20.悲観するリュドと始まりの鐘
十四歳になったリュドの日々は、鬱々としていた。
原因は露わになった左手にある。
青色の勇者の証。それがリュドの左手にあることを、今や全ての村人が知っていた。
リュドが勇者に選ばれたのだと、エミリアに知られてしまった日。
リュドの醜態を影で見ていた子供らが、あっという間に村中に広めてしまったのだ。リュドの左手に証があると。
隠れていた子供たちに気づかなかったのは、今でも後悔しかない。
締め切った部屋の中、リュドは唇を噛む。
「……こんなの、僕は望んでいない」
リュドは両手で顔を覆い、呻く。
リュドの家には連日、村人からの贈り物が届くようになっていたのだ。
あまりにもあからさまな媚びである。
確かに、今までの村人のリュドに対する態度は、酷かった。
だが、リュドは今よりは前の方が何倍もマシだと思っている。
『リュド、さま、今まで申し訳ありませんでした!』
『ほらっ、あんたたち、謝りなさい!』
『……えー、父ちゃんも母ちゃんも言ってただろー。リュドは役立たずだって』
『黙りなさい!』
『すみません! 息子は、妄想癖があるんですよ。あはは……』
村人の白々しい謝罪を思い出し、リュドはギュッと目を瞑った。
食いしばった歯からは、ギリギリと音が鳴る。
リュドは、そんな謝罪など欲しくはない。どうせ、内心では勇者など似合わないと嗤っているに違いないのだから。
「……僕だって、好きでなったんじゃない」
リュドは、勇者などという大役を願ったことなど、一度もなかった。
憧れたこともない。
家族とエミリア以外からは、役立たずと蔑まされてきたリュドにしてみれば、皆の尊敬を一心に浴びる勇者は遠い存在であった。
眩しくて、そして──妬ましい。
「勇者なんて、なりたくない……っ」
五色の勇者。そう、勇者は五人居るのだ。
エミリアを見て分かる通り、自分以外の勇者はきっと凄い力を持った者ばかりだろう。自分と比べるなど、おこがましい程に。
リュドは、皆から褒め称えられる勇者の中で、一人肩身を狭くしている自分が容易く想像できた。
蔑まされるのには、慣れている。
だが、光輝く存在の横に立つのは嫌だった。
勇者の一人は、王様を護る近衛騎士だという。王都から離れた村にまで、彼の噂は流れてきていた。
どれほど、立派な方なのだろうか。
どれほど、眩しい存在なのだろうか。
また、家の扉が叩かれる。新たに媚びを売りに来た村人がやってきたのだと、リュドは鬱々と思った。
しかし──。
「おや、エミリア! よく来たねぇ」
家の留守を預かる祖母の声を聞いた瞬間、勢いよくリュドは顔を上げた。
「ええ、こんにちは。お婆さま、リュドは……?」
「あの子なら、相も変わらずに部屋の中だよ」
「そう……」
「リュドや、リュド! エミリアが来てくれたよ!」
リュドはベッドから飛び降りた。祖母の呼びかけに応えるためではない。扉の取っ手を掴むためだ。
しっかりと握りしめる。
と、同時に部屋の前で足音がした。
「ねえ、リュド!」
エミリアの声だ。取っ手を握るリュドの手に、力がこもる。
「リュド、居るんでしょう?」
エミリアの問いかけにもリュドは、無言で返す。
答えないリュドを気にすることもなく、エミリアはなおも声をかけ続ける。
「今日こそは、外に出ましょうよ」
エミリアの言葉に、ピクリとリュドの肩が跳ねる。
「リュドのお母さまから聞いたわ。ここのところ、一歩も外に出ていないって……」
母さんめ、余計なことを!
リュドは歯ぎしりをする。
お節介なエミリアに話せば、こうなることは目に見えているだろうに。母親の口の軽さを、リュドは呪った。
「リュド。閉じこもっていたら、体にも……」
「うるさい。僕に構うな!」
気が付けば、そう口走っていた。
「リュド……」
エミリアの傷ついたような声に、閉ざしたつもりの心が痛みを訴える。
いいや、気のせいだ。
痛みなど、自分は感じていない。
自分はもう、何かに心を揺らしたりはしない。村人の豹変を見て、そう決めたじゃないか。
「リュド! お願いだから、出て来て!」
取っ手に重みがかかる。エミリアが扉を開けようとしているのだ。
リュドは必死に取っ手に体重をかける。
リュドだって男だ。いくら精霊を操れるとはいえ、力で言えば普通の少女でしかないエミリアに押し負けることはない。
扉から重さが消える。エミリアは諦めたらしい。
「……また、来るから」
力なく言われた後、エミリアの気配が遠のいていくのを感じた。
取っ手から手を離しリュドは扉に背を預け、そのままずるずると床に尻をつける。
ひんやりとした石畳の感触が、リュドの高ぶった感情を落ち着かせた。
はあ、と。リュドは息を吐き、体から力を抜けさせる。
エミリア相手だと、何故だか神経を尖らせてしまうのだ。
「……リュドや」
扉の向こうから穏やかな声が聞こえて、リュドは体を少しだけ強ばらせる。
「婆ちゃん……」
声をかけたのは、リュドの祖母であった。
「エミリアを追い返してしまったんだねぇ」
「だって……」
リュドは口ごもる。
祖母の声にリュドを責める色はない。それが、居心地を悪くさせる。
