3.ラルクの魔法
「雑草、抜き終わったー!」
私はばんざいをして、立ち上がる。
しつこいほど生えていた雑草は、根こそぎ排除した。頑張った、私。
「お疲れ様、レナ。こっちの水撒きも終わりました」
「ラルクもお疲れ様ー」
畑仕事はなかなかの重労働なのだ。今の私は、疲れを感じないけれども。
「それじゃあ、僕は手を洗ってきますね」
「うん、待ってる」
ラルクは、川の方へと走って行く。
そんなに急がなくても、私はちゃんと待っているのに。
私は、パンパンとワンピースを叩いて土ぼこりを落とした。
ピイーと、空で鳥が鳴いている。
「……なんか、平和だな」
とても、魔物がいるような森の風景とは思えない。
この世界に来ての初日を思い出す。魔物に襲われそうになったショックで、私は一晩中膝を抱えていた。
魔物は、本当に怖かった。今でも、あの鋭い目を思い出すと、体が震える。
「ラルクは、凄いなぁ」
この魔の森で、一人で暮らしていたのだから。
私も、攻撃型の魔法を使えたら、魔物を恐れたりしなくなるのだろうか。
結界の魔法って、防御に特化しているからなぁ。
「この世界の魔法、私にも使えたら良いのに……」
私の中のマナと、この世界の人間のマナは違うのか。私が詠唱しても、何も起きなかった。
ラルクに良いとこを見せようと格好いい呪文を唱えたのに、何の変化も起きなくて、あの時は恥ずかしかった。
ラルクが必死に慰めてくれたのが、救いだ。
魔女は、やはり特性に合った魔法しか使えないみたい。欲張った私がいけないのだ。
「レナ!」
川の方から走ってくるラルクが見えた。急いで戻ってきてくれたようだ。
私はラルクのもとに向かって、歩いていった。
「ラルクの魔法講座の時間になりました」
「レナは何を言っているんですか」
キリッとした表情で拍手すれば、ラルクは呆れた顔で私を見ている。
「ラルク先生の勇姿を、讃えようと思ったんだよ」
「……意味、分からないですよ」
ラルクはため息をついた。
ため息をつきながら、地面に木の棒でガリガリと円形の模様を描いている。
魔法陣というやつだ。
この世界では魔法を使うのに、魔法陣は必要ない。ならば、何故ラルクは、自分の足下に魔法陣を描いているのかと言うと。
ラルクの描いた魔法陣は、彼の魔力を暴走させないためのものだという。ラルクの魔力は、膨大だ。練習とはいえ、魔力が溢れて、魔法を扱いきれない可能性もあるのだ。
だからラルクは、お爺さんが考案したという魔法陣を練習の時に描くのだ。ラルクを育てたお爺さんは、魔法の研究者だったんだって。
何で、魔の森で暮らしていたのかは、ラルクも知らないそうだ。
「……さあ、描けました」
ラルクが背筋を伸ばす。見つめる先には、木に括り付けられた板がある。あれが的になるのだ。
「レナ、離れていてくださいね」
「うん」
言われた通り、私はラルクのそばから後方に下がった。
そこにある切り株に座る。私の定位置だ。
ラルクは、右手を突き出した状態で深い呼吸を繰り返す。集中しているのだ。
私からは背中しか見えないけれど、多分目を閉じていると思う。
ラルクの深呼吸が終わり、左手を右手に重ねた。
いよいよだ!
