必要なものを口にする。本当に嬉しそうだ。……幸せ、そうだ。
ラルクの中で、私の存在がどれほど大きくなっているのか、分かってしまった。
私の中で、ラルクの存在がどんどん膨らんでいくのと同じことが、ラルクにも起きている。
それは私の感じている焦りを煽るのに、充分なことだった。
「レナ、畑の手入れが終わったら、街に行きましょうね」
ふわりと微笑むラルクに、私はただ無言で頷いた。
畑仕事が終わると、ラルクは自分の部屋に入っていった。着替えるためだ。
私は待っている間に、白い手袋を装着していた。
少し余裕のある手袋は、私の球体の関節を綺麗に隠してくれている。
「……大丈夫、だよね」
不安な思いが口に出る。
街。人間がたくさんいる。私に悪意を持つ人間がいるかもしれない場所。
……大丈夫。マフラーもズレないようにしっかりと巻いた。
大丈夫、だ。今の私は、見た目だけならちゃんと人間に見えるはず。
ラルクも、人間に溶け込めると判断したから、私を街に連れて行ってくれるのだ。
私は、自分に何度も言い聞かせる。勇気を出せ、と。
私には不安がる暇など、ないのだから。
私は、街に行かなくてはいけない。
だから、こんな入り口で挫けている場合じゃない。
ぐっと、拳を握る。
「大丈夫! れなは出来る子!」
私が気合いを入れていると、ラルクの部屋の扉が開いた。
街に行く用の綺麗な服を着たラルクが、肩から下げる紐付きの鞄を持って出てきた。うっ、綺麗な服が似合っていて美少年振りがアップしている。
いや、ラルクが特別なキラキラした服を着ているわけではない。普通のシャツとズボン姿だ。
でも、普段が普段なだけに、普通レベルの服でも煌めいて見えるんだよ。
「いつも、その格好にすれば良いのに」
つい本音が出る。
ラルクは、困ったように笑う。
「魔の森に、この格好では不都合ですよ。魔法の練習は汚れることもありますし、畑仕事にも邪魔くさいです」
「美少年が台無しだよ」
「な、何言ってるんですか」
ラルクが頬を赤らめる。照れたようだ。
ラルクは一人だった時期が長かったせいか、自分の美貌を分かっていないのだ。無自覚は危険なんだよ。多分。
「さ、さあ。馬鹿なこと言ってないで、街に行きますよ!」
「……分かった」
私は、重々しく頷いた。
いよいよ、だ。
魔の森から街までは、一瞬だった。
ラルクが転移魔法を使ったのだ。
「この方が楽ですから」
と、何でもないことのように言ってのけたけど。個体を二つも運ぶのって、凄く大変なことではないのだろうか。
境界の魔女の先輩魔女に、転移魔法の使い手がいたけど。自分は天才だから何人でも運べる。でも、凄く集中力が必要だと言っていた。
他の転移魔法が使える先輩魔女たちも、彼女は別格で、本来転移魔法は凄く繊細な魔法なのだと教えてくれたのを思い出す。
「ラルクは、本当に凄いね」
私は、尊敬の眼差しを向けた。
野菜も育てられるし、料理もお掃除も得意だ。お裁縫は、まあ苦手みたいだけど。
でも、お裁縫以外何でも出来ちゃうラルクは、凄い。
「誉めすぎですよ。僕は、そんなに出来た人間じゃないです」
「そうかなぁ」
「そうですよ」
そんな話をしながら、街の中に入る。
街の門に門番はいない。
ラルクに聞いたら、少し離れた場所に関所があって、そこで入門検査を受けるらしい。
「……つまり、その手順を省いた私たちは不法」
「しっ! それ以上は言ってはいけません。誰が聞いているか分かりませんからね」
「はい、ラルク先生!」
小声でそんなことを言いながら、私たちは人通りの多い道を歩く。
すると、数歩進んでラルクが立ち止まった。
そして、私を見る。
「今日は人が多いですね。レナ、手を繋ぎましょう。はぐれたら大変です」
「分かった」
私たちは手を繋いで、再び歩き出す。
歩きながら、私はきょろきょろと街を見る。
やはり日本とは違う街並みだ。人間たちの服装も違う。
「街が珍しいですか」
「うん……そうだね」
私は曖昧に濁す。
街並みだけなら、くそ爺に担がれた時に見ている。
それでも、私は街をじっくりと観察した。
そして、観察するうちに何人かの人間たちが、ちらちらと見てくることに気づいた。