「良いんだよ、リュド。あんたは、まだ覚悟も自身を見つめることも出来ていないからねぇ」
「……」
祖母は優しい声で言う。それがまた、リュドの中にある劣等感を刺激する。
祖母は年老いてもなお衰えない、村で一番の占者なのだ。
「リュド。あんたは、まずは自分を信じることから始めないと。あんたは、自分で自分の可能性を潰してしまっているんだよ」
「……僕に、可能性なんかないよ」
「おやおや、まだ十四年しか生きていないのに。もう決めつけるのかい?」
「婆ちゃん……」
扉越しに笑う祖母に、リュドは弱々しく呟く。
リュドは、祖母には弱い自分を見せてしまうのだ。
占いの仕事で忙しい両親に代わり、自分を育ててくれたからだろうか。
「リュド。ゆっくりでいい。自分を信じてあげなさい」
祖母の言葉に、リュドはギュッと自分の体を抱きしめる。
信じる? 自分の中の何が、信じるにあたいするのだというのだろう。
こんな能力もなく、弱くて、逃げ回ってばかりいる自分の何を信じれば良いのだ。
「婆ちゃん。僕には、分からないよ……」
「今はまだ、それで良い。ゆっくりだよ、リュド。焦ったら駄目だ」
祖母の言葉を、リュドは何度も反芻した。
ゆっくりで、良いのだろうか。
こんな自分が、勇者で本当に良いのだろうか。
悩みは尽きない。
だが、祖母の言葉はリュドの心に残った。
「さて、私は行くよ。リュド、風邪を引かないようにね」
「うん……」
遠ざかる祖母の気配に、リュドはまた息をはく。
「ゆっくり、か……」
リュドがそう呟いた時だった。
──リーン、ゴーン。リーン、ゴーン。
鐘の音が、鳴り響いた。リュドの村に鐘などない。なのに、音は村中に、いや世界中に鳴り響いている。
鐘の音と共に、ちくりと痛みを感じてリュドは左手を見た。
そして、目を見開く。
勇者の証が、青い光を放っていたのだ。
「これは……まさか」
天空の鐘。
勇者が選出され、世界に異変が起きた時に鳴り響くと言われる。伝承に伝えられし、神の音。
勇者を招集するために、鳴らされる始まりの音だ。
「そんな、僕は、まだ覚悟なんか……っ」
リュドは震える手で、頭を抱えた。
リュドの家を後にしたエミリアは、空を見上げる。
鐘の音が、体中を震わせていた。
「私は、私の力を使うだけよ……」
黄色い光を放つ勇者の証。
刻まれた日から、精霊術の研鑽を積んできた。
勇者となった日から、覚悟は決まっている。
占いの力がない自分を、ずっと恥じてきた。
でも精霊と出会い、力を貸してもらえるようになって、勇気をもらった。
もう自分を恥じたりしないと誓ったのだ。
勇者に選ばれたのは、そんな自分の頑張りを神々が見ていてくれたからだと思っている。
「……御心の、ままに」
エミリアは、天へと頭を垂れた。
鐘の音で、研究室で寝ていたキリルは目を覚ました。
寝ぼけた頭は、すぐさま覚醒する。
普段は眠そうにしている目を、鋭く天へと向けた。
「……そんなに鳴らさなくても、分かってるっつの」
キリルは持ったままだった本を、机に置く。彼は椅子に座った状態で、寝ていたようだ。
ボサボサの頭をかき、欠伸をかみ殺す。
「……俺は、俺のやりたいようにするだけだ」
覚悟なら、とうの昔からしている。
動揺はない。
緑色の光を放つ証に、キリルは不敵に笑ってみせた。
「……待ってろよ」
誓いは、自分の中で強い力となっていた。
ニーナ王国の中枢、王の間でも鐘の音は響いていた。
「いよいよだね」
異変を知らせる音だというのに、王には気負った様子はない。
そばに仕えることを許されているレナードは、静かに王の言葉に耳を傾けていた。
「これから、世界は大変なことになるだろう。だけどね、私は心を乱したりはしない」
玉座に座る銀髪の王は、静かな眼差しを横に立つレナードに向けた。
「信じているからね、レナード」
「はっ!」
右手を胸に当てたレナードは、王の信頼に応えるように頭を下げた。
彼の左手は赤く輝いている。
王の間に居る誰もが、レナードを見つめる。
彼らは、不安な素振りを見せない。
王が勇者を信じている。
王の臣下である自身にとって、王の言葉は絶対。彼らは、王に心から忠誠を誓っているのだ。
それをレナードも分かっている。だから、集まる視線から目を逸らさない。
レナードは王を、そして自分を信じている。
そして、これから得る仲間も信じるのだ。
天空の鐘が鳴り響くと、勇者はニーナ王国の王都へ。この王の間を目指すのだ。
ニーナに勇者は生まれる。
彼らを導くのは、ニーナの王の役目である。
「世界に、平和を」
王の言葉に、レナードは姿勢を正した。
鐘が鳴る。
黒いフードを被った少年は、空を見上げた。
少年は、神殿襲撃に荷担していた魔法使いである。
悪事に手を躊躇いもなく染める男たちを厭い、森の中に避難していたのだ。
ちりちりと、背中が痛む。
しかし、少年はそれに構うことなく天を見続ける。
「本当に、勇者が居るというのなら……」
ポツリと呟く。
「僕を、彼女を……」
助けて。
言葉にならない、少年の声は。静かな森の中に消えていった。
様々な人の上で、鐘は鳴り続ける。
勇者を、王のもとへ送り出すために。
人々に、平和をもたらすために。
鳴り続けるのだ。