「──氷の冴え渡る刃よ、炎の奔流よ。来たれ、来たれ。我が力に従え」
ラルクの詠唱は滑らかで、まるで歌っているようだ。
詠唱が始まると、ラルクの体が淡く光り出す。魔力が零れているのだ。それに併せて、足下の魔法陣も光を放つ。ラルクの魔力を押さえ込むために。
ラルクが右手に力を込めるのが見えた。
「氷よ炎よ! 我が命に従え! 今、我は放つ!」
ラルクがそう言うと、白い靄が立ち込める。冷気だ。
ラルクの右手から、氷の刃が放たれる。それは寸分違わず的に命中し、的を凍らせた。
だが、それだけでは終わらない。今度はラルクの周りに赤い陽炎が見えた。
ラルクの右手からチリチリと炎が立ち上る。ラルクに熱がる様子はない。意思のある力。魔法による炎だからだ。
炎は、小型のドラゴンの形になり、凍りついた的へと向かっていく。炎のドラゴンも、的に命中し的を凍らせた氷を溶かしていく。
そして、空へと飛空し消えた。
「……今日は、上手くいきましたね」
ラルクが額を袖で拭う。
私は、切り株からぴょんと跳ねて立ち上がる。
「ラルク、凄い!」
「レナ」
振り返ったラルクが、穏やかに微笑む。
私はラルクのそばへと寄る。でも、ちょっと距離を開けてから立ち止まる。魔法陣だ。ラルクの魔力を吸った魔法陣には、安易に近付いてはいけない。私の中のマナと反発してしまうからだ。
この魔法陣はラルク専用なのだ。
ラルクが魔法陣に触れる。すると魔法陣は光を放ちラルクの手の中へと入っていく。ラルクの魔力が持ち主の中に戻っていったのだ。
ああ、そうだ。ラルクの魔力と魔女である私の中にあるマナは変換の仕方が違うんだよ。この世界の人間は、世界に満ちるマナを魔力に変換して吸収している。一方、魔女はマナをマナのまま吸収してしまう。まあ、どちらも魔法に変わるというのは同じなんだけどね。
マナを使って魔法を使うか、魔力を魔法に変えるかの違いだ。
ラルクが魔法陣から出てきたので、今度こそ私は彼のそばに寄る。
「ラルクは二つの魔法を同時に使えるんだね!」
特性魔法しか使えない私にしたら、凄いことである。
地球の人間は魔法を使えないけど、こっちの人間は一人でたくさんの属性の魔法が使えるようだ。ラルク曰く、得手不得手はあるみたいだけど。
ラルクは私の堅い頭に手を置いた。撫でてくれているみたいだ。
「いっぱい練習してますからね。二属性を同時に使うのには膨大な魔力が必要です。その分、暴走もし易いので魔法陣は欠かせませんが」
「それでも、凄いよ! ラルクは努力家だね」
「レナ……」
尊敬の眼差しで見つめると、ラルクは言葉を詰まらせた。
紫水晶の目をうろうろと彷徨わせると、少しだけ悲しそうに笑った。私の頭から手をどける。
「努力家……お爺ちゃんにも、よくそう誉めてもらってました」
「ラルク……」
ラルクはお爺さんのことを思い出しているのか、目を伏せていた。
ラルクにとって、お爺さんは大切な存在なのだ。
「ラルクのお爺さんは、ラルクにとって大切な家族だったんだね」
魔の森に捨てられていたラルクを拾い、慈しんで育ててくれたのだろう。
ラルクの優しい性格は、きっとお爺さん譲りなんだ。
ラルクは、微笑みを浮かべて頷いた。悲しみの色はもうない。
「そうですね、大事な家族です。お爺ちゃんは厳しい人でしたが、たくさん誉めてくれる人でもありましたから」
「そっか」
家族、か。自然発生した魔女である私にも家族はいる。
境界の魔女の仲間たちである。
発生した後の一ヶ月、私は彼女らにたくさん叱られ、たくさん優しくしてもらった。
……せっかく、エリシア先輩が用意してくれたのに、小学校行けなかったなぁ。
小学校、経験してみたかったのに。
……いや、まだ諦めるのは早い。地球に帰れないとは、決まったわけじゃないのだから。