まさか、私が人形だとバレたのかと一瞬ヒヤリとしたけど。人間たちの視線は、全部ラルクに向かっている。
中には、頬を赤くしている女の子もいる。
……そうだった。ラルクは美貌を誇る美少年なのだ。視線が集まるはずだ。
ちらりと、ラルクを見る。ラルクは涼しい顔をしている。見られることに慣れているようだ。
ラルクが私を見て、苦笑を浮かべた。
「視線は気にしちゃダメですよ。きっと田舎者だと思われているんです」
「……それ、違うと思う」
ラルクはとことん、無自覚美少年だった。
「さあ、レナ。この先の兎の形をした看板を掲げた店が、僕の取引先です」
「うん」
ラルクが指差した先を見れば、確かに兎の形をした看板がある。よく分からない文字らしきくにゃくにゃした線が彫られている。この世界の文字だろうか。
「……読めない」
「雑貨屋、『兎の尻尾』と書いてあるんですよ」
「そうなんだ」
ラルクは私を馬鹿にすることなく、教えてくれた。本当に優しい。
「じゃあ、入りますよ」
「う、うん」
私は、ラルクの手をぎゅっと握りしめた。
そして、カランカランと扉に付けられた鈴を鳴らしながら、店に入って行くラルクにぴったりと寄り添う。
店の中は、たくさんの棚があり。見知らぬ品で溢れていた。
「こんにちは」
「おーう、ラルクの坊主じゃないか」
ラルクの声に、カウンターの向こうで椅子に座り、新聞らしき紙を広げていた三十代ぐらいの男がラルクを見た。
「坊主は止めてくださいって、何度言えばいいんですか」
「坊主は坊主だろ。何だ、今日は彼女連れか。ガキのくせにませてんな」
そう言って豪快に笑う男に、ラルクは顔を赤くする。
「ち、違います! レナは、家族です!」
「何だ、妹かよ。つまらねえな」
「まったく、ガルさんは! すぐ僕をからかうの止めてくださいね!」
ぷりぷりと怒るラルク。新鮮な反応だ。
店主らしき男──ガルは新聞を畳むと、ラルクに向き直った。
「で、今日は買い物か? それとも商いかい」
「両方です」
そう言うと、ラルクは私から手を離して、肩から下げていた鞄を開ける。
「薬、持ってきたので、買い取ってください」
「坊主の作る薬は貴重だからな。正直助かるぜ」
「そう言ってもらえると、作ったかいがありますよ」
そんな風に会話しながら、ラルクとガルは取引を始めた。
私は、その様子をただ見ていた。邪魔はしたくないし、この世界のお金を見たかったのだ。
出てきた紙幣とコインは、地球のどの国のものとは模様が違った。やはり世界が違うのだと痛感させられる。
「よし、取引は終わりだ。坊主、何が欲しい」
「えっと、小麦粉とあとは……」
ラルクは次々と注文していく。
そうして、ラルクの鞄がパンパンになった頃。ガルが私を見た。
「嬢ちゃん、兄ちゃんの買い物の間もじっとしていてえらかったな」
と言って、私の頭に手を伸ばしてきた。私は反射的にラルクの背中に隠れた。
私の頭は、人間と比べると堅い。人形とバレてしまうと思ったのだ。
「何だ、嬢ちゃん。俺は、ただ撫でてやろうと……」
「レナは人見知りが激しいんです。すみません」
不満そうなガルに、ラルクは申し訳なさそうに言った。
「ごめんなさい」
ラルクの背中から顔を出して、私は謝った。ガルに悪気はないのだ。これは私の問題なのだから。
「まあ、気にしていないさ。じゃあ、坊主。また、うちを利用してくれよ」
「分かりました」
ガルとラルクはそう会話すると、手を振り合った。
「じゃあ、レナ。帰りますよ」
「うん」
私たちは再び手を繋ぎ、店の外へと向かう。
「じゃあな、二人とも。兄妹仲良くな!」
何気ないガルの言葉が、私の気持ちを揺さぶった。
そうして、私たちは寄り道せずに帰ってきた。
「初めての街はどうでしたか?」
「う、ん。色々珍しかったよ」
めまぐるしく考えていた私は、上の空になりつつ答えた。
「レナ、疲れましたか?」
心配してくれるラルクに、私は首を横に振って否定した。
そして、ラルクを見る。
「ラルク、次も行きたい」
私の言葉に、ラルクは微笑んだ。
「分かりました。次も一緒ですね」
「う、ん」
私は、ぎこちなく頷いた。