きっとエリシア先輩たちが、私を探してくれている。魔女は、仲間意識が強いのだ。
だから、きっと帰れる! 私も帰る方法を探そう。
決意を新たに手を握りしめると、その手が胸の前まで持ち上げられた。
ラルクだ。ラルクが、私の両手を自身の手で包み込んだのだ。
「ラルク……?」
どうしたのだろう。ラルクは、寂しそうに微笑んでいる。
「レナが、辛そうだったので……」
「私が?」
私、帰郷の念を表情に出してしまったのだろうか。
ラルクは、ゆっくりと頷いた。
「レナ。悲しいことや辛いことがあったら、僕に話してください。僕はレナの力になりたい」
ラルクの言葉に、私は息を呑む。
……ラルクはどうして、こんなにも私に優しくしてくれるのだろう。
私は魔女で、今は人形の体で、しかも人形なのに一種類だけど魔法を使える。ラルクにしてみれば、異質な存在だ。
そんな私に、ラルクは本当によくしてくれる。
ラルクがいなかったら、私は今頃どうなっていたか分からない。ラルクにはたくさんの恩がある。
だけど、生活の全てを面倒見てもらっているという負い目もある。
「ラルクは、私のこと、怖くないの?」
気が付けば、そんなことを言っていた。顔を俯かせる。
異質な自分。くそ爺は魔の使いとか言って、私を簡単に捨てた。酷い扱いを受けた。くそ爺は、私を魔物に喰わせようとしたのだろう。
そうされるほど、嫌悪感を持たれる存在なのだ。今の私は。
思い出したくない記憶が、私に突きつけた現実に、打ちのめされる。
ラルクに嫌われたら、怖がられたら、私は……。
「レナ」
声を掛けられた。
ラルクだ。
優しい、体に染み込むような慈しみに満ちた声。
そんな声で、ラルクは私の名前を呼んだ。
「レナ。僕を見て」
ラルクの優しく促す声に、私は顔を上げた。
ラルクの中に、私への負の感情を見つけてしまうのが怖かった私は、緩慢な動きになってしまったけれど。
勇気を出して、ラルクを見れば。彼は、笑っている。優しく、慈愛に満ちたいつものラルクの笑顔だ。
紫水晶の目には、温かな光が宿っている。
「僕が、レナを怖がることなんてあり得ません。僕を信じてください」
「あ……」
ラルクに真っ直ぐ見つめられ、私は自然と声をもらす。声は震えていた。嬉しくて、何だか泣きたい気分になる。
ラルクが眩しくて、尊い存在に思える。
「ねえ、レナ」
「う、うん」
ラルクに声を掛けられ、ないはずの心臓が高鳴った気がした。
「僕は、その」
ラルクは一度、言葉を切った。
頬がほんのりと、赤く染まる。
「レナのこと、家族だと思っていますからね」
「家族」
伝えられた言葉は、私に複雑な感情をもたらした。
ラルクの近しい存在になっていたという歓喜と、そして、それでもなお地球に帰りたい思いを捨てきれない罪悪感。その二つの感情が、私を苦しめた。
「レナ?」
ラルクが不安げに私の名前を呼ぶ。
私は感情を振り切るように、ラルクに笑い返した。
「ありがとう、ラルク。私、もうバカなこと言わないよ」
「そうですか」
ラルクはホッと息をはいた。
ラルク、ごめんね。家族という言葉に、私は応えられなくて……。
「それじゃあ、もう少し魔法の練習をしますね」
「うん」
空気を変えるかのように、ラルクは明るく言った。ラルクの気持ちを汲んで、私は頷くのだった。
その夜。
私は、ベッドの上で膝を抱えていた。
開けられた窓から入る月明かりに、私は照らされている。
月は、まるで私を見守っているかのようだった。
月にエリシア先輩の姿を重ねる。
「エリシア先輩、私どうしたら……」
地球には帰りたい。拠点にいる魔女たちと、また語らいたい。
でも。
「ラルク……」
優しい彼の姿を思い浮かべると、どうしても決心が揺らいでしまう。
月明かりのもと、私は複雑な思いと戦い続けた。